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06

 鳥の巣、とハンクが名付けたそこから三人は警察署へと帰ってきた。署へ着くなりナマエはハンクを追い立ててシャワールームへ向かい、ハンクが疲れた様子で戻ってきたその数分後に湿った髪を撫でつけながらデスクへ着いた。
 そしてカメラから端末へ移された現場の写真やデータを見つつ、情報をまとめていく。コナー自身はすでにサイバーライフへの報告を済ませてはいたが、ナマエとハンクが報告書を制作するためのデータ編集を手伝っていた。
「ハンク、そのドーナツいつの?」
 ナマエが作業を始めてから、数分経った頃だろうか、ハンクのデスクの上へ乱雑に置かれたドーナツの箱を指さしながら彼女はそう言う。ハンクはその箱の蓋を少し持ち上げて中身を確認し、まるで悩むかのような短い沈黙の後、さあなと返した。
「見た目は……まだいけそうだが」
「じゃあ一個ちょうだい」
 中腰になって、どこからか取り出した紙ナプキンを差し出しつつそんなことを言うナマエに対し、ハンクも普通にドーナツを手渡そうとする。コナーは慌てて、その目前で移動する糖質と脂質の塊にスキャンを掛けた。当然賞味期限は切れていて、油分は劣化しており、食中毒の可能性は低いながらもある。コナーは立ち上がり、ちょうど二人の手の間にあったドーナツを取り上げた。
「だめです、ミョウジ刑事。こんなものを食べては食中毒を起こしますよ」
 そう言ってそれをゴミ箱へ放り込めば、ナマエは非難するような声を上げた。ハンクはやれやれと肩をすくめる。
「頭の固いやつだ」
「もったいない!」
「あなた達の衛生概念がどうかしているんです」
 箱の中のドーナツも全て捨て、その箱自体もゴミ箱へ突っ込む。
「私のおやつが……」
 しょんぼりとしてそれを見送るナマエに、ハンクは慰めの言葉をかける。
「俺のドーナツだけどな。まあ、休憩所になんかあるだろ。見てきたらどうだ」
「もういいよ。別にわざわざ……」
 ナマエは投げやりにそう言う。コナーは手に付いた砂糖を払い落とすと、拗ねた様子のナマエへ向き直った。
「私が取ってきますよ。別にドーナツを捨てたことを悪いとは思っていませんが、あなたのために」
「なーんか押しつけがましい言い方。……ドーナツだったらチョコかかってるやつね」
 気にくわないという雰囲気を出しながらも、さらりと注文をつけるナマエに、コナーは口角を上げる。その様子にハンクは二人の仲がより和らいだものになりつつあるのを感じた。
 
 無事ギャビンに邪魔されることなく休憩所にたどり着いたコナーはすぐに目当てのものを見つけた。彼女の要望通り、チョコレートドーナツを紙皿に一つ乗せる。そしてそのまま立ち去ろうとしたが、あるものに目を留め、踵を返した。

 コナーがナマエのデスクへその皿を置くと、ナマエは笑顔を見せた。が、慌ててその表情を隠し、目を逸らす。
「……ありがと」
 素直ではないその態度に、ハンクは思わず笑い声をもらした。ナマエがそれをキッと睨み付ける。
「それと、これも。……必要そうに見えましたので」
 その視線を遮って、コナーは紙皿の横にコーヒーを置いた。カフェインの覚醒作用は、若干疲れの色を見せるナマエの助けになるだろうと彼は推測していた。そして彼女が、喜ぶだろうとも。しかしコナーが目にしたのは彼女のぎょっとしたような表情だった。コナーはそれに驚き、そして微かな不満も感じた。
 『なんですか、そんな亡霊でも見たような顔をして』という言葉は、エラーチェックに引っかかて出力されなかった。彼女がもしも亡霊を見たのなら、それは誰の亡霊なのかコナーには分かっていたし、そんなことはありえないからだ。機械は生きてはいない。結局、彼が発したのはシンプルな質問だった。
「なんですか、そんな顔をして」
「あ、ごめん」
 ナマエが動揺しているのが、コナーには分かった。
「前の、彼が、『あなたにはこれが必要でしょう』っていつもコーヒーを淹れてきてくれてて……。私のことなんて全てお見通しみたいに」
 言葉の最後は涙に震えていた。ナマエはまた「ごめん」と繰り返し、指先で目尻に溜まりつつあった涙を拭った。コナーはそれに、自身の中の何かがかき乱されるのを感じた。彼はそのエラーを引き起こす何かに戸惑い、それを引き起こしたナマエに苛立ちを覚えた。
「私は前任者ではないので、あなたにコーヒーはお出しできません」
 刺々しい口調でそう告げて、コナーは一度置いたコーヒーを取り上げる。
 それを目で追う彼女の傷付いた悲しみの表情に、コーヒーを再度手渡すという選択肢が浮かんだコナーだったが、彼がそれを選ぶよりも早くナマエが顔を背けた。
「いいよ、どうせ私ブラックは飲めないし」
「そうですか!それは大変失礼しました!私は!知りませんでした!」
 コナーのやけを起こしたような声が虚しく響いた。

「ガキみたいな怒り方だったな」
 コナーがコーヒーを片手にどこかへ姿を消した後、ハンクはナマエへそう声を掛けた。ナマエはドーナツに手を付けず、むしろそれを視界に入れたくない様子で、端末の画面を凝視している。
「自分は前任者じゃないだとよ」
 追撃するかのようにそう言葉を付け足してやれば、ナマエは観念したかのように口を開いた。
「彼がそう言ってくれたのは嬉しい。でも、どう接したらいいのか……」
「あいつが前任者とやらと同じ顔で同じことをしたからか?」
 図星を突かれたナマエは、戸惑いながらも頷いた。
「お前のなかに、まだそいつはいるんだな。……別にそれは、悪いことじゃない。でもな、お前が前に進めないこと、それは問題だ」
「分かってるよ。私だって、それは分かってる」
 ハンクの優しくもすこし咎めるような言葉に、ナマエは手で顔を覆う。ハンクはそれをしばらく眺めた後、座り直して、穏やかな口調で話し始めた。
「あの事故の後、自分を痛めつけて、昔の自分に背を向けようとする俺に、お前は辛抱強く付き合ってくれたよな。その時自分が言ったこと覚えてるか?あの嵐の晩のことだ」
「……生きてる人たちのために、生きてほしいって言った。みんなハンクを愛してるからって」
「そうだ。今のお前はどうだ?生きてる奴のために生きてるのか?あいつは生きてると、俺は思い始めてるんだがな……」
「……彼は、前に進もうとしてる。前任者とは別の存在として。私が願ったように。でも今度は私が、彼の歩みを鈍らせている……」
 ナマエは目が覚めたような気分で、自分に示された事実を確認し、それを受け入れるかのように声に出してそう言った。顔を上げた彼女に、ハンクは頷いて見せる。
「それで、どうすればいいか分かったのか」
「おかげさまでね」
 そう言って立ち上がり、コナーが向かったであろう休憩所へ足を向けるナマエのその後ろ姿に、ハンクは声を掛けた。
「なあナマエ、俺よりずっと人生経験の少ないお前が、あの時、懸命に俺に寄り添って、俺が何を感じているのか知ろうとしてくれた。俺はそれが嬉しかったよ」
 振り返ったナマエは、ハンクの素直な言葉に目を丸くしていたが、すぐにそれは心からの笑顔に変わった。

 休憩所には、ナマエの思った通り、コナーが一人佇んでいた。その手に持ったコーヒーをなぜか捨てられない様子で、LEDを黄色く光らせながらシンクの前にじっと立っている。
「そのコーヒー、貰うわ。あなたさえ、良ければなんだけど」
 ナマエがそう声を掛けると、そのこめかみのLEDが一瞬だけぱっと赤に変わった。しかしコナーは何も答えず、手の中のコーヒーへ視線を落とすと、無言でそれをナマエへ差し出した。
 紙コップの中身の色は、ブラックではなく、優しいブラウンだった。見れば、ゴミ箱の中に砂糖とポーションクリームの容器が捨ててある。
「前任者のメモリを参照すれば、あなたのコーヒーの好みなんて、すぐに分かるはずだったんですが」
 コナーは頭を振った。
「なぜかそれを、忘れていました」
 ナマエは受け取ったコーヒーを一口飲む。彼は一体何袋の砂糖を入れたのか、やたらと甘い。でもナマエはそれが嬉しくて、微笑んだ。
「さっきはごめんね。私このコーヒーも好きよ」
「砂糖を……多分入れすぎました。でも、糖分は疲労を回復させます、それに脳を活性化させるという論文も……」
「これでいいよ、コナー。私はこれがいい」
 まるで言い訳をするかのようにそう言葉を並べ始めたコナーを遮って、ナマエはそう言った。

 休憩所から戻ってくるナマエと、その後ろにぴったりと付いてくるコナーを見つけたハンクは、人知れずひっそりと安堵のため息をもらすのだった。



 雨の降る中傘を差し、歩きながら、コナーはアマンダへの定期的な報告を行っていた。彼がアパートにいた変異体と彼の残した暗号についての見解を述べ終わると、アマンダは足を止めた。雨傘に当たる雨粒が勢いを増すが、アマンダの声を捉える障害にはならない。
「コナー、最近のあなたの報告にはいくつか抜けがあるようですが」
「任務に関係のない部分は報告いたしませんでした。なにか問題が?」
 探るような目を向けるアマンダが、自身に不信の念を抱きつつあることをコナーは察していた。
「不完全なデータでは、次のコナーが配備される際に不備が生じる可能性があるのです。“コナー”にはどんな違いもあってはならないのですよ」
 嫌だ、とコナーは芽生えた反発心を消すことができなかった。僕が獲得したデータを使って、次のコナーが僕のように振る舞うことを許容できそうにない。僕は前任者が何も知らなかったことに感謝すべきなのだろう。知っていれば、彼だって僕のようにしたはずだ。
「分かりましたね、コナー」
 アマンダが返事を急かす。彼女の求めている言葉は分かっていたし、それを機械のように返すことは容易かった。
「もちろん、分かっています」
 機械の顔と言葉の裏で、コナーは創造主に嘘を付いた。


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