運ばれてきたケーキはとてもおいしくて、思わず頬に手をあててしまった。おいしい。これはおいしい。高いのも頷ける。
 荒北くんもばくばくとケーキを食べていて、気に入ったらしいとすこし安心した。



「そういえばさァ、名字サンってお嬢様高校出身なわけ?」



 荒北くんの何気ない質問に、思わずかたまる。どうしてわかったのかと思ったけど、そういえばジャージに高校の名前が刺繍してあったはずだ。

 ……正直に言うと、そういう質問をしてくる人が苦手なのだ。たしかにお嬢様学校と言われる高校にいっていたけど、私はお嬢様じゃないしお金持ちでもない。勝手にお嬢様だと認識してくる人や、友達を紹介してほしいと言ってくる人は苦手どころか嫌いになりそうだった。友達はそれを知っているからいいけど、どこからか噂を聞いて話しかけてくる男の人は本当に嫌だ。男の人が苦手になっていっている原因のひとつだと思う。
 いまだにどう答えたらいいかわからずに苦笑いを浮かべる私を見て、荒北くんはなにも言わずにサンドイッチを食べた。



「名字サンがお嬢様じゃないってことはわかってンだよ。300円しかなくて貧乏なのもな」
「い、いまはもう少し持ってるよ」
「お嬢様だったら、口のはしにクリームつけたまま気付かないってことはねーだろ」



 荒北くんがにやりと笑うのに、慌てて口をぬぐう。取れているのか鏡で確認しようとしたら「嘘だよバーカ」と言われた。
 ……荒北くんは意地悪だ。



「気にすることないんじゃナァイ?」
「うん……その、お嬢様じゃないのにそう言われたり、友達を紹介してって言われるのが嫌で。最近は言われなくなったんだけど」
「おとなしい女のどこがいいンだか」
「あっ、肩書きが嫌いとか、そういうのじゃないんだよ。努力してその地位についた人には相応の敬意を払うべきだし、世の中には怒らせちゃいけない人もいるし。だけど人間は中身で見たいっていうか」
「なんでそんな学校に行ったんだよ」
「お母さんの出身校で、行きたい高校がなかったらここにしたらって。受験は大変だったけど、そのおかげでいまの大学に入れたから、お母さんには感謝しないとね」



 笑ってケーキを食べると、荒北くんは興味がなさそうに「ふーん」とだけ言った。その温度が心地よくて、話題を変えるためにもケーキを差し出した。
 一口食べるかと聞けば、すこししてフォークが伸びてきた。一気に半分ほど持っていかれる。



「あっ! 荒北くん取りすぎ!」
「うめェな」
「おいしいけど! ひどい!」



 お返しにと荒北くんのスコーンを二つもらう。このケーキには、スコーン二つぶんくらいの価値があるはずだ。クリームをたっぷりつけて頬張ると、サクサクしっとりなスコーンが口いっぱいに広がった。



「てめっ、二つも取んな!」
「あースコーンおいしー!」
「もっとよこせ!」
「私のケーキが!」



 さらに半分になったケーキのお返しに、サンドイッチをひとつもらう。荒北くんはなにかを言いかけたけどなにも言わず、黙ってケーキを食べた。なんだか悪い気がして、ケーキに乗っていたフルーツをひとつあげる。微妙な顔をされた。



「荒北くんは、レースとかに出ないの?」
「出るに決まってンだろ」
「いつ?」
「再来週」



 思わず行きたいと言いかけた口を押さえて、紅茶でわがままを喉の奥に押し込む。再来週。レースってどんな感じなんだろう。
 そわそわを必死に押し殺して、できるだけふつうに荒北くんに質問をしていく。



「レースって、ほかにも部員の子がでるの?」
「ああ。今回は近場だし、いい練習になんだろ」
「へ、へえ。どこでやるの?」
「静岡のほう」
「何時間もかかったりする?」
「……名字サンさァ」
「なに?」
「来たいならそう言えばァ?」



 意地悪く笑う荒北くんの言葉が予想外すぎて、反応できずに固まってしまった。真っ赤になってなんとか切り抜けようと考えるけど、頭が真っ白でなにも思い浮かばない。



「そっ、そんなことは……」
「ことは?」
「すっすこしだけ、ほんのすこしだけある、けど……」
「最初からそう言えばいーんだヨ」
「荒北くん嫌がるかなって……」
「差し入れ持ってくんならいいぜ」
「ほんと!? レモンのはちみつ漬けとか?」
「肉」
「え?」
「肉」



 ……肉とは、幅広すぎるんじゃないだろうか。荒北くんは、さらにもう一度「肉」と言ったきり口を閉じてしまった。
 肉とは、つまり男の子が好きそうな唐揚げとかハンバーグとか、そういったものだろうか。



「じゃあ、なにか買ってくね。ケンタとか」
「作れねェの?」
「肉を?」
「料理」
「作れるけど……基礎とかよく知らなくて適当だし、食べられるもの作って自己消費してるだけだよ?」
「それでいい」
「えっ本当にそれでいいの? 何が食べたいとか」
「任せる」



 しつこいと思いつつ、本当にそれでいいのかもう一度聞くと「いいっつってんだろ!」という返事をいただいた。べつに作るのはいいんだけど、たいしておいしくないのが問題だ。

 そのあと私たちはおいしくケーキを完食して、すこしぶらぶらしてから帰った。帰っても暇だしみんな練習しているから、という理由でそこそこ距離があるアパートまで荒北くんが送ってくれて、そこで別れる。
 その後ろ姿がすこしさみしそうに見えて、なぜだか手を合わせてしまった。今日一日で荒北くんの体がすごく回復して、明日からまた練習してもよくなりますように。



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