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短編|ブルー・ダイナーにて(3)

*『ブルー・ダイナーにて(2)』の続き




 ハンクが戸を押して足を踏み入れたそのブルー・ダイナーは、ちょうど昼食を終えた客が捌けた後らしく、いつもより一層閑散としていた。
 店員たちがのんびりとお喋りに興じているのを見るに、今日店長は不在なのだろう。暇を持て余した店員の一人が店の片隅で携帯端末を弄っているのを見て、ハンクは苦笑をこぼした。そして軽く店内を見渡して待ち合わせている相棒の姿を探し、さらに苦笑を深める。
 四人掛けのテーブル席にコナーは座っていた。その傍らには、ナマエが丸いトレーを抱えて立っている。コナーが何か言ったらしく、ナマエが声を上げて笑う。楽しく談笑する二人の横顔は微笑ましいが、コナーの表情がハンクには面白かった。いつもは周囲にアンドロイド然としたお堅い表情しか見せない男が今はどうだ、でれでれと甘ったるい表情で、目前の恋人を楽しませることに全ての能力を使っているような有様だ。幸せそうでなによりだよ、とハンクは心の中で呟き、その楽しい時間を中断させてしまうことを少しばかりすまなく思った。

「待たせたな」
 ソファの背に手を掛けつつ表れたハンクがそう言うと、コナーは慌てて緩んでいた目元と口元を引き締めにかかる。そんな彼をナマエはからかうように笑い、ハンクへ、先程まで恋人に向けていたのもとはまた異なる種類の微笑を浮かべた。
「こんにちは、ハンクさん」
「いつもこいつが邪魔して悪いな」
「邪魔だなんて。私はお喋りできて嬉しいですよ」
「それならいいんだが」
「僕はちゃんと話し掛けるタイミングというものを心得ていますよ」
 失礼な、とでも言いたげに口を挟んできたコナーに、ハンクとナマエは揃って笑い声を上げた。
「それで、もう出発ですか?なにか注文されます?」
「いや……」
 ちらりと見やったコナーが激しく首を横に振ってみせるので、ハンクは続ける予定だった言葉を変えた。
「いや、そうだな、食ってくよ。いつもの――」
 メニューに手を伸ばすハンクをナマエは遮る。
「いつもの、で大丈夫ですよ」
 そしてぱちんとウインクをしてみせるナマエに、ハンクはどこか既視感を覚えた。


 ホールへ注文を伝えにいったナマエの背中へ熱っぽい視線を送っていたコナーは、ハンクがにやにやしながら自分を眺めていることに気が付いて姿勢を正した。そしてネクタイをぎゅっと締め直し、緩んでいた口元も再びぎゅっと一文字に締め直す。そんなコナーに、今更だぞとハンクは言ってやりたかったが、それよりも早くナマエが料理を運んで来たので、コナーの口元はまた、紐がほどけるかのように緩んでしまったのだった。
 コーヒーとパンケーキがハンクの“いつもの”メニューだった。出てくる早さからしてコーヒーは作り置きのものだろうし、コナー曰くパンケーキは冷凍のものらしいが、どちらも味はそう悪くなかった。
 ハンクはいそいそとフォークとナイフを手に取り、しかし、パンケーキの上にいつも申し訳程度に乗っているだけのバターが、今日は二倍はありそうな塊であることに気が付いて、思わずナマエを見やった。ナマエは得意げに片方の口角を持ち上げる。
「常連さんへ、私からのサービスです」
「ああ、そりゃどうも」
 つい癖で、ぶっきらぼうにそう返すハンクにコナーは不満げに眉を顰め、ナマエへ向き直る。
「ハンクに代わって、お礼を言わせて下さい。ありがとうございます」
 きりりとした真面目な顔を作ってそう言うコナーに、ハンクは肩をすくめた。そんなコナーへナマエはお馴染みのいたずらっぽい笑みを浮かべると、少しばかりコナーの方へ屈むようにして身を寄せた。
「あなたにも、何かスペシャルなサービスをできたらいいんだけど」
 囁くようにして告げられた言葉の「スペシャル」の部分は幾分か強調されているようにハンクは感じた。彼女の恋人であるコナーはそれをハンクの何倍も過敏に感じとったらしい。一瞬ひどく間の抜けた顔をしたかと思うと、慌てた様子で手をわたわたと動かした。
「え?ぼ、僕は大丈夫です。サービスは、なくても……」
 大丈夫では全くなさそうな声色でたじたじと辞退するコナーに、ナマエは「そう?」と首を傾げて見せにっこりと微笑んだが、コナーの過剰反応で自分の言動に若干の羞恥を覚えたらしく、その頬はうっすらとピンク色に染まっていた。
「それじゃ、お仕事、頑張ってね」
 そう言い残し、ナマエはブルーの制服の裾を翻して立ち去ったが、ハンクの死角で何かコナーにして見せたらしい。目で彼女を追い続けていたコナーは、また嬉しそうな表情を浮かべて小さく手を振った。
 それとパンケーキの上で溶けつつあるバターを見比べて、今のこいつの顔はこのバターみたいだな、とハンクは思うのだった。


 そうしてハンクはコーヒーを飲み干し、パンケーキを食べ終わると、放っておけばこの店に居着きかねない相棒を立ち上がらせてレジへ向かった。
 レジには二人、店員がいた。片方は今日のレジ係で、もう片方はナマエだ。ナマエが「いい?」と尋ねると、レジ係の店員は「しょうがないなー」と面白がるような声色で返して、その場所と業務をナマエへ譲った。ちなみに、今日のレジ係はいつもコナーのことを「ナマエの彼氏くん」と呼ぶ店員だったが、コナーはそう認知されることを嫌がってはいない様子だった。

 ナマエが金額を告げる。ハンクは支払う。現金払いにしか対応していない古風なレジを扱うナマエの手元を見ながら、何のためにわざわざ変わったんだ?とハンクは疑問に感じていた。もしもここが電子通貨に対応していたのなら、それ関連の支払いをハンクから一任されている――押しつけられている、とも言う――コナーが支払いをして、そこでまた二人は言葉を交わす機会もあったかもしれない。だが違う。ナマエは釣りの硬貨を数えていて、コナーはハンクの後ろでそんなナマエがこちらを見てはくれないかと気をもんでいる。
 レジが微かな音を立てて、印刷したレシートを吐き出した。ナマエはそれを切り取ると、胸元のペンを取って素早くその裏に何かを書き付けた。そして再び印字面を表へ向け、ハンクではなく、コナーへ差し出す。意味深な微笑みと共に。
 疑問符を浮かべながらそれを受け取ったコナーはすぐにでもその裏面を確認したい様子を露わにしていたが、タイミングの悪いことに次の会計客がやって来てしまったので、速やかに、彼らへレジ前とナマエを譲った。
 店の戸口をくぐりながらコナーはナマエを振り返ったものの、一店員として真面目に接客に当たるナマエにはそれへ反応を返す余裕がなく、コナーは悲しげな様子も露わにブルー・ダイナーを後にした。

 ダイナーからハンクの車へ向かう道、いつもはハンクの隣へ並んで歩くはずのコナーが、今は半歩遅れてついて来ていた。何度かブルー・ダイナーを振り返るその様子に、まるで、あの店に見えない紐で引っ張られてるみてぇだな、とハンクは思う。
「しゃきっとしろ。毎回、この世の終わりみたいなお別れを楽しめるわけじゃねえぞ」
「わ、分かってますよ」
 ハンクがからかいと呆れの混じった文句を投げつけてやれば、コナーは視線をダイナーからぐいと逸らし、改めて、手の中の紙切れへ向き直ったのだった。

 車の電子鍵を解錠している横にぬっとコナーが並んできたので、ハンクは思わず息が止まりそうになった。だがコナーはそれを気にする様子もなく、どこか期待に満ちた眼差しでハンクを見る。
「今日の捜査、18時までに終わると思いますか」
「……お前が真面目にやればな」
 急な質問にハンクがそう答えてやれば、コナーは力強く頷きを返し、先程ナマエから受け取ったレシートを丁寧に折りたたむとポケットへ仕舞った。印字面へ薄く透けていた手書きの文字はもちろん“18時”で、それに何という言葉が続くのかハンクには分からなかったが、何を意味しているのかはよく分かった。
 車にそそくさと乗り込む、さっきとは一転して俄然やる気に満ちているコナーを眺め、ハンクは自分に素直な奴めと苦笑した。




 車内のデジタル時計は、今がまだ一応は17時であることを告げていた。
 捜査の間中、コナーはとにかくハンクを急かしたが、コナーの気持ちが分からないでもないハンクはそれに応じて、手早く仕事を片付けることに協力してやった。そして二人が再び乗り込んだ車内の時計はもう少しで18時になりそうで、ハンクはコナーに急かされるよりも早く、車を発進させた。
 分を表わす数字の、十の位が切り替わった。コナーはそれと車外を交互に眺め、ややためらいながら口を開く。
「あの、ハンク、お願いがあるのですが、車でこのまま――」
 いつ彼が切り出すだろうかと考えていたハンクは、その控え目なお願いに口角を上げた。
「もう向かってる。ブルー・ダイナーだろ」
「な、なんで分かったんですか?」
「刑事の勘ってやつだな」
「なるほど、これが、刑事の勘……」
「というのは嘘だ。お前を見てりゃ嫌でも分かるからな」
 「しょうもない嘘をつかないで下さい」と憤慨するコナーに笑い声を返し、ハンクはダイナーの前で車を停めてやった。もちろん、その前では制服から私服に着替えたナマエが待っている。コナーが来るのを。そしてコナーは車を降りて駆けて行き、ハンクはその背を見送った。
 遠ざかるその姿は、ハンクに昔の自分自身を思い出させた。別れた妻が、まだ恋人であった頃の彼の姿を。そして同時に、息子の姿を見ているような気持ちを抱かせもした。こいつを恋人の元へ送ってやる日が来るなんてな、とハンクは呟き、少しばかりの寂しさを覚えた。
 と、不意にコナーが振り返って、ハンクに手を振った。見送るハンクの存在に気が付いたナマエもそれに合わせて小さく手を振る。
 それに振り返してやりながら、俺の今の顔はあのバターみたいに溶けているんだろうなと思い、まあそれも悪くないか、と感じるハンクなのだった。


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