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09

 三人がエデンクラブから出ると、雨は雪に変わりつつあった。ハンクは自分の吐いた息が白いのを見る。くそったれな現場だったと先ほどの様子を思い出し、だがあいつは撃たなかったと独り呟いて、微かな笑みをもらす。アンドロイド嫌いが治った訳じゃ無いと自分自身へ一応の虚勢を張ってはみるが、それは長続きしなさそうで、あいつを認めないわけにはいかなそうだとハンクは思った。彼のその穏やかな視線の先では、コナーが人間らしい悩みに直面しているところだった。
「コナー、署で待機するなら送っていくよ」
 コナーはナマエからそう提案されたのだった。きっとあいつは、ここから警察署までは少し距離があるし、明らかに疲れた様子のナマエにそこまで世話になるわけにはいかない、しかし送ってもらえば彼女と車の中で少なくとも数分は過ごすことができる。などと考えているんだろう、とハンクは思った。だがあいつの気持ちは確実に後者へ傾いてるな、とも。その証拠に、コナーの視線はナマエの車の助手席に釘付けだった。ハンクはコナーのそういう成長を嬉しく思っていた。そして同時に確かめたくもあった。

「なあどうだ今から一杯」
「やだ。私はコナーを送ったら、帰って寝るんだから」
 気さくにそう誘ってみれば、即座に返ってきたのはつれない言葉だった。ハンクはやれやれと首を振る。
「そうかい。じゃあお前のコナーを借りていくからな」
 意外な言葉にナマエは驚くよりも不信を取ったようだ。疑うような視線を彼女はハンクに送る。
「いじめないでしょうね」
「人聞きの悪い……ただ、なんだ、悪くないんじゃねえかと思ってな」
 自分の発した言葉に気恥ずかしさを感じて頭を掻くハンクに、ナマエはふっと表情を和らげた。一方コナーは首をかしげる。
「ナマエは僕の所有者ではありませんが」
「そういう意味じゃねえ」
 コナーの言うことは本気なんだか、ジョークなんだか分からない。
「で、どうすんだ」
 答えを急かすと、少しの間はあったものの、コナーは頷きを返した。
「僕はお酒を飲めませんが、話になら付き合いますよ。ハンクの話を聞くのは楽しそうです」
「どうだかな」
 そう鼻で笑って見せても、コナーはまるであなたの本音は分かっていますよとでも言いたげな微笑を崩さない。それがどうにもナマエに似ていて、ハンクはどこか負けたような気持ちになる。
 ナマエはいつの間にか自分の車に乗り込んでいて、そのやり取りを笑顔で見ていた。
「それじゃあコナー、ハンクをよろしくね。おやすみ!」
「おやすみなさい。よく休んで下さいね」
「おい、逆だろ!」
 ウィンドウを上げたナマエにその声は届かなかっただろうが、何を言っているのかは察しがついたらしい。彼女はニッと笑うと手を振り、車を発進させた。コナーは背筋を伸ばしてやたらと綺麗な姿勢で手を振りながらそれを見送っていた。


「そういや、さっきはどうやって俺の家に入ったんだ」
 ハンクは家のドアを開けると同時にじゃれついてきたスモウを撫でてやりながらコナーにそう尋ねる。エデンクラブへ向かう前、ハンクが玄関のブザーが鳴らされたことに気付いて、酒瓶片手に心地よいうたた寝から目覚めると、今にもコナーが自身にビンタを食らわせようとしていたのだった。その時は驚きと混乱で聞きそびれたが、窓などを割られた形跡も無く、どうやって入ったのか、ハンクには皆目見当もつかないのだった。
「ナマエに合い鍵を借りました」
 その返事に、ハンクは随分昔にナマエが合い鍵を作っていたのを思い出す。
「なぜ彼女があなたの家の鍵を持っているのですか?」
 普通の男ならば嫉妬の一つでもしそうな状況だったがコナーの言葉は純粋な疑問だけで形成されていた。それにハンクは誤魔化す必要などないことを知る。
「俺には現実から目を背けて、馬鹿なことをやろうとしていた時期があった。ある晩、それがナマエにばれてな、あいつは怒って、泣きながら俺を説得しようとした。俺はその様子を見て、考えを改めたんだがな、ナマエは信用しやがらねえ。勝手に合い鍵を作って、今でもたまに様子を見に来やがるんだ。で、一緒に酒を飲む」
「でもあなたはそれを嫌だとは思っていない。でしょ?」
「お前、俺はな……。そうかもな」
 つい勢いに任せて否定の言葉が出かかったが、自分が招いた相手にそう頑なな態度をとる意味はもう無いのだとハンクは悟って、力を抜いた。
「彼女が怒るところが目に浮かぶようです」
 その微かに笑うような調子の呟きは柔らかな声で、親愛の情が含まれているのを感じさせた。
「お前も怒られてばっかだったのか?」
「ええ、まあ。思えば以前の僕は、彼女を苛立たせることばかりやっていましたからね」
「お前、随分変わったな」
「そんなに変わりましたか」
 きょとんとするコナーはその時点で、以前の彼とは違う。
「ああ」
「それは、良いことなのでしょうか」
 そんなことを気にするコナーが不憫だった。ハンクは道に迷う後輩を手招いてやる。
「そういうことを話すためにお前を連れて来たんだよ」


 ハンクはコナーをリビングのソファに座らせると、レコードを手に取った。
「なんか聞くか。なにがいい」
 ソファに固い姿勢でちょこんと座っていたコナーは突然迫られた選択に少し戸惑った様子を見せた。
「僕はなん」
「なんでもは無しだ」
 言葉を遮られたあげく却下されたコナーはしばらく黙っていたが、突然明るい表情を浮かべた。
「では、ナマエが好きなものを。あるいは彼女が好きそうなものをお願いします」
「良かったな、ナマエが来る度に聞く一枚がある」
 ハンクはコナーに背を向けて、一番取りやすいところに置いてある一枚のレコードを手にとり、セットした。その顔が穏やかな笑みに満ちていたことは、誰も知らない。

 ナマエが贔屓にしている歌手の繊細な歌声が流れ始めた。ハンクはソファにどっかりと腰を下ろしてその歌声にしばし耳を傾けたあと、口を開いた。
「なあコナー、お前は本当にこんなことを続けたいのか?」
 目を閉じて音楽に集中していたらしいコナーはぱっと目を開け、質問の意図を問いかけるような視線をハンクへ投げかける。ハンクはグラスを傾け、安いウイスキーを一口煽った。
「エデンクラブのあいつらを見ただろう、お前もそこから何かを感じ取ったんじゃないのか?」
 コナーの顔からいつものアルカイックな微笑が消える。ハンクのところからコナーのこめかみのLEDは見えなかったが、それはまるで動揺するかのように黄色く回り続けていた。まるでプラスチックの彫刻へ逆戻りしてしまったかのようなコナーを眺めながら、ハンクは酒を注ぐ。
「僕は変異体を追うようにプログラムされています。変異体を追うことをやめれば存在意義を失ってしまいます。人間で言うところの、アイデンティティをです。僕にはそれ以外の自分という物が無い」
 わずかの間を置いて発せられた声はその表情に似合わず、どこか諦めたような雰囲気を纏っていた。ハンクは、そうか、と返す。
「俺はこれからナマエの横に立つ奴が何者なのか確認しておきたいと思ったが、それじゃあお前は自分が何者でもねえって、そう言うんだな?」
 コナーは悲しげで、同時に悔しげでもあった。それはひどく人間らしさを感じさせる様子で、思わず同情したくなる痛々しさがあった。
「僕だって、そうは言いたくありません。でも、分からないんです。ナマエは僕に何かを教えてくれそうだったのに、僕はそれを読み取ることができなかった。それはきっと、僕になにか不足しているデータがあるからなんです」 
 弁解するかのように、コナーはまくし立てる。ハンクは黙ってそれを聞いてやった。
「前任者から引き継げなかったデータがあるんでしょう。彼は……変異体だった」
 意外な言葉に、ハンクは驚く。対してコナーは重大な告白をしてしまった後悔と、しかしその事実を受け入れなければならない苦悩に顔をしかめていた。
「お前は、どうなんだ」
 ぽつりとハンクの口から漏らされたそのもっともな問いかけに、コナーは皮肉混じりの弱々しい笑みを返す。
「たとえ変異体でも、僕はそれを認められませんよ。そんなことをすれば、僕はサイバーライフで解体されて分析されるでしょう。そして新しいコナーが配備される」
 そんなのは嫌だ、と続く言葉は微かな声で、BGMのピアノの音にかき消され、ハンクの耳には届かなかった。
 しばらく二人はお互いに何も語らなかった。曲が変わり、クラシックギターの伴奏に合わせて歌手が滑らかな声で歌い出す。愛についての歌を。
「これはとてもいい曲ですね」
 幾分か落ち着いたらしいコナーがそう呟く。
「それとも、ナマエがこれを好きだという前知識があるからそういう風に聞こえるのでしょうか」
 自然な調子でそんなことを言ってのけるコナーに、ハンクはわざとらしく呆れて見せる。
「好きだと思うことに理由がいるのか?面倒なやつだな。今のお前が好きだと思ったんなら、その気持ちだけが唯一の理由になりえると思うね」
 ハンクが思った通り、コナーは困ったように眉尻を下げている。
「抽象的な答えです」
「なんにでも明確な答えがあるわけじゃねえ。特に、気持ちってやつにはな」
 先輩風を吹かしてそう言ってやれば、コナーはますます困惑を深める。
「僕は答えが欲しい。それさえ見つかれば、自分が感じる全てのことについて説明がつく。それが自分自身を持つということじゃないんですか?」
「人間によくある悩みだな、それは。自分探しってやつだ」
 この世界に解き放たれて日の浅いコナーには、それは重大な悩みだったが、ハンクにとってはすでに乗り越えてきた微笑ましい悩みというものだった。ハンクはグラスの中の琥珀色を眺める。
「俺が今こんな不良警官やってんのは、それなりの理由と経緯がある。誰も急に今の自分になった訳じゃない」
 いつの間にかコナーは膝の上に肘を置き、姿勢を崩している。その背を丸めた様子はハンクの話に聞き入っていることを表していた。
「お前は今から色んな経験をする。それがお前ってもんを作るんだよ。確かにお前の前任者はお前より早く自分の立ち位置を見つけ出したのかもしれねえ。でもな、お前はそいつじゃない。お前にはお前のやり方があって、そのやり方がそのままお前を作るんだ」
「僕のやり方?」
「そうだ。今こうして俺と話してんのもその内の一つだな。ナマエと話すのもそうだ」
「それだけで、僕は何かになれるんですか」
「経験が人を作るとは言うがな、たとえお前がプログラムで動いていたとしてもだ、お前が感じたことはお前だけの経験で、それがこれからのお前を作っていく。俺はそう思うがね」
 話の締めにその背を叩いてやれば、深刻な表情で眉を寄せていたコナーは苦笑いを返してきた。
「ま、今日はもう遅い。泊まっていけよ、ソファぐらいなら貸してやる。ナマエもよくそこで寝てるしな」
「お借りします」
 素早くなされた返答に、今度はハンクが苦笑する番だった。ハンクから渡されたハンガーにジャケットを掛け、一応、と手渡された毛布を手に横になるコナーのLEDはずっと黄色いままで、ハンクに言われたことを考えているのは明らかだった。いつかこいつにも今を振り返って見て、そんな時期もあったねと言えるような未来が来ればいいがと、ついハンクは考えてしまう。そして彼が思うのは自身の息子のことだった。コナーのように自分の存在に悩むような時期すら迎えられなかった自分の息子。コールが生きていれば、今コナーに与えた助言もまた違っていたのだろうか、そして俺の人生も?ハンクは片手に持った酒瓶の中身へ視線を落とした。まだ半分以上残っているそれは、誘うかのように照明の光を返しながら揺れている。……だが、もしもそうだったのなら、今ほどこいつの気持ちに寄り添うことはできなかっただろうと、ハンクは蓋を開けること無く、酒瓶を棚へ仕舞った。


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