Main|DBH | ナノ

MAIN


短編|そして、ロシュの限界を越える

 公園に置かれたベンチの端と端に腰掛けているのが誰なのか、その後ろ姿だけでもハンクには判別することができた。
 アンドロイドという文字のあるグレイのジャケットを着て背筋をピンと伸ばしているのはハンクの相棒であるコナーで、その反対側、何かをもぐもぐと食べている様子なのは同僚のナマエだ。ハンクはつい二人に声を掛けようとし、しかしその二人の間の距離に違和感を覚えて、それを思いとどまった。二人の間は1メートルほど開いていて、これは他人同士が取るにしても長過ぎるもののように思われる。それはまるで、ナマエがベンチで昼食をとっていたところへコナーが偶然通りかかり、そのままそこへ座ったように見えた。他のベンチが空いているにも関わらず。
 ナマエは公園の木々に視線を向けたまま、サンドイッチと思われる何かを口に運び、コナーの方といえば、遊歩道を行く人々を眺めている様子だった。二人の間に会話があるようには感じられなかった。
 
 そしてその翌日も、翌々日も、ハンクは同じような光景を目にすることとなった。
 昼食の時間になり、ナマエがオフィスを出るのを追いかけるようにしてコナーがそそくさと出て行く。それを見て、前までは職場で自身に充てがわれた休憩時間を持て余していた様子のコナーが何にせよやることを見つけたのは喜ばしい、とハンクは思う。しかしその後を追って近くの公園まで来てみれば、依然として二人はベンチの端に離れて座っていて、その縮まらない距離にいつしかハンクの方が気を揉むようになってしまう始末なのだった。

「最近、コナーと仲いいのか」
「相棒のことが気になる?」
 ハンクからの突然の問いかけに、ナマエは面白がるような笑みと言葉を返した。
「別に気になるわけじゃ……公園で見かけてよ」
 ぶっきらぼうにハンクがそう付け加えれば、ナマエはああと、合点がいったような声を上げた。
「最近あそこでご飯食べてると、コナーが来るの」
 そのことはもう知っているハンクが曖昧な頷きを返すと、ナマエは少し不思議そうに眉を寄せ、でも、と言葉を続ける。
「いつも離れて座るんだよね。それにあんまり話さないし……」
 話しつつ、ナマエはコナーのことを思い返しているのか、視線を虚空に彷徨わせた。ハンクは彼女の話の続きを待ったが、しばらくの沈黙の間に彼女の中で何がどう繋がっていったのか、次に紡がれた言葉はハンクにとっては全く予想外のものだった。
「彼って太陽光で動くの?だから、公園で充電してるとか?」
「違うんじゃねえかな」
 ぽん、と出てきたその問いかけに、ハンクはソーラーパネルを背負うコナーの姿を一瞬想像し、即座にそれを否定したものの、こういうのんびりとしたところが人を惹きつけるのだろうと、妙に納得してしまった。
 そうして二人は短いながらも会話を楽しみ、ナマエは立ち去り際、ハンクへ一つの頼み事をした。


 ハンクは早々に、ナマエからの頼みを果たしてやった。
 事件現場へ向かう途中の車内で、何気ない問いかけ、ただの世間話のように、ハンクはコナーへ尋ねた。
「なあ、ナマエのこと、どう思ってんだ」
 コナーはしばらく返事をしなかった。赤信号に行く手を阻まれたハンクがコナーの方を向いて催促の言葉を口にしようとしたのに被せて、ようやく、彼は口を開いた。
「彼女には引力があって、僕はそれに逆らえないんです」
「なんだ、そりゃ」
 全く答えになっていないその返事に、ハンクが首を傾げると、コナーは誤魔化すような笑みを浮かべて頭を振った。


 引力:物体が互いに引き合う力のこと
 署へ戻ったハンクは紙の辞書を片手に、あいつらは惑星なのか?などと冗談めいたことを思う。
「お前にゃ引力があるんだと」
 多分ナマエも自身と同じような反応を返すだろうと、そうハンクは思いながらこの、ナマエからの頼み事への返答を口にしたのだが、意外なことにナマエは少し驚いたような表情を見せ、「そう」と言った。その後の彼女の微笑には、どこか喜んでいるような雰囲気があった。




 コナーがそこへ座ることを日課とし始めた時は青々としていた公園の木々は、今や赤と黄色に染まり、気の早いものは既にその葉を散らし始めている。
 それを見つめるナマエをコナーは見つめていた。
 二人の間には依然として距離があり、コナーは意図してそれを保ち続けていた。なぜなら彼はもしもこの一線を越えてしまったのなら、次には肩を並べて座りたくなるだろうし、そのうち手を握りたくもなるだろう。そして何より彼女の頬に触れ、唇にキスしたいと願ってしまうに違いない、と考えていたからだ。……既にそう思ってしまっているのだということには全く気付かずに。
 まるで月と地球のようだ、とコナーは思った。この距離が崩されることがあってはならない。少しでも近付けば、月は引力に従って地球の元へ駆けていくだろうから。月は地球の引力には逆らえない。彼女の魅力には。
 と、見つめる先の彼女が急にコナーの方へ顔を向ける。目を逸らすのが遅れて、コナーは思わずナマエと視線を合わせてしまった。瞬く彼女の瞳に、間の抜けた表情の自分が映っている。コナーはバツの悪い思いで、視線を下へ落とした。
 長い時間、しかし彼に内蔵されている時計はそれを数秒としかカウントしない、いわゆる体感での長い時間が経ち、コナーはその地面へ向けた視界の中で、枯れ葉がひらひらと舞い踊るのに気を引かれた。どうにも、木から落ちてくるには量が多い。顔を上げた彼が見たのは、ナマエがベンチの上、自分とコナーとの間に積もった落ち葉を丹念に手で払っている姿だった。なぜ彼女はこんなことをしているのだろう、とコナーは思った。コナーからのそんな眼差しに気が付いたナマエが、微笑みを浮かべる。
「あなたにも、引力はあると思うんだけど」
 ナマエは少し腰を浮かべ、コナーのすぐ隣、肩が触れそうなほど近くへと座り直した。

 そうして引力は重力に転じ、同等の気持ちを抱える二つの惑星はそれに逆らうこともなく、自由落下にその身を預けるのだった。


[ 60/123 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -