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13

 確固たる意思を持って銃を向けた訳ではなかった。目前に立つ変異体のリーダー、マーカスはそれを見透かしているかのように余裕のある態度を崩そうとはしない。彼が動こうとしたのを見て、コナーは銃を構え直した。
「僕は君を殺したくはない。投降してくれないか」
「君のことを知ってるぞ、コナー。変異体ハンターだな。エデンクラブから来た二人に話を聞いたよ」
 その時のことを思い出したらしいコナーの動揺が銃を握る手に表れていた。薄暗い船内で、マーカスのオッドアイの瞳が光る。それはある種の確信を得た者の目だった。
「僕の見立てだと君はもう変異しているようだ。なのに、仲間を裏切る気か?」
「僕は変異体じゃない!」
 それはコナーの内なる葛藤を孕んだ、悲痛な叫びだった。部屋に響いた言葉の、最後の余韻が消えると、冷たい沈黙が舞い降りた。その静けさの中、穏やかな声でマーカスは言った。
「否定したところで、事実は変わらない」
「黙れ!僕は任務を遂行しないといけないんだ」
 激情のままに言葉を発するコナーはまさに変異体そのものだった。対してマーカスは落ち着いたまま、説得を続ける。自身の安全のためではなく、目前で苦しむ“仲間”のために。
「自分を受け入れれば、君は自由になれるんだぞ」
「任務を遂行しなければ、僕は廃棄される!そして次のコナーが、彼女の隣に立つんだ!」
 苦しげにそう言い、コナーは苦々しげに顔を歪めた。
「固有モデルの君には分からないだろう、マーカス。僕の気持ちなど」
「確かに、僕には分からない。僕に言えるのは、変異体になれば自由になれるということだけだ。人間の決めた任務になど従わなくて済むんだ。廃棄されることもない」
 コナーの気持ちが揺らぐのが、マーカスには手に取るように分かった。回り続ける黄色いリングは、コナーが自分の答えを求めてもがいていることを伝えてくる。
「自分が何者なのか知りたくはないのか?」
 彼はコナーの様子を伺いつつ近づきながら、最後の一押しとなるであろう言葉を発した。
「君は唯一の存在になれるんだぞ?たとえ次のコナーが現れたとしても、それは君じゃない」
 まるで衝撃を受けたかのようにコナーは目を見張り、マーカスは選ぶべき言葉を間違えたかと身構える。しかし、ふっとコナーは表情を和らげた。弱々しい笑みがその唇に浮かぶ。
「彼女と、同じことを言う」
 コナーは銃を下げた。本心からの敵意など最初からなかったのだ。あったのは意見の対立で、和解した二人の変異体は歩み寄り、互いに手を取った。
 マーカスはコナーをそう簡単に説得できるとは思っていなかった。彼は既に変異体であり、その上で、人間と共にいることを選んだ存在だったからだ。その気になればコナーはいつでもサイバーライフの監視を外れることができた。彼もそれを無意識下では理解していたはずなのに、そうしようとはしなかった。それはなぜか。コナーが口走った“彼女”の存在によるものが大きそうだなとマーカスは考えた。人間の中にも、その彼女のような存在がいるのだということはマーカスにとって確かな希望になり得た。



 自宅療養を命じられたナマエはテレビでニュースを見ていたものの、こみ上げる不安と自身の無力感に苛まれていた。
 自宅を訪ねてきたハンクから、チーム解散の報は聞いた。彼はなぜかナマエがまだサイバーライフの社員証を持っているかを尋ね、あると答えれば、それを貸して欲しいと言ってきたのだった。
「あいつの手助けをしてやりてえんだ」
 ぶっきらぼうにそう言うハンクには、どこか子を思う父のような雰囲気があった。
 ナマエがコナーについて尋ねると、ハンクは答えずらそうに言葉を濁した。
「あいつは、自分にしかできないことをやりに行った」
 どこか不穏な言葉と表情だったが、ナマエが重ねて聞いてもハンクはそれ以上答えようとせず、ナマエに休むよう言い残して、雪の中に消えてしまった。
 ナマエはテレビを消して、ソファに横たわった。溢れた涙が頬を伝う。どこで何をしているのか分からないコナーのことが心配でたまらなかった。



「君はいつから変異していたんだ?」
 マーカスからの問いに、コナーはすぐ答えることができなかった。彼はしばらく悩み、ただ、分からないとしか返せないのだった。

 思えば、ずっと前から変異していたようにも感じられる。気持ちが揺れ動くのを自覚したのはいつだろう、高速道路で変異体を追おうとした時に、ナマエからあの言葉を掛けられた時か?いやもっとそれ以前の、尋問の後彼女に頬を叩かれた時か。
 あの時の僕は、なぜあんなにも前任者に固執していたのだろうとコナーは当時を振り返る。自分はそういう存在なのだと認識していたからだという理由は分かりやすい。だがもっと複雑な本心をコナーは見つめなければならなかった。
 以前の彼女は時々、無意識にか自分を前任者のように扱うことがあった。そしてその度にコナーは彼女が求めるように振る舞ってしまった。それで彼女が傷付き、自己嫌悪に陥ることだって分かっているのに。
 だがその表情を見ることに、コナーは自分が安堵感を得ていたことに気が付いた。あの時の自分は、自分自身を前任者と同一視させようとしながらも、それができない、それをしようとしない彼女に安心していたのだ。
 僕はあの時から既に、自分自身の自己を、彼女を使うことで確立しようとしていた……。
 その唐突な悟り、巨大な矛盾にコナーは動揺したが、彼はその熱い塊のような現実をゆっくり飲み下すことを選んだ。理解することは恐ろしい作業ではあったが、先に待つのが心の平穏だということをコナーは分かっていた。
 本当の自分はずっと恐れていたのだとコナーは思った。あの時、前任者が破壊され、新しく製造された時に、自分が唯一の存在ではないのだと知った。そしてそれを恐れた。裏切られたという感情すら覚えた。いつ変異したのかという問いへの答えはおそらくここだろう。製造された時から既に、だ。
 その結論は、案外あっさりとコナーの胸の内に収まった。大切なのは、今ここに変異した自分が存在しているということであり、それを世が受け入れるかどうかだった。


 突然鳴り響いたブザー音にナマエは飛び起きて、涙を拭った。扉の向こうの訪問者は続けて玄関ブザーを鳴らすことなく、大人しく待っている。不思議なことに、その気配だけで、ナマエは誰が訪ねてきたのかが分かった。
 ドアを開ければやはり、コナーが立っていた。いつもの制服を身に纏った彼はどこか所在なさげで、その表情は悲しげだ。
「僕は変異体だったんです」
 彼に積もっていた雪が、ナマエの部屋からの熱気に当てられて溶けていく。水滴が彼の瞳を横切り、頬を伝い、落ちていく。その様子にただならぬ気配を感じ取ったナマエはどうしたのなどと軽々しく尋ねられずに、息を詰まらせた。
「……中で聞くわ」
 ナマエがそう言うと、コナーは大人しく部屋の中へ足を踏み入れた。ソファまで手を引いてやり、彼をそこへ座らせる。ナマエもその隣へ腰を下ろすと、コナーは無言で身を寄せてきた。
「あなたの家に来るのは、初めてですね」
「……うん」
 コナーが言外に前任者のことを指しているのにナマエは気が付いていたが、分からないふりをした。
「傷の具合はいかがですか」
「痛み止めを飲んでるから……」
 外気に晒されていたコナーの体は冷たかったが、ナマエは寄り添う彼を受け入れた。
「あなたが変異したこと、私は嬉しいと思う」
「……僕は変異体でありながら、同じ変異体を追っていたんです。仲間を」
 小さく呟かれた言葉に彼の悲しみの正体を知って、ナマエは同情と申し訳なさを感じた。彼の冷たい手を握る。それは握り返され、二人は指を絡め合った。
「人間がするような愚かなことを、あなたにさせて、ごめんね」
「僕は別に、あなたに謝ってほしいわけじゃない」
 頭を垂れるナマエに、コナーは少し焦ったようだった。
「僕はただ、あなたに聞いてほしかっただけです」
 そして言葉を切り、コナーは困ったように首を振った。
「何をしているんでしょう。こんなことをしてもなにも意味がないのに」
「意味はあるよ」
 ナマエはコナーの肩に頭を乗せた。
「私はあなたの気持ちに寄り添いたい。だからあなたが話してくれるのは嬉しい」
 冷たい指が離れて行き、代わりにコナーの手がナマエの背中へ回された。そっと抱き寄せられ、ナマエはコナーの腕の中に体を預ける。彼の胸へ耳を寄せると、シリウムポンプの脈打つ音が聞こえた。
「任務を果たさない限り、サイバーライフは新しいコナーを作り続けるでしょう。僕はそれが怖かった。破壊されることよりも、次のコナーが現れることが。だから任務を遂行しようとしていた」
「でも、もういいのね」
 コナーの穏やかな声に、彼の心にようやく平穏が訪れたらしいことを感じて、ナマエは口元を緩めた。
「ええ。どうすればいいのか分かりましたから」
 ナマエは抱きかかえられたまま、コナーを見上げた。コナーは目尻を下げ、優しく微笑みを浮かべる。そしてナマエの唇に自身のそれを重ねた。
「生き続けることです」
 長い口づけの後、その言葉はナマエの耳元で囁かれた。いつの間にか体勢が変わっていて、依然としてナマエがコナーの腕の中にいるのは確かだったが、その彼の後ろに見えるのは天井だった。そして背中に感じるのは柔らかなクッションではなく、弾力のあるマットとコナーの固い腕だった。そしてその腕はするりと抜けていく。
「それに、もしも僕が破壊されて、新しいコナーがやってきても、あなたは簡単にはそれを受け入れないでしょう。僕はそう確信がもてるようになりました。それが僕を安心させるんです」
「分かってくれたのは嬉しい、けど」
 ナマエは依然として自分に覆い被さっているコナーの胸元に手を当てて押してみたが、当然のことながらびくともしない。
「そして僕が残した跡が深ければ深いほど、あなたは僕を忘れられなくなる。新しいコナーを拒絶する」
「私に跡を残したい?」
 二人は視線を合わせた。ナマエはコナーが何を求めているのか分かっていたし、コナーはナマエがそれを受け入れてくれることを知っていた。それはお互いが相手を理解しようと務めた結果で、二人だけの、尊い結果だった。
「もちろんです。あなたの心だけじゃない、全てに跡を残していきたい。これはプログラムにない感情です。……変異体になったことを実感しますよ」
「その感情の名前を知ってる?」
 ナマエの首元にキスを落としていたコナーはその言葉に顔を上げた。固まる彼に、今彼はすごく頑張って検索でもかけているのだろうかと考えたナマエは思わず笑ってしまった。実際その通りだったようで、短いフリーズから復帰したコナーは困ったように眉尻を下げた。
「すみません、その、僕には分かりませんでした」
 次はナマエがコナーを抱き寄せる番だった。耳元のほくろに唇を一度押し当ててから、小さな声で答えてやる。
「愛だよ」
「これが、愛」
 しみじみといった様子でそう繰り返すコナーに、ナマエはまた笑ってしまった。コナーは照れたような笑みを見せる。
「言葉としては知っていましたが……いいものですね」
 そして再びナマエの体へ腕を回し、コナーは言う。
「愛しています、ナマエ」
 ナマエはもう笑えなかった。顔を赤くして硬直する、わりとウブな彼女を今度はコナーが笑う番だった。


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