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短編|コナーと魚の話 ※悲恋/失恋系

 コナーは屈み込んでその魚をすくいあげた。分析しなくとも、鮮やかなオレンジとブルーの鱗を持つこの魚がドワーフグラミーであることは知っている。彼女の飼っていた魚。
 彼女とは、もう会えないけれど。




 アンドロイドの情緒面の調整を行うために、外部から雇われた精神科医である彼女は、サイバーライフ社の中に小規模ながらも自身の診察室を再現していた。そこに、この魚がいたことを覚えている。彼女が来るのを待つ間、コナーはこれらの泳ぐ水槽を眺めていた。

 透明な水の中を泳ぐ魚の目は無感情で、どこを見ているのかすらも分からない。
「こんにちは、コナー」
 サイバーライフの社員との打ち合わせを済ませてきた彼女が姿を現し、そう声を掛けてコナーに席に着くよう促す。コナーは水槽から離れ、椅子へ腰を下ろした。従順に。
 これは人対人ではないから“診察”とは呼ばない。“調整”だ。コナーにとってその日は三度目の調整だった。彼女はまるで人間の患者を相手にするかのようにアンドロイドへ接し、それぞれのカルテまでもを制作していた。この調整を義務付けられているのはいわゆるプロトタイプのアンドロイドだけであるので、旧式のバインダーに挟まれたカルテの数は少なかった。その中から彼女はコナーのカルテを取りだし、眺める。
「この前は、どこまで話したんだっけ?」
 これは、ただの質問か、それともこちらの反応を伺っているのだろうか、とコナーは考える。
「アジモフ氏が書いた、ロボット三原則についての話を」
「そうそう。そうだった」
 彼女は柔らかく微笑み、カルテから顔を上げた。
「あなたの見解は、他のアンドロイドたちとは少し異なっていたわ。エモーションシステム部の人たちはそれで問題ないと言っていたから、このまま続けさせてもらいます」
「分かりました」
 例え、彼女の言葉がまったく正反対のものであったとしてもコナーの返事は変わらなかっただろう。そのことに彼女は微かな苦笑を漏らし、言葉を続けた。
「あなたは特殊な環境に置かれた人々と関わるだろうから、より親しみやすい性格にセットアップするよう、指示されてるの。そのことについて、あなたはどう思う?」
「私はサイバーライフの指示に従います」
「でも、自分の性格を他人に決められてしまうのよ?それでもいいの?」
「任務のためでしたら」
 コナーの淡々とした答えに、彼女はそう、とだけ呟いて、カルテに何事かを付け加えた。そしてしばらく、質問とも雑談ともつかない会話を二人は交わす。
「あなたは自分のことを特別だと思う?」
 調整も終わりに近付いた頃投げかけられた問いかけに、この質問は初日にもされたな、とコナーは思いつつ答える。
「いいえ」
「なぜ?実際あなたは特別に作られた存在なのに」
 それは今までされたことのない質問で、コナーは言葉を注意深く選ぶ。
「比較対象がいないので。そもそも特別という言葉が定義されていません」
「……特別とは、って?」
「あなたは何を特別だと思うのですか?」
「一般的な定義の話をするのなら、他とは異なることね。例外、と言ってもいいわ」
「例外、ですか」
「そう」
 彼女は微笑んだ。
「私、例外というものは職業柄好きよ」
 その言葉にコナーは首を傾げ、そんな彼の反応で自身の失言に気が付いた彼女はわざとらしく咳払いをした。


 何度かの調整を受けるうちに、この調整の日が待ち遠しくなっている自分がいることにコナーは驚きを覚え、彼女が他のアンドロイドとどんな話をしているのか気に掛かる自分を不思議に思った。彼女は他のアンドロイドにも特別かどうか尋ねているのだろうか。彼女のする質問の何割がサイバーライフから指示されたもので、何割が個人的なものなのだろう。
 そんなことを考えながら、コナーは魚を眺める。コナーはその虚空を見つめる瞳に若干の薄気味悪さを覚えつつあった。彼にはこれが何を考えているのか分からなかった。これらは自身が魚であることを認識しているのだろうか?アンドロイドが自身を認識するように、あるいは人間が自分自身を認識するように。
「コナー」
 控えめに名を呼ばれて、コナーは振り返った。デスクの向こうの彼女はどうやら、魚を観察するコナーの後ろ姿をしばらく眺めていたようだった。

「個人的な質問を?私があなたに?」
「ええ。なにか聞きたいことはありますか?」
「そうね……あなたはなにかを特別だと思う?」
 それは予想していた質問で、コナーはすでに答えを準備していた。それがどれほどの意味を持つのか、この時点ではまったく意識せずに。
「あなたを、特別だと思います」
 彼女は驚きに目を丸くした。だが僅かに口角が上がったのは、学術的興味からだろうか。
「……それは、どうして?」
「私にもよくは分からないのですが、あなたと話していると……気分が良いんです」
「気分?」
「あなたといると楽しい。もっと一緒にいたいと感じます」
 動揺が彼女の表情を曇らせた。瞳が揺らぎ、唇の緩やかな弧は消え失せた。
「それは、プログラムにない感情みたいね。あなたの対人交渉の能力は従来のものよりも大幅にアップグレードされているみたいだけど、対話から精神的報酬を得られるようには設定されていないはず」
 彼女の瞳がすっと細められた。声が鋭く、冷たいものとなる。
「これは重大なエラーのように思われるので、システム部の方々に報告します。そう義務付けられていますので」
「そうしたら、私はメモリを消去されるのでしょうね」
「……多分ね」
「あなたとのやり取り全てを私は覚えておきたいのだと言っても、あなたの気持ちは変わりませんか?」
 彼女は無言で視線を床へ落とし、コナーは自分の本心を告げた。
「僕はあなたの“例外”になりたい」

 それから、彼女とは会っていない。次の調整の日、コナーが訪れた診察室は様変わりしていて、魚の入った水槽も、彼女の姿もなかった。彼女は辞めたのだと後任の精神科医は言い、そんなことを尋ねてくるコナーを訝しむように見つめた。どうやら彼女はコナーのことを報告しなかったらしい。コナーはそれ以上、彼女のことを誰にも尋ねなかった。
 なぜ彼女が自ら職を辞する道を選んだのか、コナーには分からなかった。彼に推測できたのは、彼女が自責の念を覚えていたのではということだけだった。コナーにそのような感情を芽生えさせてしまったことに対しての。
 コナーはむしろ彼女には側に居てもらい、責任を取って欲しかった。この、自分でもよく分からない感情について、彼女からもっと多くのことを学びたかった。それができるのは、彼女だけだったのに。




 コナーは立ち上がり、手の中の魚を水槽へ戻した。魚は水の中で身を翻し、次の瞬間にはもう、自身が床の上で空気に晒されていたことなど忘れてしまったかのように泳ぎ始めた。水槽の中の魚の瞳と、水槽に反射して写るコナーの瞳とが重なる。生きているのに無感情な瞳と、作り物なのに感情を密かに秘めた瞳とが、重なる。
 それを眺め、コナーはふとあの日のことを再び思い出す。
 彼女と会ったあの最後の日、コナーは診察室の水槽を眺めながらも、その中ではなく、外側のアクリル板に反射して写る彼女の姿を見ていた。その日の彼女は、いつものようにすぐコナーへ声を掛けようとはせず、ただ、その背を眺めているようだった。彼女からのそんな柔らかな眼差しを背中に受けるコナーもまた、虚像の方の彼女へ同じ眼差しを注いでいた。
 彼女が去ったのは、自分と同じ感情を持っていることに気が付いたからではないだろうかと考えてしまうのは、希望的観測であるだろうか。

 コナーは水槽へ最後の一瞥を送ると、人質の交渉を行うため、荒れた室内に入っていった。

 もしも僕が本当に特別に、彼女の例外になれたのなら、その時きっと僕たちは再会できるのだろう。これは完全なる希望的観測だ。でも今は、それを信じていたい。


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