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14(END)

 普段ならば静寂に満ちているはずの、サイバーライフタワーの倉庫に怒号が響き渡った。言い争っていた二人のコナーは口を噤み、ハンクを見る。
 コナーは内心焦っていた。恐れていたことが現実になったのだ。こいつと自分の違いを証明できなければ、失われるのは自分の命だけではない。自分自身の存在というもっと概念的だが大切なものを脅かされているのをコナーは肌で感じていた。

 メモリーをアップロードしていたらしいもう一人の方がハンクの投げかける質問に答えていく。コナーは切羽詰まっていた。考えろ、と自分へ言い聞かせる。自分からあいつへ、何か必ずアップロードされていないものがある筈だ、と。
 僕が前任者から引き継げなかったもの……。
 ハンク!とコナーは声を上げた。ハンクは思わず銃口をコナーへ向ける。コナーははじかれたかのように話し始めた。
「僕が以前、前任者から引き継げなかったものがあると話ましたよね!?僕はやっとそれの正体が分かった!ナマエが僕に教えてくれたんです!」
「それはなんだ!」
「愛なんです!ナマエへの!記憶はアップロードできても、感情まではアップロードできない!」
「私も!私だって彼女を愛しています!」
 慌てた様子で割り込む相手をコナーは一蹴に付す。
「黙れ!この感情は僕だけのものだ!前任者や、ましてやお前なんかのものじゃない!」
 銃声が響いた。もう一体のコナーが膝を付き、倒れる。コナーはその、“もう一人の自分”がそうでなくなるのを横目で見ていた。
「ったく、恥ずかしくなるようなこと大声で言いやがって」
 微笑むハンクに、コナーは力が抜けたような笑みを返した。
「ありがとうございます、ハンク」
「ナマエの為でもあるからな」
 コナーは頷いた。
「お前が変わっていくのを見て、俺もまだ変われるんじゃないかって思ったよ。それに、この世界もな」
 ハンクはコナーの肩を叩き、彼にやるべきことを思い出させる。コナーはまっすぐ歩いて行き、自分と、自分の仲間のための任務を始めた。



 どのチャンネルも、リコールセンターの前で行われたアンドロイドの演説を何度も流している。台の上に立つ指導者たちのなかにコナーがいるのを見て取って、ナマエは安堵と彼を誇りに思う気持ちで一杯になった。彼が何をなしたかは彼女の知るところではなかったが、彼が自分で決めた使命を果たしたということは大いに意味のあることだった。
 しかし、この後の彼がどうするのか、それは彼女には分からなかった。彼には自分の人生を選ぶ権利がある。あのままジェリコの仲間たちの元に留まるという選択肢だってあるのだ。ナマエは、コナーは自由だと呟いた。それを妨げる権利は自分にはなくて、私は彼の背を押さなければならないのだと。でも本当は彼が再び戻ってきてはくれないかと、時折玄関へ視線を送ってしまうのだった。


 ハンクとコナーはあのバーガー屋の前で再会を果たした。言葉は必要なかった。短いが親愛の籠もったハグだけで十分だった。ハンクは一人の青年で、今では後輩の恋人でもあるらしいそのアンドロイドを眺めた。そしてふと思い出したようにポケットを探る。中から出てきたのはコナーにも見覚えのあるメモリーカードだった。
「どうしようと、お前の自由だ」
 コナーは渡されたその黒くて小さな記憶媒体へ視線を落とす。
「僕は思ってしまったんです。僕の他に、僕の記憶を持つものがいないでほしいと。代わりのいない存在になりたいと」
 その独白にも似た言葉を、ハンクは黙って聞いてやった。
「これは大切なものですが、もしも僕が前任者だったのなら、この記憶を他の誰かが持っているのは嫌でしょう」
 コナーは顔を上げて微笑んだ。それは全てを、前任者の存在を肯定し、受け入れた上での、自然な微笑みだった。
「これは彼だけのものだ」
「そうだな」
 彼が成長していくのが、ハンクにはただただ嬉しかった。こいつとナマエの未来がどうなるかは分からないが、それを見届けてやろうかとハンクは心の内で思うのだった。

「ナマエにはもう会ったんだろうな」
 確かめるかのようにハンクがそう尋ねると、意外なことにコナーは困ったように視線を地面へ落とした。ハンクは焦る。
「おいおい、今頃あいつ不安で泣いてんじゃねえか?」
「それは分かっています、ですが、何というか……」
「何なんだ」
「少し怖いんです」
 はあ?とハンクは驚きと呆れを大いに含んだ声を上げた。コナーはますます眉を下げる。
「”僕たち”は権利を獲得して、一つの生命体として認められました。新たな生き物として。そんな存在として彼女の前に立つことがどんな意味を持つのか今更になって気が付いたんです」
「ナマエが新しい種族を受け入れるかってことか?」
 コナーは頷く。ハンクは大きくため息をついた。
「お前たちは生まれた時から人間とは異なる種族だった。アンドロイドっていうな。俺もナマエもそれは分かってる、その上で、お前らを受け入れたんだ。当事者であるお前には深刻なことかも知れねえが……」
 ハンクは頭を掻いた。
「俺やナマエにとって大切なのはお前の中身だ。立場や肩書きじゃねえんだよ」
 我ながら月並みな言葉だな、とハンクは苦笑した。しかし皆がそう思い、言うからこそ、これらの言葉は月並みだと言えるようになったわけだ、と一人納得する。目前のコナーは未だ不安げで、言葉などでは納得できない様子だった。ハンクは勢いをつけてコナーの背を叩く。
「悩んでる暇があったらナマエの所に行くことだな。ほら、さっさと行かねえとゴミ箱に放り込んで火を付けるぞ」
 その冗談交じりの脅しにコナーは一度だけLEDを黄色くすると、ナマエの家へ向かって歩き始めた。
「ありがとうございます、ハンク。あなたにはいつも大切なアドバイスを貰っています。僕もナマエも、あなたには感謝しているんです」
 くるりと振り返ってそんなことを言うコナーに、ハンクは追い払うゼスチャーをしてみせた。それが素直でない彼の照れ隠しだということを知っているコナーは微笑んで再び前を向く。ナマエの元へ帰るために。


 コナーは玄関のブザーを押すべきなのか少し悩んだ。ブザーを押すと、自分の存在が友人や知人にカテゴライズされてしまうような気がする。コナーは手の中の鍵に視線を落とす。昨晩ナマエが彼へそっと握らせたのだ。いつでもここに帰ってきて、と言って。懇願の響きのあるその言葉を、コナーは延々と再生していた。大切な言葉だった。
 結局、コナーは礼儀としてブザーを鳴らすことにした。だがその指先がブザーに触れるよりも早く、ドアが開いた。中から顔を覗かせたナマエは、まさかコナーが立っているなどとは夢にも思っていなかったようで、ぽかんと間の抜けた表情を見せた。
「ああナマエ。玄関のドアは突然開けてもいいものなんでしょうか。やはり一度ブザーを鳴らして訪問を伝えた方が……」
 言葉は遮られた。コナーは突然の衝撃と重みをしっかりと受け止める。胸元に顔を埋める彼女を抱きしめてやれば、背中へ腕が回されて、抱きしめ返された。
「帰ってきましたよ。僕です、あなたのコナーです」
「おかえり」
 その声は涙に濡れていて、コナーは彼女がますます愛おしくなった。

 ソファに並んで座って、コナーはナマエと別れたあと、なにがあったのかをすべて話した。ナマエは黙ってそれを聞いて、自分がいかにコナーのことを誇りに、そして大切に思っているのかを伝えた。それに対してのコナーの答えは言葉だけではなかった。
 暫くして、コナーに抱きかかえられながらナマエが言った。
「コナーはこれからどうしたい?」
 返事の代わりに、頬へ唇が押し当てられた。ナマエはそんな彼の髪を指でかき乱してみたりしながら答えを待つ。
「あなたの車に乗りたい」
「ドライブしたいってこと?」
「思い出を作りたいんです」
 はぐらかすような言葉だったが、それをコナーは真剣な面持ちで言うので、ナマエも真面目に、分かったと返した。今度はコナーがナマエの髪を弄び始めた。何かを言うべきか悩んでいる様子で、指にナマエの髪をくるくると巻き付けては、ほどく。何度かその動作を繰り返したあと、コナーはようやく口を開いた。
「車にある、あのハンカチ。あれ僕にくれませんか」
 予想だにしていなかった突然のお願いに、ナマエは驚いた。そして、彼がその存在を知っていたのだということに、表情をこわばらせる。さっきまでの暖かで穏やかな雰囲気はどこかに霧散してしまった。
「だめだよ」
 はっきりとしたその拒否の言葉を予想していたにも関わらず、コナーは項垂れる。
「あれはあの人の唯一の形見だから」
 もっともな答えだった。前任者はその全てがサイバーライフのものだった、とコナーは思う。あのハンカチは彼のたった一つの所有物だった、と。
 でも、僕もそうだ。僕もなにか定義から外れたものが欲しい、そう思うのは我が儘だろうか。
 何かをすごく言いたいのに、それを言えないでいるコナーの顔は切なげで、ナマエは彼にそんな顔をなるべくして欲しくなかった。ナマエはなんと言えば彼を慰められるのかを悩んだ。
「もし、よかったら」
 ナマエはコナーの頬に指を滑らせた。あごまで撫でて離れて行こうとするその指をコナーが捕まえる。ナマエはそれを見ながら言葉を続けた。
「今度買いに行こう」
 コナーは自身の頬にナマエの手を当てた。そしてその温かを味わうかのように目を閉じる。その顔は穏やかなものに戻っていて、ナマエは安堵した。
「椅子ももう一脚買おうか。ハンクが来た時困らないように」
 その言葉の意味が一瞬分からず、コナーは目を開けた。ナマエはどこか恥ずかしそうで、そのブラウンの瞳から逃げるかのように顔を背ける。
「収納ボックスも増やそうか、ハンガーラックも。いくつあっても良い物だしね」
 ようやくナマエが何を言っているのか理解したコナーは、照れる彼女の顔を覗き込む。案の定、彼女の顔は赤くて、それを見られたコナーは大いに満足した。
「僕の枕も買って下さいね」
 そう注文を付けると、平然としているコナーに少し拗ねたらしいナマエは唇を尖らせる。
「ソファで寝なさい」
「もしもハンクが泊まりに来たらどうするんです」
 コナーの反論に答えられないナマエは、暫く不明瞭なうめき声を上げたあと、苦し紛れに言う。
「寝なくてもいいくせに」
「あなたの隣で、あなたの寝顔を見ていたいんです。だめですか?」
 これにだめとは言えないナマエは、しぶしぶ頷いた。
 二人はこれからどうしたいかをずっと話した。コナーの希望はどれもささやかな日常的なもので、ナマエは彼がそれらをいかに大切に思っているのかを改めて知った。そして同時に、彼に世界を見せたいと思った。二人でできる素晴らしいことの全てを楽しみ、そして素晴らしくない全てのことも乗り越えて行きたいと思った。そして実際、二人にはそれが可能だった。
 彼の名はコナー。彼は生きていて、自分自身と彼だけの未来を持っていた。


La Fin.


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