Main|DBH | ナノ

MAIN


12

 まどろみの中にコナーはいた。温かく、なにか優しいものに身体が包まれているような気がする。ずっとここにいたいという欲求が、彼に瞼を開けるのを躊躇わせる。だが、彼の身体に回され、彼を支えているものが動いて、目覚めるよう優しく促す。コナーはゆっくりと目を開けた。彼は浴槽の中、ナマエに抱きしめられるようにして身体を支えられていた。コナーはナマエの胸元に頭を預けたままずっと眠っていたのだった。二人を包む湯は温かく、それは寝入ってしまったコナーが冷えてしまわぬよう、ナマエが湯を注ぎ足していたことを伝えていた。
 コナーが水に沈まないよう一晩中それを見守っていたナマエは、目覚めた彼と視線が合うと、微笑んで「おはよう」と唇を動かした。若干の脱水症状に陥りつつあるコナーはぼんやりとした顔つきで「おはよう」と返し、なぜ自分がここにいるのかをゆっくりと思い出しつつあるようだった。何度か瞬いた彼はもう一度、今度ははっきりとした声で「おはよう」と繰り返すと、優しくナマエの身体を抱きしめた。
「人生で一番最高の目覚めだよ」
 そう言ってコナーはナマエの顔にキスの雨を降らせたが、ナマエは笑ってそれを止めさせた。さっきから彼の携帯端末が主人を呼び続けているからだ。コナーもそのうるさいサウンドに気が付き、不満げな表情を一瞬覗かせてから、気怠げに浴槽から出た。そしてタオルで適当に身体を拭きながら浴室から出た彼は、今の時間がいつもの出勤時刻をとっくに過ぎてしまっていることを知った。

 着信はハンクからのものだった。コナーは慌ててそれに応じる。やや焦ったような声が携帯端末から響いた。
「おい、大丈夫か!」
「はい、すみません、寝てしまっていて……今から向かいます」
「そうか、寝てただけか……。体調はもういいのか?」
「ええ、おかげさまで……心配させましたか?すみません」
 コナーがそう謝罪の言葉を繰り返すと、少しの沈黙の後に、安堵と呆れの混ざったため息の音が聞こえた。
「俺はお前がてっきり……いや、何でもねえよ。大丈夫なら、別にいい」
「本当にすみませんでした。もう大丈夫なので、今から行きます」
「急がなくていい。事故でもされたら困るのは俺だからな……」
 そしてハンクはしばらく携帯端末の向こうでぶつぶつと何か言っていたが、最終的に「気を付けて来いよ」という結びの言葉で、電話は切られた。その素直でない相棒の心配の仕方にコナーは苦笑し、しかし感謝した。

 コナーが浴室の床に脱ぎ捨てられたびちゃびちゃの服たちを洗濯機に放り込むのをナマエは見ていた。そして別の乾いた服を身に纏って洗顔と髭剃りを手早く済ませたコナーは、浴槽の側に屈み込んでナマエへキスを贈った。その拍子に、ピンで留められていなかったネクタイが水面へ触れて濡れてしまったが、コナーはそれを気にしなかった。
「行ってくる」
 彼のその言葉にナマエは一瞬寂しげな表情を覗かせたが、「行ってらっしゃい」というかのように、彼の額に口付けた。コナーはほんの少しだけ、仕事をさぼってまたナマエと浴槽の中で愛を交わしたいという欲求を覚えたが、解決できそうな事件を前に、立ち止まるわけにはいかないぞと自分を律して、浴室を後にした。ナマエは軽く手を振ってそれを見送った。


「おはようございます」
 デスクに着くなり、笑みと共に溌剌とした声でそう挨拶するコナーに、ハンクは少し戸惑った。
「お、おう……思ったより、元気そうだな」
「心配して下さってありがとうございます。でももう大丈夫ですよ」
「……みたいだな」
「それより、手がかりを掴んだんです。例のあの店の――」
「犯人が分かったのか?」
 真面目な顔つきになったコナーの言葉をハンクがそう遮ると、コナーは表情を変えぬまま、首を横に振った。
「――いいえ。犯人ではなく、人魚たちの出所です」
「そりゃあサイバーライフだろ?被害届にもそう書いてあったぞ」
「それが、違うんですよ」
「違う?」
 身を乗り出したハンクを制し、コナーは腕時計を見る。
「ところで、一緒に昼食でもいかがですか。少し早いですが、ランチミーティングとでも思って」
 それは唐突な提案だった。バディを組んでからこの方、ハンクはコナーに食事に誘われたことなどなかった。驚きで目を見開き、声を出せないでいるハンクに、コナーはその反応を不思議がるような視線を送った後、言葉を続けた。
「あなたがいつも行くバーガーショップでもいいですよ」
 これもまた、意外な発言だった。

「お前はこういうの、嫌いだと思ってたんだがな」
 いつもよりは少々控え目なラージサイズのバーガーに齧り付きながらハンクがそう零すと、その目前で同じくバーガーを――しかしハンクのものより一回り大きめのバーガーを――食べるコナーは、肩を竦めて笑って見せた。
「嫌いではないですよ」
「嫌いではないが、好きでもないってか」
「好きかどうかは未定ですね。まあ、可能性はあるんじゃないですか」
「…………お前、恋人でもできたか」
 まったく思いがけぬタイミングでそう尋ねられたコナーは噎せて咳き込み、慌ててドリンクを飲むことで動揺を隠そうとしたが、それはあまり上手くいかなかった。
「な、なんですか、急に」
「いや、今までになく幸せそうだと思ってな」
「僕が?幸せそうですか?」
「ああ。……いいことだよ」
 年配者ならではの、人生の後輩を見守るような温かな眼差しで、ハンクはコナーを眺めていた。コナーは姿勢を正した。
「……そうですね。今まで黙っていましたが、恋人ができたんです」
「そうか。それで、人生バラ色ってか?」
 ハンクがそうからかうと、コナーは頬を赤くして照れ笑いを浮かべた。
「まあ、その……とても幸せではありますね」
 いつものあのお堅い様子からは想像もできない表情と言葉を受けて、ハンクは胸へ直接一キロの砂糖を流し込まれたような気分になったが、意外とそれは不愉快ではなかった。「ああでも、」とコナーは続ける。
「他の皆さんには黙っていてもらえませんか。あまり詮索されたくないので」
「分かってる。だがしかし俺が賭けに負けるとはな」
「それに関しては僕の責任ではありませんよ」
「ま、俺が胴元だから別にいいんだが」
「そうだろうと思ってました」
 二人は笑い声を上げた。
 そうしてコナーは自分が掴んだ手がかりなるものをハンクに話し始めた。つまり、人魚たちは違法な改造と販売を経てあの店へ来たのではないか、そしてそれを店主も知っていて、しかし客には真正品だと偽っているのではないかと。アンドロイド関連の法律の発展しているここミシガン州では、人体と関わる可能性のあるアンドロイドとその部品の製造元を偽ることは違法だった。
 こういう状況をなんというのだったか、とハンクは考えた。兎の罠に狐が掛かる、か?しかしこれは店主にとっては幸運なことではないだろう。
 だが、とハンクはそれらの違法性について熱く語るコナーへ目を向けた。こいつにとっては幸運に違いない。こいつが元気を取り戻したのは件の恋人の存在もあるかもしれないが、何よりもあの人魚たちを救える可能性が出てきたからかもな、とハンクは思った。

 食事が終わるのと同時にランチミーティングも終わった。一通りの自分の意見を述べ終えたコナーは、昼食に付き合ってもらったのだからと、進んで二人分のゴミを捨てに行った。
 ゴミ箱へ向かうその後ろ姿を眺めたハンクはテーブルへ視線を戻し、ふと、コナーがいたテーブルの端になにかあるのに気が付いた。
 摘まみ上げてよく見ればそれは、鱗だった。エメラルドグリーンの。ハンクは記憶を辿り、自分が一度、いや、二度、この色を目撃したことがあるのを知った。一度目はもちろん、あの店でだ。水槽の中にいた人魚の尾びれの色。そして二度目はコナーの家でだった。彼の家のテーブルの上にあった花、その花弁にまったく同じようなものが張り付いていた。その時はよく見えなかったこともあって、早々に記憶の奥へ仕舞ったが、今ここでこの鱗を見ると、あの花に付いていたのは紛れもなくこれと同じものだと断言できた。
 ハンクはあの時のコナーの様子を改めて思い返した。
 “いえ”なんでもありません、という前提への否定を伴う言葉、斜め下に逸らされた視線、なにかを言いかけて、しかし途中で止める動作……それらは彼が告白すべきことをその胸に抱えていることを表していたのではないのだろうか?たとえば、この鱗に関することを。
 コナーが戻って来た。ハンクは素早く、ポケットの中へ鱗を仕舞った。


[ 114/123 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -