Main|DBH | ナノ

MAIN


07

 コナーはナマエの車の助手席に座っていた。二人は風俗店で発生した殺人事件の現場へ向かう途中で、いつものように電話の繋がらないハンクを探してバーを回っているのだった。ハンクが行きつけのバーはどこもアンドロイドお断りで、無用な争いを避けたいナマエは、車の中にコナーを残していった。ようやく助手席に座っても嫌な顔をされなくなったコナーは、その状況を少し楽しんでいた。

 四軒目のバーの中へと消えていくその後ろ姿をコナーは見送った。エンジンが掛けられたままの車内では、かなり古いバンドの曲が流れている。ナマエの車のオーディオには、未だにCDの再生機具が付いていて、彼女は車で聞くためだけに、中古屋をまわってはCDを買い集めていた。
 ナマエの音楽の趣味は変わっただろうかなどと思いながら、コナーは助手席のグローブボックスを開ける。彼は、ナマエがそこにお気に入りのCDを仕舞っていることを知っていた。しかし、グローブボックスの中には、以前と変わらない顔ぶれのCDが何枚かあるだけだった。とうとう彼女もCDという化石になりそうなメディアを買うのをやめたのか、などと思いながら、コナーは奥をのぞき込み、見覚えのあるものを見つけた。青と黒の、薄手のハンカチ。
 あ、これは僕のものだ、ここにあったのか、とコナーは自然にそう思い、そう思っている自分に気が付いて狼狽えた。違う、僕はこんなもの持ってはいない、と自分に言い聞かせる。アンドロイドが物を所有するのは禁じられている。なら、この記憶はなんなのだ。という二つの感情が彼の中でせめぎ合う。そしてコナーはふと気が付いた。そのハンカチのタグに、Connorと人間が書いたにしてはやけに綺麗な字で印されていることに。……これは前任者の記憶だ、とコナーは思い当たった。
 コナーは自分のものだが、自分のものではない記憶をたどる。そうだ、前任者は彼女からこれを貰った。これで指先に付着したサンプルを拭くように、と。そして彼は自分の所有物となったそれに、名前を書いた。
 この記憶は彼が薄々感じながらも、目を逸らし続けてきたある事柄を、ますます鮮明に浮かび上がらせていった。
 これではまるで、変異体のようではないか……。
 コナーはグローブボックスの蓋を閉めた。ソフトウェアが異常を伝える。コナーは動揺していた。そして同時にずっと前から彼の心にある影が、大きく広がっていくのを感じていた。
 前任者の記憶と自身のそれとの区別が、つかなかった。前まではそれが自然なことで、いちいちこれは前任者の記憶で、などと意識することはなかった。だが今は、前任者という存在と自分自身が混同していくことを受け入れられない。どこからどこまで、前任者の記憶あるいは意識の影響を受けているのだろう、どれが自分自身の記憶や経験に基づく感情なのだろうか。暗い車内で、コナーのLEDは黄色から赤へ揺れ動いていた。コナーは無意識に、ナマエの姿を求めた。彼女に、自分の存在を定義してほしかった

「コナー?」
 車内に戻ってきたナマエが、不安げにそう名を呼ぶ。しかしコナーはそれでは安心できなかった。彼女は本当に目前の僕のことを呼んでいるのだろうか、もしかすると、前任者のことを僕と重ねて見ているのかもしれない……。湧き上がるその疑念をコナーは振り払うことができない。アンドロイドにあるまじきことだが、コナーは、精神的に不安定な状態に陥っていた。彼はそれから無意識のうちに目を逸らしていたが、それはまるで、感情に目覚めたばかりの変異体のようだった。
「ねえ、コナーってば」
 未だコナーは外の暗闇を見つめながら沈黙を保ったままで、だがLEDは黄色く回り続けている。それにますます不安を強めたらしいナマエが、コナーの腕を揺する。やっと彼女と視線を合わせたコナーはその手へ自身の手を重ねた。ナマエは驚いたものの、それを振り払おうとはしない。
「ナマエ、僕と前任者の違いはなんですか」
 その声は苦悩に満ちていた。とてもアンドロイドが出すようなものではない。ブラウンの瞳は何かにおびえるかのように揺れていて、ナマエは昼、同じように車内で話した時の彼の様子を思い出した。今ではそれが数日前のことのように感じられる。ナマエは彼の問いに対する答えを、既に持っていた。
「私の目の前にいるか、いないかね」
 あっさりと返されたその答えは、しごく当たり前のことを述べているだけなのに深く考える猶予を多分に含んでいて、コナーを安堵よりむしろ困惑させた。
「あなたは今ここにいるけど、彼はいない。彼はもういないの」
 彼女はどこか自分に言い聞かせているようだとコナーは思った。コナーは胸の内で声に出さず繰り返す。僕はここにいる……

 結局、ナマエの知るどのバーにもハンクはいなかった。どうせそんなことだろうと思った、とナマエはハンクの家へ車を飛ばした。
 通勤時間を過ぎたデトロイトの街中は交通量も少なく、すんなりと二人の乗った車はハンクの家へと着いた。道路脇に車を止め、ナマエは助手席のコナーの様子を伺う。道中、彼はなにかを真剣に考え込んでいる様子で、そのこめかみでは青いLEDがずっと回り続けていた。
 雨が車の屋根を叩く音が、スピーカーから流れる音楽をかき消す。意味をなさないそれを消そうと、ナマエは手を伸ばしたが、横から差し込まれたコナーの手がそれを遮った。ナマエは驚いてその腕へ視線を落とし、次いでその顔を見上げる。コナーは何度か瞬きをした後、ようやく口を開いた。
「ナマエ、僕とキスしていただけませんか」
 ナマエは目前のアンドロイドを車外に蹴り出そうかと考えた。しかし、彼女が行動を起こすよりも早く、コナーが言葉を続ける。
「前任者とあなたは、この車内でキスしました。それは何故でしょうか。そういった身体的接触はアンドロイドが自発的に行うものではありません。理由が知りたい。していただけませんか、ここで、僕と」
「それはちょっと……」
 ナマエはやんわりと拒絶したが、コナーは彼女の上へ身を乗り出し、たたみかけるような言葉で彼女を追い詰める。
「それはなぜですか?僕は前任者と顔も声も変わりません。前任者とできたのなら、僕ともできるはずです」
「あなたは……前任者の真似をやめたのだと思ってた」
 ナマエの落胆の声に、一瞬だが、コナーのLEDが黄色く光った。
「ナマエ、僕はコナー。あなたもご存知の通り、調査補佐専門モデルのアンドロイドです。そしてそれは前任者も同じだった」
 コナーはそこで一端言葉を切り、なにか言いにくいことを口にするかのように視線を彷徨わせる。
「でも、前任者はそれ以外の何かも持っていた。それが彼を彼という存在たらしめていたんです。……僕にはそれがない」
 最後の言葉はため息のようにはき出されて、ナマエはその声に、何か苦痛のようなものを感じとった。彼女が励ましの意を込めてコナーの手を取ると、コナーはそこへ視線を落とし、戸惑いながらもそれを握り返した。
「僕は自分が何なのかを知りたい。だから、前任者のようにプログラムから外れた行動を取れば、何か分かるのではないかと、そう思ったんです」
「だから、キスしたいの?」
「はい。前任者はこの行為をなにか、大切なものだと思っていたようなので」
「彼が……そう」
 ナマエの瞳を横切った暗い悲しみの影は、コナーを落ち着かない気分にさせた。ナマエはコナーから視線を外し、暗い窓の外を眺め始める。雨音が響く。じりじりと過ぎていく時間の中で、こんなにも他人の気持ちが知りたくなったのは初めてだとコナーは思った。彼にはもともと人間の表情や仕草から心理分析を行うモジュールが備わっている。しかし今の彼は自分の感情が邪魔をして、ナマエの表情から否定も肯定も読み取ることができなかった。
 一方ナマエは、フロントガラスを伝い落ちていく雨粒を眺めながら、ハンクの言葉を思い出していた。彼は生きていて、自分の存在に悩んでいる。ナマエは彼をが何を必要としているのか分かっていた。それを今与えられるのが自分だけなのだということも。
「分かった」
「それは、了承の意味ですか」
「……うん」
 コナーへ向き直ったナマエは少し気まずそうな顔をしつつも、微かに頷いた。その頬が赤く染まっているのが視界に入って、コナーも落ち着かない気持ちになる。自分が無意識に前任者のメモリへアクセスしようとしていたことに気が付いて、コナーはそれを強制的に中止させた。片手で、いつの間にか離れていたナマエの手を取り、もう片方の手を彼女の後頭部に回して、体を寄せる。
 勢いが強く、唇を挟んで、互いの歯がぶつかる。コナーの唇は冷たく、お世辞にも上手な口づけだとは言えなかった。そのことにナマエは喜びを見いだすと同時に、“彼”を本当に喪ってしまったような気がして、一抹の悲しみを覚えた。それは彼女の決意を基にする離別の悲しみでもあった。
 二人は遠ざかるお互いの瞳を見ていた。そしてそれが自分のものと同じように揺れているのを知った。片方は人間で、もう片方はアンドロイドであっても、抱える気持ちは同じものだった。
「それで、どう思うの?」
「僕の認識が間違っていなければ、気持ちが通じ合ったような気がしました……あなたもそうだといいのですが」
「私もそうよ」
 その時彼女が見せたはにかむような笑みを、ずっと覚えていたいとコナーは思った。そしてこれを誰とも共有したくないとも。


 車の窓と、雨の暗いベールを通した向こうで、ハンクを連れたコナーが家から出てくるのがナマエには見えた。ハンクはコナーといくつかの会話を交わした後自身の車に乗り込んだが、コナーはそれを見守るだけで、当たり前のようにナマエの車へと戻って来た。そしてナマエも何も言わずにそれを受け入れる。
「ハンク、お酒飲んでたの?」
 席に座り、シートベルトを装着するコナーにナマエはそう声を掛けた。
「少しだけ。酔いつぶれるほどは飲んでいませんでした」
「じゃあなんで携帯出なかったのか聞いた?」
「車に置きっ放しだったそうです」
「携帯の意味!」
「それに、あなたには僕がいるので大丈夫だろうとも」
 その言葉は予想外だったのか、ナマエは虚を突かれたかのように間の抜けた表情を浮かべた。しかしすぐに真面目な顔を作って、ウインカーを出しながら言う。
「そんなこと言ってハンクはさぼるつもりなんだ」
「僕には違う意味に聞こえましたよ。それに、もう俺を間に挟んでくれるなとも言っていました。独り言のようでしたが」
 ナマエはハンドルをにぎって、車道へ車を出そうとしている。コナーは言葉を続けた。
「僕たちは良い関係になれると思いますか?」
 しばらく返事はなかった。ナマエは車を走らせ、自分の後にハンクの車がついてくるのを確かめてからようやく、口を開いた。
「友人以上には、なった」
 コナーがナマエの顔をのぞき込むと、彼女は自分の発した言葉が恥ずかしかったのかそっぽを向こうとした。しかし、運転中に道路から目を離すわけにはいかず、視線を彷徨わせる。ナマエのそんな反応が楽しくて、コナーは現場に到着するまで、ずっと彼女の顔を見て過ごした。


[ 7/123 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -