気付かないうちに(TOSR)


あの仲間たちとの旅が終わってからいくつの季節を越えただろう。
数えるのも面倒なほどの数字に、考えることを放棄する。
当の昔にリヒターさんを解放して、今ここには僕一人。いや、正確に僕とラタトスクの二人だけ。
僕の名前はなんだっけ。もう、ラタトスクと呼ばれることに慣れてしまって、あの旅の仲間がまだいたころに呼ばれていた僕の名は、思い出すことさえ難しい。
「ラタトスク」
このギンヌンガガップの主にして僕自身である精霊に、久方ぶりに問いかける。
返事は、すぐに返ってきた。
「なんだよ。らしくねぇ声出しやがって」
声はすれども姿は見えず。当たり前だ。彼は僕自身だから、その声は僕にしか聞こえない。それに、その姿は僕の中にしかない。
彼自身は、ここに出てこれないから。
「僕は、誰だっけ」
目を閉じて、自分の心に語りかける。
すると、答えは存外早く帰ってきた。
「お前は俺。つまりラタトスクだ」
違う。それを聞きたいんじゃない。違うんだよラタトスク。
僕は。
「僕は、誰なの?」
閉じた目を開けると、そこには特徴的に歪んだ僕の精神世界が広がっていた。
そして正面には、瞳の色だけが違う「僕」がたたずんでいた。
僕の問いに「僕」は困ったように笑って、変わらぬ口調で答えてくれる。
「俺はお前でお前は俺……だけど、しいて言うならおれはラタトスクであることを望まれる存在。お前は……エミルという人間であることを、望まれた存在だ」
混乱するような言い方をされて、僕はちょっとだけ悩んだ。
僕はラタトスクなのか、エミルなのか。
ワカラナイ。
でも、僕がエミルと呼ばれていたことだけは思い出せた。
茶髪の女の子が、僕を呼んでいる。マルタだ。僕が人間として過ごした時に、寄り添ってくれた女性。
「最後にここに人が来たのはいつ?」
「さあ、120年くらい前じゃないか?」
120年……普通の人間が生きられる時間じゃない。僕は、どうあがいたって人間にはなれっこない。
仲間たちとの旅が終わって、一度だけ人間として世界に戻ったけれど……結局僕は人間にはなれないんだ。
僕は、エミルである前にラタトスクだから。
「今度はいつ、人が来るだろう……」
僕がそういうと、「僕」は目を伏せて、首を横に振った。
「さあな……奴らみたいな探究心の強い人間はそうそういるもんじゃない。それに俺は人間が来なくても別にいいんだが……お前は来てほしいのか?」
どうなんだろう。
「僕」が来てほしくないと思ってるってことは、僕もそう思ってるのかな。
だって、「僕」は僕だから。思ってることが違ったらおかしい。
だから僕は、人に来てほしくないと思ってる……のかな。
何か、違う気がする。何かを見落としているような、妙な違和感がある。
僕が何かを言う前に、「僕」が背後を振り向いた。
「とか言ってる間に、誰か来たみてぇだぞ」
急にそう言われて戸惑う僕に、「僕」は苦笑した。
「行けよ……俺が出たらまたややこしいことになるだろ」
「……うん」
また、きつく目をつむる。
誰かが扉を開けて、またギンヌンガガップのものでない空気が入り込んでくる。
特有の音がして、おおよそ120年ぶりにギンヌンガガップの扉が開かれた。
目を開ければ、そこには扉を開けたとみられる術者が立っている。
年端もいかないような少女だった。耳はとがっている様子がないので、恐らくは人間……ハーフエルフではないのだろう。推定年齢は、まあ、13、4歳くらいだろうか。とても、ここの扉を開けられる術者には見えない。
本来ならギンヌンガガップの扉は、相当に高度な魔術を扱える者かあるいは、センチュリオンやラタトスクといったそこの住人にしか開けることができない。すべての物質からマナが切り離された今、自然に宿っていないマナを扱うことでさえ難しいことになっている。あのハーフエルフですら、魔術を扱えなくなっているのだ。
それを、ただの人間、しかも年端もいかないような少女が扱えてしまっている。しかも扉を開いているのだから、相当な実力の持ち主なのだろう。
納得は……なかなかできたものではないが。
「あなたが、ラタトスクですか?」
よく通る声でそう聞く少女に、僕はラタトスクとしての口調と性格をまとい、偽りの形で彼女の会話に応じる事にした。
僕はラタトスク……そうあらなければならないから。
「いかにも。我が名はラタトスク。そなたの名を述べよ」
「私は、ナマエ・クレステッドといいます」
ナマエか。名前に聞き覚えは……ない。
なぜ、これほどの実力の持ち主が、僕たちに知られずに存在しているのか。
気になることではあるけど、今はこの子の用件を聞くことが先決だろう。
「そなたはどのような用事でここへ参ったのだ?」
自分の中でも、そして、ラタトスクとしての主人格である「僕」の中でも違和感のぬぐえないしゃべり方。
でも、それでいい。変に僕たちに近づけようとすると、いらないことまで言ってしまいそうな気がするから。
それにこの子は、不思議なことだけど……なぜかあの仲間たちと同じ空気を感じる。それこそ余計なことまで話してしまえと思えるような、ちょっと異様な安心感が、ナマエにもあるような気がするから。
「私は、あなたにお願いがあってきました」
ナマエは、肩から下げたバッグから何やら青色の液体の入ったビンを取り出した。わずかな光を反射しているのか、かすかに発光しているように見える。
僕たちの記憶には無いような、毒々しい青色の液体だった。
「それが、どうかしたのか?」
「これは最近の異常気象によって群生している未知の植物を、すりつぶして水と混ぜてろ過した液体です」
その言葉に、少しだけ既視感を覚える。
異常気象……か。なんだか前にもこんなことがあった気がするが、思い出せない。
……まあ、いっか。
「この液体、それから元になった植物には強力な毒素が含まれているのですが、それと同時に一時的な安息感を与える効果もあります。そのため常習者が後を絶たず……毒素による死者も後を絶たないのです」
死者が、後を絶たない……。
「これを鎮めるには、魔物の王たるあなたの力が必要なんです」
「魔物の王、か」
魔王と呼ばれなくなっただけましだと思えということなのだろうか。魔物の王も大して変わらないから、あまりい気分ではない。
断ってしまえばよかったのかもしれない。そんなことは「僕たち」には関係ない、と。
でも、僕にはそれができなかったんだ。
「そう、だな……我を二人にすることができたのなら、引き受けてやらんでもない」
だから、「やろうと思えばできるコト」を条件に出してしまった。
「分かりました、少々お待ちいただけますか?」
そういうとナマエは、口元をもごもごと動かし始めた。どうやら何かの術式を構成するための呪文を唱えているようだ。
やがてそれを終えたのか、ナマエは僕をまっすぐ見据えて、大声でこう言った。
「ベリウス!」
ベリウス。それは、心の精霊の名前。
ああ、召喚したのか。
そう理解した時には、僕の意識はすでに精神世界に沈んでいた。
「お久しぶりですね、エミル」
目を開けるとそこには、狐の姿をした精霊がいた。
その眼は、確かに僕たちを見つめている。
「あなたたちを二つに分けること……不可能ではありませんが少々難しくなります」
「どういうことだ?」
僕はラタトスクが自己防衛のために生み出した疑似人格であり、それ以上でもそれ以下でもない。
だから、僕たちの人格を二つに分けるとなると器が必要になるのだ。
「器がありません。エミルの人格を入れるための」
ベリウスは僕が思った通りのことを、いつものようにやさしい声音で告げた。
分かりやすく言えば、分けたものを入れる入れ物がない、ということ。
「ああ、それなら問題はない」
そう言ったのは「僕」だった。
器がなく、時間もない以上、僕たちを分断した後で器を作る以外の方法はない。けれど、精神というのは以下に強靭なものでもおおよそ数分で消えてしまうものだ。
その間に安定した器を作ることは、残念ながら不可能に近い。
なら、「僕」はいったい何を言おうとしているのだろう。
「今の器を使えばいい」
……え?
「な、何言ってるんだよ! そんなことしたら、君は消えちゃうんだよ!?」
今の器、今の体。
そこにはラタトスクの主人格である彼がとどまるのが道理。当たり前のことだ。
なのになんで、僕にこの体に残れというのだろう。
なんで。
「なん、で……?」
「俺はお前。だから、いまさら俺たちのどっちがラタトスクかなんて関係ねぇんだよ。だから……強さもやさしさも兼ね備えたお前が、より生き残れる可能性の高いほうを選べ。この際、俺が残る残らないは関係ねぇしよ」
強さ?優しさ?そんなのが全部僕にあるわけない。僕と彼二人で一人のラタトスク。ずっと、そうしてきたんじゃないか。
なのに彼は、勝手に話を進めていく。
「ベリウス。俺たちを切り離して二人にすることがお前の今の主の望みなんだろう」
「ええ」
「だったら、切り離した後に再構築される体を待つのがエミルでなく俺でも構わないんだろ」
「……ええ。しかし、良いのですか? 下手をすればあなたは消えてしまいますよ」
ベリウスが心配そうな顔で、彼にそう問いかけている。
大丈夫、きっとここで思いとどまってくれる。彼だって進んで消えたいわけじゃないだろうから。
でも彼は、僕と、恐らくはベリウスの期待をも裏切ったのだ。
「いいんだ。それに、生き残れる可能性がゼロなわけでもない。ちがうか?」
彼のその言葉に、ベリウスは一度静かに目を閉じると、肯定を表す言葉を頷きながら紡いだ。
「分かりました。あなたたちの精神を二つに分けます」
待って!……そう言おうとしたのに、それを言う暇すら僕には残されていなくて、だんだんとベリウスと彼が遠のいていく。最後に見たのは意識としてベリウスに取り込まれる彼の姿で……。
気が付いたらまた、ナマエの目の前に帰ってきていた。
「どうやら、成功したみたいですね」
彼女は僕を見てそうつぶやく。
彼女は知らないのだろう。ラタトスクに二つの人格があることを。
後ろに何かが降り立った気配を感じて、僕は振り向いた。
「はい、主よ。ラタトスクは二人に分けられました」
降り立った存在、ベリウスはナマエにそう頷いた。
そしてそのベリウスと僕の間に、マナの輝きが降り立つ。
それが誰なのかは、僕にははっきりと見えていた。
「ラタトスクっ!」
口をついて出たのは歓喜の声。目の前に降り立ったのはヘタをしたら消えてしまったかもしれない「もう一人の僕」だった。
「んだようるせぇな。そんなに叫ばなくても聞こえてるっつうの」
相変わらず辛辣な言葉を投げかけてくる彼は、もう「僕」じゃない。
ラタトスクとエミルは、別物になったから。
そしてそれは。
「よかった。これでご先祖様も喜んでくれますね」
この目の前にいるナマエという少女のおかげ……ん?ちょっと待てよ。
ご先祖様も喜んでくれる?
「あの、ご先祖様って?」
思わずそう尋ねると、彼女は笑いながらこう返した。
「ああ。私は、あなたたちもよく知るマルタ・ルアルディの子孫ですよ」
その答えに、僕もラタトスクも思わず叫んでしまった。
「え、ええええぇぇぇぇぇぇぇえ!?」
じゃ、じゃあ彼女は僕たちが二人で一人だったことをあらかじめ知っていた、ってこと?
いやいやいや……それはないでしょ。
それだとマルタが子孫たちがその話を受け継ぐように仕向けたとしか思えない。
「なあ、俺たちが二人になったことでマルタが喜ぶっつうのはどういうことだ?」
僕が慌てふためいていると、ラタトスクがナマエに問うた。
……考えてみると、それが一番不思議なことだ。
「ご先祖様にお願いされてたんです。「ラタトスクとエミルがそれぞれの道を歩めるようにして」って」
「……で?ベリウスと契約して魔術を使えるふりをし、ここに来たのか」
ラタトスクが呆れたように首を振った。
魔術が使えるふり、か。確かにベリウスと……あとは適当にテネブラエかアクアでも味方につければ扉をあけられたことも理解できる。
「ごめんなさい。あと、異常気象の話も嘘なんです」
ていうか、それも嘘だったのか。嘘つきだなこの子。
でも、僕たちのために必死になってくれるところは、マルタに似ている気がする。
「なるほどな……俺たちのそれぞれの道、か」
ラタトスクは顎に手を当てて考える。時折その姿がぼやけて見えるのは、まだ器が完全に出来上がっていないからだろう。
「エミル、お前は外を見て来てくれないか? そこのマルタの子孫と一緒に」
「え?」
外を見てくる、か……。
「いいの?」
あの時といい今といい、外の世界に自由に出ていくのはいつも僕だから、彼に向かって首を傾ける。
「ああ。お前が行って来い。いや、行ってきてくれ。頼む」
ラタトスク……。
「分かった。そういうわけだから、よろしくねナマエ……さん」
「いいですよナマエで。私もエミルって呼ばせてもらいますから」
ふわりとほほ笑む彼女に一瞬だけマルタの影を見た気がして、僕はとっさに目をそむけた。
彼女はマルタじゃない。重ねたら失礼だよね。
「それじゃあ、扉を閉める。さっさと出ろ」
ラタトスクは僕たちに向けて犬でも払うように手を振り、扉を閉めるために準備に入った。
彼は彼なりに、僕たちを送り出してくれているのだろう。
食って掛かろうと口を開こうとしているナマエを、扉の外に促す。
僕たちが扉から外に出たところで、ラタトスクはさっさと扉を閉めてしまった。
まるで、さっさと行けとでも言うように。
先に歩きだしてしまったナマエを追って歩きながら、僕は考える。
マルタはなぜ、僕たちが別々の存在になることを望んだんだろうか。
今となっては、それを知る術はどこにもない。
でも、何となくわかった。マルタは、僕たちに幸せを感じてほしかったんじゃないかって。
だったら僕は、それにこたえようと思う。
僕にとって何が幸せなのか。それはとても小さなことではあるけれど、すでに分かっている。
「エミル、出口が見えてきましたよ!」
ナマエが指差す方向には、入り口となる魔方陣につながる床があった。
やっと実感する。僕はまた、ここを出ていけるんだ、と。
また、人とかかわれるんだと。
さあ、思い出そう。あのころの旅の記憶を。
さあ、書き換えよう。その世界を。
マルタがナマエに託した思いを胸に、僕は幸せを探しに行く。
光ある未来へと、ナマエと共に。

気付かないうち
(僕は)
(私は)
((気づかないうちにあなたという幸せをつかんでいたようです))
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あとがき
なんとお詫びを申し上げたらよいやら……。
とにかくもうほんとにごめんなさい!
書いてるうちに何書いてるか自分でもわからなくなってきてしまいました。
いったい何が書きたかったんでしょう……。
ちなみにこの後、エミルは告白されますがね。マルタの子孫の姿は……夢ですから皆様のご想像にお任せします。
ここまで読んで下さった皆様。今度はエミルで甘いの用意しますごめんなさい。
ありがとうございました!
thank you for reading!

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