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短編|コナーと香水の話

 差し出されたナマエの手首に、コナーは鼻を近づけた。
「どう?」
「主成分はアルコールと植物性香料ですね。チュベローズ、ローレル、キュカンバー……」
 そう分析の結果を伝えれば、ナマエは違う違うと笑って首を横に振る。
「えーっとこれはね」
 ナマエは手に取った香水のテスターへ視線を落とし、そのラベルを読み上げた。
「レインだって」
「雨ですか?ですが、雨は無臭のはずです」
「雨をイメージした香りってこと」
 小瓶をその雑貨店の棚へ戻したナマエは他のテスターをもう片方の手首へ吹きかけ、香りを嗅ぐ。
「こっちかな」
 その言葉の意味も分からないまま、コナーは再び差し出された手首を嗅いだ。
「アルコールと植物香料」
「残念。スノウです」
 香りというものがまだよく分からずに、コナーは首を傾げた。
「何が“こっち”なのですか?」
 ナマエはいたずらっぽく笑った。
「こっちの方がコナーっぽいかなってこと」
 改めて、コナーはスノウ、と銘打たれた香りを吸い込む。あの冬、デトロイトの街に積もっていた雪。自分の肩では形を保ったままなのに、彼女の肩の上ではあっという間に溶けてしまうあの小さな結晶達。彼女の作った、雪だるまという名の二つの歪な塊と、コナーの丸めた完璧な球体。それらをイメージしながら嗅いだそれは、確かにその思い出の中で香っていたようにも感じられた。これが、僕のような香り。とコナーは思った。
「いい香りのように思います」
 ナマエはにっこりと微笑んで、それをレジへ持って行った。

 その帰り道、さっそくそれを付けてみるコナーの横で、ナマエも自分用に買った香水を振った。
「それは何の香りですか?」
「当ててみて」
 コナーは分析した数点の成分と、それらが人間に感じさせる香りをリストアップする。植物、特に花から抽出された香料を多く含むその成分が表すのは甘さ、瑞々しさ、爽やかさ。だがここで一番考慮すべきなのは、彼女らしさだ。
「スズランですか?あなたの好きな花」
 付け足した一言が効いたのだろう。答えは頬へのキスだった。


 部屋で独り、コナーがカーテンを開ければ、ふわりと嗅ぎ覚えの香りが鼻をかすめた。あの日の香り。香水、雪、スズラン、頬への柔らかな口づけ。彼女はいつかこうなることを知っていたのだろうか?終わってしまうことを?香りで記憶が呼び覚まされることを知っていて、彼に香水の匂いを嗅がせたのだろうか。いつかこのように不意に香ったスズランの香りがあの日の彼女を思い出させるように。
 コナーはもう一度カーテンを揺らして、在りし日の残り香が消えていくのを見守った。






「どしたの、コナー?」
 隣の部屋からひょいとナマエが覗き込み、そう尋ねる。
「このカーテン、以前あなたが付けていた香水の香りがしますよ」
 近寄って来たナマエはくんくんと消えそうな香りを嗅ぎ、少し悲しげな、過去を懐かしむような表情を浮かべた。
「あの香水好きだったのに、すぐ廃番になっちゃって残念」
「僕は、今のあなたの香りも好きですよ」
 そう言いつつナマエの首筋へ顔を埋めれば、彼女は軽やかな笑い声を上げた。そして彼女もコナーの胸元に付けられた香水の香りを楽しむ。
 お互いがお互いを喪った時、香りでその存在を思い出せるように。


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