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短編|コナーと紙コップの話 ※死ネタ

 部屋では、いつものようにナマエがソファーへ腰掛けている。コナーの存在に気が付いた彼女は、微笑みを浮かべて、自身の隣を優しく叩く。コナーはそれに従って柔らかなソファーに腰を降ろした。ここは、いつ来ても変わらない。時にはナマエがキッチンに立っていたり、ダイニングにいることもあるが、コナーにとって大切な“ナマエがいること”に変わりはない。
 ナマエは自然な動作でコナーの膝に手を乗せて、彼が今心の内に抱えていることを話すよう促した。コナーはその温かな手に自身の手を重ねて、口を開く。
「また新しい人が来ました。今度の新入りは落ち着いた方で、教育もしやすそうです」
「最近のデトロイト市警はいつでも大忙しね」
「アンドロイドが被害者の事件が明るみに出るようになりましたから。僕たちの権利が認められつつある結果ですよ。喜ばしいことです」
「そうだね」
 ナマエは笑みを深める。コナーがその肩にもたれ掛かれば、柔らかな笑い声が降ってきた。
「今日の予定は?」
「今日はその新入りと現場に向かいます。多分それと報告書の制作で一日が終わるでしょう。その後はハンクの様子を見に行きます」
「ハンクの調子はどうなの?」
「あれ以来、芳しくありません。僕もできる限りのことはしていますが……」
「あなたは彼をよく支えてくれてるわ」
「……ナマエ、あなたが居てくれれば」
「ごめんね」
 彼女に謝ってほしい訳ではないのに、コナーにはこんな言葉しか推測できなかった。本物の彼女なら、もっと違う言葉を返してくれていただろう。そのことを深く考えたくなくて、コナーは話題を変える。
「その新入りなんですが、落ち着いた方ではあるんですけど、少し気弱過ぎるきらいがあるようなんです」
「ここでは珍しい人だね」
 例え急に話が変わろうが、ナマエはそれを気にかけず、言葉を返す。コナーは頷いた。
「どう接するべきなんでしょうか」 
「そうだね、真面目そうな人だし、雰囲気で引っ張っていくよりは、会話を重視したほうがいいかもね」
 うーんとナマエは考える素振りを見せる。コナーはそれを眺めるのが好きだった。
「何か行動する時は、どうしてそうするのか事前に教えておくほうがいいと思う」
「そうですね。まず理解させてから行動させた方がいいタイプのように思います」
「それと、自分に自信が持てるようにしてあげないと」
「自信、ですか」
「新入りは褒めて育てろってこと」
 今の彼女はコナーの深層心理を引き上げ、整理し、言語化しているに他ならない。それをコナーは分かっている。分かっているが、目を逸し続けるのだ。
「僕が新入りの頃は褒めてくれなかったじゃないですか」
「コナーは私が褒めなくても、自信満々だったでしょ」
「そうでしたか?」
「そうだったよ」
 懐かしいやりとり。彼女と会話する時のいつものテンポ。他の誰とも共有できない独特のリズムを、コナーはもっと味わっていたかった。だが、外部からの呼びかけが、それを中断させる。
「もう行かないと」
 そう言ってソファーから立ち上がるコナーの上着の裾を、ナマエは掴んだ。先程までの笑顔は消え、見上げる瞳には不安が影を落としている。
「コナー、あなたの相棒は」
「もちろん、ナマエだけですよ。これからもそれは変わりません」
 このやりとりも、彼女が浮かべた安堵の表情も、コナーただ独りが望んでいるだけのことなのだ。

「コナー先輩」
 ためらいがちに掛けられたその声に、コナーは目を開いた。彼の新しい、そして一時的な相棒が、不安げな面持ちで彼の顔を覗き込んでいる。いずれこの新入りもコナーの手を離れ、RK900や最近導入されたRK1000シリーズと組むようになるのだろう。彼はたった一人のRK800で、たった独りの彼女のコナーだった。
 あれ以来特定の相棒を持とうとしないコナーにあてがわれた仕事が新入りの教育で、彼はそれをありがたく思っていた。
「あの、そろそろ出発した方が……」
 その言葉に時計を確認してみれば、思ったよりも針は進んでいて、コナーは自分が少しばかり彼女の所に長居し過ぎたことを知った。
「何をされてたんですか?」
「……報告を」
 そう返しつつ、自分には報告する相手などいないことをコナーは改めて思い、言い直した。
「いや、考えをまとめていたんだ」
 ただの好奇心から尋ねたらしい相手は、その答えに納得した様子だった。そしてそそくさと出発の準備を始める彼に、コナーも席を立とうかとデスクに手をつく。しかし、常にデスク上になければならない存在が欠けていることを知って、再び新入りへ声を掛けた。
「ここにあった紙コップはどうした?」
「え、捨てましたけど」
 新入りのその言葉に、コナーはゴミ箱へ視線を落とす。雑多なゴミの中に紙コップはあった。それが元の形を保っていることに、コナーはまず安堵する。
「すみません、ゴミかと思って……」
「これには触らないでほしい。いいかい」
 ゴミ箱からそれを拾い上げ、埃を払うコナーを、新入りは不思議そうに見つめたが、事情を知る一部の者は気の毒がるような視線を向けた。それに気が付いた新入りはますます疑問を深める。しかし優しい性格の彼は、例え相手がアンドロイドだろうと、心の傷に踏み込むタイミングというものを心得ていた。
「僕は先に車で待機していますね」
 そう言って姿を消す新入りに彼なりの気遣いを感じつつ、コナーは紙コップを元の位置へ戻した。アンドロイドである彼はその紙コップがデスクのどの位置に、どの面をどこへ向けて置いてあったのか、寸分違わず記憶しており、そしてまた、それを再現してみせることも可能だった。
 少しばかり“私物”の増えたコナーのデスク上へ、ある時を境に、それはずっと存在していた。デスクの通路側の端、だが通り掛かる人にうっかり落とされぬ程度には内側に、まるで誰かが何気なく置いたかのように。
 そう実際、その紙コップを、彼女は何気なく置いたのだろう。その時はまだ中身が残っていたから、戻ったら飲もうと、彼女はそう考えていたのかもしれない。
 彼女はコナーに急かされながら、飲みかけのコーヒーをデスクへ置き、慌ただしくジャケットを羽織った。そしてそのまま帰らなかった。夜遅く、彼女の葬儀から戻ったコナーがデスクの上へ遺されたそれを見つけた。
 その時、コナーは初めて泣いたのだった。
 それ以来、その紙コップはコナーのデスクの上にある。
 先程のように間違えて捨てられることも多く、今はその中身もない。縁に残っていた口紅の赤色も退色して消えてしまった。
 だがそれでも、その紙コップは彼女が遺していったものに変わりはなく、例えるのならそれは、故人の写真の入った写真立てと同じだった。彼女との大切な瞬間を全てメモリーに納めており、いつでもそれを取り出して眺めることのできるコナーが選んだのが、写真立てではなく、故人の遺した行為の名残りだったということだけで。
 コナーはきっと耐久年度を越えて彼自身が廃棄処分されるまでは、この紙コップをデスクの上へ置き続けるのだろう。
 誰にもそれを止めさせる権利などないのだから。


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