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短編|ブルー・ダイナーにて(2)

*『ブルー・ダイナーにて』の続き


 そのウェイトレスはブルー・ダイナーの古風なドアを押して入ってきたアンドロイドに目をとめた。グレイのジャケットに、ブラウンの髪。少し垂れ気味のその瞳が店内をさっと見渡し、お目当ての彼女がいないことを知って、ますます悲しげに下げられる。
 ナマエを狙ってるやつだ、とそのウェイトレスは思った。いや、もう二人は付き合ってるんだっけ?
「いらっしゃいませ」
 そう彼女がお決まりの声をかければ、そのアンドロイドは「こんにちは」と丁寧に返し、彼女が尋ねてくるだろうと思っていた通りのことを尋ねてきた。
「すみませんが、今日ナマエは出勤していますか?」
「残念ながら」
「……そうですか」 
 アンドロイドの瞳が悲しげな色に曇る。そのまるで人間のような、もしかしたら人間よりも表情豊かな様子に、ウェイトレスは彼がアンドロイドではなく変異体と呼ばれるものなのだということを思い出した。
 そしてその変異体はいつも座る席へトボトボと歩いていった。
 彼女は変異体に対して若干の苦手意識を抱えていたが、彼のその様子を見ていると、案外変異体というのも親しみやすい存在なのではないかと思うことができた。彼女は先日隣のアパートメントへ引っ越してきた変異体へ今度挨拶でもしてみようなどと思いつつ、その気の毒な彼氏君のために携帯端末を取り出した。


 コナーは独り寂しく、待ち合わせているハンクが来るのを待っていたが、窓ガラスの向こうによく見知った人影を捉えて、シリウムポンプが跳ねるのを感じた。いや、まさか、と思ううちにその人影はブルー・ダイナーの戸を押した。ドアベルが鳴る。
「ハウディ、ナマエ」
 先程コナーが言葉を交わしたウェイトレスが片手を上げて軽い挨拶を送り、彼女の名を呼ぶ。彼女が口を開く。
「ハロー、教えてくれてありがとう」
「休みなのにわざわざ来るとは思わなかった。そんなになの?」
「そんなに、なの」
「やばいね」
「なんとでも言って」
 そして二人は声を上げて笑いあった。
 気心知れた者同士の会話というものは、時々暗号のようになる。それを盗み聞きするコナーはその暗号を解読しようと試みたが、答えが出るよりも早く、ナマエがコナーを探さずにして見つけ、笑みを浮かべてその向かいに腰を下ろした。
「相席しても?かっこいいアンドロイドさん」
「え、ええ、もちろん、喜んで、どうぞ」
 目に見えて慌てるコナーに、ナマエは笑みを深める。
「本当に?あなた相棒を待ってるんでしょ?」
「待ってはいますが、多分、遅れて来るでしょう。いつも遅れて来るんです。だから、その間、あなたがそこに座って下さればいいなと思っています。あの、私服も素敵ですね、何というか……可愛らしいです。その……あなたと会えて本当に嬉しいです。今日は会えないのかと思っていましたので」
 コナーのその率直な言葉の数々を受け止めて、ナマエは笑みを少しはにかむようなものへ変え、頬をうっすらとだがピンク色に染めた。彼女のそんな反応に、コナーは感情を制御するプログラムが滅茶苦茶にされたような感覚を覚えた。彼は視線を彷徨わせ、無意味に揉み手をして、最後にはわざとらしく咳払いをした。
「その、何か予定を邪魔してしまったのではありませんか?」
 無理矢理話題を作ろうとしたコナーのその問いかけに、ナマエは首を左右に振った。コナーの視点で言うのならば、“可愛らしく”首を振った。
「あなたに会うことは最優先の予定なの」
 いつもの愛らしい、いたずらっぽい笑みを浮かべてそう言う彼女だが、その目はどこかコナーの反応を伺うようで。彼がポジティブな反応を返してくれることを願っているような輝きがあって。
 コナーはなぜか突然、マインドパレスが砕け散った時のことを思い出した。それと同じぐらいの衝撃だった。
 LEDを赤く点滅させながら押し黙ってしまったコナーを前に、ナマエは狼狽えた。
「あの、コナー?大丈夫?」
「……はい、私は大丈夫です。何も問題はありません。ですが一言よろしいでしょうか」
「えっ、うん」
 先程までの様子とは一転して真面目な顔付きになったコナーに、ナマエも困惑しながら姿勢を正す。コナーは数度瞬きをしてから言った。
「あなたのことが好きです」
 今度はナマエの方が押し黙る番だった。だがその頬は先程までとは比べ物にならないほど赤くなっていて、言葉よりも切実に、彼女の気持ちを伝えてきていた。コナーはその反応に気を良くして、再び繰り返した。
「あなたのことが好きなんです」
 ナマエは頬を朱に染めたまま、無言でコクコクと頷いた。コナーは少し楽しくなってきた。
「僕は、あなたが――」
 しかし彼が最後まで言い終わらないうちに、彼の肩へぽんと手が置かれる。
「悪い、コナー。待たせたな」
 ハンクだった。

 ハンクはコナーと、その向かいに座る女性を交互に見た。女性は顔を上げてハンクと挨拶を交わし、席を立った。それへコナーがまるで惜しむかのような視線を送る。はあ、なるほどな、とハンクは思った。しかし仕事へこの捜査補佐官を引きずって行かなければならない。例えこの相棒が恋の赤い糸でがんじがらめになっていてもだ。
「ほら行くぞ、コナー」
 机へチップを置き、部外者には分からない恋人同士特有のまどろっこしくいじらしい視線のやりとりでナマエと別れを交わすコナーを、ハンクは文字通り引きずって店を出なければならなかった。


 はあーとハンクは息をつく。
「だからか」
「だから、とは何ですか」
 先程までの腑抜けた様子を見られた恥ずかしさの裏返しか、少し拗ねたように言うコナーへ、ハンクは笑いを噛み殺さなければならなかった。
「お前があのダイナーを好きな理由だよ」
「べ、別に僕はそんなやましい理由であのダイナーにいる訳では……それに、いつも指定するのはハンクじゃないですか」
「それなら、次から違うとこを指定してもいいってんだな?」
「……ハンクがそうしたいんでしたら」
 言葉とは裏腹に、コナーは眉尻を下げ、明らかにしょんぼりとした表情を浮かべている。
「どうせ僕に拒否権はありませんし……」
 今度は卑屈になり始めたコナーに、ハンクは少しからかい過ぎたかとフォローを入れる。
「俺もまあ、あの店のパンケーキは好きだしな。他にいい店もないし、今更変えねえよ」
 その気遣いに、コナーは機嫌を直したようだった。微笑を浮かべ、とっておきの秘密を打ち明けるかのように小声で言う。
「パンケーキは、冷凍のものだそうですよ」
「…………知りたく、なかったな」
 苦笑を浮かべてそう言いながら、恋という感情に当てられて知らずのうちに軽やかな足取りになっているコナーの背を、ハンクはゆっくりと追うのだった。


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