アラキタくんはケーキが嫌いではないようで、誘ったのは自分だけどほっとした。軽食のサンドイッチもあるし、いざとなったらそれも頼もう。
 アラキタくんと並んで話しながら、20分ほどの距離を歩く。私もアラキタくんも歩いてきていて、なぜかそれについて怒られてしまった。運動にちょうどいい距離だと思ったんだけどなあ。
 アラキタくんは早足で歩きながら、小走りになって追いかける私を見ては速度をゆるめた。だんだんとスピードがあがっていって、結局は私が走ることになったけれども。



「……ンだこれ」
「ケーキ屋さん」



 アラキタくんが睨むように見ているのは、可愛らしいケーキ屋さんの入口だった。女の子が好きそうなもので飾られた店内にはカフェがあり、いつも女の子やカップルで賑わっている。



「ここはカップル割りがあるんだよ。恋人で入ったら20%割引きになるの」
「はァ!?」
「えっ知らなかったの?」



 会話の最中でケーキ屋さんの名前をだしたら「ああ、あそこか」と知っている返しをされたから、てっきりカップル割りのことも知っているんだと思っていた。
 顔が険しくなっていくアラキタくんは、こういうのに耐性がないのかもしれない。男友達がいない私に何がわかるわけでもないけど。



「二人でふつうに入ったらいいんじゃない? 恋人じゃないですって言えばいいんだよ」
「……20%引きになンだろ」
「なるけど」
「じゃあ別にいいだろ」



 それはどっちの「いい」だろう。それを聞く前にアラキタくんはさっさと店に入っていってしまって、慌てて続いた私を見て店員さんが笑顔でいらっしゃいませと言ってくれた。



「カップル割引きのご利用ですか?」
「そうだけどォ」
「ではお二人様、手をつないでいただけますか? それが済みましたらカップル割りをさせていただきます」



 なんという落とし穴だ。アラキタくんと顔を見合わせ、どうするべきか悩む。カップルだと答えてしまった手前引けないけど、手をつなぐのはアラキタくんに悪い気がする。
 手をあげたりおろしたりしていると、アラキタくんが手を掴んできた。つなぐというよりは掴んだそれを見て、店員さんはにっこり笑って席に案内してくれた。すぐに離された手があつい。



「アラキタくん、ごめんね……こんな確認があるなんて知らなくて」
「っせ! 謝んな!」
「で、でも……」
「──オレは謝ンねーからな」
「えっうん、なにか謝ることあったっけ?」



 アラキタくんが来たことに気付かず一時間も放っておき、提案したケーキ屋さんでは手を掴まなきゃいけなくなったのだ。私がアラキタくんに謝らなきゃいけないことはたくさんあるけど、アラキタくんはなにもしていない。
 真面目な顔でアラキタくんに尋ねると、ぽかんとされたあと呆れられた。えっ何この反応。



「いいからさっさと選べ。安くなンだろ」
「あっうん、ずっと食べてみたかったけどすこし高かったのがあって。でもアフタヌーンセットもいいなあ」
「どれだよ」
「ケーキとサンドイッチとスコーンとかついてるの。これもいいなあ……でも二つ頼んでも食べきれないし」



 アラキタくんは興味なさそうにメニューを見ていたけど、あっさりとアフタヌーンセットに決めてしまった。二人分の量があるけど、アラキタくんならぺろりと平らげたうえおかわりまでしそうだ。
 前から食べたかったケーキセットとアフタヌーンセットを頼んでお茶を待っているあいだ、店内を見回した。女の子同士やカップルで溢れかえっていて、可愛らしい会話でうもれそうだ。アラキタくんは頬杖をついて、メニューを眺める作業に戻っている。



「そういえばアラキタくん、下の名前はヤストモっていうの?」
「なんで知ってんだよ」
「前に差し入れに行ったとき、部員の子がヤストモって言ってたから」
「そォだけど」
「漢字教えてくれない? よくわからなくて」



 アラキタくんは視線だけあげてすこし考えたあと、携帯を取り出してカチカチと打ち始めた。ん、と見せられた画面には「荒北靖友」と書かれていて、がんばって目に焼き付ける。荒北くんか、きちんと漢字も覚えておかなくちゃ。



「そっちは名前なんつーの? オレ、知らないんだけど」
「えっそうだっけ?」



 驚きの新事実だけど、思い返してみれば名乗った覚えはない。荒北くんが携帯を差し出してくれたので、それに名前を打ち込んだ。名字名前、という名前を見て、荒北くんが確認するように名前を呼ぶ。
 携帯をしまいながら私をなんて呼ぶか考えている荒北くんはすこし可愛くて、思わず笑ってしまった。さんざんボケとかバカとか言ってたのに、まだ気にするなんて。



「名字を呼び捨てでいいんじゃない?」
「……名字サン」
「なに?」
「年上だしな。いちおう。見えねえけど。名字サンでいいんじゃねェの」
「そこまで言わなくても……」
「ひったくりにあった挙句道に迷って、見知らぬ男を部屋にあげたのはどこの名字サンだっけナァ」
「荒北くんは見知らぬ男じゃないもん……」



 反論できるのがそこしかなかったのが悔しい。



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