Main|DBH | ナノ

MAIN


短編|ヘカテーにはまだ早い

 パーティーを開くことを義務だと思ってる人間の開くそれほど、楽しくないものはない。
 そのホームパーティを開いた市警の上司への義理でそれに出席したナマエは、早々に楽しむことを諦めた。そしてワインを一瓶とグラスを引っ掴むと、自身が落ち着くべき場所を探し当てた。屋根の上だ。
 彼女は二階の窓から一階の屋根の上へ這い出すと、先客の残していったグラスとつまみの残骸へ皮肉っぽい笑みを投げかけ、腰を下ろした。遠くなった室内の喧噪は、間近で聞くよりもずっといい。残暑の名残りの熱が夜の闇に溶けていくなか、彼女は独りでグラスを傾けた。

 コナーはニ階の窓からそんなナマエの姿を確認すると、手近な窓ガラスを鏡代わりに、自身の格好を改めた。別に緩んではいないネクタイを何度も締め直し、歪んではいない襟を正す。彼は先輩であるナマエに対してささやかな憧れの念を抱いており、常に言葉を交わす機会を伺っていたのだった。
 コナーは意を決して窓をくぐった。
 安ワインを水のように流し込んでいたナマエは、その突然の来訪者に驚きはしなかったものの、確認するかのような視線を送った。つまり、独りで楽しんでいた夜を無粋にも邪魔するような輩ではないかどうかを確かめた。
 窓の桟を掴み室内から屋根へ身を乗り出したコナーは、ナマエにとって後輩であるという点以外はまだ未知数の存在だった。彼女は彼へ手を差し伸べ、屋根の上に這い出すのを手伝ってやった。
 そして屋根の上へ降り立った彼の第一声は、彼女の興味を大いに引くものだった。
「ヘカテーになるのはまだ早いのではないですか?」
「ヘカテーって?」
「夜を見てる女、という意味です。ギリシャ神話の月と闇夜の女神のことですよ」
「詳しいのね」
 冷たい屋根材へ再び腰を下ろしながらナマエはそう言い、コナーは得意気な表情を浮かべたが、薄暗さがそれを隠してしまった。
 この屋根へ登る前に、コナーが気の利いた台詞を必死になって考えていたことをナマエは当然知らない。
「ハンクが探していましたよ。話が合うのがあなたしかいないと」
 コナーがそれとなく隣へ座りながらそう伝えると、ナマエは立てた膝に肘を乗せて頬杖を付き、ふうん、と言って気乗りしない様子を露わにした。
「中へ戻らないんですか」
「……どうしようかな」
 自分で尋ねておきながらも、コナーはナマエのその返事を心の内で喜んだ。
「なぜこんなところにいるのですか?」
「疲れたし、つまんなかったから。こんなに型に嵌ったパーティーは初めて」
 そう言いつつグラスにワインを注ぐナマエへ、コナーは困ったような微笑を向けた。
「屋根の上での飲酒はあまりよくないのではないでしょうか」
「ここで小声を言われると、もう行く場所がなくなるわね」
 むっとした口調でナマエはそう返した。険しくなった瞳が、室内から漏れる明かりを反射してきらりと光る。コナーはすぐに自身の失言を訂正した。
「すみません。僕は小声を言いたかったのではなく、あなたが転落したら嫌だと思ったんです」
「あなたなら支えてくれるでしょ」
 さらりとそんなことを言う彼女の表情をコナーは盗み見た。彼女の横顔は平然としている。アルコールを摂取しても、頬のひとつも赤くならない体質らしい。だが楽しいほろ酔い気分ではあるらしく、ナマエは早々にコナーの失言を許した。
「私、あんまり人とは話さないタイプなんだけど」
 ナマエのそんな自己申告にコナーは、知っていますよと返しそうになる口を慌てて噤んだ。彼女はくつろいだ様子で言葉を続けた。
「今は話し相手が欲しい気分」
「僕が……それになっても?」
「お願いできる?」
「もちろんです」
 コナーは喜び勇んでそう返したものの、どんな話題を振るかを悩んだ。こういう時の為の話題リストは制作済みだったが、いざ本番となると、つまらない話題を振って彼女を落胆させたくないという気持ちの方が先立つ。そんな彼の葛藤を察したのか、ナマエは微かな笑い声を上げた。
「星の一つでも見えれば、話も弾んだかな」
 二人の見上げる都会の夜空は明るく、星々はその明るさに屈してしまっているようで、いくら探そうと、影も形も見つかりそうになかった。
「星がお好きなんですか?」
 『今夜のデトロイト』という、市の科学館が発行している星図をダウンロードしながらコナーがそう尋ねると、ナマエは唇に僅かな微笑みを浮かべたまま、首を横に振った。
「いいえ、全く。でもなんだか、あなたが詳しそうに見えたから」
 今、コナーには二つの選択肢があった。急いで星座関連のデータを各所からダウンロードしてきて薀蓄を並べるか、正直に答えるか。コナーは後者を選んだ。情報を語ることをお喋りとは言わないし、なぜだか彼女の前では完璧を気取らなくても大丈夫なように思われた。
「残念ながら、あまり詳しくはないんです」
「そうなの?」
 不思議なことに、ナマエは面白そうにしている。
「ハンクの話を聞いてるかぎりじゃ、あなたは何でも知ってるんだと思ってた」
「ハンクが、僕のことをそんな風に話していたのですか?」
「ええ。いつもあなたのこと、褒めてるわよ」
 コナーは奇妙なむず痒さを覚えて視線を彷徨わせた。その、照れと喜びをありありと浮かべている彼の顔を眺め、ナマエは微笑みを深める。
「実際、よくやってると思うわ。先入観に囚われないで、自分の頭で考えてる。それができる人ってそういないから」
 ナマエからのそんな褒め言葉に、コナーは驚いた。まさか彼女が自分を見て、そんな風に評価してくれているなどとは夢にも思わなかったからだ。
「僕のことを、見てらっしゃったんですね」
「期待の新人君だもの、見てるわよ」
「期待の?」
「そう、期待の。私にとってはね。それで、あなたは私の期待に答えてる」
「そうですか?」
「そうですよ」
 コナーの口調を真似て、少し笑うかのように、ナマエはそう言った。室内からの雑音があたりに響いていたが、コナーはこの言葉をはっきりと聞き取った。

 コナーの相棒たるハンクは口下手で、心の中では思っていても、面と向かってコナーを褒めることなど滅多になく、周りの人間は、コナーは機械なのだからできて当然だという態度をとっていた。だからこうしてコナーが誰かから率直な褒め言葉を受け取るのは初めてのことだった。それを口にしたのがナマエだということも、コナーの喜びを倍にした。まるで新たな自分、あるいは自分自身でも認識していなかった自分というものが、彼女の言葉によって定義付けられていくかのようだった。
「ありがとうございます。あなたからそう言っていただけるとは」
 コナーの硬い口調に、ナマエはまた声を上げて笑った。
「私なんかでよければ、いつでも褒めてあげる」
「本当ですか?」
「本当に。あなたはもっと褒められるべきだもの。ハンクは伝えるのが下手な人だしね」
「楽しみにしてます」
 期待に満ちた眼差しでコナーがナマエを見つめれば、ナマエは優しい頷きを返した。


 日が暮れてから数時間経った屋根の上は、昼の暑さを忘れつつあるようだった。そこへ冷たい秋を思わせる風が吹き、ナマエはため息をつくかのように「寒い」と呟いた。
「そろそろ中に戻ろうかな」
 そう言いつつ立ち上がろうとするナマエをコナーは引き止めたかった。もう少しだけこの二人きりのこの特別な時間を味わっていたかった。コナーは新たな話題を探し、しかしそれよりもずっと良い方法を閃いた。
 ナマエはふわりと肩へ掛けられたものに少し驚いて、いつの間にか立ち上がっていたコナーを見上げた。白いシャツ姿になったコナーは、自身がナマエに羽織わせたジャケットの肩の位置を意味もなく微調整する。
「どうですか、これで寒くなくなりました?」
 その言葉の裏にある彼の気持ちをナマエは読み取って、浮かばせかけていた腰を再び下ろした。コナーは少しの名残り惜しさを覚えながらナマエの肩から手を離す。
 そしてコナーはナマエにとっての“期待の新人君”以上のものになりたいと願いながら、「今度一緒に星を見に行きませんか」とデートの誘い文句を口にしたのだった。


[ 51/123 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -