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短編|そしてどこかで猟犬の群れが……

*『雪と銃』の続きです。他の続きとは関係のない、もしも夢主が人間側を選んだら……というIFものになります。
*コナーが人間を傷付ける描写があります。




 私は肉だ。冷たい肉だ。中に毒を仕込まれた肉。
 私は傍らのダリアの花を眺める。少し萎れて頭を垂れたそれの色が赤なのか、黒なのか、薄暗いここでは判別がつかない。
 私の前をFBIの男たちが横切る。辺りを警戒する彼らは、小銃を片手に、群れから抜け出してきた一匹の狼が罠にかかるのを待っている。
 私は餌だ。哀れな狼を、彼を、おびき寄せるための。


 『コナー、あなたに会いたい』
 私は携帯端末へそう打ち込み、指定された場所と時間をそれに続ける。そしてしばらく手を止め、言葉を付け足した。
 『ダリアの花の前で待ってます』
 FBIの男が私の後ろから端末の画面を覗き込む。
「ダリア、か。最後の一文が気に入らないが――」
「具体的に指定した方がいいでしょう」
「――まあいい」
「……彼は来ないかもしれない」
「いや、来るだろう」
「どうして断言できるの」
「我々の餌が魅力的だからさ。それに、来なければ君の立場がますます悪くなっていくことぐらい、あれには推測できるだろう」
 男の得意気な澄まし顔を半ば睨み付けるように見つめながら、そうしたのはあなた達だろう、と私は心の中で呻いた。署内に彼と私の噂を流したのは。あの雪の夜のことが彼らの手によって誇張され、歪められて人々に伝えられてしまったせいで、署の人間たちは奇異の目で私を見るようになり、明らかな嫌悪を示してみせる者までも現れた。徐々に私は孤立していき、署内での信用を無くした……。そこに手を差し伸べたのが彼らFBIだ。捜査に協力すれば、君に関しての不名誉な噂を払拭してやろう、と彼らは言った。……白々しい。しかし追い詰められた私はその手に縋るしかなかった。私は人間の群れのなかで生きているから。


 そして、私は夜の植物園にいる。ガラスで作られた温室の中へ月明かりが煌々と射し込み、外の寒さには耐えられない花たちが静かにそれに照らされている。
 FBIもロマンチックな場所を指定したものだと、私は心の内で苦笑した。だがそれ以外の感情は湧いてきそうにない。一度は愛した存在を憎むべき相手に売り渡そうとしているのに。どうやら、あの日懐に忍ばせていた銃が私の熱を奪ってしまったようだ。あれ以来私の心は冷たいままで、温かさを取り戻しそうにない。
 しかしなんだろう、この胸元の重たさは。いつもそこに仕舞っている拳銃は取り上げられてしまったのに、私の心の辺りはどんよりと重たかった。
 彼が、来なければいいのに。
 ついそう考えてしまうのは、彼のためを思ってではなく、FBIの男たちの行動が徒労に終わってしまえばいいと願っているからだ。

 コナー。あの雪の夜、彼は何を考えていたのだろう。あのままFBIが現れなければ、何かが起こっていたのだろうか?何かが変わったのだろうか?私たちが一緒になる世界線が存在していたのだろうか?全て推測で、全て願望だ。
 だが、もしもあの夜、彼が共に行こうと誘ってきても私は首を縦には振らなかっただろう。私は人間で、人間であることを止められはしない。

 獲物を待ち構える猟犬たちの群れに、さっと緊張が走った。彼らが肩に付けている無線機のランプがチカリと瞬き、通信を受けたことを知らせる。何事かを聞いた男らの内数人はどこかへ走り去っていく。
 彼が、来てしまった。
 馬鹿、と私は思う。コナーの馬鹿。私なんかの為に来なくていい。私なんかの為に危険を冒さなくたっていい。ダリアの花は、無意味に花弁を広げている。
 遠くで、しかし園内のどこかで、銃声が響いた。職業柄聞き慣れているはずの音なのに、私はびくりと肩を震わせる。そして続く沈黙はひどく重たい。再び銃声が聞こえ、私は恐怖と安堵という相反する感情を同時に味わう。とにかく、彼はまだ生きている。
 銃声は続き、先程まで静かに待ち伏せていた男たちは今や、私の前を戸惑いも顕に右往左往している。無線からのノイズ混じりの指示が私の耳にも届く。裏を固めていた班は壊滅、正面玄関と内部に配置されていた班は彼を包囲すべく動いているようだが、具体的な居場所が掴めないせいで足並みが揃わない。
 コナーが、武装した数十人の人間を相手取って戦っているなんて信じられなかった。私の知っている彼は、優しかった。任務より人命を優先した。逃げる変異体を撃つことができず、葛藤に苦しむ姿を目にしたことだってある。そんな彼が、人間を……。

 未だ銃声は止まず、私の佇む温室内にいる男たちの数は徐々に減っていき、最終的には1人だけが残された。
 その男は何度も無線へ呼びかけるが、返事はない。緊張と恐怖が、砂に染み込む水のように、暗闇を染みて、じわじわと迫ってくる。男は首筋を伝うほどの汗をかきながら、肩で息をしている。背を丸め、小銃を抱きかかえるかのように両腕で持つその姿を見ていると、私も自分の脚が震え始めるのを抑えていられなくなる。
 コナーは何の為にここへ来るのだろう、と私は思う。植物園へ足を踏み入れた時点で、牙をむいた猟犬たちが彼の喉笛を噛み切ってやろうと飛びかかってきたはずなのに。それで彼にだって、罠にかかってしまったこと――私が彼を騙したこと――が分かったはずだ。なのに、彼はそのまま中へ入ることを選んだ。それは、なぜ?
 岩のように重い沈黙に、男は押し潰されそうになっている。とうとう銃声も聞こえなくなった。人の話し声も、足音すらも聞こえない。男は狂ったように無線のスイッチを操作している。カチ、という音の後に響くのは、意味をなさないノイズ音だけだ。
「なぜ、あれは……」
 男が私へ向きなおってそう言う。男は唾を飲み込み、唇を湿らせてから言葉を続ける。
「あれは君を助けようとしているのか?」
「……それは、私には分かりません」
「でも君はあれと――その、……関係があったんだろう?」
 歯切れ悪くそう述べる彼が、私とコナーのことをどう聞いているのかは知らないし、知りたくもない。私は視線を下へ落とし、会話を続けたくない意を示して見せた。のにも関わらず、男は切羽詰まった様子で距離を縮めてくる。彼の目は血走っている。
「オレを助けてくれないか」
「どうやって」
「どうやってでもいい!オレはあれに殺されたくない!」
 男の片手が、私の肩を掴んだ。反射的に身を引こうとする私の動きを封じるかのように、男の指はがっしりと私の肩に食い込む。
「頼む……」
 彼にも家族がいるのだろう、親や子や、友人がいるのだろう。だが、私に彼は助けられない。私は彼の手へ自分の手を重ねるがそれは、彼の手を引き剥がすためだ。
「あなたは勘違いしている。コナーが本当に私を助けてくれるのか、私には分からない。もしかすると彼は懸念材料を残したくないだけかもしれない」
 いつか私の存在が、コナーの足元を掬うことになるかもしれない。例えば、今のように。それならば、事前に排除しておこうと考えることもあるのではないだろうか。
 わななく男が目を剥く。引きつったまま固まっている彼の喉仏は、そこに何か言葉を留めている。恐怖と絶望と怒りの言葉を。
 す、と彼の背後から伸ばされた白い手が、その喉を掴む。男は短く呻いたが、抵抗する間もなく、それは終わる。男は糸が切れた人形のように、ぐしゃりと床へ崩れ落ちた。彼の顔はあらぬ方向を向き、見開かれたままの瞳が虚無を見つめている。
 私は、その動きを追って下へ降ろした視線を再び上へ上げることができなかった。身体が勝手に震え始めたのが分かる。場にそぐわぬ柔らかな声が、私の名を囁くようにして呼ぶ。
「ナマエ。大丈夫ですか」
 軽々と男の屍を跨いだコナーが、私に手を差し伸べる。私は半歩、後ろへ下がる。
「……どうして来たの」
 コナーは宙に手を浮かばせたまま、困ったような微笑を見せた。
「あなたが呼んだからです」
「でも、私は――」
「僕を騙した。裏切った。分かってますよ」
「じゃあどうして……」
「そうせざるを得ない状況だったのでしょう」
 私は視線を彷徨わせ、最終的にそれをダリアの花の上で止める。視界に入るその首の動きで、彼も同じ所へ視線を定めたのが分かった。
「僕のせいで、あなたの立場が悪くなってしまった。そのことに僕は責任を感じているんです」
 その口調には、本物の後悔が滲んでいるように思われた。私が顔を上げると、彼は眉尻を下げて、請うような目つきでじっと私を見つめてきた。あなたを憎んでいるわけではありません、とその瞳は訴えかけている。私が恐る恐る、コナーの手を握ると、彼が安堵のため息をこぼすのが聞こえた。
 そっと、彼が私の身体を引き寄せる。私は大人しくそれに従って、彼の腕の中へ収まる。今日、私たちの間に銃はない。だがなぜか、見えない隔たりが私たちを一つにはさせなかった。
「これからどうするつもりなの?どこへ行くの?」
 私は男の死体から目を逸らしながら尋ねる。きっと園のそこかしこに、同じものが転がっているに違いないと考えずにはいられないのに。
「どこへでも。あなたの望む所へ」
「私は……」




 家に帰りたい、とナマエは言った。彼女が何を望んでいるのかは分かるが、その願いが叶えられることはないだろう。植物園周辺の監視カメラには既に、まったく正反対の方向へ立ち去る偽の二人の姿を流してある。FBIが彼女の家を捜索に来るのは、その方角を散々探し回った後だ。
 翌朝までは、ここに居られるだろう、とコナーは思う。彼は窓の外の暗闇から室内へ視線を移し、奪還した女を眺める。シャワーを済ませたナマエは、思い詰めた表情でベッドへ腰掛けている。髪から水滴が滴ってその肩と膝を濡らしているが、そんなことに構う気力も既にないようだ。
 携帯端末を握りしめたまま手放そうとしない彼女の内なる葛藤を見透かしているコナーは、もう一押し必要そうだと冷静に考える。彼が隣へ腰掛けると、ナマエは怯えたようにびくりと身体全体を揺らしたが、コナーはそれに気を払わなかった。
「疑問に思わなかったんですか?」
 唐突なその質問に、ナマエは少しばかり驚いた様子でコナーへ目を向ける。コナーは同情的な表情を浮かべて見せた。
「あなた自身があそこに居る必要はなかった」
「……どういうこと?」
「僕をおびき寄せたいのだったら、FBIはあなたが居るという情報だけを流せばよかったんです。あなたが傷付いたり、今のように連れ去られるリスクを冒してまで、あなた自身をあの場所に置いておく必要は、なかったはずです」
 ナマエの瞳が狼狽を表わすかのように揺れる。コナーは畳み掛けるかのように話し続けた。
「捜査の主導権を握りたいFBIは警察が邪魔なんですよ。だから、スキャンダルが欲しい。例えば、ジェリコの変異体と現職の警察官の密会といった……」
 含みを持たせた言葉で話を打ち切ると、ナマエの動揺は激しくなった。彼女は携帯端末から手を離し、コナーの腕を掴む。
「じゃあ、私は」
「ええ。あなたは生贄だったんです。警察機関の不祥事を作り出す為の」
「そんな……」
 コナーはナマエの傍らに置かれた携帯端末を手に取るとそれを遠ざけ、彼女の震える両手を包みこむかのように優しく握った。
「だから、助けを求めても無駄ですよ」
 動きとは裏腹に、冷たさを帯びた声色でコナーがそう断言すると、ナマエは身体を強ばらせた。コナーは自身の心に住まう獣が舌なめずりをしているような感覚を抱く。彼は彼女の耳元に唇を寄せて囁いた。
「ナマエ。人間たちはあなたを見放した。今あなたのことを一番想い、あなたのために動こうとしているのは僕しかいないんですよ。あなたを助けられるのは、もう、僕しかいない」
 彼女の白い喉が、ゆっくりと上下する。コナーはそこへ喰らいつきたい欲求をなんとか抑え込む。
「どうしてそんなに、私のこと……」
「あなたに選んで欲しいんです。僕か、人間かを」


 ナマエは答えを出さなかった。
 今、彼女は眠っているが、それは睡眠というよりは気絶に近い。状況に耐えられなくなった精神が、現実逃避の方法として睡眠を選んだ結果だ。
 コナーはナマエのために浮かべていた微笑を消すと、ベッドから立ち上がり、無造作に椅子の背へかけてある彼女の上着を手に取った。そして胸元近くの内ポケットを探り、小さな発信器を見つける。それの発する微弱なシグナルは、近くに来なければ探知されることはないだろうが、逆を言えば、近くへ来た捜索者には彼女の居場所を確実に伝えることだろう。コナーはしばらく指先でそれを弄んでから、中を開き、回路の一部を破壊した。どこにも届かぬ電波を懸命に発していたそれは、息の根を止められて完全に沈黙する。そしてコナーはそれを元の通りに直し、再び上着の内ポケットへ滑り込ませた。
 明日の朝、ナマエはこれについて自ら打ち明けてくれるだろうか、とコナーは思う。それで彼女の本心を計ることになるだろう。コナーを選ぶか、人間を選ぶかの。彼女はコナーの言葉を信じ込み、全てFBIが仕組んだことだと思っている。ならばそのまま誤解していてもらわなくては。
 ベッドへ戻ったコナーはナマエの寝顔を覗き込み、独り言のように問いかける。
「どこまで追い詰めれば、あなたは人間と共にあることを諦め、僕を選んでくれるのですか」
 何も知らないナマエは、“本当に”自分を追い詰めた存在であるコナーの前で、無防備に眠っている。コナーは屈み込んでナマエの唇に自分のそれを重ねると、服の下の柔らかな肌へ手を這わせ、いつかは自分のものになるであろうその体温を楽しんだ。そして彼は、まあいいさ、と心の内で呟く。ナマエが人間の群れの中へ戻ってしまったら、また周りの人間を使って、彼女を追い詰めればいいだけだ。
 狼は獲物の上へ跨がり、晒された喉元へ牙を食い込ませた。


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