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中編|後輩を扱いあぐねるコナーの話(2/2)

 地道な捜査が実を結び、レッドアイスの受け渡しが行われているらしい廃工場をコナーたちは突き止めた。そこで取引が行われる日程も彼らは得た。次は、行動を起こすだけだった。
 コナーにとってはまだ仕上がっていない隊員たちを投入するのは気が引けたが、いつまでも雛鳥を巣に抱え込んでいるわけにもいかない。彼は決断した。

 とはいえ、隊長自らが先陣を切って突入するわけにもいかず、隊長兼指揮官でもあるコナーはバンの中で独りスクリーンと向かい合い、無線機を使って隊員に指示を飛ばしていた。
 先ほどまでは彼の部下たちがひしめきあっていたバンの内は静かで、車のエンジン音だけが低く響いている。それになぜか居心地の悪さを覚えながら、コナーは目前のスクリーンを凝視した。画面の中の部下たちは、地図の上を動く小さな黄緑色の点で表されていて、そこで彼らが戦っているのだという実感は湧きにくい。コナーは部下たちの身を案じ、ナマエのことを想った。
 無線から聞こえる部下の声、その後ろで響く銃声。売人たちの抵抗はなかなかしぶとく、部下たちは手こずっているようだった。コナーは歯がゆさを覚えながら報告を待つ。制圧、そして全員無事だという報告を。


 ナマエは負傷した仲間に肩を貸しながら、空いている手で額を拭った。ぬるりとした嫌な感触に手を見れば、赤い血がべったりと付着している。それを眺めていると、今まで意識していなかったその傷がじくじくと痛み始めた。やっちゃった、とナマエは心の中で嘆く。また見える所に傷を負ってしまった。これでは褒められるどころか、怒られてしまう。ナマエがため息をつくと、何か勘違いしたらしい仲間が、痛みに顔を歪めながら謝罪の言葉を口にした。
「悪いなナマエ、俺のせいで」
「違うよ。私が未熟なだけ」
「また隊長に怒られちまうな」
「そうだね」
 数人の売人を取り逃がした上に、負傷者が多数。こちらに死者が出なかったのは幸いだが、実力不足を痛感させられる結果になってしまった。悔しさに、ナマエは唇を噛む。私たちが辛いのはもちろんだが、責任感の強い先輩はこのことを私たちよりも重く受け止めてしまうだろう。上からの小言を受け止めるのは彼だ。周囲の批判を受け止めるのも。私たち隊員へそれらが及ばないように、彼はいつも奔走している。それを私は支えたいのに……。ナマエはヘルメットをずり下げて、未だ出血を続ける傷が見えないように隠した。
 バンの前で待つコナーは明らかに動揺していた。彼のこめかみにあるリングが黄色を通り越して赤色になるのを、ナマエは初めて見た。コナーが一歩踏み出したその姿は、彼らの元へ駆け出そうとした身体を意思の力で無理矢理引き留めているように見えた。
 救護班がすでに待機していて、ナマエが支えていた仲間を救急車かどこかへ連れて行った。彼らに、手当が必要そうな他の仲間たちの居場所を伝えて、ナマエはコナーに向き直る。彼はもう動揺していない。腕を組んで、険しい顔をしている。
「それじゃあ私は逃げた奴らを――」
 なんだか険悪な雰囲気から逃げようと踵を返したナマエが言い終わるより速く、コナーが無言で彼女の片腕を強く掴んだ。そしてそのままぐいと引かれて、ナマエは振り返り、驚きの視線を彼へ投げかける。
「僕の目を誤魔化せると思ったのか?」
 冷たく、低い声でそう言われ、ナマエは若干の恐怖を覚えた。コナーが手を伸ばして、ナマエのヘルメットを持ち上げ、その額を露わにする。隠されていた傷口はそこそこ深いようで、それまで押しつけられていた緩衝材に吸い取られていた血が、行き場を失って再び溢れ滴り始めた。コナーはそれが彼女の瞳に入る前に、指先で拭う。
「君も手当てを受けてこい」
「でも……!」
 食い下がろうとするナマエの腕を突き放すかのような勢いで放したコナーは、そのまま彼女の顔を見ようともせずに背を向け、ぼそりと呟いた。
「どうして君はいつも無茶をするんだ?僕を煩わせないでくれ」
 沈黙があった。
「すみませんでした。……隊長」
 弱々しい、声だった。コナーが振り返った時にはもう、ナマエはいなかった。

 コナーは自分の行いを後悔した。本当は、今すぐ彼女を病院に担ぎ込みたかった。医者に、傷が残らないかどうかを問いただしたかった。大丈夫かと尋ね労って、できることなら……傷付いた彼女を抱き締めたかった。
 だが、今の彼は威厳のある隊長として、そこに佇み続けるしかないのだった。




 ナマエは泣いていた。額の傷を麻酔なしで縫われたからではない。確かに、薄い皮膚を貫通する針と糸は痛かったし、なんなら今も痛いが、それよりも彼女は、コナーに迷惑をかけてしまったことを嘆いていた。
 彼女は傷跡にガーゼを押し当てながら、数年前のことを思い返していた。ハンクが部隊を去って、それに伴い、大半の隊員が辞めてしまった時のことを。自分を責めるコナーの姿を。
 斜線を引かれた名前ばかりが並ぶ隊員リストを手に、立ち尽くしていた彼。私が「先輩」と呼びかけると、どこか安堵したような笑みを浮かべた彼。
 私はそんな彼の側にいたかった。負担を分かち合いたかった。彼の肩にかかる重責を少しでも軽くしたかった。だから努力した。できることはなんでもした。
 だが結局、それは独りよがりなものでしかなく、彼の足を引っ張る行為でしかなかったわけだ。
 ナマエは大きくため息をついて、ガーゼを剥がした。もう出血は治まったようだ。立ち上がったナマエは、彼女のような軽傷者を収容している簡易テントから出て、コナーの姿とバンを探した。なんとかして次の作戦にも参加し、汚名返上の機会を得なければならないと思いながら。諦めるつもりなど、彼女には毛頭なかった。

「……隊長は?」
 誰もおらず、スクリーンの青白い光だけが照らすバンの中を見ながら、ナマエは近くにいた仲間の一人に尋ねた。仲間は首を傾げた。
「さあ?どっか行ったみたいだな。でも流石に一人じゃあ追ったりなんか――」
 ナマエは駆け出した。彼女は彼が一人で物事を解決しようとする人だということを知っていた。


 不審な血まみれの男が数人いるという通報を受け取ったパトロールが、コナーへそれを伝えた。その男たちは先ほどの銃撃戦の生き残りだろう。コナーはそう確信しつつも、それを隊員たちに伝えることもなく、一人で行動を起こした。彼は焦っていた。
 ここまで追い込んだのだ、追跡の手を休めればまた、この麻薬カルテルは地下へ潜ってしまうだろうとコナーは考えた。次に奴らが捜査の網に掛かるのはいつのことか。それまでに、未だ成果を挙げられていない部隊が解体されずに残っているものだろうか。そんな最悪の未来を実現させないためには、今ここで動きを止めるわけにはいかなかった。

 コナーは銃の残弾数を確認した。通りを隔てた向かいに佇む、一軒の廃屋の中に潜んでいるであろう人間の数は、それほど多くはない。無駄打ちしなければこれ一丁で制圧できるだろう。
 しかしコナーは、少しばかりの不安を覚えた。もしもコナーがここで破壊されても、サイバーライフは次のコナーを派遣することはないだろう。コナーシリーズの生産はとうの昔に終了している。トップを失った部隊はどうなるだろうか。ハンクが戻ってくることは考えにくい。では、ナマエが後を引き継ぐだろうか。彼女の能力を疑いはしないが、今の自分が負っているようなプレッシャーを彼女へ負わせたくはない……。
 コナーはしばし目を瞑り、ナマエのことを思い浮かべた。さっきの彼女は泣いていたのだろうかと思うと、やはり最後に抱きしめておけばよかったという後悔の念が湧き上がってきてしまうのを、彼はどうにも押さえきれなかった。

 そして目を開いたコナーは、息を切らせたナマエが目前に立っているのを見つけた。重装備に身を包んだ今の彼女の表情は、悲しみというよりは怒りだった。
「どうして一人でこんなとこにいるんですか!」
 そんなことを言うナマエに、コナーも怒りの表情を浮かべて見せる。例え内心では、そう思っていなくとも。
「なんで来たんだ」
 彼の突き放すかのような声の調子に、ナマエの目が少し潤む。しかし彼女ははっきりとした口調で告げた。
「あなたを独りにはしたくないからです」
 ナマエは深く息を吸って続けた。
「私はあなたのポイントマンになりたい。あなたの道を切り開いていく斥候になりたいんです!」
「……僕には、必要ない」
「どうしてそうやって何でも一人で背負いこもうとするんですか!」
 怒りを爆発させたナマエは、一転して悲しげな表情を浮かべた。
「あとどのぐらい頑張ったら、先輩は私のこと、信頼してくれるんですか……」
 ああ、とようやくこの時コナーは理解した。彼女は僕に認められたくて無茶をしていたのか、と。そして彼女を愛おしく思った。彼は肩の力を抜いた。
「僕は君を信頼してないわけじゃない。……多分、君が傷付くのを見るのが怖かったんだ」
「私はもう、」
 コナーはナマエを遮って、彼女が言おうとした言葉を継いだ。
「どうやら君はもう、僕の後輩じゃないようだ。分かっていなかったのは僕の方みたいだな」
 そうして彼は、なにかまぶしいものでも見たかのように目を細めて微笑んだ。
「認めよう。君は僕の大切な部下で……今から副隊長でもある」
 ぱあ、とナマエが顔を輝かせた。コナーは釘を刺す。
「だから、無茶はしないでくれ。僕に何かあったら、君があとを引き継ぐんだからな」
「じゃあ、何もないようにしますよ、隊長」
 そう言う彼女はもうすでに、スタングレネードを握りしめている。用意周到な彼女は、やる気と自信に満ちあふれていて、そこにはもう、自分を認めて欲しいというひりつくような焦りにも似た感情は見られなかった。
 そしてコナーは、自分がかつてハンクからそうしてもらっていたように、信頼と励ましを込めて、彼女の背を優しく叩いたのだった。


 突入の作戦を立てている途中、ナマエのようにコナーを追いかけてきた隊員たちが合流したのもあって、廃屋内の制圧は拍子抜けするほど早く終わった。
 コナーはバンのバックドアを開いた所へ腰掛け、自分の部下たちを眺めた。ひと仕事終えた彼らは、少々ハイになっているのか、笑い合い、互いの健闘を褒め称えている。その一団に紛れていたナマエが、コナーの視線に気が付いたらしく、騒ぎを離れ、彼の隣に座った。
「皆、隊長を慕ってるんですよ」
「……みたいだな」
「いつだって隊長を支えたいと思ってるんです」
「今回のことで、よくわかったよ」
 ふう、と息をつくコナーへナマエは微笑み、コナーも微笑みを返した。
「さて、僕は整備を受けに、サイバーライフへ行かなければ。メンテナンスをもう長いことサボっていたからな……。しばらく部隊を任せてもいいかい、ナマエ……副隊長殿」
 新たな肩書きに、ナマエがにっと口角を上げる。
「もちろんですよ、隊長!ゆっくり休んで下さいね」
「君もな」
 そう念を押して、コナーはナマエが差し出してきた拳に、自分の拳を軽く当てた。




 フルメンテナンスを終え、いくつかのパーツを交換したコナーは、サイバーライフタワーを出た先に意外な人物が待っているのを見つけた。いや、人物として彼女は意外でもなんでもなかった。そういうことをするのは彼女の他に誰も考えられなかった。コナーは誰かが自分を待っているとは夢にも思わなかったのだ。
 ナマエが乗ってきた無人タクシーにコナーも乗り込み、二人は暫く当たり障りのない会話を楽しんだ。だがその会話の端々で、ナマエがコナーのことを“先輩”ではなく“隊長”と呼ぶのが、ひどくコナーは気にかかった。多分、彼女は自身の立場が変わったために、呼び方を改めなければと思ったのだろう。だがコナーはそんなことを全く望んでいなかった。
 「ナマエ」とコナーは彼女の名を呼んで切り出した。
「休暇の間に考えたんだが」
 ナマエは唇に笑みを湛えたまま、首を傾げた。
「先日、君を副隊長に任命したがな……」
 コナーの重々しい言い方に、まさかやっぱり気が変わったなどと言うのではないかと、警戒心も露わにナマエが凝視してくるので、コナーはつい面白くなってしまい、声を上げて笑った。彼は首を横に振って見せた。
「別に副隊長の座を降りろなんて言うつもりはない。君の実力なら、だれも異を唱えたりしないだろう」
 その言葉に、明らかにほっとした様子を見せるナマエを、コナーは優しい眼差しで見つめた。
「お願いがあるんだが……これからも先輩と呼んでくれないか」
 ナマエは不思議そうに目を瞬く。
「どうしてですか?」
 コナーは沈黙してしばし、窓の外を眺めた。ナマエが答えを急かす。
「教えて下さいよ」
 身を乗り出して尋ねるナマエに、コナーは視線を戻した。
「ただ、君にそう呼ばれるのが好きなんだ」
「……そうなんですか」
 ナマエの返事はシンプルだった。今度はナマエが窓の外を眺め始めた。
「じゃあ、私以外の誰にも先輩って呼ばせないで下さいよ」
 再びの沈黙があった。コナーがナマエを見つめ続けていると、ナマエはちらりとコナーを見て、恥ずかしげに微笑んだ。コナーはほとんど無意識に言葉が唇からこぼれるのを止められなかった。
「あと、二人きりの時は、その……名前で……コナーと呼んでほしい」
「先輩に頼まれたら、嫌とは言えませんね」
 その言葉は笑うような調子で紡がれたが、コナーは自分が立場を利用して“お願い”を押しつけているのではないかと少し心配になった。
「嫌なら、言わなくていい。……これは個人的なお願いだ」
「じゃあ、私からも個人的なお願いをしてもいいですか?」
「もちろん」
「これからは、あなたを隣で支えさせて下さい」
「君はもう、副隊長じゃないか」
「個人的な、のところ聞いてました?」
 ナマエは笑い、小声で、しかし確かめるかのように呟いた。「コナー」と。
 その声で、コナーは目前の女性が、後輩で副隊長であるだけでなく、大切な存在なのだということを改めて意識した。
 


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