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03

 美しい庭園に、コナーはいた。デトロイトに連日降り続いている雨とは無縁なこの空間で、バラの手入れをするアマンダと調査の進展について会話を交わした後、不意に思い出したかのようにアマンダが問いかける。
「ミョウジ刑事とは関係を回復できそうなのですか」
「いいえ……彼女は以前の問題を未だ処理し切れていないようです。ですがそのことでアンダーソン警部補が私に同情的になっています。彼とならば、任務も進めやすいかと」
「そうですか、分かりました。このままミョウジ刑事があなたに敵対的行為を続けるのなら、担当から外してもらうようこちらから働きかけましょう」
 大輪のバラが一本、二本と切り取られていく。そのうちの何本かは、彼女の手から滑り落ちて、地面に花弁を散らす。
「……ええ。その方が彼女にとっても良いことかもしれません」
 コナーがそう答えるまでに、若干のラグがあったことには誰も、彼自身すらも気が付かなかった。


 ナマエは自宅で短い睡眠を取った後、署まで車を走らせていた。今時、この交通機関の発達したデトロイトで車を所有する人は少ない。彼女はハンクのように前時代への愛情の延長として車を愛するタイプではないが、自分だけの個室として車を気に入っていた。職場まで車を走らせるこの時間が、最近では彼女の唯一の息抜きの時間となりつつあるのだった。
 そして同時に車は思い出深い場でもあった。彼女がサイバーライフに一時身を寄せ、コナーの教官として働いていた頃、彼女はなにかと理由を付け、コナーをこの車で会社の外へと連れ出していた。公園、レストラン、美術館、あるいはただのショッピング。だがとうとう最後まで彼女がコナーを自宅へ招く機会は訪れないままだった。
 最初は身の振り方が分からない様子だったコナーもしだいに勝手を飲み込んでいき、好奇心にあふれた視線であたりを見渡していたものだったと、ナマエは懐かしく思い、例えばこの公園……と、通り過ぎた公園へちらりと視線を送る。今はほとんどの木がその葉を落とし、雨に濡れて寒々とした様相を呈しているこの公園も、あの頃はまだ夏の暑さを抜け出せずにいた。並んで歩きながら交わしたのは、他愛もないお喋りで、コナーが、私がアイスを食べるところを見たいとしつこく言ってきたのを思い出す。それで、実際食べて見せたんだったな、と信号に捕まったナマエは微かに表情を和らげた。その後車に戻って……と思い出をたぐり寄せ、同時に嫌な記憶も思い出してしまった彼女ははあとため息をつく。あの新しいRK800……。

 あいつはなんと言ったか?あれは、立ち会わせてもらえることになった現場に向かう途中、この公園の側を今のように通り過ぎた時のことだった。私の助手席で、コナーが座っていたシートで、コナーと全く同じ顔で、声で、『ああ、この公園、あなたと歩いたことがありましたね。あなたは下らないことをずっと話していた』と言ったのだ。彼が、コナーが言っているみたいだった。その時のことを思い出して、ナマエは嫌悪感に身震いした。実際、あいつはコナーとして振る舞っていた。
 確かに、あの時のやりとりは任務には関係のない会話だったけど、私には意味のある会話だった。と、ナマエは改めて公園でのひとときを思い返す。少なくとも並んで歩く男女には必要な会話をしていたはずだった。コナーもそう感じていると思っていたのだ。だが、“新しいコナー”がそういうことを言って、ナマエは怖くなった。あの時のコナーもそう思っていたのか、それなのにそうでない風を装って付き合っていたのか、それはナマエが教官だから?それとも、“新しいコナー”から見てそう思うだけなのか、ナマエには区別がつかなかったからだ。その上、“新しいコナー”はそう言った後、ナマエをじっと見つめてくるのだった、ナマエの反応をつぶさに観察していることを隠そうともせずに。その度にナマエは考えた――こいつは私がコナーとやったすべてのことに罪悪感を覚えさせようとしているのか、と。それ以来、彼女は“新しいコナー”を車に乗せるのをやめた。


 コナーが署に着いた時、ナマエは既にデスクに向かっていた。二つ向かい合うようにして並べられたデスク、それに平行になるようにしてくっつけられたデスクが、彼女の新しい作業場のようだった。
 口を開けたままの段ボールがデスクの上半分を占拠しているにも関わらず、ナマエは端末に何かを入力するのに忙しい様子で、コナーが横に立っても、顔を上げようとすらしない。
「おはようございます、ミョウジ刑事」
 彼女はコナーの方を向きはしたが、コナーの期待した挨拶は返ってこず、代わりにコナーへ寄越されたのは鋭いひと睨みで、それは話しかけるなという彼女の意思表示だった。しばらくコナーはハンクの私物を解析して時間をつぶしていたが、思ったよりもハンクの出勤が遅いのもあって、早々に手持ちぶさたとなり、再びナマエへ話しかけた。
「ミョウジ刑事、変異体の情報を共有しませんか」
「嫌」
 ナマエは端末へ向けた顔を微塵も動かさずに即答するが、コナーも頑とした態度で譲らない。
「そういった非協力的な態度をとられますと、サイバーライフとしても、あなたをこの捜査の担当から外すよう、働きかけなくてはならなくなります」
 すぐ横へやって来て、淡々と事実を述べてみせるコナーに、ナマエは長々とため息をついた。
「それは私にとっては嬉しい知らせね」
「ミョウジ刑事、私はそんなに早急に物事を判断するつもりはありません。あなたはいい捜査官だ。あなたを失うのはあまりにも惜しい」
「サイバーライフの貴重なご意見をどうも」
 皮肉に満ちたとげとげしい言葉を返しながらも、ナマエは横目でコナーを見る。その反応を好機だと捉えたコナーはかがみ込み、デスクに片手を付いてナマエの顔をのぞき込んだ。ナマエは嫌そうに眉間へしわを寄せたものの、コナーを突き飛ばしたりなどはせず、ただ、彼が何をするのかと身構えていた。
「これは私の意見でもあるんです。ここであなたと別れてしまえば、もうあなたと会うこともないでしょう。ですが、私はあなたから学ぶべきことはまだ沢山あると考えているんです。その機会をこんな形で失ってしまうなんて、私は、私は……」
「嘘つき」
 そう言ってナマエはコナーのこめかみのLEDをピンと指で弾いた。彼女はそれがずっと青色のまま回るのを見ていたのだ。
「動揺した振りなんかしないで。本当に思ってなんかない癖に」
「すみません、こうした方が、あなたが親近感を覚えるかと思いまして」
 コナーはすっと背筋を伸ばす。遠ざかるブラウンの瞳を、ナマエは睨み付けた。
「……あなたのやることは全部模倣か演技なの?」
「演技?語弊のある表現です。私はただ、場に相応しいと思われる行為を選択しているだけです」
 平然とそう言うコナーに、ナマエは怒りよりも諦めと無力感を覚えた。
「お?今日はこいつを殴んねえのかよ」
 会話に割って入ってきたのはギャビンだ。どうやら途中から二人のやりとりを見ていたらしく、腹立たしくなるニヤニヤ笑いを絶やそうとはしない。
「いつもこいつを殴ってストレス発散させてんだろ?俺にもやらせろよ」
 拳を握り腕を振って、殴るふりをして見せるギャビンに、面倒なのが増えたと眉間のしわを更に深くしつつ、ナマエは宥めようと口を開いた。
「ギャビン、私はただ彼とは個人的なトラブルがあって……」
「はっ!彼、ねえ」
 ギャビンはナマエの発したその一単語をわざとらしく鼻で笑って、噛みつくかのようにコナーへ顔を近づける。
「立場をわきまえろよ、このプラスチック野郎。お前は、ただの、機械だ」
 強調するかのように言葉を区切るギャビンに対し、コナーは無言で立ったまま、眉ひとつ動かそうとしない。
「腹立たしい野郎だ」
 そう言って踵を返し、立ち去ろうという気配を見せたのは一瞬だけで、ギャビンは素早くまた振り返り、完全に油断していたコナーの腹部に拳をめり込ませた。コナーは短いうめき声を上げ、床へ崩れ落ちる。
「コナー!」
 ナマエは慌てて椅子から立ち上がり、うずくまってしまったコナーの背に手を当てた。
「大丈夫?」
「おい、ナマエ。そいつは機械なんだぜ、大丈夫に決まってんだろ。心配なんかすんなよ」
「ギャビン!」
 おそらくこれは昨晩ナマエに殴られた腹いせでもあったのだろう。ギャビンは来たとき同じ嫌な笑いを浮かべたまま、今度は本当にその場を後にした。

「立てそう?」
 ナマエはそう尋ねながら手を差し出す。コナーはそれを支えにゆっくりと立ち上がった。
「一時的に、シリウムポンプへのシリウムの供給が滞っただけです。心配には及びませんよ、彼の言った通り、僕は機械なんですからね」
 再び背筋を伸ばしたコナーがナマエと視線を合わせると、その瞳は心配そうに揺れていた。だがそれも数秒のことで、彼女ははっと気がついたかのようにコナーの手を離すと、ばつが悪そうに顔を伏せた。
「……そうね」
 短くそれだけ言って、また端末へ向かい合ってしまった彼女の悲しげな横顔を見て、その時初めて、コナーは自分が間違ったことを言ってしまったのだろうかという微かな不安を覚えたのだった。


 ようやく出勤してきたハンク共々、ナマエとコナーはファウラーのオフィスに呼び出された。
 ファウラーとは古くからの仲であるハンクがデスクにすがりついて泣き言をこぼす傍ら、一応は階級を重んじているナマエはコナーと同じぐらい行儀よく佇んでいたが、ファウラーの血も涙もない一言にその姿勢を崩した。
「それからナマエ、お前が10分ごとに俺の端末に送りつけてくる嘆願書だが、全部却下だ。こんなことで時間を無駄にするな。」
 はあ?と声には出さないものの、全力でそう言いたげな表情をしてみせるナマエに、ファウラーは大きなため息をつく。
「まったく、お前を他の課に引き抜かれるぐらいならと思って泣く泣くサイバーライフに送り出したが、こんな問題児になって帰ってくるとはな。だが、おまえはハンクの御し方も知ってるし、このアンドロイドの扱い方も分かってる。いいか、おまえがこいつらの防波堤になるんだ。そして問題を外に持ち出すんじゃない。いいな?」
 ナマエは全く納得しなかった。お言葉ですがファウラー警部から始まる彼女の反論は恐ろしく長く、それに対する反論を述べる前に、ファウラーはハンクとコナーを部屋からシンプルな動作、つまり視線を二人からドアへ移すという一工程で、追い出した。そして始まったナマエとファウラーの言い争いをガラス戸の向こうに閉じ込めて、ハンクはコナーと共にデスクへ向かった。

 同僚と親好を深めるというプログラムでも働いているのか、雑談を持ちかけてくるコナーに答えてやりながら、ハンクはコナーのデスクの上にぽつんと置かれた小さくて黒いメモリーカードに目を留めた。
「そりゃなんだ?お前差込口でもあんのか」
 いいえ、とコナーは即答する。
「前任者からデータを移す際に、余計な部分をこれに移したんです。不要なデータを取り除かないでおくと、エラーの原因になりかねませんから。ミョウジ刑事との関係の回復に必要になるかと思い、外部記憶装置に取っておいたのですが……どうやら不必要なようですので、処分しようかと」
 そう言って、コナーはその小さな記憶装置を指でつまみ上げ、もう片方の手でゴミ箱をたぐり寄せる。そのコナーの顔があまりにも無表情なことが逆に気にかかったハンクは慌ててそれをやめさせた。
「まて、それは俺が引き取る」
 唐突なその提案に、ハンクには、コナーが一瞬きょとんとしたような気がした。だが、次の瞬間にはもういつものつかみ所のない表情へと戻って、コナーはハンクのデスクへそのメモリーカードを置く。受け取ったハンクはそれを自分の端末へ差し込んだ。ナマエは未だファウラーと言い争っているようで、コナーの方はデスク上の端末にアクセスし、変異体のファイルに目を通し始めた。

 画像データと、動画データ、それに個人の端末ごときでは再生できない、いくつかの巨大なデータがあった。アンドロイドとはいえ、他人の記憶そのものをのぞき見ることにハンクは若干の後ろめたさを覚えつつも、画像データに目を通す。その何枚か……いやそのほとんどすべてがナマエの写真だった。ずらりと並んだそれらの中から適当な一枚をハンクは表示する。何を見ているのか、真剣な表情で腕を組んでいるナマエの横顔。次の写真では、その撮影者、つまりコナーの存在に気がついたらしいナマエが、一枚前とは打って変わって満面の笑みを浮かべている。他の写真も、だいたいがナマエの笑顔だった。どれもまっすぐで明るく、幸せに満ちている。それは彼女とは長い付き合いであるハンクですらなかなかお目にかかれない、心からの笑顔で、こんなものを自分に向けられた日には、データとして保存してしまうよなとハンクも思わず心の内で同意してしまった。何枚か、ナマエの寝顔や、明らかに同意を得て撮影されたものではなさそうなプライベートな写真もあったが、ハンクはそれらを見なかったことにして、動画を再生した。
 どこだろうか、まぶしい日差しの中を二人で歩いているようだ。隣を歩くコナーの影がナマエに被っているが、その顔を見上げているらしい彼女の瞳は輝いている。一度だけ確認するかのように、撮影者たるコナーの視線が、二人の繋がれた手に落とされる。
『早くあなたをハンクに会わせたい!ハンクはアンドロイドを嫌ってるけど、あなたを知ってもらえれば、きっと考えも変わるはず』
 端末に差し込んだヘッドフォンを通して聞こえるナマエの声は楽しげに弾んでいる。
『僕はあなたにだけ評価してもらえれば、それでいい』
 柔らかな口調でそう返す声は、なぜだろうか、ハンクの知るあのコナーと同じ声だというのに、受ける印象が全く異なった。
『いつそんな言葉覚えたの、コナー』
『自発的な……出力です。よくありませんでしたか?』
『そんなことない、けど、その……』
『頬が赤いですね。あなたは分かりやすい』
 確かに頬の赤いナマエをからかうように言う声、撮影機そのものであるそのコナーの視線の動き、ピントの当て方、あるいは画面に映り込んでいる彼の手、その動き。それら全てから、ハンクは久しく触れることのなかった感情をひしひしと受けとって、思わず目頭が熱くなるのを感じた。

 俺も涙もろくなったもんだと言い訳のように一人呟き、ハンクはメモリーカードを引き抜いた。
「おい、ほんとにお前、これを捨てるつもりだったのか?すごく大切なもんだと俺は思うがな」
「私には、重要なものではありません」
 ハンクの予想した通り、コナーの返事は淡泊なものだったが、意外なことに、しかし、という続きがあった。
「前任者はミョウジ刑事の存在を重要視しているようでした。おそらく、彼女が教官だったためでしょう」
「……おそらく、か。自分のことなのに分からねえみたいな口ぶりだな?」
 ハンクは皮肉を込めたつもりだったが、目前のアンドロイドにそれは通じなかったようだった。
「前任者の行動には不可解な点が多いんです。特にミョウジ刑事に関しては、非合理的な決断を下すことが多すぎる。私には理解できない」
「お前それはな……」
 ばっさりとそう言い切るコナーに、ハンクは先ほどの動画から感じたあの感情の名を教えてやろうかと悩んだ。しかし彼自身それを口にするような柄ではないという自負もあり、口ごもっているうちに、長い話し合いを終えたらしいナマエがまったく納得できていない様子で二人のデスクへ戻ってきた。
「で、どうだった?」
 返ってきたのは、ファックサインだけだった。行儀が悪いぞとハンクが茶化しても、ナマエはむっつりと黙り込んだままで、そこに空気の読めないコナーが声をかける。
「アンダーソン警部補、ミョウジ刑事、まずはこの事件から当たってみるのはいかがでしょうか」
 おいおいそんな調子じゃまたナマエに嫌われるぞと口を挟みかけたハンクだったが、思いがけないことに、ナマエは大人しくコナーの背後からその端末をのぞき込んだ。なんだかんだ言っても、彼女は自身に与えられた仕事をこなす気はちゃんとあるらしい。それか、いいかげん、冷たい態度を取るのに疲れてきたかだな、とハンクは推測し、自身の手の中にあるメモリーカードへ視線を向けた。これをナマエへ渡すことはたやすく、ナマエもそれを望んでいるだろう。だがそれをすれば、ナマエがこの記憶から抜け出せなくなるのは確実だ。時に愛という感情は人を癒やしもするが、人を捕らえて前へ進めなくさせるのもまた愛である。“コナー”にチャンスをやってもいいんじゃないかと、ハンクはナマエに事件の概要を説明している“コナー”を眺め、その目に見えぬ感情を秘めたそれをデスクの引き出しへ仕舞った。


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