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10

 自分自身の言う通り、何も解決したわけではなかったが、コナーの気分は幾分か和らいでいた。あの短い時間の些細な触れ合いで、彼は癒やしを得たのだった。
 乾いた服に着替えた彼は、濡れている方の服と自分の手に、エメラルドグリーンの鱗が付着していることに気が付いた。
 ああ、とコナーは思った。ナマエの下半身に使われている生体部品は繊細なんだな、と。あるいは、案外耐久性の低いものなのだなと。正規の生体部品は高いらしいのに、こんなにも脆いなんて、維持費がかかりそうだ……。
 突然降って湧いた激しい違和感に、コナーは身を固め、激しくなりそうな心臓の鼓動を宥めながら、ゆっくりと記憶を整理した。
 彼女たちは真正品だ。サイバーライフの箱から取り出されたのをコナーも見ていた。実際、幾度となく見つめてきたナマエの瞳の虹彩を縁取る小さな文字は、サイバーライフの正規のものであることを表す商品コードだった。
 だが彼女らが本当に生体部品を使っているのなら、相当な費用がかかる筈だ。なのに、あの店主は人魚たちを使い捨てにしていた。あんなにも金に執着している様子の彼が安易に買い換えることのできるほど、彼女らは安いのか?それはなぜだ?コナーは考える。尾びれが生体部品であることは疑いようがない。では入手ルートか?サイバーライフの真正品を安価に卸しているところがあるのだろうか?型落ちを?しかし彼女たちの顔は道で見かけるようなものではない。多分、そういった仕事用に作られたものだ。
 家庭用のアンドロイドは所有者が多く、新型の登場によって瞬く間に大量の従来品が型落ちとなる。それが安値でマーケットに出回ることはありえる話だ。だが彼女たちは違う。こういう仕事には常連客というものがいる。彼らは人間がそれの相手をしていた頃の名残か、顔にこだわる。自分の相手は常に同じ顔のものがいい、という心理なのだろうか。だから、そういった仕事に従事するアンドロイドはなかなか型落ちしにくく、値下がりもしにくい。加えて、彼女らは人魚なのだ。特殊な下半身を持つ彼女らの生産は絞られているはずだ。
 だがもしも……上半身と下半身が別ならばどうだろう。上は真正品かも知れないが、下は……。それならば、生体部品を持つ完全な真正品よりもずっと安く入手できる可能性だってあるかもしれない。
 それを確かめる方法はひとつだけだった。

 コナーが浴室へ戻ると、アヒルを見つめていたらしいナマエはきょとんとした顔で彼へ視線を向けた。そして浴槽を指さし、手のひらを重ねた両手を傾げた頬に当てるポーズをしてみせる。「ここで一緒に寝る?」とナマエは言っているのだ。焦りと若干の混乱に陥っていたコナーはナマエのそんな冗談じみた動きに落ち着きを取り戻した。
「魅力的なお誘いだが、今は遠慮しておくよ。君に聞きたいことがあるんだ」
 ナマエは浴槽の縁に身体を寄せ、コナーのその尋ねたいことやらを待った。
「君は起動……目覚めた時のことを覚えているかい。その時、もうすでにあの店にいた?」
 返ってきたのは否定だった。じゃあ、とコナーは質問を続ける。
「どこにいた?君は……君は最初から人魚だったのか?」
 ナマエのLEDがちかちかと光り、くるりと回って黄色になる。どうやら彼女は記憶データを参照しているようだった。だが、本来なら数秒で終わるはずのそれに、彼女はなぜか手こずっている。それを息を詰めて見守るコナーの前で、最終的にLEDを赤くしたナマエは首を横に振った。しかしすぐに縦にも振って見せ、明らかに混乱している様子を露わにした。
「ナマエ?」
 コナーの呼びかけに、ナマエはびくりと身を竦ませた。LEDの色が一端黄色を経てから青色に落ち着く。しかし彼女はそわそわと落ち着かなげに視線を動かした。
「大丈夫か?」
 否定も肯定もせずに、ナマエはただコナーを見つめた。彼女の唇が動く。だが読唇術の心得などないコナーには、彼女が何を伝えようとしているのかさっぱり分からなかった。
「何が……何が言いたいんだ?」
 ナマエは苛立った様子で尾びれを動かし、身体のあちこちを指さして手で何かを表わそうとした。しかしそれらは途中でもつれ、衝突し、意味のないものとなって消えていった。ナマエは水面を尾で打ち、泣き始めた。コナーは自分の質問が彼女を傷付けたのだと思い、着替えたばかりの服が濡れるのも厭わずに、彼女を抱きしめた。
「すまない、大丈夫か?」
 弱々しい頷きが返ってきた。コナーが腕を解くと、ナマエは彼へ背を向けて水の中へ潜ってしまった。その明確な「もう話したくない」のメッセージに、コナーは大人しく引き下がった。

 ナマエは何かを覚えている。だがそれを聞くには誰か……アンドロイドの協力者が必要なようだった。
 翌朝、コナーは病欠の連絡を入れた。それを受けたハンクは「しっかり休めよ」と返しただけで、コナーは相棒に改めて感謝した。
 その後、コナーは革命の時からの知り合いであるマーカスに連絡を入れた。彼とはコナーが人間でありながら変異体たちの革命を手助けして以来の友人であり、公私共に信頼関係にあった。
 コナーが事情を説明すると、マーカスは電話の向こうでおもしろがるような声を上げた。
「君にアンドロイドの恋人ができるとは思わなかったよ。ぜひ紹介してほしい」
 だが、と声は続いた。今度は残念がるような響きがあった。
「スケジュールに空きがないんだ」
「だろうな。この前の会議の生放送を観たよ。今の君はジェリコ、いや全てのアンドロイドの期待を背負っている。本来なら、僕が何かを頼んだりなんかすべきじゃないんだろう。でも――」
 食い下がろうとしたコナーを、マーカスは遮った。
「手伝わないとは言ってない。代わりを送るよ。僕が一番信頼している人で、君も知っている者を」
 コナーはジェリコの創立者と呼ばれている数人を思い浮かべ、頷き、感謝の意を述べた。
「ありがとう、恩に着るよ」
「いいんだ。連絡をくれて嬉しかったよ。恋人を大切にな」
 そう言い残して切れた携帯端末を、コナーはしばらく眺めていた。
 

 浴室に足を踏み入れたノースは、あからさまに嫌そうな表情を浮かべた。
「あなた正気?女の子を……監禁してるの?」
 コナーは慌ててそれを否定しようとし、しかし自分が彼女を手放したくないと思っていることがそれに相当するのかもしれないと考え直して、言葉を変えた。
「色々理由があるんだ。電話で頼んだことと一緒に、そこのところ――彼女が現状をどう思っているかも、聞いてみてくれないか」
 ノースは片手を上げてナマエへ軽く挨拶した。浴槽の中のナマエもそれを真似て手を上げ、嬉しそうな、心からの笑みを浮かべる。初めて自分の同型機以外のアンドロイドと会話する機会を得た彼女のその瞳は輝いていて、身体には今にも溢れ出しそうなほどの好奇心が満ちていた。ナマエのこめかみのリングが忙しくクルクルと回る。おそらく彼女は、同胞しか理解できない言語の洪水をノースへ浴びせかけているに違いない、とコナーは推測した。勧められるまでもなく、浴槽脇に置かれたパイプ椅子へ自然な動作で腰掛けたノースは、微笑んでナマエの声のないお喋りに相槌を打つ。コナーと接する時とはまるで正反対のその様子に、彼は少し苦笑した。ナマエとノースは握手を交わしている。
「私はノース。ここには、マーカスに言われて来たの。いいえ、コナーとは友人じゃない。ちょっとした協力関係にあるってだけ」
 ノースの言葉に、ナマエは気遣わしげにコナーを見やる。「友達じゃないの?」と問いかけるその目に、そう断言されてしまったことへの同情心の微かな影を見て、コナーは苦笑を深めた。
「あなたは?」
 というノースの言葉に、ナマエは彼女へ向き直り再び無線でのやり取りを始める。ナマエのLEDがチカチカと瞬いて、ノースが顔を顰める。「そう、あなたも……」とノースは呟いた。

「ふーん、彼が、ねえ」
 どうやら、ナマエの話はコナーが彼女を助けたところへ差し掛かっているらしい。怪訝そうな表情を浮かべるノースに対して、ナマエはにこにこと笑みを振りまいている。そして、一体何を話しているのやら、ノースが表情を一転させ、コナーを見てからかうように口角を上げた。「私には想像できないけど」などと言うノースに、ナマエは面白そうに笑う。コナーは自分が話題にされているらしい二人の内緒話の内容がひどく気になって、視線を空中へ彷徨わせた。
「いいわよ」
 と気さくな口調でノースがナマエへ返し、コナーへ視線を向けた。ナマエも彼へ顔を向け、突然二人に見つめられたコナーは、ますます居心地が悪くなった。そんなコナーをノースは笑う。
「彼女、あなたにお礼が言いたいって」
「お礼?」
「そう。助けてくれてありがとう、だって――」
 ナマエがノースの服の裾をくいくいと引き、ノースは彼女の言葉へ耳を傾けるような仕草を見せた。
「――それと、一緒にいてくれてありがとうって……うそ、あなた現状に満足してるの?」
 信じられないとばかりにそう言うノースへ、ナマエは頷きを返す。ノースはやれやれと首を振り、コナーは浴槽の脇へ跪いてその縁へ手を乗せ、ナマエの名を優しく呼んだ。
「ナマエ。それは僕の言葉だ。僕と一緒にいてくれてありがとう」
 ナマエははにかむような笑みを見せ、コナーはそれに心からの喜びを感じ――そして、ノースの控えめな咳払いで我に返った。
「それ以上は、私が帰ってからにしてくれない?」
 コナーは自分がナマエへ触れようとしていたことに気が付いて赤面した。
 そしてまたナマエがノースへ話しかける。真面目なその顔付きは何かを一心に頼んでいるように見えた。ノースは首を横に振る。
「悪いけど、それは私の口からは言えない」
 必死になってナマエは頼み込むが、ノースは一貫として否定の態度を崩そうとはしない。
「私がそれを言ったら、それは私の言葉にもなるのよ?私は嫌。私はマーカスにしかそういうことは言いたくないの。……あなたには同情するけど、これは譲れないわ」
 はっきりとしたその意見に、ナマエは悲しげではあったが、納得したようだった。
「でも、あなたが望むなら――」
 ノースがナマエの手を握った。触れあうところから二人の肌の色が消えていき、下の白色が剥き出しになる。彼女たちは何かデータをやり取りしているようで、コナーは口を挟むことができずに、その光景を見つめていた。
「――分かった?」
 通信を終えたノースがそう尋ねると、ナマエはためらいつつも頷いた。

「それで、僕の頼みなんだが」
 事前に話を聞いていたノースはコナーへ軽い頷きを返し、ナマエへ向き直る。
「目覚めた時の話を聞かせてくれる?」
 そう言ってノースが手を差し出すと、ナマエはしばらくためらっていたものの、コナーが励ますようにその腕へ自身の手を添えてやると、ノースの手のひらにゆっくりと自分の手を重ね、通信を始めた。どうやらナマエの記憶データにアクセスする許しを得たらしいノースは、ナマエの目を通して見えた光景を述べ始めた。
「起動……動作確認ね。ここは工場?でもサイバーライフじゃない。いくつかの製造レーンが遠くに見える。作られているのはアンドロイドのパーツ……。ああ、あなたの脚……あったのね、この時には」
 突然、ノースが不快そうな声を上げる。
「そこにあるのは、あなたの音声モジュール……!?あいつら、あなたから声も、脚も奪ったのね、無力な存在にするために……許せない……!」
 ノースのLEDがその怒りを代弁するかのように瞬く。しばらくの沈黙。そしてノースが何かを読み上げる。
「『私たちはあなたのおもちゃを配達します』……なにこれ、酷い言葉」
 その謳い文句に、コナーは見覚えがあった。あの店に駐まっていたトラックの側面に書かれていた文字がそれではなかったか?ノースは同じものをナマエの記憶の中で見たらしい。ナマエはそこから来たのだろうか、とコナーは推測した。

 そしてノースは疲れた様子でナマエから手を離した。ナマエの方も、最初の溌剌とした様子は影を潜め、嫌なことを思い出したとでも言いたげに、水面へ視線を注いでいる。
「私にも彼女にも、酷い思いをさせたんだから、何か意味があるんでしょうね」
 牽制するかのようにそう言うノースへ、コナーは自信に満ちた肯定の言葉を返した。
「ああ。大事な手がかりを得ることができたよ、ありがとう」
 ふっ、とノースが目を細めて微笑んだ。そういう表情をノースがコナーへ見せたのはこれが初めてで、コナーは自分が彼女にようやく認められたような気がした。
「じゃあ、私は帰るわ」
「送ろう」
「それは玄関までにしてくれる?」
 パイプ椅子から立ち上がるノースに、ナマエが名残惜しそうな表情を向ける。それにノースは柔らかく口角を上げた。
「また遊びにくるわ。……あるいは、あなたが。分かるわね?」
 ナマエは捨てられた犬のような顔でノースを見送った。

 ノースの言う通り、家の玄関まで彼女を送ったコナーは、唐突に腕を掴まれた。見れば、ノースが真剣な表情を浮かべている。
「彼女が望んでここにいるってことにあぐらをかいては駄目。ここに閉じ込めてることに変わりはないんだから」
 強い口調でそう言い切ったノースに、コナーは驚き、しかし安易に頷きはしなかった。ノースが掴んだ腕を揺さぶり、「分かってるの?」と繰り返す。
「分かってる……」
「分かってなさそうね」
「分かってるさ……でも、ナマエにここに居て欲しいんだ」
「なら、選ばせなさい、彼女に。愛してるんでしょ?」
「僕は彼女を愛している」
「じゃあ、やることはひとつよ」
 そう言い残して踵を返し、振り返りもせずに去るノースの後ろ姿を見送りながら、コナーは独り言葉を繰り返した。
「分かってるさ……」


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