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短編|コナーとRK900と「かわいい」の話

 ナマエは何にでも「かわいい」と言う。犬、猫、子供はもちろん、その他の動物、アクセサリー、服、料理、お菓子、何かしらのパッケージ、小物、家具、同僚、通りすがりの人間、アンドロイド、スモウ……そして時々、ハンクにすらも。
 なかでもとりわけナマエの「かわいい」の讃美を受け取っていたのはコナーだった。コナーはナマエが「かわいい」と口にする時の柔らかな弧を描いた唇が好きだった。
 だが悲しむべきことに、今やそれは過去の話だ。

「かわいい」
 と言うナマエの声が聞こえて、コナーはそちらへ視線を向けたい気持ちと向けたくない気持ちをしばらく胸の内で戦わせたが最終的に、声の方へ目をやった。
「私は、可愛くはありません」
 固い声と表情で、ナマエの「かわいい」に真面目に反論しているのは最近導入されたRK900だ。コナーがナマエの方を見たくない理由。
「そういうところがかわいいんじゃない」
「私は可愛いという印象を抱かせるようにはデザインされていません。あなたが私に可愛さを覚えるのでしたら、それは設計ミスです」
「ミスじゃないと思うけど。あなたって本当にかわいいのに」
「私に可愛さは付与されていません」
 こいつ……とコナーはRK900を睨み付けながら心の中で歯噛みをする。どうしてナマエの「かわいい」をそんなにも拒絶できるんだ。そしてナマエ、と視線を移したコナーは懇願するような気持ちで思う。そんな奴にあなたの「かわいい」を消費しないで下さい、と。彼の気持ちも知らずに、ナマエはまた「かわいい反論ね」などと言う。
 思えば、ナマエからの「かわいい」を最後に受け取って、もう数ヶ月が経つ、とコナーは過去を会話ログと共に振り返った。一方で彼女が管理を任されたRK900はほぼ毎日のように「かわいい」と言われている。
 ナマエはもう、僕に興味がないのだろうか、とコナーは少しばかりの寂しさと焦りを覚えた。

 コナーは一度だけ、ナマエになぜ最近かわいいと言ってくれないのかと尋ねたことがあった。問いかけられたナマエはさっと視線を地面へ落とし、小さな声で、まるで言い訳をするかのように「コナーはもう、『かわいい』じゃないから」と呟いた。俯いた彼女の表情を、コナーが伺うことはできなかった。
 その時のコナーの衝撃といったらなかった。彼は雷にでも打たれたような心地で、その心の中ではナマエの「もう『かわいい』じゃないから」が延々と木霊していた。なのに、ナマエは立ち尽くす彼を置いてそそくさとその場を歩き去ってしまったのだった。

 今の僕はかわいいが欠如しているのか、とコナーは思う。もう一度、かわいくなれたのなら、ナマエは僕に興味を持ってくれるのだろうか。
 ……「かわいい」を取り戻さなければ。
 コナーはナマエが今までかわいいと言ったものをリスト化して眺め、あることに気が付く。ナマエは自分よりか弱いものへかわいいと言っているのではないか?例えば、子供や動物へのかわいいがそうだ。解釈の幅を広げるのならば、RK900もそれに当てはまると言えなくもないだろう。RK900はか弱くはないが、最近配備されたばかりであり、彼女は立場上、サポートしなければならない存在であることは確かだ。しかし彼女は……ハンクにもかわいいと言う。それに無機物や食べ物へのかわいいはどうなのだ。彼女はハンクや食べ物を守りたいとは思っていないだろう。
 よい着地点を見つけたと思った考えがまた彷徨い始め、コナーは頭を抱えた。
「どうした。頭でも痛いのか?」
 のんびりとデスクへやって来たハンクが、苦悩するコナーへ、気遣うよりもからかうような口調で言葉を投げかける。コナーは顔を上げて恨みがましい視線をハンクへ返した。
「悩み事か?」
「……ナマエが、僕はもうかわいくない、と言った時のことを思い返していたんです」
 コナーの暗い声に、ふむ、とハンクは面白がるような表情を崩さないまま、顎に手をあてる。
「もう可愛くない?お前が?そいつはよかったじゃねえか。もういっぱしの存在だって認められたってことなんじゃねえのか?」
「いっぱし……?それは、僕が目をかける対象から外れた、ということでしょうか?」
「そうだな。ナマエにとっちゃお前は今まで可愛い可愛いひよっ子だったんだろ。それが独り立ちしたわけだ」
「……でも、ナマエはあなたにもかわいいと言うじゃないですか」
「……時々あいつは俺のことを手のかかるおじいちゃんだと思ってるみてえだからな」
「それは、否定しませんが」
 ハンクは顎髭を撫でていた手を止めた。
「俺が、手のかかる老人だと?まだ若いつもりなんだがな……」
「それは置いておいて、僕はもうかわいくなれないのでしょうか」
「お前も手のかかる老人になればいいんじゃねえか?」
「拗ねないで下さい。僕は真面目な話をしているんです」
「真面目?この話がか?…………まあいい。お前は可愛いを脱したことを喜ぶべきだな。あいつの可愛いなんざ安いもんだ。一日に何回言うと思ってんだ?」
「僕の観測によると、平均して36回です」
「な?」
「な?じゃないですよ。かわいいじゃないなら、僕は一体何なんです!?」
「急に大声を出すな」
「…………コナーはほら、もう、『かっこいい』だからさ……」
 突然後ろから声を掛けられたコナーは、「うわ」と飛び上がり、振り返った。いつの間にか彼の背後に立っていたナマエは歯切れ悪く、どこか言い難そうな雰囲気も顕にそれだけ言うと、くるりと踵を返していつもの二倍は早い歩調ですたたたと、またRK900の元へ戻ってしまう。コナーは唖然として遠ざかる背を見つめた。心なしか、髪の間から覗くその耳先は赤くなっているように見えた。
「格好いい、だとよ」
 にやにやと口角を上げながら、ハンクが言う。コナーは首を傾げる。
「これは、どう受け止めるべきなのでしょう。彼女が何かをかっこいいと評しているのは初めて聞き――――いや、二回目だ」
 瞬時に会話ログを漁ったコナーは、彼女が格好いいと口にするのは二回目だということを知った。そして一回目の格好いい、もコナーへ向けられたものだということも、知った。
 それは、激高して刃物片手に向かってくる容疑者をコナーが制圧した時のことだった。コナーの後ろに庇われたナマエが、そっとその背に触れて呟いたのだ、「コナーってかっこいいんだね」、と。思えばナマエがコナーへかわいいと言うのを止めたのはこの時からだった。
 つまり、僕は「かわいい」を脱して「かっこいい」になった……?だがなぜかわいいとかっこいいは両立されないのか。ナマエにとってかわいいとかっこいいにはどんな違いがあるというのだろう。コナーの回路の中で、かわいいとかっこいいがぐるぐると渦を巻いた。

 埒が明かない、とコナーは勢いよく立ち上がった。キャスター付きの椅子がその勢いに押されて、ガーと流れて行き、後ろのデスクに当たって止まる。それが立てた中々激しい音に驚いてそちらを見た数人の内に、ナマエももちろん含まれていたが、席を離れたコナーが何か決意を持って自分の所へ向かって来るのに気が付いてさっと視線を逸した。
「ナマエ」
 あえて彼女とRK900――彼は全てのことに興味がない様子で佇んでいる――の間に割り込んで、コナーはナマエの顔を覗き込む。
「僕はもうかわいくないのですか」
「……うん」
 いくら視線を彷徨わせようとも、コナーが絶対視界へ割り込んでこようとしてくるので、ナマエは諦めて彼の胸元の三角形を眺めることにした。
「それで、今の僕はかっこいいと?」
「…………うん」
「ではどうして以前の『かわいい』ように『かっこいい』と言ってくれないのですか」
 ナマエはしばし床に視線を注ぎ、観念したかのように口を開いた。
「なんか、かっこいいなって思っちゃうと……」
「と?」
「思っちゃうと……、意識、しちゃうから」
「意識?何をですか」
 心底分からない、という様子できょとんとしているコナーに対し、ナマエは落ち着かなげに何度か目を瞬かせた。
「自分がコナーをかっこいいって思ってることを、ね」
「僕をかっこいいと思うと、僕がかっこいいことを意識してしまう……ということですか?」
 ナマエは頷く。それはまさに堂々巡りの会話とでも言うべきものだったが、「かっこいい」と口にする度にじわじわと赤くなっていくナマエの頬を眺めていると、コナーはその“意識”なるものが分かってくるような気がした。そして唐突に、自分がナマエを「かわいい」と思っていることに気が付く。
 多分、この「かわいい」はナマエの言う「かっこいい」にその意味は同じでなくとも、使う理由は同じだ。相手を目前にするとなぜだか言いにくくなってしまうのも。でも、他の人には言いたくないのも。……つまりこの言葉は特別で、表面上の意味の裏に、もっと大切な感情が秘められている。そのことを、コナーはようやく理解した。
 コナーはわざとらしい咳払いをひとつしてみせた。
「では僕が『かっこいい』のでしたら、あなたは『かわいい』ということになりますね」
「わ、わたしが、『かわいい』……?」
「ええ。あなたはとってもかわいいですし、あなた以外にかわいいものは存在しないと断言できます」
「それは大げさじゃあ……」
「では、あなたには僕以外に『かっこいい』ものがあるとでも?」
「それは、ないけど……」
「断言して下さい」
「ないです」
「じゃあ、言ってくれませんか、僕に」
 それが大切な言葉なのだと学んだコナーは、どうしても、再び彼女からその言葉を引き出したかった。ナマエもそれを面と向かって改めて言うことの意味を察しているらしく、しばらくためらっていたが、やがて意を決した様子で口を開いた。
「コナーは、かっこいい、です……」
「ナマエはかわいいですね」
「ありがと……」
 しどろもどろに感謝の言葉をこぼすナマエは、言い慣れても言われ慣れてもいないらしく、もう真っ赤な顔をしていて、それがコナーにはとても可愛らしく思えた。コナーは微笑んだ。
「あなたのそういうところが、僕は――」
「ミョウジ刑事」
 コナーの言葉を遮ったのはRK900だった。スリープモードでも起動したのかと思うほど沈黙を保っていた彼が突然再起動でもしたかのように言葉を発したので、コナーとナマエは揃って「うおわ」と間抜けな声を上げた。だがRK900はそんな二人を全く気に掛ける素振りも見せず、言葉を続ける。
「私は可愛くないので、可愛いと言われることに精神的ストレスを覚えます」
「はあ」
「ですので、また『可愛い』と仰った場合、パワーハラスメントとしてサイバーライフに報告させて頂きます」
「えっ?パワ……え?」
「そういうことですので」
「どういうことですので?」
 そして一方的に会話を切り上げたRK900は、より有意義な時間を過ごすべくその場を立ち去り、ナマエはというと突然の警告めいた言葉にぽかんとしたまま遠ざかる背を見送るしかなかった。一方、一世一代の告白を台無しにされてしまったコナーはここぞとばかりにナマエの手を握り、自分の存在をアピールして見せる。
「ナマエ、僕はもう『かっこいい』コナーですが、あなたからの『かわいい』でしたらいつでも受け付けていますよ」
「えっと……パワハラで訴えたり……」
 未だ混乱の中にあるナマエはちらりと、遠いRK900の様子とコナーの表情を交互に伺う。コナーは心からの笑みを返す。
「もちろんしません」
「それは、よかった…………?」
「よかったですね」
 こうして、どさくさに紛れてコナーはナマエからの「かわいい」と「かっこいい」を受け取る権利を再び獲得した。

 だが、この後コナーが自己紹介をする際、自身の名前の前へまるで冠詞のように“かっこいい”と付け足すように――「初めまして、私は“かっこいい”コナーです」、と――なるとは、夢にも思わないナマエなのだった。


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