目隠しする手






「今日はなまえの大好きなケーキを作ってきたわ。もちろん食べるわよね?」


 扉を開け放つと同時にそう言う。慣れた動きで椅子に腰掛け、彼女からの返事を聞くよりもはやく、手土産の小さな箱を取り出す。その中からひとつ、カットされたケーキを渡せば、白いベッドの上で彼女は笑った。


「お嬢、それだけじゃ食べられないと思うんですけど。手掴みで食べるんですか」


 その様に自分の背中に隠れきらない大きな付き人は、呆れたように肩をすくめた。


「そんなことわかってるわよ!ほらリョウくん、はやくフォークを持ってきてちょうだい!」
「はあ、わかりました」


 気だるげに階下の厨房に歩き出した付き人の背中を見送り、再び彼女ーーなまえに向き合う。
 自分の肌の白さとはまた違う青白さ、体も前に会ったときよりも薄くなったように思えて、表情には出さないが焦りが芽生える。


「うふふ、アリスちゃんとリョウくんは相変わらず仲が良いのね。羨ましいわ」


 口元に添えられた手も細く、簡単に折れてしまいそうだ。
 だが本人はそう思われているなどとは露知らず、自分の手渡したケーキに目を奪われている。


「なまえったらまた痩せたんじゃない?私以外の人が作るご飯がどんなに不味くても、ちゃんと食べなきゃだめよ」
「はあい。だけどやっぱりアリスちゃんの作るものが一番美味しいわ」
「リョウくんのよりも?」
「私はアリスちゃんの料理が好きよ」


 黒木場くんのも美味しいけれどね、と続いた言葉は聞こえないふりをした。

 彼女は昔から変わらない。
 自分と出会ったときから病気がちで、会えるのはいつもこの白い部屋。そして自分の料理を食べ美味しいと笑うのだ。


「どうやってこのケーキが生まれてくるのか気になって仕方ないくらい」
「なまえの頼みならいつでも作ってあげるわよ。好きなときに厨房にいらっしゃい」
「そうね、今度見に行こうかしら」


 幼少期から幾度も交わされてきた言葉だが、未だにそれが実現したことはない。
 それでも自分はなまえを誘うことを止めないし、なまえも断ることをしないのは、そうすれば全ての可能性を諦めることになるからだ。


「今日持ってきたケーキは新作なのよ。リョウくんだって食べてないんだから!」
「え、本当に?はやく食べたいなあ」


 途端目を輝かせて皿に乗っかったケーキを見つめるなまえは、一刻も早く味わいたいのだろう。リョウが出ていった扉にちらちらと視線をやる。

 バーサークモードではないリョウは、お世辞にも機敏な動きだとは言えない。そんな彼にフォークを取りに行かせたのは彼女と二人きりで話す時間が欲しかったからに他ならない。


「ねえなまえ、」
「なあにアリスちゃん」


 自分が呼べば、なまえはいつでも変わらない笑みで返事をしてくれる。いつだって自分を見てくれる。
 その現実に思わず声が漏れたが、なまえは小さく首を傾げただけで深く問いただしてくることはなかった。


「珍しくこの部屋の花瓶に花が活けられてるけど、いったいどうしたの?」
「ああ、その花はね、極星寮の皆が持ってきてくれたの。ほら、ここって遠月から近いから……」


 ガリッと音がした。どうやら唇を強く噛んだ音らしい。なまえが慌ててハンカチを差し出してきたので大人しく受け取る。

 どうりでおかしいと思ったのだ。
 なまえの長い療養生活に彼女の友人たちはとっくに見舞いなどという殊勝な行動に飽きている。今やこの屋敷を尋ねる人間は自分と付き人のリョウしかいなかった。
 だからこそ人に飢えたなまえは自らの訪問を心から喜んでくれるのに、今日は様子が違った。決して喜んでいないわけでも、ましてや疎んでいるわけでもない。

 自分だけに目を向けさせる為に、訪問回数も抑えて計算していたのに、その好きに横からかっさらっていかれたのでは本末転倒だ。


「毎日のように皆来てくれてね、すごく楽しいの。特にソーマくんはいつも珍しい料理を作ってきてくれるの」
「まあ!なまえは食べ物をくれる人なら誰にでも懐くのね!」
「ち、違うわ!私そんなに意地汚くないもの」


 むしろそうだったらどれだけ良かっただろうか。食べ物目当てなら、どうとでもできる。自分がそれ以上の物をなまえに味合わせてやればいい。
 ただ人間個人に興味を引かれているのなら話は変わってくる。


「なまえは私の料理の試食役なんだから、他の子の料理なんて食べちゃだめよ」
「じゃあ黒木場くんのももう食べられないの?」
「リョウくんは私の付き人なんだからいいの。他の子のことよ」


 その興味が別の感情に名前を変えるよりも先に手を打っておく。

 ほっそりとした頬に両手を添え、彼女の大きな瞳に視線を合わせる。不安に揺れるなまえに、もう一度わかったかどうか問うと、恐る恐る首を縦にした。


「わかったわ、アリスちゃん」
「じゃあなまえには早速明日も試食してもらおうかしら?」
「え、明日も来てくれるの?」


 自分が連日この屋敷を訪れることなんてことはない。それをなまえもよく知っているからこそ、彼女の食いつきは早かった。
 そうだと頷いてあげれば、いつも以上に眩い笑顔でアリスちゃん大好きと告げてきた。


「お嬢、フォーク持ってきましたよ」
「もう遅いじゃない!なまえがすっかり待ちくたびれて、また熱でも出たらどうするのよ」
「元はといえばお嬢が持ってくるのを忘れたからじゃ」


 ようやく部屋に戻ってきたリョウを迎え入れ、待ちに待ったケーキを口に持っていく。
 スポンジの間には季節に合わせたフルーツを半ゼリー状にして挟んでいる。断面からは層の重なりが見え、鮮やかな彩のそれは見ているだけで食欲を刺激する。

 リョウの作ったものも持ってきているのだが、何も言わなくてもなまえはいつも自分が作ったケーキを先に選び、美味しいと微笑む。


「今日のケーキもすごく美味しい。ありがとうアリスちゃん」
「リョウくん今の聞いた?!今日の勝負は私の勝ちね!」
「なまえさんはどんなときでもお嬢のやつを褒めるじゃないですか。それじゃ勝負になりませんよ」
「リョウくんのも美味しいよ。遠月の人は何でも作れるんだね、すごいなあ」


 小さなケーキを大事に食べるなまえの姿を眺めていると、こちらの頬も自然と緩む。
 存外に二番目と言われたリョウも、なまえの贔屓はこれまでで十分わかっているし、褒め言葉というものは気分の悪いものではない。
 
 自分となまえとリョウ、それだけでいい。

 たとえ彼女がこの部屋から外へ出られる日が来なくとも、彼女が自分を見て、自分の作った料理を食べてくれさえすればいい。
 ーーあとは何も要らない。


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