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※現パロ


あんまり突然のことで、一瞬、何をされたのか分からなかった。やがて頬にじわじわ広がる痛みによって叩かれたのだと遅れて気がつく。
春水さんは、とても冷ややかな顔をしていた。
呆れたような白けたような、今まで見たことのない冷めた目に見据えられると、別れたいと喚いていた私の喉がぎゅうっと締め付けられたかのように苦しくなった。


「子供みたいなことを言うね」
「……春水さん、…」
「なまえちゃん、少し落ち着こうか」


春水さんが大事なのは私じゃなくて他の人だから。
春水さんが愛しているものまで大切にできないから。
春水さんの重責を肩代わりする余裕なんてないから。
春水さんに相応しい女じゃないからわ
私たちが別れる理由はいくらでもあった。そのうちのいくつかを並べるうちに、全く意味を分かってくれない春水さんの態度が嫌になって止まらなくなってしまった。
『私のことなんか好きじゃないくせに!』
『もう別れたい、春水さんと別れたいっ!』
するとそこで、彼はあの大きく硬い掌で私の頬を叩いて黙らせたのだ。


「別れるなんてそんな寂しいこと言わないでよ」


痛む頬を包み込むようにして触れ、私の好きな男の顔をして笑う。そのくせ生き残りの左眼は笑っていないのだから、ちぐはぐな温度がさらに私の不安を煽った。
私を置いて、あの女だけを連れていったくせに。
私を好きなふりをして、あの女を愛しているくせに。
───あの女に手を出せないから、私で発散しているくせに!


「………私のこと、好きじゃないんでしょ…」
「ボクがいつそんなこと言ったって?」
「見てたら分かる、…分かるの……」
「…やれやれ」


どうやらさっきので唇を切ってしまったらしく、喋るたびに舌の上に血の味が広がった。
叩かれた、私、このひとに。
どうしてどうして、私何も間違っていないのに、私を愛してくれないそっちが悪いんじゃない、そっちが、悪いんじゃない!


「き、…きらい、春水さん、………きらい…」


精一杯罵ったつもりが子供みたいに駄々を捏ねてしまう。あの女ならもっと理性的に話すのになと比べてばかりで嫌になる。
表情をなくした春水さんは冷たい落ち着きを顔いっぱいに広げ、頬に触れた手を首へと下げた。決して力はいれずに、でも、いつでも絞め殺せると言われている気分になる。


「ごめんよ、かわいい唇が切れちゃったねえ」


濡れた赤い舌が、血の滲む唇を舐めとった。
ぬるりとした感触が繰り返し血をねぶる。
私は泣きながら、春水さんの大きな舌にしゃぶりついた。
惨めだと思う。
悲惨だと思う。
だけど、この人にこうされると嬉しくて心が弾むのだ。


「脱ぎなさい」
「っ……え、…」
「ボクに酷いこと言った罰だ」


最近、この人が、こわい。
だけどこわいのが、たまらなく気持ちがいい。




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