■子供ではいられない
一度自室に下がり、ターミナルに来ていたメールの確認だけをしてそのまま倒れこむように眠ってしまった私が目を覚ましたのは――普段そんな風に乱暴に扉を叩く人間などいないだろうと思うようなノックの音を聞いてのこと。
ノックの音に混じって私を呼ぶ声は聞き間違いようのないもので、そうなるとあまりだらだらとしてもいられない。ベッドから身体を起こすと――それでもベッドからは降りることなく、未だ乱暴にノックの音を響かせている扉の方へと顔を向けた。
「開いてるから入っていい」
ノックの音に混じりながらも私の呼び声が聞こえたのだろう、扉が開く音がして……早足に私の部屋の中に入ってきたソーマはベッドの上に座ったままの私を視線だけでちらりと一瞥するとすぐに歩み寄ってきてベッドに腰掛けた。
「どうかしたか」
「どうかしたか、じゃねえ。何か知ってたら答えろ」
不機嫌を隠そうともしないソーマは視線だけを私のほうに向ける。その視線は鋭くて、冷たくて。言葉にするのなら明らかに私を疑っているような眼差しだった。
その眼差しが何故かとても……痛い。
ソーマに疑われることがこんなにも私にとって「痛い」なんて、そんな眼差しを向けられることがここ最近あまりなかったせいかすっかり忘れ果てていた。
そう、ソーマはほんの少し前まではこんな風に冷たい眼差しを他人に向けることが珍しくなかったのだ――愛されていることに自惚れすぎて、本当に私の中からはすっぱりと抜け落ちていたその事実にぞくりと背中が震えた。
だが私の考えなど知ったことではないのだろう、ソーマは私に向けた冷たい眼差しを溶かすことはないまま……声まで冷たく、私に問いかけてくる。
「何で俺たちが――第一部隊がリンドウの捜索から外されるんだ?リンドウは第一部隊の隊長だっただろうが」
「何で、って……」
……ソーマがそれを私に問いかけた理由ははっきりしている。
リンドウさんの生存をツバキ教官が明かしたとき、彼女ははっきりと私の名前を出した。そして、私がソーマに対して「極秘事項」を持っていると言うことを彼は知っている。
だから今、ソーマは私を――疑っている。まだ何か隠していることがあるのではないか、と。
「藍音、お前だってそうだろ。本心ではお前だって……どうせなら俺たちで、第一部隊でリンドウを見つけ出したいって思ってるんだろ」
「……それは」
それは、そうだ。
リンドウさんが生きているのなら、それを探し出すべきなのはリンドウさんと一番密接な関係にあった私達なんじゃないかと言う思いは確かにある。
私だけじゃない。ソーマだって、サクヤさんだってアリサやコウタだってきっと同じことを考えているだろうと思っている。だがそれでも……それを言葉にしようとすると、脳裡にちらつくのは、先刻聞いたレンの言葉。
――アラガミ化した神機使いの処理方法として最も効果が高いのは……アラガミ化した本人の神機を用いて殺すことです。
――リンドウさんの足跡を辿って運良く彼に出会ったとしましょう。もし、その時彼がアラガミ化していたら……藍音さん、貴方はどうしますか。
「そうか……だから、か」
ちらついていた考えが、頭の中で巡っていたレンの言葉に導かれるように形になり……私は自然と、そう呟いていた。
私の言葉に、ソーマは再び苛立った様に眉根を寄せる。私がひとりで考えてひとりで納得しているのだからソーマがそれを不満に思うのも無理はないだろう。せめてその不満を少しでも解せればと、私は少しずつ考えながら言葉を連ねていく。
「リンドウさんはアラガミ化の進行が懸念されている……それは、分かっているな」
「ああ」
「だからこそ、アラガミ化したリンドウさんを介錯するのを直属の部下だった私たちには任せたくないってツバキ教官は考えたのかもしれない」
私の言葉に、ソーマはぐっと押し黙る。その表情は……納得はしていない様子ではあったが、先ほどまでの鋭さは僅かに和らいだような、そんな気がする。
それを確かめてから、私は更に言葉を繋ぐ。ソーマに言い聞かせるように、そして……まだ私の中でも曖昧なままの言葉を纏め上げていくように。
「勿論私は教官の決定に対して関与はしていないから今話したことは私の勝手な想像だが、例えば……サクヤさんがアラガミ化したリンドウさんと戦えると思うか?」
サクヤさんの名前を出した途端にソーマはぐっと押し黙る。この発言はサクヤさんに対しては失礼なのかもしれなかったが、それでも……ソーマも、私と考えていることは同じらしい。
「サクヤさんだけじゃない。コウタやアリサはアラガミ化したリンドウさんを目の当たりにして平静を保つことができるのか……今の気持ちのまま、リンドウさんを助けたいと思ったまま私にリンドウさんの介錯を務めることができるのか」
最後に付け加えた言葉はやはり私がレンの言っていた言葉を引きずっていることの何よりの証拠。1%でも可能性が残っているならそれに賭けてみたいと言いながら、それでももしもの時のことを考えている自分に僅かに嫌気が差したりもする――
だが、そんな私の考えを当然知るはずもないソーマは……私の言葉を、放たれたとおりに受け止めたのか険しい表情のまま口を開く。
「……お前らはそうかもしれねえ、けど……それは余計な世話だろ」
「ああ、あんたはそう言うと思ってたし……私だって、本当は……」
諦めたくない、だが頭のどこかではそれしか方法がないならレンが言うようにリンドウさんを「処理」しなければならないことは理解していて。
誰の手に委ねるとしても辛い決断となるのなら、せめて……隊長として、私がやらなければならないことなのだと頭では分かっている。
だが本当にその場で私たちは、第一部隊はその決断を下すことができるのか。ツバキ教官がそこを懸念している……それはあくまで推測でしかない。
そして、推測でもなんでもなく……はっきりとしている事実がひとつ。
「加えて言うなら。これは正式には明日伝えるつもりだったんだが」
眠りに落ちる前に確かめたメールの内容。決して看過できるような内容ではない「それ」を、私は明日の朝改めて第一部隊のメンバーに伝えるつもりだった。
だが、今の……リンドウさんの捜索から自分たちがはずされたことに納得していないソーマにそれを無理やりにでも承諾させる為には先に説明しても何ら問題はないだろう。
「第一種接触禁忌種、アマテラス……私たちにはこいつの討伐指令が出てる」
聞いたことのないアラガミの名に、ソーマが僅かに眉根を寄せる。
「射撃が効かずほぼ接近戦での戦いになる……大きさはウロヴォロスほど、と言うよりウロヴォロスの接触禁忌種であるとも言われている」
自然と重苦しくなる口調は別に作ったものでもなんでもなかったが、私の言葉が進むに連れてソーマは次第にその表情を険しくしていった。
先ほどまでとは違う意味で険しくなる表情に、私は僅かに目を伏せながらも言葉を続ける。
――この部屋の空気は、こんなに重かっただろうか?
「こいつを放っておいたらリンドウさん捜索どころじゃなくなるかもしれない。そう考えたら……討伐指令を無視してまでリンドウさんを探しにいくわけにはいかないだろう」
私の言葉にソーマは何を返すわけでもなかった。
相変わらず重苦しいままの部屋の空気から逃れるように……ぽつりと呟いた言葉。それはやはり、ソーマが浮かべたままの苦々しい表情が気にかかって仕方がなかった、から。
「ソーマ。私をつまらない女だと思うか」
「つまらないって、何が」
「本当は私だってリンドウさんを探しに行きたいと思ってる。その感情を押し殺して命令だからと言い訳をして……自分で考えたら、なんてつまらない女なんだろうと思ってな」
自嘲するように吐き捨てた言葉を拾い上げるよりも先に、ベッドに座ったままソーマの腕が私に向かって伸ばされる。
そのまま肩を押さえつけるようにベッドに組み敷かれ、私を射抜くようなソーマの視線を真っ直ぐに受け止める。そこに甘い空気など介在しないまま……苦々しい表情のまま、吐き捨てるようにソーマは短く呟いていた。
「何が悔しいって……そんなクソ真面目なところまで込みで藍音に惚れちまってる自分が一番悔しい」
言葉とともに、押さえ込むように唇を重ねられた。
ソーマの言葉を信じるとするならば……それはまるで、彼の言う「悔しさ」をせめて和らげる為だけに為されたようにすら感じられるその口付けを私は黙って受け入れ、無意識のうちにしっかりとソーマの背中に手を回していた。