Main|DBH | ナノ

MAIN


短編|コナーとRK900とネクタイの話

 デトロイト市警のオフィスフロアで、私達は向かい合わせに座っている。
 コナーはクリーニングから返ってきたばかりの制服に身を包んでいて、私はその仕上げにネクタイを結んであげているところだ。彼は自分でできるけれど、最近はいつも私に頼む。

 きっかけは、さほど昔のことでもない。二人で他愛もない話をしていると、彼がネクタイを緩めながら、「ネクタイは首輪みたいで、嫌いなんです」と打ち明けてきたのだ。それまでコナーが何かに苦言を呈するところを見たことがなかったから、私は驚き、「外したら?」と極々普通の提案をした。彼はちょっと苦笑して、「サイバーライフの服装規定で指定されているんですよ」と答えた。
 職場や仕事においての決まり事を無視しろとは軽々しく言えないタイプの私が掛けるべき言葉を探していると、コナーは少しそわそわとした後で、ボディーランゲージ的意味合いの咳払いをし、「あの」と切り出した。
「もしかすると……あなたが結んでくれたら、少しはましになるかもしれません」
「なんで?」
 まったく意味が分からない私がそう尋ねると、コナーは虚空に視線を彷徨わせた。
「その、それは……」
 どこかうろたえた様子のコナーを黙ったまま見つめて私が先を促すと、彼はなぜか意を決したかのように息を吐き、続ける。
「僕はサイバーライフの犬でいることは嫌、ですが……あなたの――」
 聞き捨てならない単語に、私は眉を顰めて話を遮る。
「誰?あなたに犬だなんて言ったの」
「……えーと、まだ誰かに言われたわけではないのですが」
「そう?ならいいけど……。遮ってごめんね。続きは?」
「…………自分で結ぶよりも、誰かに結んでもらった方が、服装に関して客観的視点を得ることができて良いからです」
 短い沈黙のあと、コナーは早口で理由を並べたてた。さっきと言ってることが違わない?と私は小首を傾げて彼を見上げたが、ふい、と目を逸らされ、それで話は終わった。

 まあ、コナーの抱える理由が何であれ彼のネクタイを結ぶのは好きだ。コナーにはコナーの理由があるように、私は私の理由でネクタイを結ぶ。
 私はネクタイをコナーの首に掛けながら、彼が怪我をしませんようにと願う。輪を結いながら、悪いことが起きませんようにと願う。ちょっとした縁起担ぎや願掛けのようなものだ。私が結ぶことで、このネクタイが彼を守ってくれるんじゃないかと、私は祈っている。
 私が結ぶあいだ、コナーは大人しく座っている。時々視線が合うと、ちょっと照れたように、でも心の底から嬉しそうに笑う。私も嬉しい。
 だが楽しい時間とは瞬く間に過ぎ去って行くものだ。いくらゆっくりと結んでも、終わりはやって来る。私はコナーの胸元にネクタイを収め、少し身体を離して出来栄えを確認し、「よし」と言う。
「終わりましたか?」
「うん」
「かっこよくなりました?」
「100億倍ぐらい、かっこよくなった」
 これは最近お決まりのやり取りだ。笑いながら私が答えると、コナーは満足げに頷く。
「あなたのおかげですよ」
「どういたしまして」
 そうして仕事へ向かうコナーを見送り、私はデスクワークを始める。と、見つめるパソコンの画面にメール受信のポップアップが表示された。


 私はパソコンに送信されてきたメールを開き、独り怪訝な顔をした。サイバーライフ社からだ。こういうメールはまずファウラー署長へ送信されるのだが、署長はめんどくさがって、それら全てが私へ転送されるように設定している。私がコナーと仲が良いから、という理由で。気がつくと私は、デトロイト市警のアンドロイド係のようなポジションになっていた。……別にいいけど。
 私は『弊社の商品をご愛好いただきありがとうございます』から始まるテンプレートを軽く読み流し、肝心の本文へ視線を落とす。
 『RK900から服飾装備品:ネクタイの配給要求を受けました。申し訳ございませんが、現在そのようなRK900の装備品は製造しておりません。』
 その後に続くのは最新のアンドロイドとそのオプションパーツのカタログだった。私はメールの最後までざっとスクロールした後、パソコンから顔を上げてRK900の姿を探す。だが探すまでもなく、彼はすぐ近くにいた。
「RK900、ネクタイ欲しいの?」
 立ったまま端末を操作していたRK900は、私の言葉にピタリと動きを止めた。しかし画面から視線を動かそうとはしない。相変わらず、何を考えているのか分からないなと私は思いつつも、質問を重ねる。
「なんで欲しいの?」
 長い沈黙があった。
「……急な止血に使えます」
 どこか無理やりこじつけたような理由だった。仮に例えそうだとしても、そんなに止血する機会ってあるのかな、と思う私の気持ちをその表情から読み取ったらしいRK900は言葉を続ける。
「実際に使用された例もあります。ご覧になりますか?」
「そこまで言うなら……」
 私の返事に数歩で距離を縮めたRK900は、片方の手を広げて私に見るよう促す。コナーもよくこうしてスモウの動画とか見せてくるなと思いながら、私は彼の手のひらを覗き込んだ。

 薄暗い画面内は夜の屋上であるようだった。ちらちらと映り込む服や靴を見るに、どうやらこれはコナーの記録動画らしい。多分、彼がまだ機械だった頃の記憶で、RKシリーズは共有しているのだろう。
 少女を人質にした一人のアンドロイドが、屋上の縁に立っていた。コナーは彼を説得しながらも、倒れた警察官を見つけ、手当を試みる。その的確な判断に、落ち着いた行動。動画を見ながらも、つい私は声に出してコナーを褒めずにはいられなかった。
「さすがコナーだね。説得の言葉選びも的確だし、応急処置の手際もいいし……。やっぱりコナーはすごいなあ。かっこいい」
「……コナーのことは、もういいです」
 ぐしゃ、とまるで握り潰すかのように拳を固め、RK900は動画の再生を止めた。彼にしては荒っぽいやり方に私が驚いていると、彼はす、と視線を逸らす。
「それで、ネクタイの話ですが」
「残念だけど、サイバーライフはネクタイを支給しないって」
「……そうですか」
 RK900の返事は平坦な声色だったが、その前の沈黙に、私は少し引っかかるものを覚えた。
「市販のは嫌?」
「アンドロイドはそれ専用の付属品以外の購入を許されていません」
 彼が時々返してくるこういった定型文を、私は軽く受け流す。
「嫌ではないのね」
「個人的な意見を述べるのでしたら、嫌ではありません」
 最近はちょっとだけ、何を考えているのか分かるようになったかもな、と思い直して、私は「そっか」という短い言葉を返した。そしてデスクの引き出しを開けて箱を取り出す。本当はコナーの予備用に買っていたものだが、まだ未使用でコナーに見せてすらいないし、多分今後も使う予定はなさそうだ。興味を持ったらしいRK900が、箱へ目を向ける。
「それはなんですか?」
「ネクタイ。あなたにあげるね」
 私の返事に、RK900が目を丸くしたような気がした。いや、彼の表情にはあまり表立った変化はなかったが……少なくとも、ちょっと驚いたような雰囲気があったので、私は言葉を付け足す。
「未使用ではあるんだけど、本当はコナーの予備用に買ってたやつなの。だから、それでもいいんだったらなんだけど――」
「頂きます」
「……ほんとにいいの?」
「構いません」
 貰う方向で意思を定めたらしいRK900は驚くほど頑固だった。私はちょっと肩をすくめて笑い、彼へ箱を手渡す。
「ありがとうございます」
 受け取ったRK900は箱を開けてネクタイを取り出し、そそくさと首に回した。そしてそれを結び始めるも、なぜか上手くできないらしく、見ている方がもどかしくなる手付きで結んでは解いてを繰り返し始めた。私はその様子を驚きをもって眺める。
「もしかして、結べないの?」
「はい。元々RK900にネクタイは付属されていませんし、デバイスが対応していないので、結び方はインストールされていません」
 そう言うとRK900は手を止めて、私を見た。それがどこか困っているように見えて、思わず私は彼のネクタイへ手を伸ばす。
「結ぼうか」
「お願いします」
 RK900は脇のデスクへ手をついて、ぐ、と私の方へ身を屈める。彼はコナーよりも背が高いんだな、と唐突に私は気が付く。天井のライトが遮られ、見上げるRK900の顔がよく見える――。
 彼のブルーオーカーの瞳がじっと見据えてくることに気恥ずかしさを覚え、私は手早くネクタイを結んだ。いつもコナーのものを結んでいるから、もう慣れたものだ。
「はい、できたよ」
 私の言葉に、RK900は自身の胸元を見下ろす。黒いシャツの上に、コナーのものとよく似た灰色のネクタイが大人しく収まっている。
「かっこいい、ですか」
「え?」
 どこか意外なRK900の言葉に、私は思わず聞き返した。RK900自身もその発言は不本意なものだったようで、再び繰り返そうとはしない。私は微笑んだ。
「もちろ――」
「そこまでです!」
 突然の大声に、私はびくっと肩を揺らす。見ればコナーがズサーッと私達の間に割り込んでくるところだった。ベースへ向かう野球選手顔負けのスライディングを披露したコナーは、即座にシャッと立ち上がり、RK900のネクタイを目にも止まらぬ速さで解いた。
「RK900のネクタイを結んでやる必要はありません!」
「え、でも」
「僕はネクタイを結べるんですから、当然、後継機である彼にもできます!」
 コナーの暴露に、私は目を瞬いてRK900を見る。彼は、嘘をついたのだろうか。
「……たった今、学習しました。元々インストールされていなかったのは事実です」
 RK900はしれっとそんなことを言うが、デバイス云々言っていたのはどうなったのだろう。
「これからは自分で結んでくれ!」
 そう言って、コナーはRK900にネクタイをむぎゅ、と押し付けた。RK900はそれを受け取りつつも、視線を落とし静かな声で尋ねる。
「なぜ、コナーはよくて、私はだめなのですか」
 私はRK900の言葉に一抹の寂しさを覚え、同情心が湧くのを感じた。もしかすると彼も、称賛が欲しかったのかもしれない、と。他の変異したアンドロイドたちがコナーのように自己主張をし、受け入れられていく中で、依然として機械の彼は、黙って佇んでいるだけだ。彼だって、認められたいかもしれない。自分はこれだけのことをしたのだと。褒められる価値のある存在なのだと。
「RK900……」
 絆された私が、優しくRK900の名を呼ぶと、再びコナーが大声を上げる。
「だめです!」
「何がだめなの?コナー」
「あなたが、RK900に関わると……」
「関わると?」
「あなたが関わると……」
 コナーは大きく息を吸い込んだ。アンドロイドは発話に呼吸を必要としていないはずなのに。そして、まるで重大な事を告げるかのように、深刻そうな顔をして口を開く。
「もっとRK900がかっこよくなってしまうじゃないですか!」
「え?」
「僕は100億倍かっこいいので問題はありませんが」
「うん?」
「でもこれ以上RK900がかっこよくなるのは困ります!」
「……そっか」
「これからは、RK900のネクタイを結ばないと約束して下さいませんか?」
 跪いて私の手を取り、目を洗浄液で潤ませるという中々高度な技術を披露しながら、コナーは私へ乞う。こんな風に頼まれて、断るなんてできるはずがない。私は苦笑し、RK900へ確認を取る。
「悪いんだけど、これからは自分で結んでくれる?ごめんね」
「……構いません」
 淡々とそう返すRK900がどこか所在なさげに見えて、私は一言付け加える。
「大丈夫。私が結ばなくても、きっとかっこよくできるよ」
「あなたが、結んで下さらなくても……」
 RK900は私の言葉を繰り返し、手のなかのネクタイへ視線を落とす。私はあえて明るく笑って見せて、言葉を重ねる。
「私が結ばない方が、かな?あなたはなんでも上手にできるもんね」
 私の言葉に、RK900は手にしていたネクタイをそっと、デスクの上へ置いた。その意図が分からず、私は首を傾げる。褒めたつもりだったのだが。
「RK900?」
「私にこれは必要ないようです」
「……そうなの?」
「ええ。コナーとお揃いになるのは嫌なので」
「……止血の話は?」
「圧迫止血の心得があります」
「そっか」
 私は肩をすくめ、ネクタイをデスクへとしまう。結果として、贈り物を突き返された形にはなってしまったが、私はどこか安心していた。RK900も、きちんと主張すべき時には主張できるのだと。
「僕だって、お揃いは嫌です」
 拗ねた様子のコナーに、私がなだめるための微笑を送ると、彼はニコッと笑い「まあ、僕の方が100億倍かっこいいんですけどね」と無邪気に言う。いつもの調子で私が「はいはい」と返すと、傍らで佇んでいたRK900はすっと離れていった。
「……ゼロには、何を掛けてもゼロだと思いますが」
 という言葉を残して。

 そうして私達は、最後に彼が放っていった強烈な嫌味に驚き、唖然として、黙ったまま顔を見合わせるしかないのだった。



[ 101/123 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -