気付かなくていいの






 部屋に戻ると、不思議なことに扉は開いており、中から人の気配がする。双子の弟と顔を見合わせたタクミは、目配せすると一気に扉を開き、中へと飛び込んだ。


「おい、誰だ!」


 両手持ちの包丁を愛用しているだけあって力には自信がある。来るなら来いと息巻いて弟と共に部屋に踏み込んだが、そこにいたのは予想外の人物だった。


「あら、タクミ。それにイサミもどうしたの?おかえりなさい、遅かったわね」
「なまえ、姉さん……。なぜここに!」


 本国にいるはずの二人の姉が、なぜか日本の自室で和やかに茶を飲んでいたのだ。
 相変わらず枯れ枝のような細い身体で、二人とも元気だった?などと普通に会話をはじめた。


「うん、ボクも兄ちゃんも元気だよー。なまえ姉ちゃんこそまた痩せたんじゃない?」
「あらあらイサミに言われたくないわ。あなたったらまたこんなに夏バテして」
「何普通に会話してるんだイサミ!そもそもなぜ姉さんが日本にいるんだ!」


 夏休みを利用して国に帰ったのはそう昔のことではない。ただ国に戻ったときは実家の厨房で忙しく働く兄弟と、普段は自室のベッドの上から動くことのない姉ではなかなか生活時間が噛み合わない。
 結果、こうして話すのはひどく久しぶりのことだ。

 いや、それはこのさいどうでもいい。問題はひどく身体の弱い姉が一人でこんなところにいることだ。学校にだって一週間続けて登校したことのない姉が、なぜこんな遠いところまで……。


「二人に会いに来たのよ。ちょっと話があって」
「なんだあ、なら来る前に言ってくれればよかったのに」
「そうじゃないだろなまえ姉さん!まさか一人でここまで来たんじゃないだろうな!」


 問い詰めれば逸らされる視線に、タクミは頭を抱えたくなったと同時に神に感謝した。
 姉が一人でここまで無事に来られたのは奇跡といってもいいだろう。これまでの人生、姉の歩いてる姿よりも寝込んでいる姿を眺めてきた弟の真摯な感想だ。


「一人でも大丈夫って証明したくて。でもちゃんと来れたでしょ」
「そんな証明なんてしなくたって、オレかイサミを呼べばいいじゃないか」
「あら、それじゃだめよ。私、家を出ようと思ってるんだから」


 にこやかに吐き出された言葉に、タクミもイサミも思わず意味を理解出来なかった。


「ほら、私もそういう歳だし、いつまでも迷惑かけてばかりじゃ、」
「誰に言われたんだ」
「え……嫌だわ。ちがうのよ、」
「誰が姉さんにそんなことを言った」


 沈黙は肯定と同じだった。
 姉は昔から身体の弱い自分のことを負い目に感じている節があった。それでも自分のことをよくわかっていたからこそ、こんな無茶はしなかった。

 なのに今回、姉が一人で日本に来てしまうほどの何かがあったことが、タクミはたまらなく虫酸が走る。


「けど、本当にそれだけじゃないのよ。私ももうすこししっかりしなきゃと思ってて……だからきっとそういう時期なのよ」


 誰が姉に余計なことを言ったかはわからないが、よほど的確に姉のコンプレックスを突いた発言だったのだろう。大方の予想は出来る。
 おまえみたいなお荷物がいたんじゃ弟たちが可哀想だ、とかそんなところだろう。すでにタクミやイサミは耳にタコができるくらいに聞いてきた。
 そして全てに同じ答えを返してきた。


「オレもイサミも、なまえ姉さんをお荷物だと思ったことはない」
「…………………」
「姉さんが自分で考えて出ていくなら止めないけど………オレはやっぱりなまえ姉さんにいてほしい」


 歳の離れた姉は、小さい頃から自分たちのことの面倒をよく見てくれていた。小さな母親みたいなものだ。
 理由はどうであれ自立しようとしている姉にかけるにはひどい言葉かもしれない。自覚はある。

 それでもどうしても姉を引き止めたかった。


「ボクも兄ちゃんと同じだよー。姉ちゃんがいないと寂しいな」
「あなたたちったら…………そんなに姉を甘やかすと困るのはそっちなのよ」
「姉さんが昔オレたちにしたことじゃないか」


 潤んだ瞳で弟二人を抱き寄せた姉は、この様子だととりあえず考えを変えてくれたようだ。
 イサミと同じ綺麗な濡れ羽色の髪が、タクミの首筋を掠める。姉に応えるように背中に手を回すと、その身体は記憶の中よりも小さかった。
 微かに耳に届いた言葉は、ありがとうではなくごめんなさいだった。

 今回は自分の言葉で引き止めることができた。それでもまたいつ家を出ていくなどと言うかもしれない。

 とうの昔に姉の一人くらい背負って生きていく覚悟はタクミもイサミも出来ている。
 なのだから、そろそろ姉にも弟に背負われて生きていく覚悟を決めてほしい。



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