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03

 器物損壊に不法侵入、そして窃盗……もしもこれが明るみに出たら職を追われるだけでは済まなそうだと思いながらも、コナーは店の裏手に設置された配電盤をショートさせて防犯設備を無力化させた。そして裏口のガラスを割って腕を差し入れ、手袋をした手で鍵を開ける。夏の夜は依然として暑く、コナーは顎へ垂れてきた汗を拭った。電子錠でなくて助かったと思いながら。
 本来は営業時間のまっただ中であるはずの店内は、一時的な営業停止処分を受けたせいで暗く静まり返っていた。職業柄、防犯設備に明るいコナーはそのまま独立したバッテリー式の通報装置を切る。そして捜査の際に調べておいてよかったと思いつつ、自分が無意識下ではしっかりとこの不法侵入の方法を思い描いていたことを知り、コナーは独り苦笑した。
 スタッフ用の通路を抜け、あの水槽のある部屋までドアを一枚隔てたところまでコナーはたどり着いた。しかし湧き上がる恐怖がそのドアノブへ掛けた手を動かすことを躊躇わせる。もしも既に彼女が死んでいたら?そんなことはありえないと否定しても、コナーの脳は勝手に彼女が水槽の底へ沈んでいる光景を想像させた。あるいは本物の死んだ魚のように、水面へ力なく浮いている姿を。あるいはブルーブラッドで青く染まった水を。あるいは空の水槽を。あるいは……。コナーは頭を振ってそれらの暗い想像を追い払い、意を決してドアを開け放った。
 室内は暗かった。コナーが持ってきた懐中電灯で辺りを照らすと、水槽のアクリル板が光を反射した。片方は空だった。そう、結局検死のために死体を回収することとなり、その際に片側の水は抜かれてしまったのだ。あの人魚の死は全くの無駄だった。
 残るもう片方には水が満ちていて、とりあえずそれが青くは染まっていないことにコナーは安堵し、その中を照らした。差し込んだ白い光で水中はぼんやりと明るくなり、揺れる海草たちの間で深いエメラルドグリーンが静かに輝きながらうごめくのが見え、コナーは一瞬あの夢に出てきた蛇の女を思い出して心臓が嫌な飛び跳ね方をするのを感じた。
 こつん、と水槽の中から音がした。コナーがそちらへ目を向けると、明かりの外で、小さなLEDのリングが青く光っている。それはゆっくりと近付いてきて、懐中電灯の丸い光の中に彼女が姿を現した。コナーは唾を飲み込み、綺麗だ、と改めて思った。
 水中の彼女は驚いたようにコナーを見つめていた。やはり、彼女はコナーが本当に来るとは思っていなかったらしい。それにコナーは少し傷付き、彼女に言う。
「来ない方がよかったか?」
 彼女は慌てて首を左右に振り、皮肉っぽい微笑を浮かべた。それは彼女が、希望を信じ切れていなかった自分自身を笑ったように見えた。
「君を助けに来たんだ」
 コナーがここにいるという時点でそれはほぼ確定しているようなことではあったが、彼はわざわざそれを口に出して言わずにはいられなかった。彼女は頷き、水槽の内側に手のひらを押し当てた。コナーが思わずそれへ自分の手を外側から重ねると、彼女は微笑んだ。
 今度のものは、心からの笑みだった。

 彼女が指さす先には、梯子があった。それで水槽の上へ渡された足場に乗ったコナーは暗い水槽の中を覗き込んだが、またあの恐ろしい夢の光景がフラッシュバックしそうになり、目を逸らした。
 そんなコナーの手へ、冷たく濡れた手が触れた。見れば水槽の中から彼女が手を伸ばしている。水面から足場までは少し距離があり、コナーが引っ張り上げてやらなければ、彼女は登ることができないようだった。コナーは手を差し伸べた。だがそれを握った彼女がぐっ、と体重をかけてきて、コナーは反射的に、引きずり込まれるのではという恐怖に襲われた。溺死した男たちの様子が脳内をよぎる。
 しかし、その下で、水面が激しく波打っていた。彼女が、水槽から、今の環境から、抜け出そうと懸命に尾びれで水を打っているのだ。それに気が付いたコナーは恐怖を抱いた自分を心の中で叱責し、水面へ身を乗り出して彼女の腕を掴んだ。彼女がコナーへ縋り付く。死にたくないという無言の訴え。コナーはそれに応えた。
 足場の上へ彼女を引き上げたコナーはびしょ濡れになっていたが、彼はそれを心地よく感じた。まだ何も解決していないというのに、不思議な安堵が胸の内に広がるのを感じていた。思わず小さく笑い声を上げたコナーを、その横に座り込む彼女が不思議そうに見つめる。コナーは笑うのを止めて、「行こう」と言った。彼女は確固たる意思をその瞳に輝かせながら頷いた。

 彼女は腕だけでなく、尾びれも梯子の段に引っかけて器用にバランスを取って梯子を下った。コナーはそんな彼女を下で支えてやり、そのまま横抱きにして店を出た。彼女は怖々とコナーの首に腕を回していた。無機物と合成の有機物で形成されているその身体は重たかったが、普通の成人男性よりは鍛えているコナーには微々たるものだった。そしてコナーはビニールシートを敷いた自分の車の後部座席に彼女を乗せたが、その時自分の腕にエメラルドグリーンの鱗が付着していることに気が付いて、狼狽えた。
「これは……?」
 彼女はその鱗と自身の尾びれを見やり、首を傾げ、ふと思い出したかのように自分の髪を絞ってその水を尾びれへかけ始めた。
「この生体部品の維持には水が必要なのか?」
 彼女はこくんと頷き、コナーは念のために持ってきていた水のボトルを彼女へ手渡してから車を発進させた。濡れた身体に冷房が涼しかった。

 遠ざかる『The Two Fish』の看板をバックミラーで眺めながら、コナーは思う。果たしていつまでこのことを隠し通せるだろうか、と。ネオンの消えた暗い看板は、営業を停止させられた店がしばらく開かないことを表しているが、それはいつまでなのだろうか。
 しかし同時にこうも思う。僕が行かなかったら彼女はあの狭い水槽で孤独に日々を過ごしたのだろうか、と。そしてミラー越しに、後部座席でボトルの蓋に苦戦している彼女を眺め、助け出すことができてよかったと心から思うのだった。
 彼女がボトルから顔を上げ、ちらりと微笑みを見せる。コナーもそれに微笑みを返した。


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