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短編|病気の彼女とコナーの話
昨夜から兆候はあった。
激しい頭痛に、関節の痛み、毛布を何枚も重ねても耐えられない寒気――だが、ナマエはそれらを尽く気のせいだということにして、薬も飲まずに寝た。
その結果がこれだ。
ナマエはベッドの上から、遠くのテーブルの上で鳴る携帯端末を眺めていた。先程までは延々と目覚ましの音を5分置きに流していたそれは、今は違うメロディを奏でている。着信音だ。
それに応じなければならないことをナマエはよく分かっていた。出勤時間はとうに過ぎている。きっと、いつまで経っても彼女が出勤してこないことを訝しんだハンクかコナーが電話をかけてきているのだろう。だから、ナマエはそれに出て今日は休ませて下さいと言わなければならないのだ。彼らに、これ以上余計な心配と無駄な時間を使わせるわけにはいかない。
ナマエは身体を起こすなり待ち構えていたかのように襲ってくる吐き気と、なにをしなくとも彼女の頭に居座り続ける激しい頭痛に抗いながらベッドから降り、這うようにして数歩進み、早々に力尽きて床の上へ倒れ込んだ。視界は歪み、ぐるぐると回っている。酷く喉が渇いていた。
だが彼女へ水を与える者も、抱き起こしてベッドへ運んでくれる者も、いない。ただただ静かな室内に、彼女自身の荒い呼吸の音と着信音が響いているだけだ。ナマエは朦朧とする頭の片隅で、もしかすると自分は死ぬのかもしれない、と考えた。たった独りで、誰にも気付かれずに死んでいくのだと。そしてナマエは堪えきれない孤独感に少し泣いたが、彼女の異常に高い体温に、涙は頬をつたう間もなく乾いていった。
コナーはナマエのデスクの横をウロウロと右へ左へ歩きながら、その無人のデスクへ視線を注ぎ続けていた。まるでそこをじっと見つめていれば、ナマエがぽんと現れるのではないかと期待しているかのように。
だがそんなことはないし、一向にナマエへの電話は繋がらない。
コナーのこめかみで静かに回り続けるリングの色が、青から黄色へと変わった。
「……何かあったんでしょうか」
幾度も通信を試みるコナーを尻目に、ハンクは先程から自分のデスクの引き出しの中を引っ掻き回していたが、その沈んだ声にようやく顔を上げる。彼の手には鍵が握られていた。
「ほら、あったぞ」
とハンクはあたかもそれが自然な流れであるかのように、そのまま鍵をコナーへと差し出す。訳が分からずにコナーが視線を移した鍵には、犬のマスコットキャラクターのストラップが付いていた。ナマエが好きなキャラクターのストラップが。
「ちょっと行って、様子を――」
ハンクが言葉を全て言い終わる前に、鍵は彼の手の上から消えていた。
「着いたら連絡します!」
という声もすでに遠ざかりつつあり、ハンクには廊下へ消えるグレーのジャケットの翻る裾がちらと見えただけだった。
「……おう」
きっと届きはしない返事を一応コナーへと送り、ハンクはおそらく今日独りでこなさなければならないであろう仕事を前に、大きな伸びをひとつした。
ナマエはぼんやりと天井を眺めながら、コナーがブザーを鳴らしドアを叩いている音を聞いていた。返事をすべきだとは思うが、彼へ届くほどの声を出す気力すらも、もうない。先程まで床の上でのたうち回っていたナマエはどうにか吐き気と頭痛を許容範囲内で治めることのできる姿勢を見つけ、じっとしていたのだった。
そしてナマエはやばいかな、と思っていた。自分の状態のことではない。家の窓のことだ。彼女はハンクから、コナーが窓を割って家に上がりこんできた時の話をそれはもう何編も繰り返し愚痴混じりに聞かされていたからだ。もしかすると、そうこうしているうちに家の窓も割られるかもしれない。
だが同時に彼女は安堵もしていた。コナーが来てくれたからもう大丈夫だ、と。
そして鍵が開いた。
「大丈夫ですか!?」
玄関から家の中へ、文字通り飛び込んだコナーは、床へ倒れているナマエを見つけて悲鳴に近い声を上げた。対してナマエは、嗄れた小さな声で「大丈夫」とだけ返す。
「どこが大丈夫なんですか!?どうしてこんなことに!?」
走り寄りながらコナーは簡易的なスキャンをかけ、ナマエが高熱を出していることを知った。そして彼は対処法を求めてネット上のビッグデータにアクセスしたが、そこにあったのは高熱が人体へ及ぼす悪影響の数々に、高熱が症状として挙げられるいくつかの難病、高熱による致死率などネガティブな情報ばかりで、余計に彼の不安を煽り、怯えさせた。
「僕は一体どうしたら……!」
動揺を帯びたコナーの大きな声に、ナマエは顔を顰める。
「うるさ……」
そんな短い抗議の声にコナーは一旦口を噤み、ナマエを抱き起こそうと腕を伸ばした。ナマエもそれに応じて、微かに手を持ち上げる。
「ベッドまで運びますね」
小声でそう言うコナーは、一見すると冷静さを取り戻したように見えた。――が、実際はパニックを放出する相手を変えただけであり、通信の向こうではハンクがうろたえるコナーを諌めていた。
『ナマエが床に、床に倒れていて!僕はどうしたらいいですか!?救急車を――』
『まずは落ち着け。ナマエは起きてるのか?意識はあるか?』
『あります!僕のことを認識して、うるさいと言いました』
電話の向こうで、ハンクは苦笑をこぼした。確かにうるさい。
『じゃあ死にかけってわけでもないな。病気か?熱はあるか?』
『熱は高いです――ナマエはすごく辛そうなんです!これでも死にかけではないんですか!?』
『インフルエンザかもしんねぇな。流行ってるだろ。……とりあえず解熱剤でも飲ませて、休ませてやれ』
『本当にそれで大丈夫なんですか!?』
『それで駄目なら病院だな』
『駄目ってどういうことですか!駄目な状態になった時点で駄目ではないんですか!?本当に大丈夫なんですか!?』
こいつ、聞いてきたくせに俺のことちっとも信用しやがらねえな、とハンクは思い、少しばかり皮肉を浴びせてやりたくなった。
『俺が倒れてた時とはえらい違いじゃねえか』
『あれとは状況が違います。ナマエはあなたより繊細なんですよ!』
『はいはい。分かったよ』
そうしてしばしの沈黙があったがそれは、寝室へたどり着いたコナーが、横抱きにしていたナマエをベッドへ寝かせるのに未だかつてない程の慎重を期すため、全ての機能を目前へと集中させたためだった。
一方ナマエは吐き気を堪えるために唇を固く結んでいたが、横抱きにされた時と同様、恭しく、微塵も振動を感じさせない動作でベッドへ降ろされたので、身体の緊張を解いてコナーを見上げ、礼を言おうと口を開いた。
だが、乾燥しきった彼女の唇は、先程の苦情を言うので精一杯だったらしく、感謝の言葉の変わりに出てきたのは掠れた声だけだった。
しかし優れた音声認識機能を持つコナーはそんな彼女の小さな声を一文字も漏らさずに拾い上げ、単語にすらなっていないその音の集合体が何を伝えようとしているのかを懸命に推測し、ハッとした様子で手を打った。
「水ですね!」
違う。
違うけれどもそれを否定する理由もないナマエは、動かせる範囲で頭を動かして、自らの回答に自信満々な様子のコナーに肯定の意を返し、コナーは瞬く間に寝室を出て行った。
その後すぐにキッチンから水音がしたので、ハラハラしつつその背を見送ったナマエはひとまず安堵した。さすがに食器の場所は伝えずとも分かったらしい、と。だが、なかなかコナーは寝室へ帰って来ない。キッチンで水を入れて、寝室まで戻って来るだけの動作にそう時間がかかるとは思えず、いったい何をしているんだろう、とナマエは先程得た安堵が遠ざかっていくのを感じた。だが未だベッドから動けそうにない彼女は、ひたすらやきもきとしながら戸口の方を見つめるより他になかった。
そうして、ようやく戻って来たコナーは片手にピルケースを握っていた。洗面所の棚へ置いてあったのを見つけてきたのだ。
「これの中身は解熱剤ですか?」
オレンジ色のそれを見せながら問うコナーに、ナマエが再び頷きを返すと、コナーは落ち着いた動作でその蓋を開けて錠剤を取り出す。
「ハンクが、薬を飲ませて寝させた方がいいと言うんです。あなたもそう思いますか?僕としては医療機関を頼りたいのですが……」
ナマエは首を横に振った。今の彼女にとって、コナーがいることに優る薬はない。さっきまで彼女の心を病を共に蝕んでいた孤独感が軽減された結果、依然としてベッドから起き上がるのもままならない体調ではあるが、なんとか耐えられるかもしれない、とナマエは思いつつあった。それに、ほんの少し、ナマエ自身も気が付かないほど少しだけ、この状況に甘えていたいような気持ちもあった。病気の時は誰だって、そういう気持ちになるものだ。
「一応、僕にも看護の知識はありますが……。これで熱が引かなかったら、病院に連れていきますからね」
薬を飲むナマエに手を貸しながら、まるで病院を嫌がる子どもを諭す親のような口調でそう言うコナーに、いつもとは立場が逆転したようなおかしさを覚えて、ナマエは心の中で微かに笑った。
そして水によって幾分か喉の潤いを取り戻したナマエは、数度咳き込んだ後、短くだが礼を伝える。
「ありがと……来てくれて」
「すごく心配しました」
「ごめん」
「あなたが謝ることではありませんよ」
ベッドの中から見上げてくる彼女の、その額にかかった前髪を軽く払ってやりながらコナーは微笑みを浮かべる。
「それで、何か僕にしてほしいことはありませんか?何でもしますよ」
「……しごとは」
「はい?」
「もどって、いいよ……仕事に」
「え、でも……」
「私はいいから、ほっといて」
ハンクはデスクへ置いた携帯端末が振動する音に思わず身構えた。そして案の定、画面に「コナー」と表示されているのを見て顔をしかめる。次はなんだ?とハンクは思った。病人の正しい寝かしつけ方か?うまいチキンスープの作り方か?
しかし電話を介してハンクに聞こえてきたコナーの声は、先程とは打って変わって落ち込んだ雰囲気をまとっていた。
『仕事、した方がいいですか』
『はあ?』
『ナマエに、何をしたらいいのか聞いたんです。そしたら、仕事に戻れと……』
ああ、ナマエはそういう奴だな、とハンクは思った。いつだって、自分のせいで他人に迷惑がかかることを嫌がる。でも、今日ぐらいは誰かに頼ってもいいはずだ。ナマエも、コナーも。
『こっちなら大丈夫だ。何人か手が空いてる奴が手伝ってくれるらしいからな。だからお前はナマエを看病してやれ』
『でも、ナマエは僕がいると迷惑だと思っているんじゃないでしょうか……』
『ナマエにそう言われたのか?』
『いいえ。でも、そんな雰囲気を感じるんです……』
『ナマエはどうしてる?』
『それだけ言って、寝てしまいました』
『お前はどうしたいんだ?』
『ナマエの側にいたいに決まってるじゃないですか』
当然のことを聞かないで下さいとでも言いたげなコナーに、ハンクは口角を上げた。
『仕事をさぼってもか?』
『さぼっても、です。仕事とナマエなら、僕はナマエを優先します』
『……お前、変わったな。任務任務言ってた頃が嘘みたいだよ』
『昔の僕とは違うんです』
むっとした口調でそう返すコナーに、ハンクは成長をしみじみと感じながら話を続けた。
『俺はな、お前はすぐ救急車を呼ぶんじゃないかと思ってたよ』
『ナマエが嫌がったんです』
『昔のお前なら、それでも呼んでただろうよ。その方が合理的だからな』
『確かにそっちの方が合理的ですが、……僕は』
どうしてそうしなかったのだろう、とコナーが考えているのが、沈黙を通してハンクへ伝わった。
『案外、病人を看てやるのも楽しいだろ』
『看られる側のナマエは全然楽しそうじゃありませんが……』
『あのな、今の御時世、ただのインフルエンザなんざ病院に行きゃちゃっちゃと治せちまうもんだ。だが、今日のナマエは病院に行くのよりも、お前に看病される方を選んだ。なんでだか分かるか?』
『えっ……分かりません』
『じゃあ分かるまで帰って来るな』
そして一方的に通話は終わり、それ以降、コナーがいくら電話をかけてもハンクが応じることはなかった。
ハンクに言われたことの意味も分からないし、どうすればいいのかも分からないコナーは、目前のベッドで眠るナマエへ視線を落とす。眉間に少し皺の寄った、決して穏やかとは言い難い寝顔だ。
――倒れているナマエを見た時、そしてそのぐったりとした身体を抱き起こした時、彼女のために何でもしようと心に決めた。
彼女が求めるものは、どんなに手に入り難くとも用意するつもりでいたし、彼女がしてほしいことは、どんなに困難な要求でも応じるつもりでいた。
それなのに、彼女が求めたのは、コナーが仕事へ戻ることだった。
「僕がいたら、迷惑ですか?」
当然、ナマエが何も返さないことを分かりつつも、コナーはそう問いかけずにはいられなかった。
「あなたはいつだって、僕の手を借りるのを嫌がりますね」
だから、今日は少し嬉しかった、とコナーは心の中で付け足す。抱き上げる時、あなたが素直に腕の中へ収まってくれて。薬を飲ませる時、あなたの背を支えることができて。
こんなこと、病に苦しむナマエの前では口に出しては言えないが。
「僕って、そんなに頼りないですか?」
そうしてコナーは、先程水と一緒に持ってきていた濡れタオルでナマエの汗を優しく拭い始めたが、その頬に乾いた涙の跡を見つけて手を止めた。
泣いたんだ、とコナーは思った。どうしてだろう、とも思った。そしてその理由と、彼女が病院へ行きたがらない理由が、同じところにあるような気がした。
少し傾き始めた陽の光が、静かに部屋の中を照らしている。穏やかに過ぎる時間と眠りが、病人を癒やしていく。
うう、という小さなうめき声の後に、更に小さく名を呼ぶ声がして、コナーは少し躊躇したが、言葉を返した。
「……呼びましたか?」
ぱち、と目を開けたナマエは、まさかコナーがまだ居るとは思っていなかったらしく、驚きに満ちた瞳でコナーをまじまじと見つめる。
「体調はどうですか?」
「さっきよりは……いいかも」
「無事に熱は下がりましたね」
「うん……」
なんで署に戻ってないの、とナマエが視線で問いかけてきているのをコナーはひしひしと感じたが、敢えてそれを無視した。
「何か食べた方がいいですよ。食べられそうですか?」
「うん」
と、素直に頷いたナマエにコナーは安堵したが、次の瞬間にはもう、ナマエは自力でベッドから起き上がろうとしていた。
「ナマエ!まだ寝ていないと……!」
「自分でやるから、コナーは……」
そう言いつつも、床へ足を着くなりふらついて倒れかけるナマエを、すんでのところでコナーが抱きとめた。
「無茶しないで下さい」
「……ごめん」
再びベッドへ戻されたナマエは、無理に動いた反動でしばらく荒い息をしていたが、ややあってからコナーへ弱々しくだが唇の端を持ち上げて見せた。
「だめだね、動けると思ったんだけど」
「寝ていて下さい。僕がやりますから」
「いや、それは……」
短く、気まずい沈黙があり、ナマエが何も返してくれないことにコナーは肩を落とした。
「僕のこと、頼りないと思っているのは分かります。分かりますが……こんな時ぐらい、なにかさせて下さい」
ナマエがどんな表情をしているのかを、コナーは知りたくなかった。彼女のことだ、断るに断れず、困って眉尻を下げていることだろう。コナーもどんな言葉を継げばいいのか分からずに、視線を床へ注ぎ続けた。
平熱よりはまだ少し高い体温を帯びた手が、コナーの手へそっと触れる。
「コナーは頼りなくなんかないよ」
顔を上げたコナーに、ナマエは微笑みを投げかける。病人にできる、唯一で最大限の感情表現だ。
「私をベッドへ運んでくれたし、薬だって、言わなかったのに持ってきてくれた」
「じゃあどうして……」
先程からずっと遠ざけようと振る舞うのはどういう訳か、とコナーが問うと、だって、とナマエは少し泣きそうな瞳で答えた。いや、それはただ、まだ高い体温のせいで潤んでいただけなのかもしれない。だがコナーには、そう見えた。
「だってコナーはいつか帰っちゃうし、今甘えたら、その後一人でいるのが何倍も辛くなるから」
ナマエはふい、と視線を逸らす。
「それだったら、最初から一人でいる方がまし」
ああ、どうしてナマエはいつもコナーを突き放そうとするのか。彼女の悲しい虚勢に、コナーは胸の辺りに苦しさを覚えた。
「じゃあ、帰りません」
「……本当?」
「ええ」
ナマエはふふ、とコナーの言葉をちっとも信じていない様子で笑う。その弱々しい笑顔も、コナーを辛くさせた。
「仕事はどうするの」
「他の人に手伝ってもらいますよ。それか、後でやればいいんです」
「コナーがそんなこと言うの、珍しい」
「そうですか?」
「いつも仕事を優先してるみたいだったから……」
眠りに落ちる前のナマエが言った「ほっといて」の意味を、ここでようやくコナーは理解した。拒絶ではなく、コナーが仕事へ戻れるように、という気遣い。たとえ自身が病に苦しんでいる時でも、辛いから、寂しいから、ここに居て、と素直に言えない彼女の。
「昔の僕とは違うんです」
ハンクへ言った言葉を再び繰り返し、コナーは改めて思う。――状況ではなく、自身のスタンスが違うのだ、と。どんなものを大切にしたいか、どんなものを優先したいのかが、違うのだ。
そんなコナーに、ナマエは頬を緩ませる。
「本当はね……コナーがここに居てくれて嬉しい」
「あなたがそう言ってくれて、僕は嬉しいです」
ナマエの本心へ触れて喜ぶコナーとは対照的に、でも、と諦めの滲む沈んだ声で彼女は言う。
「今日頼ったら、また今度病気になった時に、辛くなるね……」
「あなたが病気になった時は、いつでも来ますよ」
「だめだよ、そんなの」
「来ますよ」
力強く言葉を重ねたコナーは、自身の胸元へ片手をあてる。
「僕の知らないところであなたが苦しんでいると思うと、ここの辺りが……ぎゅっとなるんです」
そんな言葉に、少し不安そうな表情を覗かせたナマエへ、今度はコナーが微笑みを向ける。
「おかしいですよね。シリウムポンプにはそんな柔軟性、ないはずなんですが……」
コナー、とナマエが掠れ始めた声で囁くように言い、彼女にそれ以上声を張り上げさせないために、コナーは屈み込んで彼女の口元へと耳を寄せる。
「コナーがアンドロイドでよかった」
「……なんでですか?」
「こんなことして、うつしちゃうかもって、心配しなくていいから」
「こんなこと?」
聞き返すコナーに、ナマエは片手を持ち上げて彼の頬へ触れ、更に頭を垂れるよう促す。コナーはそれに大人しく従う。
ちゅ、とコナーは額に柔らかな感触を得た。
「……私、ちょっと疲れちゃった」
まったく想定外の出来事に固まるコナーを残し、ナマエはそう言って毛布の中へ潜り込んでしまった。
一拍置いて喜びの衝撃を受けたコナーは、身体のどこかからやる気が無尽蔵に湧いてくるのを感じた。今だったら何でもできる、ナマエのために山を動かせそうなくらいだ、と。彼は部屋の中をスキップして回りたい気持ちに一瞬襲われたが、どうにかそれを押し留めた。
「あの!僕は!」
自分でも驚く程の大声が飛び出て、コナーは慌てて声量を調整し、そうだ、と思い返す。今日一日は彼女が頼ってくれる日だ。ナマエのために何でもできることはしようと決めたのだった、と。
「僕は、その……何か食べるものを作ってきますね!」
ナマエのために何ができるだろう。ナマエは何をすれば喜ぶのだろう。そんなことを楽しく考えながら、コナーは軽い足取りで部屋を出て行く。毛布から顔を覗かせたナマエはその浮足立った後ろ姿を眺めながら思う。コナーに看病してもらえるなら、たまには病気になるのも悪くないな、と。
コナーからの電話を全て無視していたハンクだったが、とうとうメールが送られてきたので、観念してそれを開いた。
『美味しいチキンスープってどうやって作るんですか?』
そうしてハンクはやれやれと思いつつも、頼られることを覚えたアンドロイドと、頼ることを覚えた病人のために、昔自分が看病する側だった頃、よく作ったスープのレシピを思い出しながら教えてやるのだった。
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