友達から「名前が言ってた、ひったくりから荷物取り返してくれた人が連絡したいって言ってるらしいんだけど」と言われたのは、またアラキタくんに助けてもらった翌々日のことだった。ジャージのことだろうから捨ててもいいと伝えようとしたけど、3、4人ほど介して私に聞いてきているらしく、またその人たちの手を煩わせるのも気が引けた。
 友人にアラキタくんの連絡先を教えてくれるように頼むと、すぐに電話番号を教えてくれた。ちょうどお昼休みだということもあって、思いきって電話をかけてみる。この時間だと、たぶんアラキタくんもお昼休みじゃないかな。

 プルルル、という呼び出し音でこんなに緊張したのはいつぶりだろうか。おそらくお昼休みだから大丈夫だとは思うけど、3コールしても出なかったら電話を切ろう。そう思った直後に呼び出し音が途切れ、すこし不機嫌そうなアラキタくんの声が聞こえてきた。



「あっ、アラキタくんの携帯ですか」
「そうだけどォ」
「あの、私、ひったくりと、このあいだ道に迷ったときに助けてもらったジャージの者ですが」
「ああ」



 アラキタくんは、納得したようにすこし刺々しかった声をまるくしてくれた。うしろからざわざわという声が聞こえてきて、いま電話しても大丈夫かと尋ねると、昼休みだから大丈夫だという返事がきた。



「ジャージは高校のときのだから、捨てても大丈夫だよ」
「もう洗濯しちまったんだけど」
「じゃあ取りに行くよ。部活が終わったあとに受け取るね」
「来れんのォ?」
「な、なんとか……」



 意地悪そうなアラキタくんの声に、自信なく答える。たぶんなんとか……行けると思う。人に道を聞けば。
 電話の向こうで、アラキタくんが笑う気配がする。たしかにこのあいだは迷ったけど、それは地図が複雑だったのと初めて通る道だったからだ。そんなしょっちゅう迷うみたいなイメージを持つのはやめてほしい。



「今週の土曜は自主練だから、昼から持ってってやるよ」
「えっいやそれは悪いよ!」
「来れないだろ」
「行けるよ! ええっとほら、たしか箱学の近くにドトールあるんでしょ? そこで待ち合わせしようよ」
「昼まで練習あっから、2時くらいでいいか?」
「うん」
「まあ、せいぜい迷わないこったな」



 アラキタくんはとても意地悪である。
 絶対に迷わずについてやると意気込む私を面白そうに笑い、アラキタくんは電話を切った。すいすいっと待ち合わせ場所について、アラキタくんをぎゃふんと言わせてやるんだから!



・・・


 土曜日の朝、待ち合わせ場所についたのは40分も前だった。すこしでも迷いそうだと感じたら人に道を尋ねて、時間にも余裕をもって出てきたのだけど、迷わなかったせいで時間が余ってしまっている。
 こういうときのために持ってきたパソコンと本でレポートを書いて待っていようと、入口から見てすぐわかる席に座った。サンドイッチとカフェラテを食べ終わって一息つくころには、アラキタくんも来るかもしれない。

 ──どれくらい集中していただろう。一度目の前のことに集中するとまわりが見えなくのは、私の悪い癖だ。



「んー……終わったあ……!」



 凝り固まった体を、伸びをしてほぐす。一気に書き上げてしまったレポートを上書き保存して、冷め切ったカフェラテに手を伸ばそうと視線をあげた。
 ……誰か、いる。目の前に座っているのは、私の見間違いじゃなかったらアラキタくんだ。ジーンズにシャツという、ぴったりしたユニフォーム以外を着ているアラキタくんを初めて見たから、一瞬気付かなかった。
 アラキタくんの前には、もう空になっているコーヒーカップ。アラキタくんは携帯から視線をあげて、私を見た。



「よお。終わったか」
「あっアラキタくん!いつからそこに……ってもう3時近い!」
「声はかけたぜ」
「ごっごめんね! 集中するとまわりが見えなくなって、本当にごめん! ジャージ置いてさっさと帰ってもよかったのに!」
「置いてるけど」



 アラキタくんの視線をたどれば、私のバッグの上に紙袋が置いてあった。いつの間に……本当にいつの間に。



「財布取られても知んねェぞ」
「あ、だからいてくれたんだね。ありがとうアラキタくん、ごめんね!」
「違ェよ!」



 アラキタくんはいつもそうやって怒鳴るけど、本当は優しいことを、私はすこしだけ知っている。
 にこにこアラキタくんを見ていると、舌打ちしてから目をそらされた。手持ち無沙汰に足を組み替えるアラキタくんをこれ以上待たせないように、パソコンの電源を切ってバッグにしまいこむ。



「アラキタくん、待たせちゃってごめんね。自主練は大丈夫?」
「今日はしねーよ。オーバーワークだって福ちゃんに言われて……めんどくせーけど練習はナシだ」
「そっか」
「──体壊しちゃ、元も子もねェもんな」



 そうつぶやいたアラキタくんがなんだか寂しそうで、声をかけるのをためらってしまう。冷たくなったカフェラテを飲み干して、なんでもないようにアラキタくんに尋ねた。



「じゃあ、このあと暇なの?」
「まァな。帰りゃみんな練習してっし」
「じゃあ、ケーキ食べに行かない? 待たせたお詫びに、アラキタくんに奢るよ」
「いらねーよ」



 アラキタくんが立ち上がるのに続いて、荷物をまとめながら立ち上がる。もたもたとバッグにいろんなものを詰め込む私を置いて、アラキタくんは私のコップまで持っていってしまった。
 慌てて追いかけてお礼を言うと「うっせ! 礼なんか言うな!」と言われてしまった。アラキタくんは照れ隠しがすこし下手なようである。



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