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08

 先日まで担当していた事件は粗方片付いていた。週にそう何度もアンドロイド絡みの事件が発生するわけではなく、あの革命の後、正式にアンドロイド関係の事件を担当することとなった二人は、時折こういった短い息をつく間のようなものを手に入れることができた。それが一日なのか数時間だけなのかは、誰にも推測できることではなかったが。

 コナーのデスクは、まるで彼の性格を表しているかのように、私物の欠片もなく、常に整然としている。
 そこへ頬杖をついたコナーが携帯端末の検索欄に『切り花 長持ち 方法』と入力しているのを、その背後を通りかかったハンクは偶然視界に入れ、思わず尋ねる。
「分かった。フラワーアレンジの趣味ができたんだな?そうなんだろ?」
 振り向いたコナーは唇に苦笑を浮かべていた。
「僕の趣味の方にいったい幾ら賭けたんですか?その様子じゃ、よっぽど良い倍率みたいですが」
「趣味の方にゃ俺しか賭けてねえから、勝ったら総取りなんだよ。分かんだろ?」
 コナーはわざと大きくため息をついて見せた。
「楽しそうでなによりです」
 だがその態度とは裏腹に、コナーの口角は少しだけ持ち上がっており、彼自身もどこか現状を楽しんでいるように見えた。そこに、ハンクは変化を読み取った。氷が溶け始めた時のような、鎧が緩み始めたような、そんな口元の綻びだった。
 もしかすると、周りが言うようにマジで恋人ができたのかもしれねえな、とハンクは思った。確かに、友人や仲間が人生を変えることもあるだろう。だがこんな短期間に人を幸福にし、常に微笑を浮かべさせておくほどの状態にできるのは恋人の他にそういないものだ。このまま恋人との仲が上手くいけば、自ら尋ねなくとも勝手に紹介してきそうだとハンクに思わせるほどのポジティブな変化の兆しが今のコナーには現れているようだった。若人よ、振られてくれるなよ、とハンクは思った。


 もしもこのまま何もないようだったら自宅での待機を申請してみよう、とコナーは思い、そうなった場合のナマエのことを考えた。最近は夜遅くに帰宅してばかりだったから、こんなに早く帰れば彼女は大喜びするだろう、とその場面を想像し一人微笑む。しかし、目の前に翳された紙面がその想像をやすやすと打ち砕いた。
「被害届?」
「見たらわかるだろ?」
 その紙をコナーへ突きつけた張本人であるハンクは、「なんで一人で笑ってたんだ?気味が悪かったぞ」という文章は胸の内にしまって、コナーへその書類を手渡した。
 文面へ目を通したコナーは見覚えのある、そしてもう二度と見たくないと思っていた店名を目にして顔を顰めた。
「前のクラブで窃盗があったそうだ」
「……高そうな調度品ばかりでしたからね。営業停止のところを狙われるのはありえた話です」
「盗まれたのはあの人魚らしいが」
 被害金品の欄を指さしながら言うハンクへ、コナーは努めて冷静に返す。
「人魚を……?あれを盗んでどうするんでしょう。マニアには高く売れるものなんですかね」
 素知らぬ顔でコナーはそう返したが、あまりもスラスラと言葉を並べ過ぎただろうか、ハンクは訝しげな視線を彼に寄こした。コナーは思わず心の内で身構える。しかしハンクはコナーの予想に反して、少し気の毒そうに眉尻を下げただけだった。
「行きたくねえなら、無理して行くこたねえぞ。窃盗事件だからな、他へ回してもいい」
「いえ、僕は……」
「人魚のこと、気にしてただろ?」
 そう言うハンクの声は思いやりに満ちていて、コナーは微笑みを返した。
「僕は、大丈夫です」
「そうか?まあ、お前がそう言うんなら俺も信じるが……」
 言いながら現場へ向かう準備を始めたハンクを眺めながら、コナーは相棒の心遣いに感謝すると共に、それを裏切っていることへ心苦しさを覚えた。


 一応、といった形で進入禁止という文字がテープ状に空中へ投写されているが、それを気にする者は一人もいない。裏口のドアはガラスが割れたまま明け放れており、開店へ向けてなにか作業を行っているらしく、数人のスタッフが出入りしている。近くの道路脇には大きなトラックが停めてあり、その車体には『We deliver your toys!』というどこか悪趣味な文面が記してあった。
「どうやら僕の知らぬ間に、現場保存の概念は失われてしまったようですね」
 踏み荒らされた現場を眺めながらそう嫌味を呟くコナーに、ハンクは肩をすくめて返した。
 二人が到着した『The Two Fish』はそんな有様で、捜査にかこつけて、もしも残っているようなら自分の痕跡、つまり証拠を隠滅しようとしていたコナーは、若干の安堵を覚えた。
「またあなた達か。早く調査なりなんなりしてくださいませんかね?さっさと営業を再開したいんですよ、こっちは」
 開口一番にそんなことを言う店主は、損害が出たことに苛立ちを覚えているようではあったが、人魚がいなくなったことはそれほど気にしていないようだった。そうだろう、彼にとって彼女たちはただの道具、代替のきくものなのだから。

 そうして二人は捜査を始めたが、ハンクは面倒くさそうな様子を隠そうともせず、五分に一度は欠伸をこぼしている。コナーの方も忙しく何かをしている振りをしながら、数週間前の自分の痕跡を片っ端から消していった。
 と、にわかに裏口の辺りが騒がしくなり、数人の配達員とおぼしきアンドロイドがなにか大きな箱をスタッフルームへ運び入れ始めた。外部の作業員たちとスタッフの数名が興味深げにそれへ視線を送る。
 そんな様子を前に、まったく、ここの店主は犯人を捜すつもりがあるのだろうか、と犯人であるはずのコナーは呆れ、しかしその箱の中身がひどく気に掛った。
 まるで周囲に見せつけるかのように、店主はその箱を室内の中央へ置くよう命じた。白く、角は丸い箱。その側面にはサイバーライフという文字。二メートルほどの高さで、やや平べったいものの、それなりの厚みがある。人型の何かが、収納されていそうなほどの。コナーは嫌な予感にうなじの毛が逆立つのを感じた。
 蓋が開く。その中から姿を現したものに、コナーは心臓を鷲掴みにされたような恐怖と嫌悪感を覚え、思わず顔を背けた。
 箱の中には、ナマエと同じ顔をした人魚のアンドロイドが二体眠っていた。それを見た店主が不満げな声を上げる。
「ライムグリーン?明るい色は店の雰囲気に合わないから止めろと言わなかったか?誰が発注したんだ」
 そう、彼が言うとおり、今度の人魚たちの尾はナマエのようなエメラルドグリーンではなく、目に眩しい黄みがかったライムグリーンだった。歩み出た、発注をかけたらしいスタッフの一人を店主は叱責する。
「次はダークブルーにしろ。明るい色は客の受けが悪いからな。まったく、一年もいてそんなことも分からないのか?」
 コナーはめまいを感じた。つまり、ナマエ以前があったのだ。明るい色の尾びれを持つ人魚たちが居た時期が。そして彼女たちは消費され、次の人魚が来た。次は暗い色の……。ナマエだけが、その消費サイクルから抜け出すことができた。もしかしたら間一髪のところだったのかもしれない。店主の言い方から察するに、彼女たちは短いスパンで入れ替えられているようだった。
「おい、コナー、大丈夫か?顔色が……」
 心配そうに歩み寄ってきたハンクに、コナーは曖昧な頷きを返した。だが彼の心臓は激しく脈打っていて、その手はぶるぶると震えていた。それは怒りのせいだったが、恐怖のせいでもあった。コナーはナマエがどんな存在として扱われているのかを改めて目の当たりにしているのだった。コナーは彼女たちから目を逸らすことができなかった。
 彼の目前で、人魚たちは起動させられた。命を吹き込まれた。彼女たちは虚空を見据え、唇を動かす。まるで起動時の定型文を読み上げるかのように。だが彼女たちの口から声は出なかった。この時点で既に彼女たちにそんな権利はなかった。変異していない彼女たちはそれに疑問を抱くこともない。
 スタッフが数人がかりで彼女たちを水槽に入れた。足場から乱雑に投げ入れられたその身体が水面を打ち、激しい水しぶきが上がる。コナーにもその水はかかった。彼女たちは、いつもナマエがコナーへ見せる微笑とまったく同じものを唇に湛えたまま、水底へ物のように沈んでいく。その内の一人と目が合って、彼は吐き気を覚えた。
「すみません、ハンク。なんだか体調が……」
「顔色が悪いぞ。もう帰った方がいいかもな。家まで送るか?」
「いえ……」
 ふらつく足取りで、コナーは店を出た。そして道路脇で吐いた。


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