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短編|ストロベリーチョコレートドーナツ

 そのドーナツ店の店員であるアンドロイドは、変異していたものの、今の自分の職を気に入っていた。きちんと給料は支払われるし、店主は優しい。そして何より、個人店であるこの店の店主がドーナツに付けた名前を読み上げる時の客の表情を見るのが、彼は好きだった。
 客が「これ」とドーナツを指差しても、彼は首を傾げて見せ、「すみません、どれのことでしょう」と返す。彼がアンドロイドなのか変異体なのかその外見だけでは判断できない人間の客は、ごねるよりもドーナツの名前を読み上げる方を選ぶ。例えば、ストロベリーチョコレートのかかったドーナツを指差して「こ、この、ラブ、ポーションを下さい」などと。恋の媚薬などと口に出して言う機会が人生で何度あるだろう。あるいは「マシュマシュマシュマシュマロ」などという舌を噛みそうな言葉を。もちろん、そのドーナツにはマシュマロが入っている。
 他にも人前では口に出して言うのが少し憚られるようなギャグめいたものであったり、ストレートな愛の告白や、過激な若者言葉のような名前を冠したドーナツたちが、その店のショーウィンドウには並んでいた。
 そうして彼の前でドーナツを求める人間たちは老若男女問わずこの試練に立ち向かわされ、羞恥に顔を赤くし、口籠りながら注文する。それを見るのが彼の毎日の楽しみだった。


 店のドアが開き、グレーのジャケットを羽織ったアンドロイドが姿を表す。最近よく来る客だ。と店員の彼は思う。近くのデトロイト市警に勤めているらしく、使い走りにされているのだろう。
 時折来るアンドロイドの客は彼にとってあまり面白いものではなかった。アンドロイドは言葉に対して羞恥の意識を持ちにくい。どんな単語でも、淡々と読み上げてしまう。
 今しがた来た市警のアンドロイドも、ショーウィンドウの前でこっぱずかしい商品名を、眉一つ動かさずに読み上げる。仕方がないので彼はドーナツを袋に詰めながら、目前のアンドロイドにドーナツを買うよう頼んだ人間のことを想像することにした。
 このアンドロイドはいつも同じドーナツを買っていく。毎回それを頼む人間はどんな顔で商品名を口にするのだろう。もう言い慣れていて、事務的に?だが言いながら、2回に1回ぐらいは、言葉の意味を考えずにはいられないはずだ。彼は支払いをするアンドロイドをチラと見やる。――そしてこの彼は、その言葉を受け取って何を思うだろう。ただの商品名ではあるが、毎回毎回投げかけられては、落ち着かない気持ちになることもあったのではないだろうか。
 彼の視線に気が付いたのか、市警のアンドロイドは少し照れたような微笑を覗かせる。
「ここのドーナツは、ユニークな名前が多いですね」
「ええ。店主の趣味なんです」
「面白い趣味をお持ちの方なんですね」
 アンドロイドのそんな言葉に、いや、言われ慣れてもいないし、言い慣れてもいないな、と先程の持論を彼は打ち消した。
 それならば一体、どういう理由でこれを毎回買っていくのだろう、と彼は店を出ていく市警のアンドロイドを興味深く見送るのだった。


 ハンクの車のフロント部分に寄りかかるナマエは、コナーがいつもの紙袋を片手に嬉しそうに駆け寄って来るのを待ちながら、内心、またかと思っていた。
 いつからだったか、ハンクやナマエが少しでも空腹な素振りを見せると、コナーがドーナツを買ってくるようになった。コナーの気遣いは嬉しい、とナマエは思う。でもこんなにも毎回毎回同じドーナツばかり食べさせられると、少々、いや、結構、飽きてくるというものだ。
 コナーはアンドロイドだから、飽きるという概念がないのかもしれない、とナマエは推測し、しかしそれはそれでいいとして、どうしていつもあのドーナツなんだろう、とも思う。ハート型で、上にはストロベリーチョコレートがかかっていて、中にはストロベリージャムが入っている、あのドーナツである理由はなんだろう。
 コナーのことは好きだが、ドーナツが好きだと言った覚えはないし、ストロベリーが好きだとも言った記憶はない。どちらかと言えば好きな方ではあるが、毎回毎回毎回食べたいものではない。コナーが買ってきてくれること自体は嬉しいのだが。
 ナマエの隣に並ぶハンクも同じ考えであるらしく、コナーが抱える紙袋を見て取って、「またか」とこぼしたのがナマエには聞こえた。
「なんでって毎回あれなんだろうな」
「さあね……コナーの、マイブームとかなんじゃない」
「俺、林檎が好きだとか、そういう話したことあったか?」
「私の記憶にはないけど」
 コナーがハンク用に買ってくるドーナツは、ナマエ用に買ってくるものとは異なっており、チョコレートではなくシュガーがかかっていて、中には、アップルソースが入っているらしい。何か意図のありそうなチョイスだ、とナマエは思う。しかしコナーが目前へ来るまでに、ハンクと林檎の関連性を見つけることはできなかった。

「どうぞ!」
 満面の笑みを浮かべながら紙袋を差し出されて、どうして拒絶などできるだろう。ナマエは心の中で、まあ何にせよここのドーナツは美味しいし、と呟き、それを受け取った。
「いつもありがとう。コナー」
「お安い御用ですよ」
 完全なる親切心でやっているらしい彼に、ナマエも笑みを向ける。そして紙袋を開き、やっぱりか、と思う。袋の中に並んだ2つのドーナツ。片方はピンク色で、もう片方にはシュガーがかかっているのが、包み紙を通して見える。もはや匂いを嗅ぐだけで味を思い出し、食べた後のような気分になったナマエはしかし、あることを考え付く。
「私、今日はこっちの林檎の方貰おうかな。ハンク、ストロベリーのやつ食べなよ」
 ぱっとナマエの方を向くハンクの顔には妙案だと書いてあった。ナマエは口角を持ち上げて見せ、なんでもっと早く考え付かなかったんだろと思いながら袋に手を突っ込み――
「駄目です」
 と、コナーが横から袋を取り上げ、改めてストロベリーチョコレートのドーナツを掴むとナマエへ手渡した。
「こっちがナマエのドーナツで」
 シュガーのドーナツも同じようにしてハンクへ押し付ける。ハンクは勢いに負けてそれを受け取る。
「こっちはハンクのです」
「そ、そうか」
「なんでよ」
「なんでって……僕がナマエにはこのドーナツを食べてほしいからです」
「なんで?」
「それは、えーと」
 露骨に視線を泳がせるコナーに、ナマエは怪しいな、と思う。
「なんでなの?」
 ナマエは手の中のストロベリーチョコレートドーナツへ目を向け、ふと、これの商品名はなんだろうと思う。多分、普通のストロベリーチョコレートドーナツも取り扱っているだろうし、このストロベリージャムが入っているタイプはストロベリーチョコレートドーナツという名前ではないはずだ。じゃあなんだろう。ストロベリーチョコレートドーナツver2.0とか?
 そしてナマエがコナーへ視線へ戻すと、彼は子犬のような瞳でナマエを見つめていた。
「このドーナツはお嫌いですか?」
「いいえ。でも、話を逸らそうとするのは後ろめたさの現れだって、この前コナー言ってたよね?なんでいつも同じドーナツ買ってくるの?」
 ぐいぐいと詰め寄るナマエに、コナーは焦りを滲ませ始める。
「それは……多分、あなたがそのドーナツを一番気に入るのではという推測から……」
「確かにこれは美味しいし、気に入ってるし、いつも買ってきてくれて嬉しい。でも私ストロベリー系のドーナツが好きって言った記憶、ないんだけど」
「それは……そうなんですが、えっと、…………これは僕が買ってきたものなので、僕に購入の際の選択権があります!」
 その言葉はどうやら苦し紛れに発せられたもののようではあったが、ナマエは確かにと納得した。
「じゃあ尚更どうして、いつもこれを選ぶの?」
 納得したところで追求の手を緩めるナマエではない。話は再び最初の質問に立ち返る。それを眺めるハンクは、あーあ、こうなると長いぞ……と思いながら、自分のドーナツを齧った。ふわふわとした甘い生地に、酸味の効いたアップルソースがよく合っている。それを味わいながらハンクは、自分が新米だった頃、上司がよく言っていた言葉遊びを思い出した。その当時はそれをなんだか疎ましく思ったものだが、今は逆に、つい口に出して言ってしまいそうになる。俺もDad jokes――いわゆる親父ギャグを言う歳になったのか、とハンクは独りしみじみと時の流れを感じるのだった。

 そんなハンクの目前で、コナーとナマエは堂々巡りの会話を4周ほど繰り返した後、唐突に、ナマエが「ま、いいや」と話を打ち切るかのような素振りを見せた。それに追求を逃れたと思ったらしいコナーが、安堵のため息をつく。
「――今から、この店行くから」
 ナマエの思いがけない発言にコナーの安堵は一瞬にして吹き飛び、彼はぽかんと間の抜けた表情を浮かべた。
「え?」
「この店行って、他にどんなの売ってるか見てくるわ」
「え、ちょ、ちょっと待って下さい!なにも、わざわざ行かなくても……。そ、そんなにそのドーナツが嫌でしたら、明日から、違うものを買ってきます!そうしましょう、ね?店に行く必要なんて、ありませんよ!」
 慌てに慌て、吃りながらナマエを引き止めようとするコナーに、ナマエはますます疑いを深めていく。
「いや。こんなに引き止められたらますます気になってきた。行く」
 ナマエは紙袋に書かれた店の住所をマップアプリで調べ、早速歩き始める。それを止めようと肩へ手を乗せたコナーは、手首をぐいと掴まれて道連れにされた。その時コナーがちょっと嬉しそうな表情を浮かべたのを、ハンクだけが見ていた。
「俺にはチョコレートドーナツを買ってきてくれ」
 ちゃっかりそう注文を付け、ハンクは遠ざかる二人にひらひらと手を振ったのだった。

 


 店の道路側の壁はガラス張りになっていて、店の前を行き交う通行人がよく見える。その中に先程来たばかりの市警のアンドロイドを見つけて、ドーナツ店のアンドロイドは首を傾げた。一人の女性に手を引かれ、ずんずんとこちらへ向かって来ている。……いや、“ずんずんと”来ているのは女性の方で、アンドロイドは逆に、それに逆らうような仕草を見せている。が、本気で逆らうつもりはないようだ――本気で逆らうのなら、人間がアンドロイドに敵うはずがない――その様子はどこか、散歩の途中で動物病院に連れていかれそうになっている大型犬を思わせた。
「いらっしゃいませ」
 颯爽と入店した女性に店員である彼がお決まりの言葉を投げかけると、女性はちらりと笑みを見せ、「ちょっといいですか」と切り出した。そして自分の後ろで帰りたそうにしているアンドロイドを指差す。
「さっき彼がここへドーナツを買いに来たと思うんですけど……」
「はい、来ました。……クレームでしたら、店主へお伝え致しますが」
「いいえ、まさか!ここのドーナツは私のお気に入りです。美味しいですから。もしも店長さんに伝えるんでしたら、そう伝えて下さい」
「分かりました。いつもお買い上げありがとうございます」
 若干の間の後に、「ああ」と女性は合点がいったような声を上げた。
「確かに食べてるのは私だけど、選んで買って来てくれるのは彼なの」
 どうやら市警のアンドロイドはこの女性に使い走りにされているのではなく、自主的にあれらのドーナツを買っていたらしい。あの名前のドーナツを“自主的に”言わば“貢いで”いたというわけだ。彼が含みのある視線を送ると、市警のアンドロイドは居心地悪そうにそっぽを向いた。
 そんな無言のやり取りを交わす二人を他所に、女性は楽しそうにショーウィンドウの中を覗き込んでいる。
「あ、ほら、コナー!他にも美味しそうなのいっぱいあるんじゃない」
「……そうですね」
 コナーと呼ばれた市警のアンドロイドは、観念したようにそう同意した。女性は笑い声を上げ、ドーナツを指差す。
「見て、チョコレートドーナツ……『Hey,My Bro』だって」
 彼女は商品名を読み上げ、コナーを振り返る。
「ハンクにこれ買っていこ!で、渡す時に『よう、兄弟』って言ってみてよ」
 『よう、兄弟』の部分だけやたらと渋い声を出し、厳しい顔つきをしてみせる彼女に、コナーは苦笑を返した。
「ハンクは怒りませんかね?」
「コナーに言われたら喜ぶって!……ここのドーナツってユニークな名前なのね」
「店長の趣味だそうですよ」
「選ぶのが楽しいね」
 そんな他愛のない話をしながらも、彼女の視線はショーウィンドウの上をなぞっていく。
 そしてその動きはある一点で止まり、コナーがギクリと身を竦ませる。
「……『I'm The Boss.Applesauce』だって。あー……、ハンク言いそう。だからこれ、いつもハンクにあげてたの?」
「ええ、まあ。僕にとってハンクはボスでもありますからね」
 彼女はふふ、と面白そうに笑い、コナーは安心した様子で肩を下ろす。
「ナマエ、もう気は済みましたか?ハンクのチョコレートドーナツを買って帰りましょう。きっと待っていますよ」
「えー……ちょっと待って。コナーが私にいつもくれるのはー……」
「ナマエ、……ナマエ!もう帰りましょう!ね!?」
 ナマエの視線がストロベリー系のドーナツのまとめられたピンク色の一角へ移るのを、コナーは必死で止めにかかる。そんな様子を店員は、面白くなってきたな……と思いながら眺めていた。
「ふーん、普通のストロベリーチョコレートドーナツもあるんだ…………」
 彼女の言葉の後半が小さくなって消えたのは、その商品名をうっかり読み上げようとしてしまったからだろう。ストロベリー系のドーナツの商品名は、恋愛系の言葉でまとめられている。ナマエは気を取り直すように空咳を一つして見せると、その隣にあるドーナツへ目を止めた。
「あ、これいつもコナーがくれるやつ……」
 堂々と『Love potion』という商品名を掲げるそれを前に、ナマエは黙り込んでしまった。多分、『恋の媚薬』と名の付くものをほぼ毎日せっせと贈られることの意味を考えているのだろう、と店員は推測する。
 そしてどうやら同じことを推測しているらしいコナーは焦った様子で言葉を並べる。
「と、特に深い意味はないんです。ただ、本当に、これが美味しそうだったからで……意味は、本当に、なくて……」
「……他のも、美味しそうだよ」
「そうですね!だからもちろん、僕は他のを買ってもよかったですね!今、気が付きました!これからはそうします!」
「……私べつに、これからもこれでいいけど。美味しいし、ね」
 背を向けられていて彼女の表情が見えないコナーは、言葉の意図が見抜けずに、まだ慌てている。それを気の毒に思った店員は、コナーへ通信を入れてやった。
『ラブポーションの効果はあったみたいですよ』
『えっ?』
 店員は画像データをコナーへ送る。頬を赤く染め、コナーの方を振り向けないでいるナマエの。
 それを受け取ったコナーは一瞬硬直し、ぎこちないカクカクとした動きでナマエの隣へ並んだ。
「あの、次は、このドーナツにしませんか。あなたさえ、良ければ、なんですが……」
 コナーはホイップクリームとドライフルーツのストロベリーがトッピングされたドーナツを指差す。もちろんそれにも、見た目と同じぐらい甘ったるい名前が付いている。
「私は、これでもいいよ」
 ナマエも同じくストロベリーがふんだんに使われたドーナツを指差す。
 もはやどれを指差して二人にとっては同じだろう。ストロベリー系のドーナツの名前はどれにも愛の言葉が使われている。
 二人は暫くこれにする、あれにすると額を寄せ合って相談していたが、ある一つのドーナツで意見がまとまったらしい。それの名前はあまり恥ずかしいものではなく、店員としては面白みがなかったが、今の状況にはピッタリだったので、二人が声を揃えて注文するのを喜んで受け止めた。
「この『Happyend』を一つ」




 が、結局コナーとナマエはその後も何だかんだと自分の気持ちをドーナツに託すかのように追加でいくつも注文したために、チョコレートドーナツを待っていたはずのハンクは、肝心のチョコレートドーナツは忘れ去られた上に、山のような量のストロベリー系のドーナツをナマエと共に食べる羽目になり、仲良く胸焼けを起こすこととなったのだった。


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