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短編|Far From Home

 電話口の向こうで、彼女の規則正しい足音が聞こえる。時間から推測するに、署から家へ帰る途中なのだろう。足音の合間に挟まるガサガサという音はきっと、ビニール袋がバッグとぶつかる音だ。たぶん、帰路にある店で夕食でも買ったのだろう。
「もう少しで家ですか?」
「うん」
 言葉の間に、彼女らしい微かな笑い声が響く。
「よく分かったね」
「あなたのことは何でもお見通しですよ」
「それでコナーは?署で待機してるの?」
 ナマエの言葉に、コナーは辺りを見渡してそっと苦笑をこぼす。小雨の降るなか、彼は屋外のアンドロイドステーションに立っていた。だが、これをそのままナマエに伝えれば、彼女は怒りのままにここの署へ乗り込んできかねない。コナーは少しばかり事実を歪曲することを選んだ。
「ええ。待機しているところです」
「そっか。そっちの人たちはどう?ちゃんと……よくしてくれてる?」
 コナーは返事に詰まった。
 アンドロイド、それも変異したアンドロイドの人材を取り入れようとしているこの署が、そのノウハウを求めたのたのがデトロイト市警であったために、コナーは数日間ここへ派遣されていた。
 しかし、麻薬中毒者による殉職者の急増と人材不足故に変異体の導入を決めたらしいこの署の変異体の扱い方は、あまり良いものとは言えなかった。
 署内にアンドロイドステーションはあるものの、この署の人間は“セキュリティ上の観点から”コナーが人間のいない署内に残ることを許さなかった。そのくせ、別にホテルを用意してくれているわけでもない。事前に用意しておけとの一言すらもなく、周囲にアンドロイドを泊めてくれるところも見つかりそうにない。
 仕方なく、コナーは道路脇のアンドロイドステーションへ身を寄せることとなった。もしもコナーが人間だったのなら、こんな仕打ちを味わうことはなかっただろう。
「…………まあまあですかね」
「その言い方、報告書に書くことがいっぱいありそうな雰囲気だね」
「うーん……そうですね」
 ためらいつつコナーがそう同意すると、間髪入れずにナマエの「大丈夫?」という心配の色の滲む言葉が返ってくる。それが嬉しくて、コナーは独り微笑みを浮かべた。
「大丈夫ですよ」
「大丈夫じゃない時は言ってね。私が怒鳴り込んでやるから!」
 ビニール袋のガサリという音がナマエの言葉に混じって上の方から聞こえる。どうやらナマエは実際に拳を振り上げてみせたようだ。その音に、彼女がそうするところ――拳を上げて警察署のエントランスから堂々と乗り込んでくるところ――を思い描き、コナーは声を上げて笑った。ナマエも同じように笑い、念を押す。
「本気だからね」
「分かってますよ。あなたならやりかねない」
 そういった会話を交わすうちに、ナマエの軽快な足音に、聞き覚えのある金属音が交じる。鍵の触れ合う音だ。やがて、がちゃりと鍵の開く音が響く。
「家に着いたんですか?」
「うん」
「一旦切りますか?」
「ううん、大丈夫」
 と言うナマエの声が一旦遠ざかり、声の響きが変わる。どうやらハンズフリーモードに切り替えたらしい。そして、ドアの閉まる音。そのよく慣れ親しんだ音に、コナーは二人で暮らすアパートメントのこじんまりとした玄関を思い浮かべた。
 ナマエのお気に入りの全身鏡がある、あの玄関。デートの前夜には必ず、ナマエはその鏡の前で服選びをするのだった。そしてコナーに意見を求め、彼が「かわいいですよ」と率直な感想を述べるのを疑いの眼差しで見るのだ。ナマエ曰く「何着てもそれしか言わないじゃん」とのことだが、コナーから見れば本当にどの服でもナマエは可愛いのだから仕方がない。そう伝えれば、「私は一番かわいい格好でコナーの横に並びたいの」と返すナマエがコナーは好きだった。
 コナーがそんなことを思う内に、ナマエは今日あったことを話しながら家の中を移動していく。その音を頼りに、コナーはいつもの彼女の帰宅後のルーチンと、それをこなす彼女の姿を思い起こした。
 水音は、手を洗う音だろう。次は?夕食を温める電子レンジの、ブーンという低い唸り声。
「夕食はなんですか?」
「なんだと思う?」
「そうですね……」
 コナーはナマエの好物をいくつかリストに上げる。帰る途中でテイクアウトできて、かつ温める必要のあるもの。いくつかコナーはメニュー名を並べたものの、ナマエは面白そうにそれを全て否定した。
「うーん、降参です。正解はなんですか?」
「正解はねー…………私にも分からない、でした。なんだろう、これ。チキンと豆と……トマト?」
 しばしの沈黙のあと、明るい声が上がる。
「あ、でも美味しい!」
 コナーは笑いを堪えることができなかった。彼女のこういった突然の変化球のような行為は、いつだって面白い。そして細かく料理の説明をするナマエの言葉を、コナーは楽しく聞いた。
「たぶん、これはバジルね、バジルソースがかかってる。それで、マカロニが下に敷いてあって……でもイタリアンって感じじゃない。パプリカパウダーが全てを支配してる」
 微塵も料理の全貌が明らかにならない説明だ。だが、ナマエがいつもの笑顔を浮かべながら美味しそうにそれを食べるところは、コナーには安易に想像ができた。

 そしてコナーがその場に居ない以外はいつも通りの夕食の時間は終わり、お喋りを続けながら洗い物も済ませたナマエは、シャワーを浴びる為に通話を一旦終わらせた。流石に頭を洗いながら話すのは難しい、泡と水が口に入っちゃうから、と言ってナマエは笑い、また後でねと付け足した。
 通話が切れたことを伝える短い電子音によって、ナマエの居る温かな世界から分断されたコナーは、依然として自分を囲う現実の雨音に、遠くのナマエが浴びているであろうシャワーが立てる水音を胸の内で重ねる。電話を掛ける前から心を占めていた寂しさはもちろん依然として残ってはいたが、こうしてナマエの声を聞き、耳に馴染んだ生活音を聞くと、身体は遠く離れているのに、ナマエの存在を身近に感じることができて、少しばかり気が晴れた。ナマエもきっとそれを分かっていて、ずっと話を途切れさせずに続けていてくれたのだろう。
 コナーはそれを嬉く思い、今日一日変異体に無理解な人間たちに囲まれて傷付いた心が、癒やされるのを感じていた。




 どうやらナマエは大急ぎでシャワーを済ませたらしい。ものの十数分で彼女から電話が掛かってきて、コナーは即座にそれに応えた。ナマエの弾んだ声が響く。
「待った?」
「いいえ。こんなに急がなくてもよかったんですよ?髪はきちんと乾かしましたか?」
「コナーが寂しいかなと思って急いだの。髪は今から乾かすとこ」
「……確かに、あなたと一緒にいられなくて寂しいですが」
 コナーの沈んだ声に、ナマエは「私も」と応じる。
「コナーがいないとなんだか元気でないや」
「たったの一日でこれだと、先が思いやられますね」
「ね。でもその分再会の喜びはひとしおだよ。きっと」
「それまで耐えられない気がします。……あなたが恋しい」
 率直なコナーの呟きに、ナマエは照れたような小声で言葉を返す。
「コナーが帰ってきたら、いっぱいハグしてあげるから」
「ハグだけですか?」
「キスも」
「キスだけですか?」
 からかうようにコナーがそう言うと、「もう!」とナマエはわざとらしく憤慨の声を上げる。
「それ以上は、ハグとキスの後に考えます!」
「楽しみにしてます」
「楽しみにしてて」
 コナーの笑いを含んだ声に、ナマエも朗らかな笑い声を上げる。が、すぐに真面目な調子で話を変えた。
「ねえコナー。今行ってるところ、本当に嫌なら言ってね。どうにかできないかやってみるから」
「……そうですね、嫌なことは沢山、ありました」
 さっき終わったはずの話を蒸し返すのは、コナーの言葉のどこかに、ナマエは何かを感じ取ったからだろう。その彼女の心遣いに、コナーは押し込めていた不満が溢れてしまうのを止められなかった。
 例えば、顔を合わせて開口一番に言われたことが、ここでコナーが破損した場合の修理費はどこが負担するのかというものだったり、数日の滞在だといえコナーのデスクが――椅子すらも――ないことだったり、誰も自己紹介をせず、コナーの名前すらも尋ねてはこないことだったり、今こうして屋外に立たされていることだったり……。つまり彼らが求めているものは、人間と同じ仕事は果たすが、雇う側は人間と同じ責任や義務を負わずにすむ物なのだ。それでは従来のアンドロイドと何も変わらない。
 そんなことを、静かな口調で、しかしまくし立てるように並べたあと、「でも」とコナーは付け足した。
「……僕なら大丈夫ですよ。確かにここでは嫌なことばかりですが、今回問題に感じた点は全て要改善点としてまとめて提出するつもりですから。今僕が気付く点が多ければ多いほど、後にここへ来る変異体のための下地ができるわけですしね」
「…………コナーがそう言うなら、分かった」
 ナマエの声が先程よりも幾分か低い調子なのは、ぐっと怒りを抑え込んでいるからなのだろう。しばしの沈黙のあと、まだ低いままの声でナマエは続けた。
「……でも、無理しないでね」
「ええ」
 言葉を通じてナマエの案ずる気持ちが伝わってくるようで、コナーはしばし目を閉じてそれが心へ染み入るのを感じた。
「じゃあ、私がコナーの代わりに怒ってあげる」
 一転して明るい声でナマエはそう言い、まさか本当に怒鳴り込んで来るつもりではと焦るコナーをよそに、言葉を続ける。
「コナーがどうしようもなく腹が立ったら、大暴れしてる私を想像してみて?上司の横っ面を引っ叩いて、デスクをひっくり返して、書類を引きちぎってる私を」
「それはかなり……面白いですね」
「そうでしょ?」
 コナーが先程想像したような内容を挙げて見せるナマエに、コナーは見えないと分かりつつも微笑みを浮かべた。多分、ナマエも同じ表情をしているのだろう、柔らかな口調で彼女は続ける。
「いつだって、私はコナーのこと想ってるからね」
「あなたがそうしてくれていると思うと、心強いです」
「ならコナーも、私のこと考えてね」
「いつもそうしていますよ」
「そうなの?嬉しいな」
 言葉通り喜ばし気なナマエの声の後ろで、柔らかく重たい空気を含んだ音と何かが軋む音が聞こえ、これはナマエがベッドへ潜り込む音だろうとコナーは検討をつける。彼が毎晩聞く音のひとつだ。
 毛布が通話口に擦れる微かな雑音の後、ナマエは言葉を続けた。
「ね、コナーは帰ってきたらまず何したい?」
「あなたへハグとキスをする以外で、ですか?」
「そうだった。まずそうしてから……」
「あなたをベッドに連れて行く」
 間髪入れずにそう言うコナーへ、ナマエは小さな笑い声を返す。
「その前にシャワーでしょ」
「一緒に?」
「えー……」
「疲れて帰ってくる僕を労ってはくれないんですか?」
「どうしよっかな」
「あなたが癒やしてくれないと、この疲れは取れそうにないですね」
 わざと焦らすナマエへ畳み掛けるようにコナーがそう言うと、愛情を多分に含んだため息が返ってきた。
「しょうがないなー、特別に許可してあげる」
「お許しをありがとうございます」
「なに、急に仰々しくなっちゃって」
 いつもならベッドで肩を並べてするような会話を、いつものように二人は交わした。コナーはナマエの声を聞きながら、寝室の薄明かりの中、コナーを見つめるナマエの瞳や、眠気で温かなその手を握る感覚を思い描く。

 そうしてだんだんとぼんやりとしていく口調で紡がれていた言葉が、途切れ途切れになり、やがて柔らかな寝息に取って代わった。それにしばらく耳を澄ませながら、コナーは帰宅した時のことを想像する。家のドアを開けて、ナマエが出迎えてくれるところを。ナマエがにこりと微笑み、腕を広げるところを。
 もちろん、想像通りにはいかないことだってあるだろう。もしかすると、コナーがナマエの帰宅を出迎える側になるかもしれない。もしもそうなら、夕食を作って待とう、とコナーは考える。今日ナマエが話してくれた料理を、その説明を頼りに再現してみるのも楽しいかもしれない。時間によっては、家へ帰る前に署へ出てこなければならないだろうから、もしそうなったのならナマエと一緒に帰ろう。いつものように、肩を並べて。

 依然としてコナーは独りで、雨は降り続いていた。でも、コナーの想像の中には、心の中には、いつだってナマエがいて、コナーを励まし、コナーのために憤ってくれている。
 ナマエの元へ帰るにはまだ残りの数日を乗り越えなければならない。それは、独りでは辛く苦しい経験になっただろう。でも、僕にはナマエが居る、とコナーは強く思う。帰る場所と、帰りを心待ちにしてくれている人が。それを思えば数日など瞬く間に過ぎて行くであろうことが、コナーには既に分かっていた。


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