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12

 ナマエは病院へ救急搬送されたものの、コナーとハンクは一度署へ戻らなければならず、コナーにはそれが歯がゆかった。一方ハンクは常に眉間へしわを寄せてはいるものの、それほど動揺している素振りは見せない。
 ナマエの病室へ向かう途中、とうとうコナーは尋ねた。
「警部補はナマエが心配ではないのですか?」
 ハンクはコナーへ視線を向け、眉間のしわを深くした。
「もちろん心配だ。だがな、この歳にもなるとどこぞの若造みてえにそれをおおっぴらにもできなくなるんでね」
 その暗にコナーを指す言葉に、コナーは口を噤み、それを見てハンクは表情を和らげた。
「まあ、あいつも相応に修羅場を潜ってきてるからな。俺は信頼してるんだ。このぐらいでやられるような奴じゃない」
 言いながら、ハンクはナマエの病室のドアを開けた。ナマエはベッドの上半分を起こして座っていて、二人に気が付くと笑顔で手を振った。その様子に、ハンクはな?とコナーに小首を傾げて見せ、病室へ足を踏み入れた。
「寝てなくていいのか?」
「うん。出血は酷かったけど、傷はそんなにたいしたことないって」
「そりゃ良かった。こいつがうるさくてな。五分おきに『ナマエは大丈夫でしょうか』なんて聞いてきやがる」
 ハンクに肘で小突かれたコナーはびくりとしたものの、それを否定はしない。ナマエは笑い、それが傷に響いたのか顔をしかめる。
「ありがとう、コナー。心配してくれて」
「心配しないわけがないでしょう。人間は30%の血液を失うと失血死してしまうんですよ?あなたはあの時点でその10%を失いつつあった……」
 小さくなっていく声に、ナマエは薄く微笑み、近くに来るようコナーを手招いた。コナーはベッドの空いているところへ腰掛け、暗い表情でナマエの手を握り、黙り込んでしまった。
「ハンクも心配してくれた?」
 からかうような口調だが、ナマエが虚勢を張っていることをハンクは見抜いていた。だが同時に、そう振る舞う余裕が彼女にあることに心の内で安堵する。ハンクは呆れたようにため息をつき、しかし頷いてやった。
「当然だろ。昔お前が冬の川に飛び込んだ時と同じぐらい焦った」
「あの時は酷かったね」
 ふふ、とナマエが控えめな笑い声をこぼした。
「それで、どれくらいで退院できそうなんだ?」
「明日か、明後日には」
「随分早いな」
「医学の発達に感謝ね。私が戻るまでに何か手がかりを見つけといてね」
 そしてナマエはコナーへ視線を移す。
「ほら、私は見ての通り大丈夫だから」
 コナーもナマエを見つめ返したものの、その瞳はすぐに逸らされてしまう。ナマエは困ってしまった。
「おい、コナーもう行くぞ」
 そうハンクが声を掛けるも、コナーはその場を動こうとしない。ハンクは頭を掻いて、俺は車に戻ってるからなとだけ言い残し、部屋を出て行ってしまった。ナマエは未だ握られたままの自分の片手に、もう片方の手も重ねる。
「ごめんね、心配させた」
 そういえば彼はこうして身近な人物が死にかけるのは初めての体験なのだとナマエは思い、同情する。ゆっくりとコナーが口を開いた。
「あなたが腕の中で冷たくなっていくのが分かったんです」
 彼はそこで一端言葉を切り、視線を漂わせた。
「それが恐ろしかった……」
 その言葉を噛みしめるかのように言う彼の横顔は固くこわばっていた。ナマエは手を伸ばしてその頬に触れる。温かさが伝わるように。コナーは目を閉じてその体温を味わった。

「ナマエ、これでもまだあなたは変異体を愛することができると言えますか」
 コナーがその質問を投げかけてくるのは当然だとナマエは思った。言わば、あの放送局のアンドロイドは恩を仇で返したのだから。しかし彼女の意思は変わらない。
「できるよ」
 青白い顔で点滴を受けているけが人に不釣り合いなほどの力強い返事だった。だがコナーはそう返されるであろうことを自分は既に知っていたように思った。
「それは前任者が変異体だったからですか」
「知ってたんだ」
「ええ」
 しばらくお互いの間に沈黙が続いたが、それを打ち破ったのはコナーだった。
「あなたは前任者のことをまだ愛していますか」
 ぽつりと呟かれたその言葉にはどこか悲しさと悔しさが漂っていた。ナマエはすぐには答えられなかった。前の彼の存在はまだ胸の内にあるし、それはまだ愛しているということなのだろう。だがハンクに言われたように、それは過去で、そればかりに目を向けるわけにはいかない。特に、生きている者がそばにいる時には。
「放送局でした話、覚えてる」
 そう切り出すと、コナーは頷いた。ナマエも頷きを返す。
「いない人はもう、いる人からの感情を受け取れないんだよ。彼の開けていった穴に、愛を注いでも、全部流れていってしまうだけ。私は生きて、隣にいてくれる人に愛を注ぎたい」
「僕はそれになれますか」
「生きていてくれるのなら」
 その言葉は重たかった。コナーには前任者が破壊された時の記憶があって、彼が死の間際、何を考えていたのか、コナーは知っていた。しかしそれをナマエへ言うつもりはなかった。彼は、前任者は、任務を遂行するために命を投げ出せば、ナマエが自分を誇りに思ってくれるだろうと、そう考えていたのだ。
 自分は何人もいるコナーの内の一人、代わりのきく存在だということを前任者は知らなかった。だから彼は死を受け入れた。誰かが自分の後を引き継ぐことは予想していた。だが自分と同じ外見、同じ記憶の者が、彼女と共に歩くことになるなど彼は思いもしなかったのだ。
 彼にとって死はあまりにも軽く、彼は自分の死後にも世界が続いていくということを知ってはいたかもしれないが、理解はしていなかった。結果がこれだ。

 だが、僕は知っている。僕が破壊されれば、僕の記憶を引き継いだコナーが、しかし僕の“感情”など知らぬコナーが、また彼女の前に現れる……。
 僕が破壊されればナマエは泣いてくれるだろう。前任者のことを思って泣いていたように。でも、それを見るのは自分じゃない、どれだけ僕の記憶を引き継いでいようともそれは別の誰かであって、自分ではない。前任者が僕ではないように。

 時に英雄的で高貴な死よりも、卑小な生に価値があることがある。特に、生きているものにとってはそうだ。
「僕はこの場所を他の誰かにゆずるつもりはありませんよ。もう、僕のものなんです。そうですよね?」
 答えは口づけだった。彼女の唇は柔らかく、冷たかった。しかしそれが離された時の温かな吐息には確かな生があった。白かった頬には赤みが差していて、コナーはもう一度、今度は自分からキスしたかったが、それはナマエに阻まれた。
「傷口が開きそう」
 渋々体を離すコナーにナマエは微笑んで見せ、そのネクタイを正してやった。
「あんまりハンクを待たせると、怒られるよ」
「また来ますね」
「だめ。任務を優先しなさい」
 冗談めいて発せられたその声は柔らかく弾んでいて、コナーも思わず微笑みを返した。



 コナーはまたナマエの車の中にいた。今日は雪だ。フロントガラスと窓ガラスは雪に覆われていて白く、外の様子はただ明るいとしか認識できなかった。
 そして、ナマエがいる。前を向いて虚空を見ている。まるでアンドロイドのようだとコナーは思った。そしてなぜ彼女がここにいるのだろうと考え、ああ、まだこのことは報告していなかったなと、少し皮肉な気持ちで思う。
「ミョウジ刑事は先日負傷されたんですよ。報告が遅れました」
「随時報告するようにと、言ったはずです」
 ナマエの口が人形のように動くが、その声はアマンダのものだった。目前のナマエも、その車内も溶けるように消え、一瞬の暗闇のあと、いつもの庭園が姿を現す。その中央でコナーはアマンダと向かい合っていた。
「どうしてミョウジ刑事の姿を騙るんです?」
「彼女のデータを使った方が、よりあなたを制御しやすいことに気が付いたからです。騙ったのではなく、より効率のよい方法を取ったに過ぎません」
 アマンダは平然として答え、眉をひそめてコナーを見た。
「なぜそんな質問を?」
 コナーも調子を合わせ、平然を装う。
「いえ、それには効果がないことをお伝えするべきかと思い……。私は、アマンダ、あなたが対応して下さっても、十分な性能を発揮することができます」
「それはどうかしらね、コナー。実際あなたは放送局で変異体を破壊した。最近の中では一番の功績です。それはミョウジ刑事に言われたからではなくて?」
 譲る様子を見せないアマンダへ、コナーは即座に言葉を返す。
「でもそれは、あなたからの指示でもあった。……データ上の彼女に言われても、無意味なんですよ、アマンダ」
 その言葉に、アマンダは見下すような視線をコナーへ向けた。
「データも現実も、認識するものがそう区別しているに過ぎない。アンドロイドであるあなたが、現実にこだわるというのはおかしな話」
 なぜなのか、答えることもできた。単純な答えだった。しかしコナーはそれを伝えず、アマンダに求められている通りの受け答えをし、その場を切り抜けた。
「ナマエは現実にしかいない」
 目を開けて、コナーはそう呟いた。
 彼はジェリコにいた。彼は今から変異体のリーダーに会うところだった。


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