■たとえば、もしも
前々から、思ってはいたが口には出せなかったことがひとつある。
私がリンドウさんを連れ戻した後――その段階では私は気を失っていたのでその光景は見ていないのだが――ようやく身体を起こしたリンドウさんにサクヤさんが涙を流しながらすがり付いて、それでも最初に言った言葉は「おかえりなさい」だった、と言うこと。
その話を聞いて、思ってはいたもののそれを言葉にするのは躊躇われていたことがひとつあった。
言葉に出来なかった理由は簡単で、そんなことを考えること自体がなんだか女々しいのではないかなんて思ってしまったから……では、あったけれど。
だが、ふと……いつものように食事をしているソーマを見ていると、気になっていた考えが再び頭の中で首を擡げて、それを知らないふりなんて出来ようはずがなくて。
いつものように他愛のない話をしながら食事を終え、食器を片付けてから食後のコーヒーを淹れ終えたところで……ソーマに背中を向けたまま口を開く。
「なあ、ソーマ」
「どうした」
「もしもの話、として聞いて欲しい。もし、私が突然姿を消したとして」
「もしもの話でもそんな話聞きたくねえ」
あっさりと言い放たれた言葉にその先を続ける気を殺がれる――その言葉はまさしく、ソーマが私をそれだけ愛してくれているのだと言う証左なのだから気を悪くすることなどあるはずがないのだが。
それでも、どうしても聞いておきたいことをそう簡単に突っぱねられた所で私が話を止めるはずがないことはソーマだって分かっているのだろう。その先に言葉が続かなかったのをいいことに、ソーマの言葉は聞かなかったことにして私は更に話を続けた。
「……突然姿を消したとして、そうだな……3ヶ月」
口にした数字は……決して長い期間とは言えないが、それでも「ある程度の長い時間」として適当に思いついたものではある。
それに対して相変わらずソーマが何も言うことはないので、私はそのままに話を続けていた。
「3ヶ月経って突然ふらりと帰ってきたとしたらあんたは私に何て言う?」
「……想像もできねえな」
いつものようにふん、と小さく鼻を鳴らしたソーマの言葉は確かに尤も。私だって、急にそんなことを言われたら多分答えに窮するのだろうから。
だが、そこで引き下がる私ではないことはソーマも多分気付いている。湯気を立てるコーヒーのカップを手にソーマの隣に座ると、目の前にコーヒーのカップを置いてやってから答えを待つようにその目をじっと覗き込んでやった。
それだけで、私が先ほどの答えで納得していないことが伝わったのだろう。ソーマは何かを考えるように視線をコーヒーカップの――琥珀色の水面へと落とし、それからぽつりぽつりと言葉を紡ぎ始めた。
「どこ行ってたか訊く……か、無事だったかって訊いてみるか。どうせそんなところだろ」
普通と言えば普通の答えだ。勿論それに不満などあるはずもなく、私はそうか、と短く返してからコーヒーに口をつけた。
そこから暫くは互いに無言。だが、不意に……思い出したかのように、ソーマの声が耳に届く。
「藍音、お前……どこかに行こうって言うんじゃねえだろうな」
「急にどうした」
「お前がそんなことを突然言い出すからだろうが。お前はほんとに、ほっといたら3ヶ月くらいなら何も言わねえままふらっと消えちまいそうなんだよ」
「……もう少し私を信じてくれてもいいんじゃないか」
なんて、都合のいいことを言っているのは分かっている。
いくら、隊長と言う立場上仕方がなかったとは言えソーマに隠し事をして、嘘をついた。その事実が消えることはない以上、ソーマが心のどこかで私を信じきれないとしても仕方のないことなのかもしれない。
そんな私の考えとは裏腹に、ソーマの掌が私の頭に触れた。そのまま、引き寄せられるように私の身体はソーマの腕の中へ。
「今から言うことを聞いても笑うなよ」
しっかりと抱きしめられて、ソーマの顔を見ることが出来ないような状態のままでただ……触れ合った場所から伝わる鼓動と、ソーマの声だけに耳を傾ける。
笑うな、なんて前置きをしてソーマが何を言うつもりなのか興味があったし……やっぱり私はソーマが話しているのを聞くのが好きなんだとしみじみと思わされる。そんなことを考えている私に聞こえてきた、どこか寂しそうにさえ聞こえるソーマの声。
「信じてるからこそ……藍音がほんとに消えちまうなんてこと、ありえないって思ってるからこそそんなこと考えたくもねえ」
時々こうやって、あまりにもストレートに私の胸に突き刺さるソーマの言葉。
彼の傷つきやすい心を守りたいとそこに寄り添っている私の心は、皮肉にも離れることだけで彼を傷つけてしまうほどに近くにありすぎた。
……だが、それを悪いことだなんて思っていない。
だって、私は。
「安心しろ。私だって、あんたから離れることなんて考えたくもないから」
「ならいい」
抱きしめられたままの姿勢で短く放たれたソーマの声に含まれていた安堵に私が気付かないわけがない。
彼を傷つけられないのなら、私はソーマから離れることなんて出来ない……その事実をしっかりと胸に刻み込んで、私は自分の身体をしっかりと抱きしめたままのソーマのぬくもりに身を預けるようにただ寄り添っていることしか出来なかった。