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短編|Slow dance with you.

 コナーがこの一年間、とある女性へ視線を送り続けていることに、ハンクは気が付いていた。
 多分、去年のクリスマスからだろう。
 そのデトロイト市警で開かれた小規模なクリスマスパーティーから、ハンクも、コナーも逃れることができなかった。仕方なく壁に寄りかかり、片っ端からアルコール飲料を消費しようとするハンクとは反対に、コナーは目前のきらびやかな空間に混ざりたいが、どうやらその一歩を踏み出せないでいるようだった。ハンクはその手を引いて輪の中へ入っていけるタイプではない。彼は気の毒に思いつつもそんなコナーを放っておくより他になかった。
 そこに現れたのが彼女だ。驚くべきことに、彼女はコナーをダンスへ誘った。彼女の同僚が顔をしかめて、彼はアンドロイドよと言ったのがハンクにも聞こえた。だが彼女はコナーの腕を取った。私は踊れませんよ、というコナーに、彼女が笑って、私も踊れないの、と返すのも聞こえた。
 実際その通りで、軽やかにダンスへ興じる男女の中で、カチコチに固まったコナーと彼女が、まるで海藻と戯れる二匹のタツノオトシゴのように体を揺らしているのがハンクには見えた。
 彼女がなぜそんな行為に出たのかは分からない。踊れない彼女と誰も踊ってくれなかったからか、ただ珍しいアンドロイドにちょっかいを掛けたかったのか、あるいは孤独なコナーへの同情心か。
 だが恋心だけは関わっていないようだった。彼女は一貫としてそんな素振りを見せなかった。


 コナーがナマエを目で追いかけ続けてもう少しで一年が経つ。今では、コナーは彼女のことを良く知っていた。どのタイミングで休憩をとるか、ランチの時いつも行く店、好きな服のブランド、読んでいる本、聞いている音楽、何が彼女の興味を惹くのか。
 そして仲の良い異性の同僚がいることも。
 その同僚とナマエの姿が休憩所へ消えていくのを、コナーは眺めていた。そして聴覚ユニットの精度を上げ、二人の会話を聞く。
 去年と同じように、今年もクリスマスパーティーがあるらしい。二人は飾り付けの話をしている。
「水色のなんてどう?」
「水色?それじゃあ雰囲気が冷めちゃわないか?」
「そう?差し色としていいんじゃない」
「君が水色を好きだなんて知らなかったな」
「最近、なんか好きなんだ」
 それは新情報だった。言われてみれば、最近は彼女のアクセサリーや小物に水色のものが増えてきたように思われる。ナマエは最近水色が好き。コナーはメモリーにそれを刻んだ。
「クリスマスプレゼントは?」
「誰から、誰への話?」
「僕から君に。……どうかな?」
「どうだろ。私は贈らないわよ」
「それでもいいんだ」
「無駄な出費ね」
「何が欲しい?」
「事務用品。そしたらお返しもみんなで分担できるじゃない?」
 男が笑い声を上げ、それにナマエの声も混ざった。楽しげに笑う男女に、コナーはそのやりとりのどこまでが本心のもので、どこからがジョークなのかが分からなかった。それはある種の恋人同士のじゃれあいにも聞こえた。コナーは無重力に晒されたような不快感を覚えた。
 会話を続けながら休憩所から出てきた二人はやはり、恋人同士のように見えた。
 だが、ナマエはコナーのデスクの横を通り過ぎる時、微笑んで手を振ってきた。
 そんな何気ない仕草が、コナーの上へ、恋心として雪のように降り積もっていく。

 再びコナーのデスクの近くへと来た彼女は、そのまま通り過ぎるのではなく、明確な意思を持って、コナーの元へ歩いて来た。コナーは彼女が同じ部屋へ現れた時から目で追っていたのだが、それを悟られないよう努力しなければならなかった。
「コナー君」
「はい、なんでしょうか」
「これ、私から」
 固い返事をするコナーに、差し出されたのはクリスマスカードだった。白い紙がクリスマスツリー型に切り抜かれていて、下の水色の紙が覗いている。周りには、銀色の雪の結晶とハッピーホリデーという筆記体の文字。二つ折りにはなっているが、そこそこの大きさだ。コナーはそれが何なのかは分かったが、何故なのかが分からなかった。
「私に、ですか」
「ええ、あなたに」
 コナーは恭しくそれを受け取った。喜びが外へ漏れ出ないようにするのは難しかったが、コナーは上手くそれを覆い隠した。
「光栄です」
 淡々とそう言葉を口にするコナーへナマエは頷きを返した。しかし同時に少しだけ残念そうな表情を浮かべたことを、コナーは見逃した。
「……他の皆にも配らされてるの、今年もクリスマスパーティーをやるからって」
「それは、お疲れさまです」
 手渡された時は輝いて見えたそのカードが、今はただの紙切れだった。ナマエが立ち去るのを見送ってから、コナーはそれを開くこともなくデスクの引き出しへ押し込んだ。


 数日が経ち、クリスマスカードに書かれていた日付がやってきた。クリスマスパーティーの日。しかしコナーは憂鬱な気持ちだった。ナマエと件の同僚は近頃ますます仲を深めている様子で、彼女がランチへ行く時は、必ず彼も一緒だった。
 多分、今年は彼女と踊れないだろう、と彼は思った。それが彼の気持ちを沈ませた。ナマエが他人と踊るのを見るためにパーティーへ行く気などなかった。


 会場の飾り付けも済み、その厄介な仕事から開放されたナマエは、薄暗い倉庫で独り物思いに沈んでいた。倉庫の中はダンボールと機材の山で埋まっていてとても狭く、居心地がいいとは言えなかった。そんな所で彼女が思い出すのは、クリスマスカードを渡した時のコナーの反応だった。
 望み薄だな、とナマエは思った。せっかく、コナーへカードを渡す口実が欲しくてカード配りに立候補したというのに。もしかしたら、それが裏目に出たのかもしれないが。
 今年、彼は来ないかもなと思うと、自分の携わった飾り付けが、急に虚しく色褪せて見えた。
 去年のあの日コナーを見てから、ナマエはずっと彼のことが気になっていた。あのどこか寂しげな目に柔らかな眼差し、いつも少し微笑んでいるかのような口元、丁寧な物腰、丸みのある声。そして時々、本当に時々、ナマエに見せる、あの笑み。ナマエはそれら全てに心を惹かれるのを感じていた。
 でも、彼にとっては迷惑だったのかもしれない、とナマエはため息をついた。ナマエの前ではコナーはいつも視線を彷徨わせていたし、手を振っても振り返してはくれなかった。彼は変異体なのだと聞いていたが、人間が人間へ抱くような感情は持たないのかもしれない。
 多分あのカードは今頃ゴミ箱の中だろうなとナマエは自嘲気味に笑った。ここ数日間、どういう内容にするかずっと考え、悩みに悩んで書いたものだったけれど。
 パーティーに彼が来なかったら諦めよう、とナマエは決意した。


「今年のパーティーは任意参加らしいが、お前はどうすんだ」
 なにか小さな紙切れをひらひらと振りながら、ハンクはそう言った。
「今年は行かないつもりです」
 そう答えてから、コナーはその二本の指に挟まれた白い紙へ視線を止める。こちらには裏面が向けられていて、表に書いてある文字は読めない。縁が荒いのを見るに、元は大きな紙であったそれを誰かがカッターで手に乗るサイズに寸断したようだ。
「それはなんですか?」
「ああ?クリスマスカードだよ、ナマエが面倒くさそうにバラ撒いてた――お前も貰ったよな?」
 少し気まずそうな雰囲気で尋ねてくる声へコナーが頷くと、ハンクはあからさまにほっとした表情を見せた。
「お前が来ないなら、俺もパスだな」
 デスクの向こうの相棒が再び端末へ向かうのを見届けてから、コナーは引き出しを開け、ナマエから貰った特別なクリスマスカードを取り出した。そして二つに折られたそれを開き、早る気持ちを抑えながら、中に書かれたメッセージを読んだ。
 コナー君へという言葉から始まっていたそれは、バラ撒かれたのではなく、彼個人へと向けられたもので。内容は、去年のダンスについてユーモアを交えた文章で綴ってあり、最後は、もしよければ今年も一緒に踊ってほしいという文で締められていた。その軽やかな文章はまるで彼女が目前で話しているかのようで、コナーはシリウムポンプの脈動が高まるのを感じた。


 ナマエは倉庫のドアがノックされるのを聞いて、変なの、と思った。普通、誰も倉庫のドアなんてノックしない。パイプ椅子に座っていた彼女は一つ大きく伸びをして、そのノックに答えた。
「サボってるわけじゃないけど、一緒にサボりたいなら大歓迎」
 かちゃ、とノブが回され、開いたドアから姿を表した意外な人物にナマエは喜びつつも戸惑った。
「少しよろしいですか」
 どこか乞うような雰囲気で尋ねてくるコナーに、ナマエは慌てて頷いた。彼が入ってくると、倉庫の中はますます狭くなった。ナマエはそれがなぜか凄く気にかかった。二人は互いの膝が触れそうな位置にいた。
「クリスマスカードのお礼を言いたくて」
 そう言いつつ、コナーがポケットから取り出して見せたカードに、ナマエはどきりとした。
「素晴らしい文章をありがとうございます。それと」
 言いよどんだコナーは視線を下へ逸した。
「今年も僕と踊って下さるんですか?」
「……私は、そうしたいなって」
 照れながら答えれば、コナーもはにかんだ笑みをもらす。が、それはすぐに不安そうな表情に変わった。
「あなたは、その、同僚の方と踊られないのですか?」
「彼と?なぜ?」
「……最近仲が良いようでしたので」
 おずおずとした様子で言葉を紡ぐコナーが、ナマエにはとてもいじらしく、可愛らしく見えた。
「彼とはただ、飾り付けの打ち合わせをしていたの」
「打ち合わせ、ですか」
「そう」
 頷いて見せれば、コナーはほっとしたらしくその元々垂れ気味な目元がさらに緩み、唇のアルカイックな微笑が深まった。ナマエは自分が彼のことをとても好きなのだと改めて思い知った。そしてそれを言葉にした。
「私はあなたが好き」
 コナーの目が丸くなるのが分かった。ナマエは自分の頬が熱いのを意識し、胸を弾ませながら彼の返事を待った。
「僕は」
 と、コナーが口を開いた。ナマエの求めていた反応とは違い、彼は戸惑い、迷っているようだった。彼の揺れるブラウンの瞳にナマエは不安を覚えたが、言葉の続きを待った。
「僕はアンドロイドで、心などありません。でも、僕にもしも心があるのなら、それは去年のあの日から育まれていたものです。あなたが僕の腕を取った時に生まれ、あなたが下さる微笑みがそれを育てました。でも、僕はアンドロイドで――僕はあなたへどんなクリスマスプレゼントを贈ればいいのかすら分からない」
「もう貰ったわ」
 優しい微笑みを浮かべ、あっさりとそう答えてみせるナマエへコナーは首を傾げた。
「あなたの心」
 そう言って、ナマエはコナーのシリウムポンプの辺りへ優しく触れた。指先から、それが脈打っているのが感じられた。
「私のプレゼントはね」
 コナーの手から自分が送ったクリスマスカードを抜き取り、それを開いたナマエは、持っていたペンで書き加えた。自分の名の前に、yourという一言を。
 “あなたのナマエ”
 開かれたまま再び手渡されたそれを受け取ったコナーは、その新たな一文を読み、眺め、画像データとして保存した。


 結局二人は今年も、パーティー会場の真ん中で、水生生物のように漂うこととなった。
 だが今年は二人とも、心からそれを楽しんでいた。


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