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短編|ハグしたいコナーと潔癖症の彼女の話

 アンドロイドに“汚い”の概念はない。彼らは自身の“汚れ具合”なるものを数値化して認識している。
 それがある一定のラインを超えると、自分が周囲の人間に不愉快な印象を与える、ということをアンドロイドたちは理解している。もちろん、その超えざるべきラインの数値設定はそのアンドロイドが開発された目的によって異なる。医療に従事するものならば、低く。汚染が激しい場所で作業をするものならば、高く。
 だがここで問題なのは、人間にとって“汚れ”というのは必ずしも具体的なもの、数値化できるものではない、ということだ。
 最近そのことを知ったコナーは、その人間たちのふんわりとした“汚れ”概念に苦しめられていた。


 事の発端はこうだった。
「うわ……」
 とハンクの引く声を捉え、コナーは少しの苛立ちを覚えながらそちらへ顔を向けた。案の定、声と同じ表情を浮かべた――つまり若干引いた様子のハンクが、コナーの指先を凝視している。
「いいかげん慣れて下さい」
「慣れるわけねえだろ。そんなん……」
 “そんなん”というのは、コナーの分析行為を指す。つまりサンプルを口に含む行為を。非難される謂われはないと思っているコナーは、大げさに肩をすくめて見せた。
「仕方ないじゃないですか。分析機能が舌上にあるんですから」
 そう言ってコナーが指先を舐めると、ハンクはますます顔を歪める。
「そもそもなんで口の中なんかに作ったんだ?悪趣味じゃないか?」
「一番繊細な機能を納めるのに口内が一番都合がよかったんじゃないですか?使い勝手もいいですしね」
 頭蓋骨状のシャーシで守られているから衝撃を受けにくいし、口に含むという動作は人間的で自然だ。とても合理的だと改めて思うコナーに対し、ハンクは依然として不服そうな態度のままだ。
「でもな……なんだか嫌じゃねえか?」
「自動で洗浄する機能もついてますから、清潔ですよ」
 腑に落ちない、という表情のハンクへコナーがそう念を押すと、ハンクは頷きこそしなかったものの一応の納得を見せた。
「まあ、なんだ、……お前と俺の衛生観念が違うのはよーく分かった。だが老婆心ながらに言わせてもらうとな、好きな奴の前ではやるなよ。一生キスして貰えなくなるぞ」
「えっ、もうナマエの前で何度かやっているんですが……」
「……ナマエの前でか」
「はい」
「“あの”ナマエの前でか」
 急に真剣そうな声色になったハンクに、コナーはうろたえる。
「はい。……“あの”とはどういう意味ですか?」
「ナマエはな、あいつは潔癖症なんだよ。超が付くくらいのな。知らなかったのか?挨拶のハグすら嫌がる奴だぞ」
「知りませんでした。とてもそういう風には……」
 と返しつつコナーは、自らがナマエの前でした様々なことを振り返る。今のように色々なサンプルを口に入れたことや、ゴミ箱に手を突っ込んだこと、鳩を鷲掴みにしたこと、下水道を走りまわったこと、側溝にはまったこと……。
 そしてその度に、ナマエから署のシャワールームを使うように言われたことを思い出した。
 ――もしかすると、ナマエは僕のことをとてつもなく不衛生な奴だと思っているのではないだろうか……。
 急な気付きにコナーは身震いをし、当然の流れでハンクに助けを求める。
「どうしましょう!ハンク!」
「どうもこうもな……」
「そこをなんとか!」
「そう言われてもな……」
「そんな、僕は一体どうしたら……」
 まるでこの世の終わりのように嘆くコナーに対し、ハンクは少しの同情心と、それを上回る面倒くささを感じながら答えてやる。
「自分が清潔だってことをアピールするしかないな」




「ナマエ、見てください」
 そう促され、オフィスでデスクに着いていたナマエは、差し出されたコナーの手を見る。
「さっき、手を洗ってきたんです。アルコールで消毒もしました」
 彼の報告のようなその言葉の意図が分からず、ナマエは首を傾げる。
「えーと……」
「綺麗だと思いますか?」
「え?まあ、うん」
「あなたが触れるぐらいに?」
「触れるけど……」
 と、依然として目の前に突き出されたままの手のひらへ、恐る恐るナマエは触れる。内心、コナーが強迫観念にでも苦しめられているのではと疑いながら。様々なストレスが積み重なり、手を洗うのを止められなくなった同僚が昔いたのだ。
 ナマエは自分がいつかそうなるのではないかと恐れていたが、どうやら目前のコナーの方が危ういらしい。
「大丈夫?何か悩みがあるなら聞くけど」
 そんな彼女の誤解などつゆ知らず、細い指先を捕まえたコナーは、彼女が嫌がらないのをいいことにそれをそっと握りしめる。とりあえず、手は綺麗だと認められたようだ、と心の内で喜びながら。
「悩みはありましたが――たった今、深刻な悩みではなくなりました」
「そ、そっか」
 満面の笑みを浮かべるコナーに、ナマエは訳が分からないながらも安堵し、絡まる彼の手の中から指を引き抜く。
「じゃあ仕事を――」
「待って下さい。……ハグしませんか?」
「ハグ?……なに、急に」
 脈絡のない提案にナマエが身構える気配を察したコナーは、素早く理由を探し出して付け加える。
「今日はまだ朝の挨拶のハグをしてないじゃないですか」
「いつもしてないと思うけど」
「…………そうですね」
「うん」
「今日から始めませんか?」
「いや……私は遠慮しようかな」
「なんでですか?」
「もう昼だから」
「まだ午前ですよ」
「私的にはもう昼なの」
「じゃあ昼の挨拶を……」
「もう挨拶の時間はおしまい」
 「おしまい」と繰り返し、頑として譲らない様子のナマエに、コナーはさらなる理由を重ねる。
「知ってますか?ハグには素晴らしい効果があることを。1つは幸福感。ハグをすることでドーパミンが放出され、幸せな気持ちになるんだそうですよ。2つ目はオキシトシンが――」
「そういうのは、好きな人とか、恋人とするハグの効果でしょ?」
 コナーの説明を半ば聞き流しながら、ナマエは遅れて出勤して来たハンクを視界に捉え、手を振る。
「おはよ、ハンク」
「おう」
 ハンクがよくやる、軽く片手を上げての挨拶を受け取ったナマエは、何か閃いた様子でコナーへ向き直る。コナーは嫌な予感がした。
「ハンクにしてくれば?」
「何をですか?」
「朝の挨拶のハグ」
「…………もう昼なので」
「さっきまで午前だって言ってたじゃん」
「たった今、昼になりました」
 先程のナマエを思わせるような苦しい言い逃れをするコナーを、変なの、と思いながらナマエは見つめ、ハンクは同情の眼差しを向けるのだった。
 そうして、コナーの一度目の試みは終わった。
 しかしコナーは諦めなかった。


 翌日、二人はレッドアイスの取引現場を押さえるため、車を走らせていた。その後ろにはハンクの車が続く。
 狭い車内で、ナマエはふと助手席側――つまりコナーの方からやけにフローラルな香りが漂ってくるのを嗅ぎ取った。彼女がその訳を尋ねようとコナーを見ると、彼は気付いてもらえるのをずっと待っていた様子で、彼女が口を開くのを待たずに話し始める。
「僕の服、清潔だと思いませんか」
「……うん。洗濯したんだね」
「今朝クリーニングから返ってきたばかりの服です。ボディもさっき署のシャワーを借りて洗浄しました」
 胸を張り、謎の自信を漲らせながらそう言うコナーに、もしも今の彼にエフェクトを付けるのなら、キラキラ光る星がいいだろうな、とナマエは思った。
 目を細め少し眩しそうな表情を浮かべるナマエへ、コナーは続く言葉の効果を高めるためにひと呼吸分の間を開け、言う。
「本当は週1でいいんですが、綺麗好きなあなたのために」
 そうしてコナーがぱちんとウインクまで付け足してみれば、ナマエはきょとんとした後に声を上げて笑い出した。コナーはその理由も、自分の試みが成功したのかも分からず、うろたえる。
 ナマエはひとしきり笑った後で、呼吸を整えながら尋ねた。
「もしかして、私、口説かれてるの」
「えっ」
 彼女の口から飛び出した、全く予想外の――だがいつかする予定のある――言葉に、コナーは自身の下心を見透かされたように感じ、慌てて取り繕う。
「ぼ、僕はただハグをしてほしくて……」
 もしもコナーに人間のように赤い血が流れていたのなら、羞恥で顔を赤くしていただろう。対してナマエは再び微かな笑いを滲ませながら「はいはい」と端から期待していなかった様子で言葉を返す。
「コナーはただ私とハグしてみたいだけだもんね」
 その、“してみたいだけ”という一時的な興味を匂わす言葉と、全く真に受けていないナマエの態度に、コナーは少しムッとした。
「僕にはその先の予定だってあるんですよ」
「予定?」
 オウム返しにするナマエの視線は車道へ向けられていて、コナーは自分のアプローチが不発に終わったことを知った。そして彼が次の一手を打つよりも早く、ナマエが酷く嫌そうに顔を歪める。コナーは失言したかと慌て、しかしすぐにその理由に思い当たって、彼女と同じようにフロントガラスの向こうへ目を向けた。

 そこへ近付くにつれて、商業施設や民家の数は減り、かわりに路上生活者の建てた粗末なバラック小屋と荒らされた空き家が目につくようになった。舗装された道路は、長年放置され、ひび割れたアスファルトに取って代わる。若者たちが残した落書きや、何かを燃やした跡――。車道や歩道を問わず、ぽつぽつとパンくずのように落ちているのは、この先に何が待ち構えているのかを示すものであり、すでにそこへ足を踏み入れてしまっていることを警告するものだ。
 ナマエが「最悪」とこぼすのとほぼ同時に、それは二人の目の前に姿を表した。
 広大無辺なゴミの山。郊外に設けられたそこ――廃棄物処理場は、デトロイトの目覚ましい発展の負の部分だった。再開発の際に出た産業廃棄物の雄大な山脈をベースに、不法投棄された家電や近隣住民の一般ゴミが彩りを添えている。もちろん、酷い悪臭もだ。
 唯一幸いなのは、都心部からあまりにも離れすぎているためか、これらのゴミにアンドロイドが含まれていないことだったが、二人の目前に広がるゴミ山は、汚れの概念を未だ上手く理解できていないコナーですら、どこか不愉快な印象を抱かざるを得ないような様相を呈しているのだった。
「大丈夫ですか?」
 と、コナーは黙ってしまったナマエへ問いかける。表情や仕草から推測される彼女のストレス値は、先の見えぬゴミ山を前に跳ね上がったまま、下がる気配はない。
「その……あまり無理しないで下さいね」
「……大丈夫。仕事だから、耐える」
 そう返す声には若干半泣きの雰囲気があったが、ナマエはゴミ山の山裾とでも言うべきスペースに車を停め、降りた。
 そして耐え難い悪臭にえずいた。

 ナマエは車のトランクから取り出したドローンのセットアップを進め、二人に続いて到着したハンクが先程のナマエのように顔を顰めながら車から降りてくる。
「まったく、ひどい場所にひでぇ臭いだな」
 ナマエは返事をしない。彼女は悪態やため息をついてここの空気を余計に肺へ取り込むよりも、黙ったままでいることを選んだのだ。ハンクは肩をすくめた。
「後方支援、頼んだぞ」
 依然として返事はなかったが、ナマエはサムズアップをしてみせ、ドローンを空へ飛ばした。
 今から三人はこの広大なゴミ山のどこかにあるレッドアイスの取引場所と、そこを訪れるであろう取引相手を探さなければならない。ナマエがドローンのカメラを通して上空から大まかな目星を付け、二人を先導する。
 コナーたちが握っている情報はいくつかあった。先日逮捕したアンドロイドの売人が口を割ったのだ。
 一つは、レッドアイスの保管場所。これは電子錠を外付けされた冷蔵庫だという。金が振り込まれると自動で開く仕組みなのだとか。それを聞いたハンクは「まるでヤクの自動販売機だな」などと言っていたものだが、コナーたちはその“ヤクの自動販売機”をこのどこまでも広がるゴミの山から探し出さなければならないのだ。果てしなく気の遠くなる作業。
 もう一つは、主な取引相手について。売人はなにも人間だけにレッドアイスを卸していた訳ではない。というより、他でも手に入るのに、こんなゴミ溜めまでやってくる酔狂な人間はほぼいなかった。だから売人の主な取引相手は、街中で更に高額な値をつけて売り飛ばすためにここでレッドアイスを仕入れるアンドロイドであり、それを捕らえるのが今回の目的だった。
 そしてアンドロイドの性とでも言うべきか、その取引相手は、毎週決まった曜日、決まった時間にレッドアイスを取りに来るのだ。――今日のこの時間に。
 という訳で、三人はこの取引相手が目的を果たす前にその身柄を確保しなければならないのだった。

 だが、コナーは少しの不安と焦りを覚えていた。ハンクに対してだ。
 アンドロイドであり、汚れの概念も、体力の制限もないコナーが悠々とドローンを追うのに対し、人間であるハンクは山を登るのに手を汚すことをためらい、ゴミに足を取られて斜面を滑り落ちていく。手を貸す度に「すまねえな」と言うハンクへコナーは何も言えなかったが、時間が経つにつれじわじわと焦燥感を募らせていくのだった。
 そんな二人の上空をナマエの操るドローンが飛ぶ。目印である鍵付きの冷蔵庫と同じ型番のものをスキャンして探し、彼らを誘導するのだ。これは広い範囲で何かを捜索する時のために最近三人が導入した方法で、これまではなかなかの成果を上げていたのだが、今回ばかりはそうスムーズには進まなかった。
 そうして二人が廃棄物処理場を徘徊し始めて数十分が経った。しかしゴミ山は依然として途切れる様子もなく行く手に広がる。
 ――1件の通知。例の冷蔵庫に金が振り込まれたことを伝えるものだ。コナーは押し殺していた焦りが、わっと噴出するのを感じた。
「急がないと!取引相手が到着してしまいました」
「そうは言ってもな……」
 ハンクは辺りを見渡すが、起伏の激しい大小様々なゴミ山に四方を囲まれているせいで、視界は狭い。ハンクはナマエの操るドローンのカメラへ向けて手招きをし、一つの提案をする。
「なあ、上から見てくんねぇか」
『いいけど、見つかるかもよ』
「もうそんなこと気にしてる場合じゃないんでな」
『分かった』

 車のボンネットに腰掛けたナマエは、ハンクに言われた通りドローンの高度を上げる。彼女は膝に乗せたラップトップの画面を確認しながら、眼下に動くものを探す。しばらくは何も動体を検出できなかったが、さらに上空へ移動して広範囲検出へ切り替えると、ハンクとコナー以外の動くものを見つけることができた。
 彼女がすぐにその座標を二人へ伝えると、遥か下方で二人が走り出す。しかしその“動くもの”も同時に走り出す。ドローンに気が付いたのだ。
 廃棄物の作り出した複雑な地形を上空から俯瞰するナマエは、最適なルートを割り出してコナーへ送り、固唾を飲んで成り行きを見つめるより他になかった。まだ本格的に導入した訳ではないドローンは非武装で、できることは限られている。

 コナーはハンクがついて来ていないことを知っていた。「おい、コナー!」というハンクの制止の声も振り切り、彼は走っていた。ゴミのせいで足場は悪いが、それは前方を行くアンドロイドだって同じことだ。コナーは自身に備わる予測能力を最大限に活かして進む。人間が一緒では、それができない。
 コナーが求めるのは常に、最短で最適な方法だった。事件の解決にしてもそうだ。そして今の彼は、自分一人でアンドロイドを追い詰めることを最良な方法だと信じていた。
 そして先を行くアンドロイドは、ドローンが攻撃してこないことに気が付き、それが非武装であることを知る。加えて、先程姿を現した追跡者はアンドロイドと人間の二人組――。
 アンドロイドは足を止めて振り返る。その自信有りげな顔をスキャンしたコナーは、相手が主に工事現場で使用されていたモデルだということを知り、少しばかり警戒を強めた。このモデルはコナーよりも高出力で、おそらく彼自身もそのことを分かっている。でなければこんなにも好戦的な雰囲気を顕にしながら、コナーへ向かって来ることはないだろう。コナーは引くべきかどうか、ハンクを待つべきかどうかを逡巡した。
 しかしここで彼をどうにかしなければ、後に続くハンクへ危害が及びかねない。コナーは彼と対峙することを選んだ。瞬く間に、距離が縮まる。
 コナーは足元の形容し難いゴミを掴み、投げた。アンドロイドはそれを腕の一振りで軽くいなし、走る速度を緩めようとはしない。何度かそれを繰り返したのち、コナーが先に打って出た。相手よりも少し高い位置に陣取っていた彼は、唯一その地の利を活かすことのできる方法――つまり飛びかかることを選んだ。不意を突かれたアンドロイドは体勢を崩したがそれも一瞬のことで、すぐに反撃に移る。コナーは予測によりその初撃を躱したが、それに続く腹への一撃を喰らい、地面へ膝をついた。だが更なる追撃は間一髪のところで避け、その勢いを借りて最小限の力で相手を地面へ倒す。しかし相手も大人しくマウントを取らせてはくれない――二体のアンドロイドはもつれ合い、上下を入れ替えながら殴り合った。
 それを遠くから目撃したハンクは、激しい高低差で疲れた体に鞭打って、足を早めた。


 弓なりになったコナーの背中がぎりぎりと嫌な音を立てる。彼は上半身と下半身を鷲掴みにされて仰向けに持ち上げられ、今にも二つ折りにされようとしていた。それも、普通ならば曲がってはいけない方向に。
 首や膝を支点にすることなく、こんなことをやってのけられるのはアンドロイドならではだろう。コナーはもがいたが、相手はそれを気にする素振りすら見せず、更に力を込める。パキ、と腹のあたりから聞きたくない音がして、コナーは押し殺していた恐怖が顔を覗かせるのを感じた。まずい、と彼は思った。まだ死にたくは……。
 鈍い衝撃が、彼を掴む二の腕を通して伝わってきた。そして落下。相手が手を離したのだ。ゴミ山の谷間に落ちていくコナーが見たのは、ナマエの操るドローンがアンドロイドに再度の突撃を試みる姿だった。
 自由落下に抗えぬコナーは、そのまま凸凹とした山肌に雪崩を引き起こしながら落ち続けた。
 激しい衝撃――視界が暗くなる。
 何も見えない。上下の感覚も、ない。 

 頭部と全身への衝撃による短時間の視覚センサーとそれ由来の平衡感覚の遮断から回復したコナーは、素早く状況と自身の損傷具合を確認する。
 視界は塞がっている。どうやら転げ落ちたせいでゴミに埋まってしまったらしい。簡易診断システムを走らせると、ボディの方は大部分のパーツが異常なしという信号を淡々と返してきたが、それらを押しやるように右の脚部が『破損』という警告にも似たメッセージを送ってきた。コナーは恐る恐る、目視でそれの状態を把握する。
 太ももの辺りに、何か家電製品の一部であったらしい鋭利な金属が突き刺さっており、周囲はそこから漏れ出たブルーブラッドで青色に染まりつつある。コナーが慌てて破損箇所へのシリウムの供給を止めると、右脚から送られてくる様々なエラー類は沈黙したものの、動力源から切り離された右脚も動かなくなった。
『状況はどうなりました!?』
 一息つく間もなく、コナーがナマエの無線へそう問いかけると、安堵の声が返って来た。
『コナー!よかった、一瞬あなたの信号をロストして――』
『ハンクと容疑者は?』
『大丈夫。ハンクが捕まえたよ』
『ハンクが?どうやって……』
 アンドロイドである自分が敵わなかった相手に、ハンクがどう対処したのかが分からず困惑するコナーに、ナマエは短く答えを述べる。
『威嚇射撃と警告でね』
『……そうですか』
 最初から、その選択肢はあったのだ。被害が少なく有効な対策が。――のにも関わらず、自分は先走ってハンクを置き去りにし、自分自身はこのザマだ。
 無線越しでありながらもコナーの気落ちした様子に気が付いたナマエは、苦笑混じりの言葉をかける。
『ちょっと、張り切り過ぎちゃったね』
『……すみません』
『それで、今どこにいるの?ドローンじゃ確認できないんだけど』
『ゴミに埋まっています』
『ゴミに…………自力で出られそう?』
『……いいえ。右脚を損傷しました』
『えっ、大丈夫?』
『問題ありません。ここから這い出られない以外は』
 そう返しつつ、コナーは自身が置かれた状況に再び意識を向ける。
 ――ハンクが容疑者を捕らえたのなら、一度車に戻ってナマエへ引き渡し、それから僕を回収に来るだろう。僕のせいで余計な仕事が増え、余計な時間が消費されることになる……。
 思わず人間のようなため息をついてしまったコナーに、考え込むような間の後、ナマエが言う。
『ちょっと動ける?ドローンのセンサーに引っかかるかも』
 そう促され、コナーは無事な方の足で周囲のゴミのいくつかを蹴飛ばす。一瞬空間ができ、再び小規模な雪崩が起こった。
『あー……オーケー。そこね』
 動体を検知したらしいドローンの低い飛行音が響く。少し異音が混ざるのは、先程のアンドロイドへの体当たりでどこか破損したためだろうか。コナーは更に気がふさぐのを感じた。
 ドローンはしばらく辺りをうろうろと飛び回り、コナーが埋まっている場所をマークしたのち、上空へ消えていった。無線の向こうからナマエの声が聞こえる。
『じゃあ、ちょっと待っててね』
『はい……』
 そして無線は途絶え、辺りは沈黙に包まれた。――もっとも、常時聞こえている蝿の羽音を除けば、だが。

 コナーは待った。彼の計算によると、一時間はここで助けを待たなければならない。無線は静かなままだ。おそらくナマエも忙しいのだろう。ドローンの撤収に、容疑者引き受けの用意。暇なコナーと楽しくお喋り、なんて余裕はないのだ。
 もうこのままゴミのようにここへ埋まっていたい、と彼は思った。そうしてゴミに同化し、圧縮され、四角く切り出されたコナーをナマエが見つけて泣きながら言う「ああ、コナー!私はあなたがゴミでもす――」
 コナーは限られた空間の中で頭を振り、願望に満ちた妄想を追いやった。潔癖症のナマエが、ゴミのことを好きになってくれるはずがない。コナーは視界に入る分の自身の身体を眺めた。分析したくもない汚水がいたるところに染みを作っている。服も肌も、すっかり汚れてしまった。ようやく、清潔な存在だと分かって貰えそうなところまで来ていたのに、また振り出しへ戻ってしまったのだ。彼は深い深いため息をつき、そのまま重力へ身を任せゴミの中へ沈んでいこうとした。
 が、そう遠くはないところで聞き覚えのある声が響き、コナーは自身の耳を疑う。そしてゴミ山の崩れる音。誰かが何かを探すかのように、廃棄物の合間を歩く音。
「……ナマエ?」
 まさかと思いつつ、コナーはそう呼びかける。さまよいかけていた足音が、目的を見つけたかのように確かなものへと変わる。
「コナー!どこ?ここ?」
 立ち止まる音。そして彼女の声と共に、コナーの視界を塞いでいたゴミが取り除かれる。
「いたいた」
 驚き、次いで申し訳無さを覚えるコナーとは対照的に、ナマエは明るい笑顔を浮かべている。彼女は手早く、コナーを押しつぶそうとするゴミたちを脇へ除けていく。その手付きには汚れへの戸惑いも、嫌悪もなかった。
「ずいぶん滑り落ちたね。おかげであんまり歩き回らなくて済んだけど」
「どうして、あなたがここに……」
「どうしてって、探しに来たんじゃない」
「でも、あなたは……」
 コナーは目前に立つナマエを見る。彼女の靴も、服も、むき出しの手や腕も、汚れている。コナーはひどい罪悪感に襲われた。
「ごめんなさい。僕のせいで……、あなたにやりたくないことをさせて、ハンクにも、迷惑をかけました」
「私はともかく、ハンクには後で謝ろうね」
「……はい」
 すっかりしょげた様子で項垂れるコナーをゴミの中から発掘し終えたナマエは、座り込んだままの彼に合わせて自身も膝をつく。コナーは慌てた。
「ナマエ、服が汚れますよ」
「そうだね」
 大して気にしていないようなニュアンスでそう返した彼女は、コナーの傷の具合を確かめ、そのまま彼の肩へ両腕を回した。
 突然の抱擁に、コナーは動けなかった。自分も彼女へ腕を回したいという気持ちはもちろんあるものの、腕や服の汚れが気になって、それを実行に移すことができない。そんなコナーの耳元で、ナマエは少し自信なさげに言う。
「えーと、ハグには効果があるんだっけ?幸せになるのと……リラックス?」
 ナマエは腕を解いてコナーと視線を合わせる。
「効果あった?ちょっとは元気になったかな?」
「なりました……」
 夢見心地でそう答えたコナーだったが、自身の惨状を思い出し、ハッと我に返る。
「い、いいんですか……?」
「なにが?」
「今の僕、すごく汚いんじゃないでしょうか……?」
 言われて気が付いたとでもいいたげな表情でナマエはコナーの服と自分の服とを見下ろし、口角を持ち上げて見せる。
「ここまで汚れると、あんまり気にならなくなっちゃった。それに……」
 ナマエは言葉を切り、肩をすくめる。
「今も、今までも、コナーを汚いと思ったこと、ないし」
 思いがけぬその言葉に、コナーは驚きと疑問の混じった声を上げる。
「じゃあなんで昨日僕とハグしてくれなかったんですか?」
「それは…………秘密」
「そう言われると気になるんですが」
「さ、もう行くよ」
 立ち上がって恣意的に話を打ち切るナマエに、コナーは疑惑の目を向ける。ナマエは片腕を差し出し、掴まって立ち上がるよう促すが、コナーはそれを拒絶した。
「もう一回、ハグしてくれませんか」
 突然の要求にナマエは眉間へ皺を寄せるが、コナーも譲る気はない。
「ハグしてくれないと、元気が出ないので、立ち上がれません」
「調子に乗らないの」
「本当に元気が出ないんです」
 子供のように駄々をこね始めたコナーに、ナマエは内心、こうなると長いんだよな……と思っていた。彼女は呆れと譲歩と微かな愛情を込めたため息をこぼすと、一つ提案をする。
「じゃあ、立ち上がったらハグしてあげる。それでどう?」
「本当ですか?」
「本当」
「約束ですよ」
「はいはい」
 彼女が再び差し出す腕に掴まり、コナーは右脚を庇いつつも立ち上がった。そしてナマエはもう片方の腕をコナーへ回し優しく抱きしめてやる。今回ばかりはコナーも、何の気兼ねもなく彼女を抱きしめ返すことができた。そして気が付く。
「……脈が、いつもより早いですね」
 コナーの指摘に、ナマエはそっぽを向いて、「言わないでよ」と呟く。
 彼女が内心で続けた言葉はこうだ。「これがバレるのが嫌で、コナーとはハグしないようにしてたのに」
 しかし彼女がそれを声に出して言うことはなく、コナーは、どうして脈が速いことが分かるのが嫌なのだろう、なぜ今僕の頬へ触れている彼女の頬は熱いのだろうと、既に知っている答えへの問いかけを心の内で重ねるのだった。




 それから時折ハンクは、コナーが何かと理由を付けてナマエへハグをせがみ、ナマエもそれに応じているのを目にするようになった。
 清潔とは正反対の所へぶち込まれて、案外、ショック療法とかいうのになったのかもしれないな、とハンクは少し考えたが、ナマエが依然としてコナー以外からのハグを拒んでいるのを見るに、どうやら理由はそれだけではなさそうだ、とも思うのだった。


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