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短編|コナーと引用の話

 その映画を観ながらナマエは「あれっ」と思った。数秒巻き戻し、そのシーンをもう一度観る。
『愛してる。君のおかげで今の僕がいるんだ。君は僕の理由であり、希望であり、夢だ……そして僕は一生君のものだ』
 ナマエはこの言葉に聞き覚えがあった。もっとコナーっぽい言い方だったように思うが、言い回しや単語はそっくりそのままだ。


 その時のナマエは、家の鍵が一瞬で開いてしまう電子錠ではないことに感謝しながら時間をかけてそれをがちゃがちゃとやりつつ、コナーをどうにかして引き留められはしないかと思考を巡らせていた。もちろんそれは友人という関係に留まるという意味ではなく、むしろそれをもう一段階引き上げたいという意味で。
 あたりは暗く、無人タクシーで家まで送ってくれたコナーはナマエに続いてタクシーを降り、彼女の背を見守っていた。それに何か意味があるのだろうか、あるのだと信じたいとナマエは思っていた。とうとう鍵が開いてしまい、彼女は渋々ドアノブを回す。ゆっくりと、時間をかけて。
 ナマエは家の中へ足を踏み入れる前に一度、コナーを振り返った。「送ってくれてありがとう、おやすみ」と言って自ら二人の関係を静止させし続けるために。でも実際に振り返ってみて、ナマエはその関係が急速に進みつつあることを知った。コナーはナマエのすぐ後ろに居た。それなのに、彼はナマエの手首を掴んだ。まるで彼女が逃げてしまうとでも思っているかのように。
 暗闇の中で、コナーのLEDが黄色く光っていた。彼は己の行動に自分でも驚いているようで、すぐにナマエから手を離した。もちろん、ナマエは逃げたりなどしない。例え腕を取られていられなくても、彼の視線からは逃げられそうになかったからだ。
 それは何か奥に熱いものを秘めた視線だった。乞うような、求めるような、それでいて怯えているような……一言で言うのならそれは、告白を決意した者の目だった。ナマエはそれだけで――コナーが何かを口にしなくても――イエスと答えてしまいそうだった。だが彼女には理性と分別が幾分か残っていたので、全く見当違いの言葉が出てきた場合に備えて口を噤み、ただ待った。

 それで、コナーが言ったのが先程テレビから聞こえてきた一連の台詞だった。

 それらを言い終わったコナーは、自分の突発的な行動に戸惑っている様子で、困ったように眉尻を下げていた。彼が瞬きをする度に、その瞳に浮かぶ感情が切り替わっていく。困惑、期待、焦燥、諦め、その繰り返し。それが“期待”の時にナマエは微笑んだ。それが答え、それがイエスだった。


 ナマエはこの時の言葉、この時の様子をよく覚えていた。彼女はこれらを額に入れて飾ってしまいたいほど気に入っていたのだ。
 まあ、と少々の不満を感じつつもナマエは思う。告白の台詞を映画から引用することもあるだろう。例えばその映画を観ていて、いつか自分も使ってみたいと思っていた、とか、告白をもっとロマンチックにしたかった、とか。……だがその告白を受けた時のナマエは、その言葉をコナーの心からの言葉だと思っていて、そういう意味で、彼女は少し裏切られたような気持ちになったのだった。

 と、そこへシャワーでボディの洗浄を済ませてきたコナーがやって来て、Tシャツとハーフパンツというラフな格好でナマエの隣へ腰を下ろした。片手にビールでも持っていそうなくつろぎ具合のコナーは、そのまま自然な手付きでナマエの肩へ腕を回し、頬へ軽いキスを送る。
「何を観てるんですか」
 ナマエは映画のタイトルを伝え、尋ねる。
「コナーは観たことないの?」
「ないですね」
 横目でテレビを見て即答するコナーは構ってほしげな雰囲気を醸し出していて、わざとリップ音を立てながら唇をナマエの頬からその首筋へ移動させる。
「映画より、僕とお喋りでもしませんか。僕が1日の最後にお喋りをしたいのはあなたなんです」
 二回目の「あれっ」だった。この言葉も映画で聞いた覚えがある。
 ……よくよく思い返してみれば、コナーと付き合ってからの一年間、ナマエはこの「あれっ」を何度か感じたことがあった。聞き覚えがあるなと感じたことが。いつもそれを意識しないよう努めていたような気も。
 もしかして、とナマエはコナーを両手でぐいと引き離した。
「コナー、私のこと愛してる?」
 コナーのリングが、青色のまま一瞬くるりと回る。彼は微笑む。
「あなたがいないと、僕の心は愛の抜け殻になってしまいます」
 この台詞も知っている。
「……自分の言葉で言ってよ」
 ナマエは自分でも、この言葉がある種の冷たさと棘々しさを纏っているように思った。コナーもそれを感じたらしい。彼のリングが黄色に振れる。
「僕は……」
 コナーは口ごもり、視線を彷徨わせた。ナマエは待つが、続く言葉は出てきそうにない。
「なるほどね」
 ナマエはため息を一つつき、ソファから立ち上がった。その手首をコナーが慌てて掴むが、ナマエはそれをゆっくりと有無を言わせない手付きで振りほどく。コナーはもう一度手を伸ばしたが、それは虚しく空を切った。
「ナマエ、その……僕は」
 手ぐさりで弁解の言葉を探しているらしいコナーへナマエは首を振って見せ、それが無駄だということをはっきりとさせた。
「ごめん、今はどんな言葉も勘繰ってしまいそうだから聞きたくない」
 コナーの視線を背中に感じながら寝室へ向かいつつ、ナマエはコナーの言葉にいちいち尋ね返す自分を思い浮かべた。「ねえそれって何かの引用?それともあなたの本心?」バカバカしい。ナマエはまた首を振ってその想像をかき消した。


 ナマエの去ったリビングルームで、たった独りソファに取り残されたコナーはこれは破局の危機なのだろうかと考えていた。
 これまでの二人は、その間に生じた些細な問題をもっぱら話し合いで解決してきていて、コナーにとってこういう風に話し合いすらも拒絶されるのは初めての経験だった。
 何か失敗をしてナマエに失望されたらと思うと、コナーはいつも恐怖に襲われた。そして実際、今の彼は恐怖と焦りと自己嫌悪と嘆きとその他諸々負の感情全てを一気に味わっていた。その普通の人間、あるいは変異体が一生をかけてゆっくり味わうであろう感情を一度に浴びせかけられるのが恋愛の醍醐味で最悪のところなのだが、たいてい、それを楽しめるものはいない。
 もちろんコナーはナマエを愛していて、それ故に彼はナマエの前では常に完璧であろうとしていた。それは時折彼に苦痛を感じさせもしたが、彼は恋愛とはこのようなものなのだろうと考えていた。言うまでもなく、彼はこれが初恋だったので。

 コナーはソファから立ち上がると、部屋の中をうろうろと歩き回った。そして無意識に謝罪の言葉までもをネットで得ようとしている自分に気が付いて、苛立ちと共にそのプログラムを終了させる。これは、つまりネットから言葉を引用するという手段は、彼が完璧であり続けるために選んだものだった。そして今はそれが彼を苦しめている。
 どうしたらいいのだろう、とコナーは悩んだ。謝らなければならない、それは分かっている。だが、どんな言葉を使って?彼は“自分なりの言葉”なるものを積み上げようとしたものの、「彼女を失いたくない!」という衝動めいた心の叫びがそれを妨げた。
 そうだ、僕はナマエを失いたくない、とコナーは思った。例え苦痛を伴ったとしても、ナマエを手放したくはない。

 コナーはナマエからの愛を得た時のことを思い返す。
 彼は家まで送ると言い張って、彼女の呼んだ無人タクシーへ一緒に乗り込んだのだった。その狭い車内で、二人はささやかな会話を楽しんだ。ナマエの手は触れそうなほど近くにあったけれど、それを握る勇気がコナーにはまだなかった。この車が永遠に着かなければいいのにとコナーは思ったが、結局は目的地へ辿り着いてしまうのだった。
 コナーに背を向けているナマエは旧式の鍵に手こずっているようで、その様子を眺めていると、コナーの心の中にこの時間を終わらせたくないという気持ちがふつふつ湧き上がってきたのだった。もっと彼女と一緒にいたいという強い欲求。彼女の声を聞きたい、彼女の微笑みを見たい、彼女に……触れたい。
 気がつけば、コナーはナマエのすぐ後ろまで歩を進めていて、振り返る彼女の手を反射的に掴んでしまっていた。そうしなければ彼女が身を翻して家の中へ逃げ込んでしまうような気がして。そして彼は衝撃を恐れた。彼女がこの手を振りほどくという衝撃を。だがそれはいつまで経っても訪れず、コナーは自分がかなりの力を籠めてその細い手首を握っていることに気がつき、慌てて指を解いた。彼女の腕は重力に従って離れていき、それにコナーは若干の物足りなさを覚えた。
 ナマエは驚いていたが困惑はしていなかった。むしろ困惑していたのはコナーの方だった。彼は自身の突然な行動を説明しなければと焦り、内面を形にする言葉を求めた。だがこういった方面に対して、元々捜査補佐のために造られた彼のボキャブラリーは乏しく、満足に今の気持ちを伝えられそうな文字列を見つけることはできなかった。
 そして、彼は人間で、かつ恋愛の先駆者たちの残した台詞に目を向けたのだった。

 この時、どんな気持ちでこの台詞を選んだのか。おそらく、彼女に伝えるべきはそれなのだろう。そうコナーは結論付けた。


 コンコン、と控えめに寝室のドアがノックされる。広いベッドの真ん中で背を丸めて横たわっていたナマエは、初めのうちこそそれを無視していたが、きっちり30秒起きに繰り返されるノックに根を上げて、ドアの向こうのコナーへ声をかけた。
「いいよ……入っても」
 鍵は掛かっていないのだから、その気になれば彼は勝手にドアを開けて入ってくることができた。でも、彼はこうしてナマエの意思を尊重し、律儀に入室許可を求めてくる。ナマエは彼のそういうところが好きで、そんな彼にいつまでも怒ってはいられなかった。少し話し合いが必要ではあったが。
 ナマエは入り口へ背を向けていた。ドアが開き、暗い寝室に廊下の光がさっと差し込む。その少しの間で、ナマエにはコナーが恐る恐る部屋の中を覗き込んでいるのだろうと、見なくても分かった。それでもナマエが動かないでいれば、ドアは大きく開かれ、彼女が視線を向ける壁へ黒いシルエットが浮かび上がった。そして、ぱたんとドアが彼の後ろ手に閉められる。真っ暗になった。
 ぎっ、とベッドが軋む。ベッドの空きスペースにコナーが腰を下ろしたのだ。
「……ナマエ?」
 多分、彼は手を彷徨わせているに違いない、とナマエは思う。私の肩に手を置くべきかどうか悩んで。だけど彼は結局それをしないで、手を下ろす。ナマエは彼のそんないじらしいところが好きでもあったし、嫌いでもあった。
 ナマエが寝返りをうってコナーの方を向けば、彼は彼女の思った通り、持ち上げていた腕を下ろすところだった。ナマエはそれが完全に下がりきってしまう前に自分の元へ掴み寄せる。コナーのリングが暗闇でぱっと黄色く光った。彼は戸惑いながらも口を開く。
「まだ怒っていますか?」
「うん」
 そう言いつつも、ナマエは捕まえたコナーの手を離そうとはしない。そのダブルスタンダードな態度は、コナーの機械的な部分を混乱させた。だが人間的とでも言うべき部分は、彼女がコナーを許すに許せないでいるのだと知っていた。
「どうしたら許してくれますか」
「私さ、コナーが告白してくれた時のことよく覚えてる。特にあの台詞が好きだった。……それを観てすら無い映画から引用してたって知るまでは」
「……すみません」
「どうしてそんなことしたの?」
「失敗したくなかったんです」
「失敗?」
「ええ。僕はあの時、絶対に失敗したくなかったんです。絶対にあなたを手に入れたかった。あなたからの愛が欲しかった……。僕自身の味気ない言葉ではあなたの興味を惹き続けられないと思ったんです」
 寝室は完全な暗闇ではなく、ナマエにはコナーのその真面目そうで少し悲しげな顔を十分に眺めることができた。ナマエは自身の指を彼の指に絡める。
「彼らの言葉は、それぞれの歴史の積み重ねがあって生まれたものなんだよ。私たちのじゃなくて。だから私はね、素晴らしい誰かの言葉より、どんなものであってもコナーの言葉の方がいい」
「……そのようですね。今回のことで学びました」
「それに、私はコナーが失敗しても嫌いになったりしないよ」
 ナマエが繋いだ手を引き寄せながら仰向けになれば、コナーはそれに大人しく従って、彼女の上へ覆い被さるような姿勢を取った。
 上と下、二人の視線が二人の指と同じように絡み合う。しばらくの沈黙の後、ナマエは再び口を開いた。
「コナーは私が失敗したら嫌いになる?」
「そんなこと、あるはずないじゃないですか」
 意気込んで言うコナーに、ナマエは優しく微笑んだ。もう、怒りも悲しみも薄れつつあった。
「でしょう?私だってそう」
 コナーはその言葉によって自身の抱えていた恐怖と苦痛が消え失せたのを感じた。そしてそれが無くなってしまえば、どうして自分はあんなにも悩んでいたのだろうと不思議にすら思うのだった。
 見つめる瞳の変化で、ナマエにもコナーが何らかのプレッシャーから開放されたのが分かった。作り物であるにも関わらず、人間と同じぐらい多彩な感情を映し出すその瞳を見て、ああそうか、とナマエは唐突に理解した。私は彼の言葉よりも先に、その瞳によって愛を告白されたのだった、と。だから、本当は言葉など何でもよかったのだ。彼の中にナマエへの深い愛情が渦巻いていることは、彼のその瞳が表していたのだから。
「あの時、告白の言葉は何でもよかったんだよ」
 そう言って、ナマエはその愛おしい瞳へ瞼の上から口付けを贈った。それにコナーが返したのは「愛しています」の一言だったが、重々しく呟かれたその言葉は彼の気持ちそのままで、ナマエにはそれで十分だった。


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