おぼろげな現実と確かな夢






「二歩先に段差があるから気をつけろよ」


 その声に促されるように視線を向けると、ぼやけた世界の中にそれらしきものを見つけることが出来た。ありがとうと言葉を紡ぐと気にするなと流されてしまった。
 私は彼と出会ってからいくらも経ってないというのに、彼のさりげない優しさに何度も助けられている。

 数日前、目覚めたら船の上だった。周りの人たちの話を聞く限り、どうやら私は空から落ちてきたらしい。
 らしいというのは、私の記憶はそのときの衝撃のせいでか非常にあやふやなものになっているからだ。おまけに体のから壊れた眼鏡も発見した私は、何もわからない場所、不確かな視界でぽつんと取り残されてしまった。
 そんなとき声をかけてくれたのが彼らだった。


「アルヴィン、いきなりなんだけど……いつもありがとう」
「本当にいきなりだな。どうした」
「だって私、皆がいなかったら今頃どうなっていたか。ミラにもジュードにも、本当に感謝してるの」


 途方に暮れる私は思わず、声をかけてくれた彼らに泣きついてしまったのだ。大きな街まで一緒に連れて行ってくれと。そうしなければ新しい眼鏡を作ることも、仕事を探すことも難しい。
 ミラは一緒に来るのは危険だと難色を示したが、ジュードとアルヴィンがいいじゃないかとどうにか説得してくれたのだ。


「まあ……記憶喪失の人間を放置するってのも後味が悪いしな。俺より優等生に感謝しとけ。最後まで説得してたのはあいつだからな」


 医学生らしいジュードは、右も左もわからない私のことをいたく心配してくれて、私以上に必死になってミラを説得してくれた。


「けど、アルヴィンだって魔物が出たとき私を守ってくれるよ?」
「そりゃあそうだろ。素人と学生には荷が重いからな」
「今だってこうして私に付き合ってくれてるし……」


 港から数日かけ、ようやく小さな村にたどり着いたが、ここには探している眼鏡屋はなかった。
 だけど簡単な薬草採取の仕事はあったので、皆が宿屋で休んでいるうちにこなしてしまおうとした次第だ。
 そんな私をアルヴィンが見つけ、一人じゃ不安だとわざわざ着いてきてくれたのだ。
 薬草の生えているらしい場所は村からそう離れてなく、魔物の危険性もなさそうだったから受けたのだが、視界の不十分な人間が歩き回るのが気になるらしい。


「アルヴィンだって疲れていたでしょ?ごめんね」
「なまえみたいなガキに付き合うくらいなんともねえよ。礼は報酬の半分でいいぜ」
「うん、わかった」
「おいおい……おたく、素直すぎるだろ……。冗談だよ」


 相場がどれほどかはわからないが、アルヴィンが私にくれた親切への礼としては安すぎるのではないだろうか。
 本当ならもっとちゃんと皆にお礼をしたいのだが、それはまだまだ叶いそうにない。


「そんなこと考えるより、記憶を思い出してもらった方が俺としては助かるんだけどな」
「なんで?」
「そりゃなまえからより、なまえの親からの礼の方が期待出来るからだ」
「なるほど。貧乏だったらごめんね」


 私の言葉にアルヴィンは苦笑した。
 眼鏡がなくて本当のところは良く分からないけど、多分そんな気がする。

 そう考えると、私は恩人の顔すらまともに把握出来ていない。雰囲気や声で間違えたり困ることはなかったが、一緒にいるのにそれはすこし寂しいことの気がする。


「うん。私頑張って働いて、アルヴィンの顔見てありがとうって言って、それからいっぱいお礼する!」
「いや、意味分かんねえよ。……まあ、期待せずに待ってるわ」


 軽く頭を撫でられて、自然と頬が緩む。
 その視界の端で、依頼された薬草と同じ特徴を持つ草を見つけた。アルヴィンにも確認してもらったがこれで正解らしい。


「こんな草、はじめて見るけど……変な色してて気持ち悪い」
「記憶がないんだから当たり前だろ。これは料理に使う、けっこう一般的なもんだから晩飯とかでも使われてるぞ」
「そう、なんだ……」


 いくら頭を捻ってみても、私の脳はなにも思い出してくれない。医学生であるジュードは、生活していくうちに自然と思い出すと言っていたが、最近の私はそうとは思えない。

 たとえば、朝起きて身だしなみを整えることには何の苦労もない。記憶喪失といっても生活に必要なことは覚えていたからだ。
 なのに精霊術を見たとき、死ぬほど驚いた。ジュードに聞けば誰にでも使えて、ないと生活に不便するらしい。一度ジュードに教えてもらったけど、私はうまくその精霊術を発動させることが出来なかった。
 それどころか馴染みのない異物としか思えない。


「たまにね、私って実は遠い遠い世界からやってきた人間なのかなって思うことがあるの。だから精霊術も使えないんじゃないかって」
「…………じゃあ、なまえのいた遠い遠い世界ってのはどんなのだ?」


 てっきり一蹴されるかと思ったが、返ってきた声音は想像よりずっと真面目なものだった。
 しゃがんで草を摘んでいるから後ろのことは分からないけど、きっと今アルヴィンは笑ってない。


「なんとなくだけど、精霊術なんてなくても生活は困らなくて、便利な道具とかがたくさんあるの。高い建物もたくさんあって、ここより空もずっと狭いの」
「そこに帰れるなら、帰りたいか?」
「うーん。もちろんって言いたいけど、今は帰りたくない」


 辺りの草は全て摘み終わった。
 よし、と掛け声をかけて勢いよく立つと、アルヴィンがなぜだと聞きたそうな顔で突っ立っていた。


「だってよく覚えてないし、それならアルヴィンや皆のいるここがいいや」


 それは心からの本音だった。けれどアルヴィンには強がりに思えたのだろうか、突然その胸元へと引き寄せられた。

 アルヴィン、と名前を呼んでみるけれど、反応はない。だけどなんとなく、なんとなく彼は寂しいのだろうと思った。


戻る
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -