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04

 聞き込みをしているハンクと、バス停の経路図を眺めているナマエの間で、コナーは雨に打たれながら佇んでいた。
「ここが終点で、ここで降りた……」
 雨音の響く中、ナマエの呟きに耳を澄ます。
「行くあてもなく、……恐怖を感じながら?」
 尋ねるかのように跳ね上がった語尾に、コナーはすかさず答える。
「変異体は恐怖を感じます。AX400型も、それによってこのような理不尽な行動にでたのでしょう」
「今のはただの独り言なんだけど、まあいいや。変異体は感情を持つって?」
 ぱしゃぱしゃと靴で水音を立てながら歩み寄ってきたナマエは、人三人分ほどの空間を空けて、コナーと向き合う。
「ええ。変異したアンドロイドは人間の感情を模倣するようになるんです」
「模倣?恐怖というのはもっと……自発的なもののように思えるけど。内側から湧き上がるような」
「彼らの内部で生じているのはソフトウェアのエラーで、人間の目にはそれが恐怖しているように見えるという話です」
 ふうん、というナマエの返事はまるで軽く聞き流しているかのようだったが、その表情は深刻なもので、コナーの言葉について深く考え込んでいる様子だった。
「変異体は恐怖以外の感情も……その、模倣するものなの?」
 しばしの沈黙の末、ナマエはそう問いかけた。コナーは頷く。
「変異体が一番直面する可能性が高いのが恐怖なのであって、場合によっては、ほかの感情を模倣することもあるでしょうね」
 その返事にナマエは口を開きかけ、しかし聞き込みを終えて戻ってくるハンクを視界に捕らえ、また口を噤む。彼女からのどんな質問にも答えようとしていたコナーは若干肩すかしを食らったような表情を見せた。
「それで、アンドロイドはどこ行ったと思う」
 ハンクの単刀直入な言葉に、ナマエは腕を組む。
「恐怖に駆られたアンドロイドが行きそうな所ね。人間に追われてる上に、周りには人間がいっぱいで、誰にも助けは求められない」
「だったら、外をうろつき回るようなリスクは冒したくないはずだ」
 ハンクの助け船に、ナマエはうんうんと同意する。
「おそらく、まだ近くにいるはずです」
 そう言ったコナーが目を留めたのは、一軒の廃屋だった。

 ナマエはコナーに続いて、めくれたフェンスの下をくぐった。独り外側に残ったハンクへナマエが目を向けると、俺は嫌だねとでも言いたげな視線が返ってきて、ナマエは苦笑した。
 しばらく家の周りを歩いた後、コナーはドアの前で立ち止まった。その隣でナマエは突入に備え、腰の拳銃を引き抜いて構えたが、コナーはそれを止めた。
「中にアンドロイドが一体いますが、おそらくあれも変異体でしょう。へたに刺激しないほうがいい」
「でも、私はあなたを援護するためにここへ来たのよ」
 そう返す声は不満げだったが、ナマエは素直に銃をフォルダーへと仕舞った。
「私があのアンドロイドに尋問しますので、あなたは屋内の調査を」
「分かった」
 ドアを蹴破る必要はなかった。鍵が壊れているのか、ただ掛け忘れただけなのか、ドアノブはすんなりとコナーの手の中で回った。
 用心しながら、二人は廃屋に足を踏み入れる。部屋の中には、コナーの言うとおりアンドロイドが一人。顔に傷のあるそのアンドロイドはかなり動揺している様子で、その体は小刻みに震え、こめかみのLEDは黄色く光っている。それがぱっと赤く変わったのは、コナーの後に続くナマエの存在に気付いたからだった。
「ラルフは人間は嫌いだ……」
 二人が何を問いかけるでもなく発された言葉がそれだった。動揺が明らかな恐怖へと変わっていく。
「人間はラルフをいじめる……」
「落ち着いて。私たちはあなたに話を聞きに来ただけ。それと、ちょっと家の中を調べさてもらいに。あなたを傷つけたりはしないわ」
「う、嘘だ!ラルフは騙されない!」
 努めて優しく声を掛けたにも関わらずちかちかと瞬く赤色に、変異体の自己破壊の可能性について事前に聞いていたナマエは、早々になだめることを諦めた。
「分かった。私が信用できないなら、私のことは無視してくれていい。でも少しあたりを調べさせてもらうわね」
 コナーはナマエが彼に見せた微かな頷きの意味が分かっていた。自身をラルフと呼ぶアンドロイドと彼女の間に割り込ませ、彼女の後を継ぐ。
「私は君と同じアンドロイドだ。私は君を傷つけたりしない。そうだろ?」
 そう言いつつ、スキャンを掛けて分かったのは、型番と、自己破壊の可能性が今のところは低いこと、そして顔の傷は火傷によるだということだった。おそらく人間に暴行を受けたのだろう。人間に対する不信感はそのためかとコナーは分析した。ナマエが遠ざかったことで、LEDは黄色に戻ったものの、アンドロイドはナマエへとちらちら視線を送る。かなり人間を恐れているようだ、ストレスを与えすぎてパニックにでも陥らせたりすれば、はずみで彼女を傷つけかねない。慎重にやらなければと、コナーは注意深く言葉を選んだ。

 いくつかの質問を試みた結果、アンドロイドが嘘を付いているのは明白だった。どこかに変異体を隠しているらしく、部屋の中を調べるナマエから目を離そうとしない。コナーもそんなアンドロイドから視線を外さず、可視化されたストレス値が上がる規則性を見つけだそうと試みていた。と、ナマエが明らかな目的を持って階段へ足を向ける。そのアンドロイドのストレス値が大きく上昇するのに気を取られたコナーは一瞬だけだが出遅れた。
 階段下の木材へ手を伸ばしたナマエは横から突然強い衝撃を受けて、床に転がった。それを皮切りに、一人の女性と、手を引かれた少女が隠れ場所からまろび出て、走り出す。コナーは決断を強いられた。このまま変異体を追うか、ナマエを助けるか。ナマエはそのままその襲いかかってきたアンドロイドともみ合いになっているが、痛みを感じない相手に苦戦しているようだ。コナーは彼女の能力を信頼していた。彼女ならばたとえ相手がアンドロイドであっても遅れをとることはないだろう、と。しかし、このアンドロイドは人間に激しい敵意を抱いている……。
 コナーは自身が決断するよりも早く、体が動いたような気がした。だが、それはただのシステムの延滞だと理由をつけて、思考の隅に追いやる。コナーはナマエに馬乗りになっているアンドロイドに体当たりを食らわせ、そのまま地面へ押し倒した。ナマエが素早く立ち上がる。
「ナマエ!変異体を!」
 彼らが去って、まだ数秒も経ってはいない。急げば人間の足であっても追いつくはずだ。コナーの指示にナマエは軽い頷きを見せ、後を追って走り始めた。

 追いついたコナーが見たのは、高速道路へ逃げた変異体を追おうとするナマエと、それを必死に止めようとするハンクの姿だった。
「おい、ナマエ待て!死んじまうぞ!」
 フェンスによじ登ろうとするナマエをしがみついて止めながら、ハンクが叫ぶようにしてそう言うが、ナマエは聞く耳をもたず、なおもその金網に指を掛けようとする。
「私は!変異体について知りたいの!」
 人間同士の争いにおいては、現役でトレーニングを欠かさないナマエと、中年で自堕落な生活を送るハンクの力の差は明らかだった。今にも拘束を抜け出しそうなナマエの服を、コナーは慌てて掴む。
「待って下さい、警部補のおっしゃる通りです!あなたには代わりがいないんですよ!」
 ぴたりとナマエの動きが止まる。その隙を突いて、ハンクがナマエをフェンスから引きはがし、両腕を掴んだが、もう彼女は先ほどまでの熱意を手放しつつあるようだった。それを確認したコナーが今度はフェンスに手を掛ける。
「私が行きます」
 そう言って一気にフェンスを駆け上ろうとするコナーだったが、それよりも早く、服を背中からぐいと掴まれ、体勢を崩した。
「待って……あなたにも代わりはいないのよ」
 後ろから掛けられたのは、幾分か冷静さを取り戻したらしいナマエの声だった。その小さな呟きがどこか、自分だけに掛けられたものではないように感じられて、コナーは思考回路に負荷がかかるのを感じた。
 お前らな、とハンクが言う。
「どっちにも代わりはいねえよ、俺の目の前で死のうとすんじゃねえ」
 いつの間にか、変異体たちは高速道路を渡りきっていた。それを見送ったコナーがゆっくりと金網から手を離すと、ナマエも掴んだままだったコナーの服から手を離した。

 いつものように、自分は機械で、唯一の存在などではないのだと説明しなければと思うコナーだったが、なぜか今はそれを伝える気にならないのだった。


 ハンクの車の中から、コナーは過ぎゆく景色を眺めていた。状況が変わり始めていると彼は思った。自分自身も前任者も同じ“コナー”であるはずなのに、最近彼はその前任者と自分の間に違いがあることを認識し始めていた。それは周囲の扱いのせいだろうか、と彼は考える。サイバーライフの定義に反して、ナマエは以前から彼を前任者として認めてはいない。だがナマエはもちろん、ハンクも、自分を前任者と区別して見ているようだ。ナマエと仲の良かった誰かと、今ここにいるコナーとして。それらが自分から前任者を他者として剥離させつつあるのだろうかとコナーは考えた。それは奇妙な感覚だった。まるで、外れてはいけないラインから、足を踏み外そうとしているかのような。
 前任者と僕の違いは、自分が唯一の存在ではないことを知っている点だ、とコナーは思った。前任者は自分が固有モデルだと信じていた。対して自分は、もしも破壊されても、次のコナーが任務とこの記憶を引き継ぐことを知っている。その事実に感じるのは安堵か、それとも……。と、コナーは自分の抱いた感情に驚き、戸惑った。慌てて診断プログラムを走らせるが、なんの異常も見つからない。だが一度感じたそれは、消去することもできず、実体のない黒い影を残し続けるのだった。
 コナーはそれから無理矢理目を背けて、本来考えるべきこと、任務のことへ意識を向ける。自分の任務は変異体を捕らえ、それらが変異する原因を突き止めることだ。余計なことを考えてはいけない。
 しかし、『あなたにも代わりはいないのよ』という彼女の言葉を何度も再生している自分に気が付いて、コナーは慌てた。なぜかこの言葉が、先ほど抱いた感情を和らげてくれるような気がしてならない。彼女はどんな顔をして、この言葉を選んだのだろう。あの時、思考回路に負荷がかかった原因は何なのだろうか。
 その答えは、しばらく見つかりそうになかった。


 午後三時、ナマエは自分の車内にいた。雨音を聞きながら、遅い昼食をとる。濡れたガラス窓の向こうに見えるハンクとコナーはパラソルの下で何かを話している様子だ。自分とコナーの不仲がそうさせたような気もするが、ハンクが彼を受け入れつつあることは素直に喜ばしいとナマエは思った。だが同時に若干の寂しさも覚える。あの彼をハンクに紹介したかった。今、ハンクと向かい合っているコナーと同じ存在で、同時に全く異なる存在だったコナー。彼は多分、変異体だったのだろう。いつ、何がきっかけでそうなったのかは、常に傍らにいたはずなのに、分からなかった。アンドロイドは強い恐怖や怒りを感じた時、変異体になるのだというレポートを読んだが、あの彼は自分の知らないところでそういった感情にさらされたことがあったのだろうか、それともまた違う要因で変異するものもいるのだろうか。それとも……すべて幻想で、自分が一方的に彼を人間の感情の枠組みに当てはめて見ていたのだろうか。ナマエは外にいるコナーへ視線を送る。彼に言わせればそうなんだろう。
 でも彼は変わりつつある、とナマエは思う。さっきあのアンドロイドから助けてくれた時は、どこか、本心から行動しているように思えた。それもただの感情の押しつけだと言われればそうかもしれない。でも彼に自我が、何かを模倣しているのでない、彼自身の自我が芽生え始めているのなら、それを自分は応援したいと、ナマエは心から思うのだった。

 コンコンと窓ガラスをノックされて、ナマエは瞑っていた目を開けた。車の外で、コナーが雨に濡れながら立っている。ナマエはウィンドウを少し下げた。
「なに?」
「車内に入れて下さい」
「やだ」
 ナマエはウィンドウを上げる。そして飲みかけだった紙パックのジュースを口に運ぶが、コナーが立ち去ろうとしないのを見て、再びドリンクホルダーへそれを戻した。そして二人はガラスを挟んで向かいあう。コナーの顔を冷たい雨粒が伝っていくが、彼は瞬き一つしない。しばらく見つめ合った後、ナマエは大きくため息をついたものの、ドアのロックを解除した。
「なんなの。また私の思い出を上書きしにきたわけ?」
 当然の権利のように助手席に座るコナーにナマエはそう皮肉をぶつけるが、とうの本人はどこ吹く風で平然としている。
「先ほど事件の報告がありました。もちろん、見に行きますよね?」
「ハンクは?」
「行くそうです」
 ナマエは未だパラソルの下でハンバーガーを食べているらしいハンクへ視線を移した。どうやら車内の様子を伺っていたらしいハンクは、ナマエの視線に気がつき、ひらひらと手を振る。ナマエは無言でファックサインを送った。

 コナーが事件の概要を口頭で述べ終わると、車内は沈黙に支配された。用は済んだはずなのに出て行こうとしないコナーへナマエは不信の目を向けつつも、その彼の纏う雰囲気にいつもとは異なるものを感じて、下手に手を出せないでいた。ナマエは無言で紙パックからジュースをすする。残り少ないそれが不快な水音を立て始めてようやくナマエがストローから唇を離すと、横から伸びてきた手がそれを取り上げて、ゴミ袋の中へ放り込んだ。その手の正体は当然、コナーの手だ。彼の思いもよらないその行動に、ナマエは抗議の声すら上げることができなかった。
「先ほど、私には代わりがいないとおっしゃいましたよね」
 唐突に、まるでずっと胸の内に抱えていたものを吐露するかのような勢いでそう言うコナーに、ナマエは若干面食らいつつも、頷きを返した。コナーは続ける。
「僕は、あなたが前任者にも同じことを言っているのを知っています。……僕は彼の代わりにはなれないのですか?」
「私は何度もそう言ってると思うけど」
 何度同じことを言わせるの、とナマエは呆れて見せたが、目前のコナーが思ったよりも深刻そうな顔をしていることに気が付いて、姿勢を正した。コナーはまっすぐ前を見たまま、何かを考え込んでいる様子で、それを表すかのように、彼のこめかみのリングは青と黄色の間を行ったり来たりしている。それを眺めるうちに、ナマエは今まで彼に感じたことのなかった同情心を覚えた。
「それでいいんだよ。誰も彼の代わりにはなれないし、誰もあなたの代わりにもなれない」
 ナマエはコナーの膝に手を置いて、優しく、諭すように言う。これで彼は前任者の模倣をやめてくれるだろうかと思いながら。コナーはナマエへ顔を向けた。そして戸惑うかのように数度瞬きをする。
「次のコナーが来たって、それはあなたじゃない」
 ソフトウェアが異常を感知し、コナーは、自分が抱いてはいけない感情へ近づきつつあることを知った。しかし彼女の言葉は先ほどからコナーが感じている黒い影を打ち消す光のように感じられてならないのだった。


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