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短編|コナーと貝殻の話

 ハンクがナマエの家へ訪れるのはこれが初めてではなかったが、彼女がコナーと同棲を始めてからのこの家を訪れるのは初めてだった。
 見たところ、ナマエの家は大体のものが二つ一組になるか、あるいは三つになった程度で、大きく変わった様子はないようだった。ナマエがコーヒーを用意している間に、ハンクの訪問を心から歓迎している様子のコナーが家の中を案内した。ハンクはナマエの家の中のことは既に知っていたが、喜んでそれに応じた。
 そうして彼が知ったのは、彼女の家の壁や棚の上を無意味に飾っていた絵画やドライフラワーのたぐいは一掃され、代わりにコナーとナマエの思い出の一杯詰まった写真や小物などが置かれているということだった。

 特に、キャビネットの上に点々と飾られている貝殻たちがハンクの目と興味を引いた。
 それらは一定の間隔を開けて並べられており、もしもハンクが定規かなにかを持っていれば、それがきっちりと5cmの間を開けて飾られていることが分かっただろう。もちろん、それらはコナーが飾ったものだった。コナーはハンクの視線に気が付いて、微笑みながら言った。
「ナマエが、このキャビネットの上は好きなように飾ってもいいよと言ったので」
「まるでお前専用の博物館だな」
 よく洗われたその内の一つを手に取り、ハンクはしげしげと眺めた。貝殻の名前は知らないが、外側には長い突起が一見するとランダムに、しかしよく見ると自然界では普遍的な法則に従って並んでいるのが分かる。内側は滑らかで白色だが、白は白でもやや黄味がかった乳白色、心の和む色をしている。
「しかし、どこで拾ったんだ?海なんて……かなり遠くないか?」
「確かに遠かったんですが、行ったんですよ。僕が『行ってみたい』と言えばナマエの答えはこう――『じゃあ行こう』です」
 ナマエらしいな、とハンクは思った。それが分かったコナーは微笑みを見せ、そしてどうなったのかを語り始めた。
 この貝殻にはこんな物語が秘められていた。


 夕焼けから何を連想するか、という話を二人はしていた。バルコニーで実際に夕焼けのオレンジ色の光を浴びながら。初夏の暮れゆく太陽を眺めながら。夜の帳はダークブルーなのに、オレンジ色とぶつかり合ったところの雲は不思議なことに鮮やかなピンク色を反射していた。
 ダークブルーがその範囲を広げていくのを眺めて、コナーは海のことを考えた。彼のまだ見たことのない海を。それはどんなところなのだろう、とコナーは思った。波、潮風、砂浜、飛ぶ海鳥。
 傍らを見れば、ナマエがコナーの言葉を待っている。目が合うと彼女は微笑んだ。コナーは言った。
「僕は海のことを連想しました。海はどんなところですか?」
「行きたい?」
「そうですね、行ってみたいです」
「じゃあ行こう」
 そうして二人は財布と鍵だけを手に取り、車に乗り込んでキーを回した。

 ナマエは車を運転しながら、二人の青年が海を見に行く映画の話をした。「天国では海の話をするんだって」と彼女が言い、コナーは「どうしてですか」と返した。
「さあ。天国には海がないんじゃない」
「あなたも天国では海の話をするんですかね」
「そうだったら、この週末の小旅行の話をコナーとしたいな」
 「もしも天国が本当にあるんだったらね」と付け加え、どうやら天国の存在を確信してはいないらしいナマエは、茶化すような笑みを浮かべた。
 二人は高速道路沿いにある古ぼけたコテージで一泊することに決めた。そこは狭くて薄暗く、その上かび臭かったが、二人にはお互いとベッドが――ナマエにはシャワーも――あれば十分だったので、二人はそこで楽しく夜を過ごした。

 翌朝、まだ日の昇らないうちに二人はそのコテージを出た。まだ完全には目が覚めてはいない様子のナマエの代わりにコナーがハンドルを握り、再び海へ向かって車を走らせた。ナマエは助手席で頑張って意識を保とうとしていたが、段々と口数が減り、信号に捕まったコナーが脇へ目を向けた時には、安らかに寝息を立てていた。
 コナーは独り、その寝顔に微笑みを向けた。不思議なことに、こんな状況にこそ彼は、彼女と恋人同士なのだという実感をしみじみと味わえるのだった。
 しばらくしてナマエは目を覚まし、慌てながら「ごめん、寝てた?」と謝った。その様子にコナーが微かな笑い声を上げながら「もっと寝ていてもよかったんですよ」と返せば、ナマエは「もう寝ないよ」と宣言して車の窓を下げた。
「ちょっぴり海の匂いがする」
 早朝の冷たい風に髪をもて遊ばれながらナマエは言う。目的地まではもう少しで、コナーが彼女と同じように潮風を浴びていると突然片側の視界が開けて、海岸線が姿を表した。まず最初に、広いな、とコナーは思った。デトロイトでしばしば湖沿いを走ることもあったが、やはり海とは違う。目前に広がる雄大な景色の向こうに、対岸などは気配すらなく、湾曲している湖の沿岸とは違って、海岸線はひたすらに真っすぐだ。まだ薄暗いのに、気の早いサーファーやウィンドサーファーたちが波風を求めているカラフルな姿が遠くに見える。コナーは期待に心を踊らせた。

 二人の降り立った海岸には、まだ誰もいなかった。
 「貸し切りだね」とナマエがはしゃいだ様子で言う。そして彼女が靴を脱いで波打ち際を歩くのを、コナーも真似した。波が足にかかる度に、その水温と成分を伝えてくる無粋なプログラムを停止させ、単純な感覚センサーだけが感じることだけを楽しむ。波は冷たく、足が砂に沈み込むのはくすぐったくも心地よい。
 少し先を行くナマエの足跡は波に洗われて所々消えかかっているが、それを追うようにして進めば、足を止めて彼が合流するのを待っていた彼女に辿り着いた。
「どう?」
 小首を傾げてそう尋ねるナマエに、改めてコナーは海を見渡す。水平線に朝日が少し顔を覗かせていて、一筋の光が、滑らかなダークブルーの上に走っている。そしてコナーの目の前でその光の筋は段々とその幅を広げていく。それに合わせて空のダークブルーの方は徐々に天上へ逃げていき、その端から清々しいスカイブルーが姿を表しつつあった。
 朝が来る。また一日が始まる。
 夕焼けを見ていた時にコナーが思い浮かべていたのは暗い夜の海だったが、彼は明るい朝の海も素晴らしいと思った。
「美しいです。それに何より、」
 コナーは彼と同じように朝焼けを眺めているナマエへ視線を送る。
「あなたとこんな朝を迎えることができて嬉しいです」
「私も、そう思う」
 二人はどちらともなく唇を重ね合わせた。「しょっぱい」とナマエが言った。

 裸足の足先に何かが触れて、コナーは立ち止まった。しゃがみ込んで拾い上げてみればそれは貝殻で、彼の手の中を覗き込んだナマエが歓声を上げる。
「そんなに大きいのって珍しいね」
「この種類にはもっと大きいものもいますよ」
「そうなの?でも貝殻で見るのは小さいのばかりだよ」
「……生息域から考えるに、大きいものはこの海岸へたどり着くまでに壊れてしまうんでしょう」
 そう言って、コナーは海水に濡れて光るそれを眺めた。遠く深い海底から、中身を亡くして、空っぽになって、しかし形を保ったまま打ち上げられたそれを。コナーはなぜかそれに愛着を覚えた。
「ナマエ。これを持って帰ってもいいですか?」
 自分も何か見つけられないかと、視線を落として砂浜を歩き回り始めたナマエへ声をかければ、当然答えは「いいよ」だった。
「でもあんまりいっぱい拾っちゃだめだよ」
「場所を取るからですか?」
「ううん。他の誰かも拾えるように」
 その後二人はいくつかの貝殻を拾ったが、コナーが持ち帰ったのは最初に拾った一つだけだった。


「……というわけなんです」
 コナーの思い出話に耳を傾けていたハンクは、その締めの言葉に頷きを返した。律儀なこいつのことだ、一回行く度に一つだけ拾ってくるんだろう、とハンクは思った。そして改めて貝殻たちを眺めれば、それら一つ一つにその日の二人の思い出が詰まっているのが感じられた。
「天国での話題には困らなさそうだな」
 そのハンクの呟きを拾ったコナーは、何かを閃いたように目を輝かせた。
「よければ、ハンクも今度一緒にどうですか?次は水着を持っていくんです」
 コナーの提案に、ハンクは苦笑とため息の混ざったものを返す。
「よせよ。お前らのデートに付き合うほど暇じゃねえ」
「来ればいいのに。きっと楽しいよ」
 そう口を挟むのは、片手にマグカップを持ったナマエだ。彼女は湯気を立てるそれをハンクへ手渡しながら言葉を続ける。
「コナーが海底を歩くのを見るんだ」
「僕には浮力がないので、沈むんですよ」
「で、私は泳ぎながらそれを見るの」
 ハンクはそのシュールな絵面を想像して、思わず口角を上げた。
「それはまあ……面白そうではあるな」
「でしょう?」
「行きませんか、一緒に」
「……考えとくよ」
 その言葉の後に、声には出さずハンクは付け加えた。――もし本当に天国があるなら、そこでお前らと海の話でもしたいものだな、と。


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