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───真央地下大監獄。

藍染との交渉は膠着状態が続き、さすがの京楽もうんざりしていた。口の達者な囚人はどうあってもここから出る気はないらしい。そこで京楽は予め考えていた次の手を述べた。


「あの子も一緒に出すといえばどうだい」
「誰のことだ」
「白々しい。なまえちゃんのことさ。君の配下にあって唯一生き残ってる女のことだよ」


女の名前を出すと、藍染が僅かに眉を上げて反応を見せた。この場に足を踏み入れて初めての好感触だ。厚い唇がしめしめと弧を描く。
なまえというのは、市丸や東仙と同じく藍染の配下として行動を共にした女の名前だった。
京楽は、双極の丘で反膜に包まれたあの日のなまえの顔を思い描いては彼女を不憫に思っていた。ごめんなさい、ごめんなさい、と涙声で告げる顔は真っ青で───だからといって反逆者に変わりはないのだが、許す許さないの前に、京楽は藍染の色に染められた女へ憐れみの念を向けていた。きっと、何かあったのだろう。知りたくもないが、きっと何かが。


「興味がないな」
「またまた。あれだけ自分を植え付けておいて何言ってるんだか」
「あれを出したところで足手纏いが増えるだけだ」
「彼女はただの手駒じゃなかっただろう。雛森副隊長をはじめとした護廷隊の中でも、君はあの子だけを手元に留めて愛でていたね。だから何かあると思ったんだけど?」
「見当違いも甚だしいな。あの女は霊圧も霊力も破面にすら匹敵しない、払えば消える塵のような存在だ。全て終われば消すつもりだった」
「だったら尚のこと出してやらなきゃいけない。とどめておく経費が勿体ないって隊内から苦情の嵐でね。これを機に適当な場所で戦死してもらうのも悪くない。ボクらの面子も守られるってもんさ」
「好きにしろ」
「見たくないのかい?君はボクによく似てるから、そういう趣味があるかと思ったんだけど」
「悪趣味だな、総隊長」


当初四十六室はなまえの処刑を執拗に迫ったが、先代総隊長の山本重國が藍染の脅威を理由に異を唱えたという。死ぬことを許されなかったなまえは悲観して自殺未遂を繰り返すので、薬で強制的に眠らせ、四番隊隊長卯ノ花の監視下に置かれていた。
安寧と暮らす四十六室の老人たちは山本の考えを芯まで理解できなかったようでつまらない撫育だと非難したが、なまえを生かすという判断は、藍染と直接刃を交えたものにしか分からない危機感の表れでもあった。してその読みはこの尸魂界の非常事態において当たっているのだから、亡き師の思慮深さに改めて感服せざるを得ない。非難轟々と喚いた中央の連中に今一度問いただし、山本は間違っていなかったと認めさせてやりたい。京楽の生き残った左目が、気の毒そうに伏せられる。


「彼女はきっと死ぬ時も君を呼ぶだろうね。目に浮かぶよ………かわいそうな女の姿は耐えられない。ボクは昔からなまえちゃんが大好きだったんだよ、可愛くてきれいで……たまらない気持ちになっちゃうね」
「悍ましい男だ。さすがの私も恐れ入るよ」
「早く殺さないからこんなことになる」


この男だけは空座町でのあの一戦で止めを刺すべきだった。驕っていた過去の自分を嘲笑し、藍染は「全くだ」と肯いた。
封の解かれた片方の瞳を閉じ、胸に残る女の顔を呼び起こす。
なまえはいつも泣きそうな顔をしながらも決して藍染から離れることはなかった…………。

───藍染さま、藍染さま………。
───役に立たなくてごめんなさい………。

あれだけ虐げ、凌辱し、嬲り、尊厳すら奪ったにも関わらず、健気に後ろをついてきては藍染に懐く姿は、悲痛でもあり愛らしくもあり、何者も受け入れず、拒み、ひとりきりで高みを目指した藍染にとって、その存在はある種の安心でもあった。藍染の孤独を台無しにする女───つまるところ強者が安らげる唯一の癒しだ。もちろん、それを藍染が認めるはずもないが。


「君との問答にも飽きたな。まあいい、なまえを出せ。久しぶりにあの寝惚けた顔を拝むとしよう」
「そんじゃ行こうか。ボクも久しぶりになまえちゃんの声を聞きたくなってきた」
「鼓膜を潰してほしいのか」
「怖いねえ…本当は好きなんじゃないの」


素直じゃないね。間延びした声が、そう続いた。




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