Main|DBH | ナノ

MAIN


短編|わんわんわん!

「犬が欲しい」
 とナマエは言った。
 特に事件らしい事件もない日の午後、暇そうにデスクへ頬杖をついていたナマエが唐突にそう言い、同じく暇そうにパソコンを眺めていたハンクは顔をそちらへ向ける。コナーはさすがに暇そうな素振りは見せていなかったものの、興味があったので耳を傾けた。
「この前、ハンクの家に遊びに行ったじゃない?」
 コナーとさ、とナマエは付け加え、パソコン越しに話を聞いていたコナーへちらりと微笑を送った。もちろんコナーも同じ微笑みでそれに応える。
「あれは“遊びに行く”か?“押しかける”じゃなく?」
 若干呆れを含んだ口調でハンクがそんな言葉を返すが、気心知れた仲である彼なりの冗談だということを分かっているナマエはそれを全く意に介さず、再び口を開いた。
「その時スモウがお迎えしてくれてさ……いいな、と思ったの」
「何がだ?腹にタックルを食らった後に顔を舐められることをか?」
「生き物のいる生活を!」
 茶化してくるハンクにわざとらしく憤慨してみせたナマエは、はあと大きくため息をついた。
「一緒に公園を散歩したりさ……」
「雨の日も、雪の日も、毎日な。そんな時間がお前にあるのか?」
「毎朝出勤前にやる。早起きは得意だし。それで夜は同じベッドで寝たり……」
「で、最終的にベッドを占拠されるんだな。冬は辛いぞ」
「ちょっと、私の憧れを壊そうとしないでくれる?」
「俺は現実を見せてやってるんだ。理想だけで生き物は飼えねえぞ」
「……分かってるよ」
 ナマエは眉間に皺を寄せたまま目を瞑り、椅子の背へもたれかかる。
「一人暮らしじゃ無理かな。でも一人だからこそ飼いたいんだよね。寂しいし」
「……アンドロイドではだめですか」
「えっ?」
 それまで黙ったまま話を聞いている様子だったコナーが突然そんなことを口にして、ナマエは思わず聞き返してしまった。コナーは言葉を付け足して繰り返す。
「アンドロイドの犬はいかがですか。サイバーライフが販売しているものがありますよ」
 そう言いつつコナーがタブレット端末を差し出してきたのでナマエはそれを受け取り、画面へ視線を落とす。表示されていたのはサイバーライフのオンラインショップで、そこには様々な犬種が並んでいた。もちろん、それらのこめかみには、コナーのようにアンドロイドであることを表すLEDリングが光っていたが。
 ナマエはそれらを興味深く眺め、しかしその下に書かれた値段を視界に入れて絶句する。
「ゼロが、ちょっと、多い……」
「最近発売されたものですからね。ですが長い目で見れば生体を購入するのよりも安いのでは?」
 ハンクもナマエの脇からタブレットを覗き込み、コナーの言葉を肯定する。
「そうだな。餌やらペットシッターやら、病気のことも考えるとこんなもんじゃねえのか」
「購入から三年間は、メンテナンスと修理費が無料だそうですよ。送料もかかりません。そもそも生体が病気になる頻度とアンドロイドが故障する場合だと後者の方が確実に少ないかと思われますが。それに寿命を考えると……」
「推してくるなあ」
 いつの間にか席を立ち、ナマエの真横でその背もたれに手をついてアンドロイドのペットの利点を並べ立ててくるコナーの圧に負け、ナマエは再び手にしたタブレットへ目を向ける。腕を伸ばしてきたコナーが画面をスクロールし、「小型犬と大型犬ですと、どちらが好きですか」などと尋ねてくるので、ナマエは苦笑しながら「大型犬」と返した。
「大きい方が寂しさも紛らわせそう」
「寂しいんですか?」
「まあね。帰って一人だとさ……なんかね。孤独をひしひしと感じるというか」
「……犬である必要はあるんですか?」
「え?まあ、別に猫でもいいけど」
 突然新たな選択肢を掲げて見せたコナーに、ナマエは首を傾げつつも「猫もいいよね」と繰り返す。それに対してコナーは再び口を開きかけ、しかし言葉を出さぬまますぐに閉じてしまった。
 そして若干この話題への興味が薄れつつあったハンクが、釘を刺すかのように「最期まで面倒を看る覚悟がないうちはアンドロイドの動物でも飼うもんじゃねえよ」と言ったので、結局のところナマエが何を飼うのか、そもそも何か飼うのかという話は中途半端なまま幕を下ろしたのだった。




 翌日。朝の支度を終えたナマエはそろそろ出勤しようかなと腰掛けていたソファから立ち上がった。だが突然、インターフォンが軽快な音を立てて来客を告げる。ナマエは確認用のモニターを覗き込み、見慣れた彼が、見慣れぬ物を着けて立っているのを見つけた。
 ナマエは一瞬躊躇ったが、最終的には玄関のドアを開けた。

 玄関のポーチにはコナーが立っていた。通勤途中で寄りました、という雰囲気を漂わせながら。彼はいつも署で待機しているはずなのに。
「おはよ」
「おはようございます」
 二人は挨拶を交わす。しかし、その後に続く言葉はない。ナマエがただただコナーのその首を彩っているどう見ても犬用の赤い首輪に視線を注ぎ続けていると、コナーは無言で同じく赤色のリードを差し出してきた。もちろん、それと首輪は赤いナイロンの紐で繋がっている。ナマエはそれを受け取り、「なるほどね」と呟いた。そしてもう片方の手を軽く持ち上げる。
「お手」
 その言葉に、コナーは流れるような素早さで己の手を彼女の手のひらへ重ねた。そして小さな小さな声で、「わん」などと零す。再びの短い沈黙の後、ナマエが口を開いた。
「私の……犬になりに来たの?これってジョークか何か?」
「……やはり、僕ではだめですか」
「だめじゃないけど……」
「けど?」
 問い返すコナーにナマエは思案顔のまま何も答えず、コナーは片手をナマエへ預けたまま、そわそわと身じろいだ。
「僕はあなたと散歩へ行けますし、もし、その……あなたが望むのならベッドへ同行します。もちろん占拠なんかしません。それにメンテナンスへは自分で行きますし、経費はデトロイト市警持ちです」
 未だナマエは無言で、握ったままのリードへ視線を落としている。コナーは更に言葉を重ねた。
「寿命もありませんので、機体が保つ限りはあなたの側にいることができますよ。……なので、多分、あなたの感じている寂しさを軽減することができるのではないかと思うんです」
 コナーの見下ろすナマエの頭が動いて、彼を見上げた。ナマエは呆れと喜びの入り混じった笑みを浮かべている。
「それは犬じゃなくてもできるんじゃない」
「……猫でも、という意味ですか?」
「そうじゃなくて」
 どこかじれったそうな声色でナマエはそう言い、ますます呆れたような、困ったような笑みを深めた。対するコナーも困惑を深める。
「僕は何になればーーあなたの側にいることができますか」
「ペットじゃないことは確かね」
 そして「はい」とナマエは赤いリードをコナーへ返し、コナーは自身の妙案が失敗に終わったことを知る。だが彼が失意と共に踵を返そうとするのを、ナマエは引き止めた。
「ちょっと待って」
 コナーは犬ではないが、その「待て」には大人しく従う。再び向かい合ったナマエが彼の首元へ両腕を伸ばしてくるので、その意図も分からないまま、コナーは頭を垂れた。
 ナマエの指先が、ベルト式になっている赤い首輪の金具部分へ触れる。そして続く一連の動きに、彼女が首輪を外そうとしているのだということを理解したコナーは、虚しさを感じつつも無言でそれに身を任せた。だが、ナマエは言う。屈み込んだコナーの首へ腕を回し、その耳元に唇を寄せて。
「私の犬でも猫でもないものになって」
「……それは何ですか」
「あなたがあなたのまま、なれるものだよ」
 首輪が完全に外れ、それと共に寄せられていたナマエの身体も遠ざかる。そのことに名残惜しさを覚えたコナーが半ば反射的にナマエの手を握ると、彼女は微笑みを浮かべた。今度のものには、呆れも、困惑も含まれていなかった。どこか期待の滲む、本物の笑みだった。
 「分かるでしょ?」とナマエが片手に持った首輪を揺らして結論を急かす。もう片方の手は先程のようにコナーと繋がれているが、さっきとは、意味が違う。コナーはひと呼吸分の間を置いてから、躊躇いつつ、ゆっくりと言葉を並べた。
「あなたの……恋人になりたいです」
「喜んで」
 ナマエがふふ、と笑い声をもらし、コナーもそれにつられて微笑みを返した。
「それじゃあ、通勤がてら市警までデートでもしようか。散歩じゃなくて、ね」
 そう言い残して一度戸口の中へ引っ込んだナマエは、バッグを片手にものの数秒で戻ってきた。そして「行こう」とコナーを促し歩き始める。そんな彼女の手を、横へ並んだコナーはそっと握った。ナマエがちらりとそこへ視線を落とし、コナーは彼女の手の柔らかさを楽しむ。
「首輪より、こっちの方がずっといいですね」
「そうでしょ?」
 ナマエは得意気にそう笑い、コナーの手を握り返した。




 それから半年以上は過ぎたとある休日、ナマエはベッドの中で二度寝を決め込んでいた。と、突然の重みが、毛布の上から彼女を襲う。その手加減された重みが何、あるいは誰のものなのかよく知っているナマエは、不満を込めたうめき声を上げた。
 だがその“重み”はまったく無遠慮にナマエをひとしきり押しつぶし、それでもナマエが起きようとしないのを知って動きを止めた。
 そしてしばらく無音が続き、ナマエがしぶしぶ目を開けると、彼女の上に腹ばいになり、その顔を覗き込んでいるコナーと目があった。
「おはようございます」
「……おはよう」
「散歩の約束をお忘れですか?」
「……したっけ?」
「『毎朝出勤前にやる。早起きは得意だし』」
 枕の上で首を傾げるナマエへ、コナーはいつかのやりとりのログらしい音声をそっくりそのまま再生してみせた。ナマエは押しつぶされながらも、む、と眉根を寄せる。
「それは犬を飼った場合の話」
「わん」
「犬の真似してもだめ」
 可愛く鳴いてみせるコナーへそう返し、ナマエは再び毛布の中へむりやり潜り込もうとする。コナーはそれを阻止すべく奮闘し、なす術がないと分かると、何を思ったのか毛布の端を持ち上げ、その中へ冷気と共に滑り込んできた。ナマエは寒さに身を竦め、しかしコナーが根負けしたのだと思って口角を上げた。
「なになに?一緒にごろごろしたくなっちゃった?」
「いいえ」
 コナーは即答し、しかし、ナマエの方へ身を寄せてきた。ぴったりと密着してくる彼にナマエは少しばかりの優越感と喜びを覚え、しかし徐々に身体を押し出されていることに気が付いて、我に返った。
「待って、もしかして私をベッドから追い出そうとしてる?」
「ええ。実力行使ですね」
 あっさりとそう答えつつ、依然として押し出そうとしてくるコナーに、ナマエは慌てて毛布にしがみついて抵抗する。
「ちょっと、もう!ベッドを独占なんかしませんって言ったのはどこの誰だったっけ?」
「それは僕が犬だった場合の話です。今の僕はあなたの恋人なので、ベッドを占拠する権利を有します」
 先程の意向返しのような返事を寄越され、ナマエは言葉に詰まってしまった。その隙を突いてコナーはベッドの真ん中を陣取ることに成功し、端に追いやられてしまったナマエは毛布を死守しながら、説得を試みる。
「なんで今日はこんなことするの?今までもお出かけしない日はあったでしょ?」
「……寂しくなったんです」
「え?」
「あなたが眠っているのを見ていたら、なんだか寂しくなってしまって」
「どうして?」
「どうしてでしょう。僕は眠らないから、ですかね」
 ナマエは困惑し、コナーは苦笑する。
「別にあなたに眠るなと言いたいわけじゃありませんよ。ただ……せっかく二人でいるのに、と思ってしまっただけです」
 そう言うとコナーは上半身を起こし、ナマエに背を向けてしまった。だがその逸らされた顔に浮かんでいたどうしようもない孤独感をナマエは読み取ることができた。なぜならそれは、彼女がつい最近まで――コナーが来るまで――抱いていたものとまったく同じだったから。
「コナー……」
「すみません、わがままを言って。寝てていいですよ、休日なんですから」
「もう起きるし、わがままだなんて思わないよ」
 起き上がり、毛布を手放したナマエは、ベッドの縁に腰掛けるコナーの背にそっと寄り添った。
「コナーのおかげで私は寂しくなくなったのに、コナーを寂しくさせてたなんて。ごめんね」
「……あなたに会うまで、“寂しい”がどういう状態なのか知らなかった」
「知らないままの方が、よかった?」
「いいえ。この“寂しい”はあなたがいるからこそ発生するんですよ。あなたの存在によって引き起こされる全ての現象、全ての感情を僕は大切に思っています。でも――」
「でも?」
 ナマエは愛しい恋人の背に抱きついて、先を促す。
「“寂しい”はやっぱり寂しいので、あまり感じたくありません」
「そうだね」
 彼女が背後から覗き込んだコナーは、少しの笑みを口元にたたえていた。だが先程の孤独は僅かながらも依然としてそこに影を落としていて、ナマエは彼の首筋に優しく唇を押し当てる。
「寂しい時は今みたいに、寂しいって言って」
「それはわがままになりませんか?」
「恋人にはね、わがままを言う権利もあるんです」
 分かった?とナマエが言葉を続けるよりも早く、振り向いたコナーが彼女の唇を奪った。何度かの短い口付けの後に、長いものがひとつ。
「では、早速その権利を行使しても?」
 お伺いでも確認でもない言い方でそう告げながら、コナーは再びナマエをベッドへ沈める。ナマエは笑って、コナーの首に腕を回した。
「どうぞ。……もしかして、昨晩の続き?」
「ええ。これも、二人でないとできないこと、ですからね」
「お出かけの話はどうなちゃったの」
「それは午後からにしませんか?」
「いいよ。二人でできること、全部やろうか」
 そしてコナーとナマエはベッドの上で笑い合い、寂しさなど介入できない時間を楽しむことにしたのだった。


[ 59/123 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -