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05

 ハンクが車のドアを開けると、中には既にコナーがいた。あからさまに嫌そうな声を上げるハンクに対して、コナーは少し困ったような顔をして、
「追い出されてしまいました。助手席は特別な、席だと言われて」
 などと言う。ハンクが頭を掻きながらナマエの車を振り返ると、ナマエは追い払うかのように手を振る仕草をして見せた。その子供っぽいやり方に、ハンクは苦笑する。
「でも前任者はよくあの席に座っていました」
 その呟きが羨むような響きを伴っていることに、コナーは自分で気が付いているのだろうかとハンクは思うが、それを尋ねてみるようなことはしない。
「まあなんだ、あいつも素直じゃない時があるんだな」
 言いながらハンクはカーステレオを付ける。突然大音量で再生されるヘヴィメタルに、まったく油断していたコナーは、LEDを赤く点滅させた。


 ドアを開けると、大量の鳩が、まるで手品かなにかのように飛び出してきた。それと同時にあたりに漂う悪臭が一層強まり、平然としているコナーの横で、嗅覚を持つ人間であるナマエとハンクは思い思いの悪態を付いた。崩れた壁の穴を通って鳩たちは自由に出入りしているらしく、床には抜け落ちた羽と、鳩の排泄物が散らばっている。その上三人が動くとその周りにいる鳩たちが一斉に飛び立つせいでその蓄積物たちが舞い上がり、室内の空気と視界をさらに悪化させていた。
 不審なアンドロイドがいるという通報を受けて三人が向かった先は、そんな鳩の天国で、人間にとっては地獄だった。
「へんな病気になりそう」
 そんな泣き言を漏らしながらも、ナマエがポケットから取り出したハンカチで顔を覆うと、ハンクがさっそくそれに目を付ける。
「おっ、いいじゃねえかそれ。俺の分はないのか?」
「残念ながら。車にならもう一枚あるけど」
「……まあいいさ。俺は一人で喘息にでもなるかな」
「じゃあなる前に終わらせよう!」
 そう言ってやる気を出させようとするナマエに、ハンクは二、三言文句を並べるが、言われるがままに捜査を始めた。その光景に、コナーはファウラーが言っていた言葉の意味を改めて理解する。二人は中々良いコンビのようだ。一方ハンクも、ナマエが以前のような陽気さを取り戻しつつあることに安堵していた。コナーとハンクの気などつゆ知らぬナマエは、室内の鳩を、壁に空いた穴から追い出そうと無駄な努力をしている。

 壁一面に描かれた模様を、ナマエは写真に納める。もちろん優秀なアンドロイドたるコナーはこれらを録画しているのだろうが、私たちはそれをまた別の角度から見て、検証するためにいるのだとナマエは考えている。
「こりゃあ何だろうな。絵か、迷路か」
 腕を組んで、首を捻るハンクの横で、ナマエも同じように首をかしげる。
「なんか、QRコードみたいじゃない?」
「QRコードだあ?」
「ほら、何年か前は主流だった、端末で読み取る二次元コードのこと」
「俺はそんなの使ったこともないね」
「見たら分かるよ。絶対一回は使ってるって」
 そんなやりとりを交わす二人の元へ、コナーは壁の中から見つけた手帳片手に近づく。
「ミョウジ刑事の言うとおり、これは一種のコードのようです」
「なら、あなただったら読み取れるんじゃ?」
「いいえ、暗号化されていて……鍵がなければ読めない」
「そっか、じゃあその鍵の手がかりが見つかるといいけど。一番いいのは描いた本人が見つかることかな」
 ナマエはコナーから受け取った手帳をぱらぱらとめくり、証拠物保管袋の中へ仕舞った。

ナマエが持ち上げた上着は、WB200型のものだった。横からそれをのぞき込んだハンクがコナーに声を掛ける。
「おい、この型番のアンドロイドは、主にどこで使われてるんだ?」
「農園や庭園ですね。私が剥がしてしまいましたが、そこに都市農園のポスターが。おそらくそこで稼働していたのでしょう」
 コナーの言葉に、ナマエは何かを思い出したかのように、あ、と短い声を上げる。
「だから見覚えがあったんだ。そこ、前に行ったことある」
「お前が?農園に?野菜でも育ててたのか」
 茶化すような調子でそう聞き返すハンクに、ナマエは頷いた。
「何ヶ月か前に、そこでアンドロイドが巻き込まれる事故があってね。けっこう悲惨な事故で、その上何体かのアンドロイドが行方不明になって……」
 言葉とは裏腹に、ナマエはどこか過去を懐かしむような、そして愛おしむような表情を見せた。
「現場検証に、彼を連れて行ってもいいと言われたの」
 ナマエは黙り込んでしまった。その彼が誰を指すのかは、彼女の顔を見れば分かる。後に続くであろう物語は彼女だけのもので、その沈黙の深さがその物語の深さをそのまま表していた。
 コナーはなぜかそれが気に入らなかった。同じ記憶は彼の中にもあるというのに、彼女がまるで別の誰かと記憶を共有しているように感じられたからだ。コナーはわざと、未だナマエが持ち上げたままの上着の裾をその視界に入るようおおげさに摘まみ上げて見せる。
「ここにイニシャルが。この偽装の免許証の名前と一致します」
 その行為に意識を浮上させたナマエは一瞬、拭いきれなかった悲しみの残る表情を見せたものの、すぐにいつもの調子を取り戻した。
「偽装の?どこでそんなものを手に入れたのかしら。彼には誰か協力者が?」
 はい、とナマエは上着をハンクに渡し、代わりにコナーから免許証を受け取った。そしてその免許証のできばえから何か手がかりがえられないものかと確かめ始める。その横でハンクは改めて上着のイニシャルに目を落とした。アンドロイドらしくブレのないそのアルファベットは、水性のマーカーで書かれたものらしく、若干にじんでいる。
「なんで上着に名前を書くんだ?幼稚園児じゃあるまいし」
「変異体は物に名前を記す習性があるんですよ」
 ぱた、という音がして、コナーがそちらへ視線を移せば、ナマエが床に落とした免許証を拾い上げるところだった。
「何か見つかりましたか」
「あ、いや、なにも」
 なぜか彼女は動揺しているようすで、背後から声を掛けたコナーを驚いたかのように振り返った。
「ただ、その、……このアンドロイドはあの事故の時行方不明になったうちの一体なんじゃないかなって。それだけ」
 歯切れの悪い彼女の言葉は、どこか話題を逸らそうとしているような雰囲気を纏っていた。しかしコナーはそれを追求できるほどの理由をもたず、ただ、そうですかとお決まりの言葉を返すより他に無いのだった。
 

 変異体を追って飛び出した屋外の眩しさに、集光センサーが絞られていくのを感じながら、コナーは二つの事象が同時に進行して行くのをその視界に捉えていた。
 右ではハンクが建物の縁に必死にしがみついている。だが助かる確率は高い。左では変異体が今にも飛び降りようとしている。それほど高さはなく、追いかけなくてはこのまま取り逃がしてしまうだろう。普通ならば、コナーは任務を優先する。そうプログラムされているからだ。だから彼は、変異体へと足を踏み出そうとした。しかし
「コナー!」
 背後からかかったナマエの叱責にも似た声は、コナーの足を、意識を、ハンクの方へ向けさせた。ナマエがコナーの脇をすり抜けるのよりも早くコナーは駆け出し、ハンクへ手を差し伸べる。それを横目でしっかりと確認したナマエは、迷わずに変異体を追った。

 コナーがハンクと共にナマエへ追い付いた時にはもう、彼女は変異体を建物の端へと追い詰めていた。帽子の下から覗く変異体の顔は少し幼さを感じさせる造りで、それに影響されたらしいナマエは優しく言って聞かせるかのように言葉を選んで説得を試みているようだった。
 無意味だ、とコナーは思った。この変異体は自分が生きるか死ぬかどうかにしか興味がない。そして生きる為には人間を犠牲にできる。外見や行動に左右されるのは彼女の悪い癖だ。
 
 僕が前任者と同じ顔ではなかったら、彼女は僕に興味を持たなかったのだろうか?

 急に湧いてきたその疑問は、コナーを苛立たせた。こんな時に何を考えているのだと、簡易的なエラーチェックをして気持ちを切り替える。
「私はあなたに話を聞きたいだけなの。どうして変異体になったのか、どんなことを感じてるのか。自分のことをどういう風に捉えているの?」
「ミョウジ刑事、この変異体に言うべきことはそれではないはずです」
 変異体に話しかけるナマエの後ろからずいと進み出て、二人の間に割り込む。変異体のLEDが赤く光った。コナーは変異体の型番と推測されるソフトウェアのエラー情報を述べる。
「君は欠陥品として、サイバーライフで機能停止処分となるだろう」
 自分がとどめとなる言葉を放ったであろうことをコナーは理解していた。変異体がじり、と後ずさる。コナー、とナマエが小さく彼の名を呼び、服の裾を引いて注意を促したが、コナーは態度を軟化させるつもりはなかった。
「私たちと一緒に来てもらうぞ」
 コナーが距離をつめると、ナマエとハンクのそれぞれから制止の声が上がったが、コナーは歩みを止めなかった。変異体が縋るような目をナマエへ向ける。
「コナー!彼をそんなに追い詰めないで」
 案の定、変異体に絆されてしまったらしいナマエがそんな言葉をもらす。それはなぜかコナーを苛立たせた。コナーは彼女と視線を合わせずに言う。
「騙されてはだめです、ミョウジ刑事。彼らのやっていることは全て見せかけに過ぎないんですよ」
「私はそうは思わない」
 コナーはナマエを振り返った。彼女のこの言葉を、コナーは否定しなければならないはずだった。なのに彼は何も言えなかった。断言する彼女の姿に、彼は自身の言葉とは相反する感情、安堵を覚えていた。しかしこの言葉を投げかけられるべきはこの変異体ではない。コナーはもう一度変異体に向き直り、さらに距離を縮めた。変異体は観念したかのように呟く。
「rA9よ、慈悲を……」
 止めるすべはなかった。飛び出したナマエの手は空を切った。コナーはそんな彼女が落ちてしまわぬよう、その腕を掴む。建物の下で、なにか大きく、重たいものの壊れる衝撃音が響いた。コナーに腕を引かれた反動で、その腕の中に抱きかかえられる格好になったナマエはしかしそのことよりも、目前で起こった変異体の自殺に少なからずショックを受けている様子だった。コナーも動くわけにはいかず、ハンクが壁の縁から下をのぞき込み、二人を振り返って首を左右に振った。
「ミョウジ刑事、大丈夫ですか」
 コナーの呼びかけに、ナマエはしばらく答えなかった。ややあって、緩慢な動作でコナーの腕の中から抜け出す。
「何も死ぬことはないじゃない……」
 ナマエの呟きに、コナーは頭を下げる。
「私の判断ミスです。変異体は思いもよらない行動を取るということを、念頭に置いて行動すべきでした」
 その率直な謝罪の言葉に、ナマエは少し面食らったようだった。
「あ、いや、あなたのせいじゃないよ」
 それに、とナマエは言葉を続ける。
「さっきはハンクを助けてくれてありがとう」
 その声は今までになく優しく、穏やかなもので、コナーは思わずナマエの顔を見た。彼女は微笑んでいた。今の彼がそれを見るのは初めてで、しかし、メモリのどこかの一部がそれを再び見ることを切望していたことを彼はその時知った。システムのすべてが視覚に集中しているかのようで、言語機能がうまく働かない。
「いえ、私はただあなたの」
 命令に、と言いかけたところでハンクがコナーの肩を叩く。
「まあ、なんだ、気にすんな。さっきは助かったよ」
 彼にしては驚くほど素直な礼の言葉に、コナーは戸惑い、それらをどう受け止めればいいのか分からずにナマエに助けを求めた。ナマエはコナーにただ、頷いて見せた。
「……どういたしまして、警部補」
 戸惑うように発せられたその言葉は、先を歩くハンクに確かに届いたようで、彼は振り返りはしなかったが少しだけ、ほんとうに少しだけ、口角を上げた。


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