気合いを入れてママチャリにまたがって、日が落ちかけた道を見据える。今日こそ、アラキタくんが教えてくれた地図を活用するときだ。
 大学から家まで帰る道は少なく、ほとんどの人がひったくりにあったあの峠のような場所を越えていく。それが一番近いし、そこくらいしか通る道がないからだ。アラキタくん特製の地図は、峠を越えないけど複雑な道順で、気を抜いたら迷ってしまいそうだ。



「よし、頑張るぞー!」



 バス代が差し入れとママチャリに消えてしまった今月は、自転車で通学するほかない。地図を見ながら走り出した私はのんきで、どれくらいで着くかなーなんて考えていた。



・・・



 途方にくれるとは、まさにこのことだ。目の前の道は左右に別れており、直進する道はない。地図上の私がいるはずの場所では、十字路につくはずなのに。
 携帯のちいさな画面をなんど見直しても私がいる道はなく、勘で進むしかなくなってしまった。たぶんこっちだろうと右に曲がると、広い道に出たから安心した。場所はわからないけど。

 しばらく進むと、自販機が見えた。その前に男の人がいて、なにかを買っている。この前のひったくりを思い出して迷ったけど、結局は勇気をだして声をかけてみることにした。せめてここがどこなのかだけでも教えてもらわないと。



「あ、あの、すみません……」
「あ?」
「あ、アラキタくん!」



 まさかの再会である。驚いたアラキタくんに構わず、腕を掴む。相変わらずぴったりしたユニフォームを着ているアラキタくんは、もう夜なのに汗をかいていた。



「アラキタくん、よかった、アラキタくんだ……!」
「とりあえず落ち着け。なんでここにいンだ」
「アラキタくんに教えてもらった地図を見ながら帰ってたら、ここにいた……」
「ハァ!? なんでここに着くんだよ!」



 どうやらここは、箱学の近くらしい。地図と目の前の景色が一致しないのも当たり前だし、気付けば一時間以上も自転車をこいでいたのも納得だ。30分もあれば帰れる距離なのに、倍以上の時間がかかっている。



「アラキタくん、申し訳ないんだけどわかりやすい道を教えてくれないかな……大通りに出たらなんとかなると思う」



 アラキタくんに会ったこと、自分のいる場所がわかったことで、一気に力が抜けた。そばにあったちいさなベンチにへろへろと腰掛け、早くも筋肉痛になりかけている太ももを休ませる。
 アラキタくんはじっと私を見たあと、自販機でスポーツドリンクを買って私に渡してきた。慌ててお金を払うために立ち上がろうとしたけど、急な動きのせいか見事にベンチに逆戻りしてしまった。



「いいからすこし休め。自転車っつーのは体力使うんだよ」
「足がぷるぷるする……」
「そのあと引いてやる。大人しくついてこい」
「えっ轢く?」
「オレの後ろについてこいって意味」
「えっいいよ道教えてくれるだけで!」
「道はもう教えたケドォ?」



 にやにやしながら携帯を見られてしまうと、もう言い返せなかった。どうしてここに着いてしまったかいまだにわからないから、正直に言うとひとりだと迷う気しかしない。
 申し訳ないままお願いしますと言うと、わかればいいんだよボケェ、という言葉が返ってきた。さすが元ヤン、口が悪くなきゃやっていけない世界なんだろうなあ。

 そのまましばらく休んだあと、アラキタくんの後ろをついていくことにした。タイヤがくっつくくらい近づけと言われたけど、アラキタくんが速くて引き離されることが何度もあった。そのたびに早くこいと言いながらも待っていてくれるアラキタくんの後ろで必死にペダルをこぐこと数十分、ついに家の近くまでたどり着いた。



「やったー! ありがとうアラキタくん!」
「これに懲りたら、もうチャリで帰んのヤメロよ」
「できるだけ! あっアラキタくん時間ある? お茶くらい出すから、というかお茶くらい出させて!」
「ハァッ!? お前なに考えてんだよ!」
「えっなにって……お礼したいなって」



 ベプシを買ってもいいけどカゴがない自転車じゃ持ち帰れないし、カゴがあっても泡立ってひどいことになるだろうし。
 アラキタくんがなにに怒ってるかわからないまま説明すると、思いきりため息をつかれた。そんな呆れられるようなことを言った覚えはないぞ。



「わァったよ、すこしだけな。その代わり、ほかのヤツには言うんじゃねえぞ。食われても知らねェからな」
「そんなもの好きは滅多にいないよ」



 アラキタくんの自転車は高そうなので部屋のなかに入れることにして、ふたりで階段をあがる。二階にある部屋のドアを開けて電気をつけて、アラキタくんを迎え入れた。昨日掃除しといてよかった。
 アラキタくんは自転車を玄関に置いたあと、きょろきょろしながら部屋に入ってきた。お湯をわかしながら、部屋にあるお菓子をありったけ机にだしてアラキタくんにすすめる。お腹がすいていたのか、ばくばくと食べるアラキタくんは出した熱いお茶も一気に飲み干した。猫舌じゃないらしい。



「あっ、汗ひいたら風邪ひいちゃうね。ちょっと待ってて」



 クローゼットから高校時代のジャージを取り出してアラキタくんに渡すと、案の定拒否された。一分ほどの攻防のすえ、むりやりはおらせることに成功した。
 ぶつぶつ文句を言うアラキタくんに、明日のご飯にと買っておいた焼きそばパンとカレーパンとメロンパンをだすとおとなしくなる。なんだか可愛い。

 そのままパンとお菓子をたいらげてから、アラキタくんはソファから立ち上がった。帰るという言葉に、すこしだけ寂しさを感じる。



「もうチャリに乗んな。ボーッとしてっからひったくりにあうんだぞ、わかってんのか」
「善処します」



 最後まで私を心配してくれていたアラキタくんを見送ってから、静かにドアを閉める。自転車は……遅くならないときに乗ろう。

 そのあと30分くらいしてから、アラキタくんがジャージを着たまま帰ってしまったことに気づいた。まあいっか、パジャマ代わりにしてたものだし、捨ててもらっても構わない。
 部屋にすこしだけ残るアラキタくんがいた名残を片付けながら、ふっとあの暴言がまた聞きたくなった。



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