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短編|けんかのはなし

 ハンクはよく知る友人であり後輩でもあるナマエの名が携帯端末のディスプレイに表示されるのを見て、その着信に応じた。
 電話の向こうでナマエの声は僅かに震えている。彼女はコナーがそこにいるかを問いかけてきた。
「ああ。しかめっ面して俺のソファを独占してやがる」
 そうハンクが伝えれば、安心したようなため息に謝罪の言葉が続いた。
「いや、俺は別に構わねえよ。でもな」
 ナマエはハンクの言葉を遮り、分かってると言った。言葉とは裏腹に、困惑したような声だった。
「大丈夫か?」
 そう言いつつ、ハンクはソファに腰掛けるコナーへちらりと視線を送る。夜中に突然やってきたコナーは「ナマエと喧嘩しました」とだけ言い、それからずっと置物のようにソファへ座り込んだまま、動こうとしない。しびれを切らしたハンクがその理由を尋ねようとしたところへ、ナマエから電話が掛かってきたのだった。
「とにかくまあ、一日ぐらいなら面倒は見るが、その後は自分でどうにかできるな?」
 できる、という返事には涙を押さえ込むような息づかいが混ざっていた。電話は一方的に切られた。たぶん、ナマエは泣くのをこらえきれなかったのだろう。
 ハンクはしばらく手の中の真っ暗なディスプレイに視線を落としていたが、大きくため息をつくと、ソファの置物へ声を掛けた。
「それで、どうしたんだ?追い出されたか?」
 コナーは未だ不機嫌そうな顔をしていたが、首を横に振った。
「僕の意思で出てきたんです。お互いに頭を冷やす必要があったので」
「で、冷えたか?」
「……少しは」
 先ほどの電話を盗み聞きしていたのだろう、コナーの視線の動かし方には一抹の後悔が滲み出ていた。
「ま、お前の話を聞いてやってから、お前をゴミ箱にぶち込むか考えてやらんでもないな」
 ハンクは戸棚から酒瓶を取り出すと、グラスを片手にコナーの隣へ腰を下ろした。コナーのLEDが黄色く光る。
「アルコールは身体に毒ですよ」
「たまにはいいだろ、たまには」
「時々、ナマエもあなたも理解しがたくなりますよ」
 そしてコナーがため息と共に語り始めたのはこういう内容だった。


 コナーが帰宅すると、ナマエがソファでスナック菓子を食べていた。キッチンのシンクは乾いていて、何かを作った形跡も、食べた形跡もない。のんびりと、おかえりなどと言うナマエの手から、コナーはそのスナック菓子の袋を取り上げた。
「夕食の代わりにこんなものを食べるのは控えてほしいと、言いましたよね」
「……言った」
 そう返しつつも、ナマエは座ったまま袋を奪い返そうと手を伸ばす。コナーはそれを更に高く持ち上げて、ナマエを睨み付けた。
「どうしてなんですか」
「面倒くさかったから?」
「そんな理由で健康を損なおうとするんですか?言ってくれれば帰る途中でなにか買ってきましたよ」
「冷凍庫には……なんかあるんだよ。たぶん。でも食べるのも面倒で……」
「食べるのも?……なぜそんなに自堕落なのですか?」
 その発言に、ナマエは少し頭にきたようだった。ソファに膝を付いて立ち上がり、一瞬の動作でコナーから袋を取り戻す。
「コナーには関係ないでしょう」
「関係あります。あなたに体調を崩してほしくないんです」
「こんな感じで数年間やってきたけど、大丈夫だって」
「急にだめになるかもしれないんですよ?」
「その時はその時」
 そう言いながら再びスナックを口へ運ぼうとしたナマエに、今度はコナーが苛立った。乱暴に袋を奪う。それを逃すまいとナマエは手に力を込める。二人があ、と思った時にはすでに遅く、破れた袋の中身はソファと床へぶちまけられていた。
 ナマエが諦めと責めるような雰囲気の声を上げる。もちろんその責める相手はコナーだ。だがコナーの方も、自分が正しいと思ったことをやっただけであって、責められるいわれはなかった。
「これで食べられなくなりましたね」
 今思えば、最悪な言葉のチョイスだったとコナーは振り返る。これがナマエの怒りに火を付けたのは明らかだった。ナマエは床に散ったスナック菓子だったものを猛然と指さした。
「私の!晩ご飯!」
「そんなものは夕食ではありません」
「うるさい!」
 ナマエはコナーを睨み付けると、掃除機を取りに行き、それを片手に戻ってきて、再びコナーを睨み付けた。
「どいてよ、口うるさい栄養管理士さん」
 コナーは一歩脇にどいた。ナマエは掃除機をかけ始めたが、スナック菓子はなかなか吸い込まれてはくれなかった。ナマエはすでに腹を立てていたが、それに輪をかけて苛々し始めた。コナーの言葉がそれに拍車をかける。
「僕は栄養管理士ではありません。ただあなたが心配なだけで」
「心配してくれるのはありがたいけど、自分の面倒は自分で見られるから」
「見られていないから、僕が注意しているのが分からないんですか?」
「私が好きでやってることに口を挟まないで」
「食べるなんて単純な行為じゃないですか。どうしてできないんですか?」
「……食べない人には分かんないよ!」
 言ってから、ナマエの顔にしまったという後悔の表情が浮かんだが、彼女はすぐにそれを隠してしまった。コナーはその言葉にショックを受けたが、悲しみよりも先ほど芽生えた苛立ちの方が強かった。
「ええ、ええ。僕には分かりません!僕はアンドロイドで、何も摂取できませんから!どうぞお一人でその不健康なものでも食べていてください!」
「もう食べれないよ!コナーが台無しにしてくれたから!」
「あれは不可抗力です!」
「先に手を出したのはコナーだった!」
 そして、そんな低レベルな言い争いをしばらく繰り広げた後、コナーはハンクの家へと向かったのだった。

 コナーがいつもより苛立ってしまったのは、ある種の自責の念を覚えていたからだった。あるいは申し訳なさのようなものを。彼がそんなものを感じる必要は少しもないのに。
 それは彼がものを食べないことからくる感情だった。もしも僕が人間のように食卓を囲めたのなら、ナマエも一緒にきちんと食事をしてくれるのだろうかと、コナーは思わずにはいられないのだった。
 それがコナーを苛立たせた。やってあげたいのに、それをできない自分。そしてそれを的確に指摘してしまったナマエの言葉。
「僕も食べることができれば、こんなことにはならなかったのでしょうか」
 ぽつりとコナーが呟いた言葉に、ハンクはいや、と首を横に振った。
「いや、お前がものを食べれてもあいつはその目の前で菓子を食ってるよ。あいつは学生の時からそうだぞ。誰と居ようが食べたいものを食べる奴だ」
「……ではただナマエが自堕落なだけなんですね」
「……まあ、そうなるな」
 その言葉に、コナーは肩の荷が下りたような気持ちになった。もっとも、最初から負う必要のないものだったが。
「で、帰る気になったか?」
 何となく自分の行動も責められているような気分になったハンクはそれとなく酒瓶を仕舞いながら、コナーへそう尋ねた。コナーは少し悩んでいるようだった。
「どうでしょう。さっきの電話でナマエが反省しているのは分かりましたが……僕の方から折れるのは癪です。僕は傷付きましたから」
「たまには折れてやることも大切だぞ」
 もはや遙か昔の思い出となりつつある夫婦生活を思い出しながら、ハンクはそうアドバイスするが、まだ若い恋人達がそれを理解するには歩んできた道のりが短すぎるようだった。
「まあ、好きにしろ」
 そう言ってキッチンの方へ行ってしまったハンクの背を眺め、コナーはナマエのことを考える。先ほどの電話を彼女はどんな気持ちで掛けて来たのだろう。掃除機はもうかけ終わったのだろうか。あれは僕の方にも責任があったのだから、手伝えば良かったと今更ながら後悔する。時計を見れば、もういつもの就寝時間は過ぎていて、ナマエはベッドの中から掛けてきたのだろうかともコナーは思う。いつもは二人で身を寄せて横たわるあの白いシーツの上に、今、彼女は一人きりで……泣いているのかもしれない。その様子を心に思い描いて、コナーは胸が苦しくなるような、締め付けられるような感覚を覚えた。それの正体は先ほどまでとは比にならないほどの後悔と罪悪感で、コナーはこんな感情とは早く別れてしまいたいと思い、どうして自分は頑なにも謝りたくないなどと思っていたのだろうかと考えた。
 ……彼女の言葉に、傷付いたからだ。それで、彼女の方から謝ってほしいと思っている。でももう、彼女が自分の発言を後悔していることを分かっているはずだ。なのに自分は未だに意地を張っている。コナーはそこまで考えて、そんな自分の立場というものを唐突に、しかし強く意識した。こうして喧嘩をしてどんなに意固地になっても、ナマエが必ず許し受け入れてくれることを知っている自分。独立した存在として対等に意見を交わせるということ。それは大切なことで、ナマエからの愛の上に成り立っていることだった。彼女は多分、そのことに気付いていないのだろうけれど。
 コナーはそれを思い、無性に、彼女の元へ帰ってその温かな身体を抱き締めたくなった。


 そこへ、ナマエからの連絡が入る。彼はナマエが何を言うか想像がついていたし、自分がなんと返すのかも、分かっていた。通信回路を開く前に、コナーはキッチンのハンクへ声をかけた。
「やっぱり、帰ることにします。ナマエには僕が必要なようなので。……もちろん、僕にもナマエが必要ですしね」
 キッチンで水を飲んでいたハンクは、その言葉に片手を上げて応じる。
「喧嘩はほどほどにな」
「巻き込んでしまって申し訳ありません」
 ハンクは上げた手をそのままひらひらと振り、コナーはそれに頷きを返しつつドアノブを回した。ナマエの涙に濡れた謝罪の言葉を受け入れ、自身も同じ言葉を返しながら。


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