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短編|家と休息とコナーの話

 コナーはドアノブをそっと回した。寝室の中で眠る恋人が目を覚まさないよう、細心の注意を払って、そっと。
 しかし彼がドアを押して部屋へ足を踏み入れると同時に、ベッドのなだらかな膨らみがもぞもぞと動いて、眠たげな瞳が彼をとらえた。
「…ん、おかえり」
 まだ完全には目覚めていないらしいナマエの声は、ぼんやりとしていて不明瞭だった。ふわ、と彼女はあくびをこぼし、コナーは毎度の事ながらも僅かな罪悪感を覚える。
「起こしてしまいましたね。すみません」
 コナーはベッドの端に腰掛けると、ナマエが再び夢の世界へ舞い戻れるよう、優しく頭を撫でる。しかしナマエはそれに逆らって、眠気で温かな手でコナーの手を握ると、睡魔に抗いつつ、どうにか言葉を紡ぎ出す。
「けが、とか……」
「してませんよ。大丈夫です」
「やなこととか……」
「今日も良い一日でしたよ」
「よかった」
 懸命な努力も虚しく、早々に睡魔に負けてしまったらしいナマエの瞼はゆっくりと下がっていき、手から力が抜けていった。寝息に切り替わる最後の一息に乗せて、もう一度「よかった」と小さな声で呟くナマエに愛おしさを覚えたコナーは、彼女の前髪を軽く払うと、その額に口づけを落とした。
「おやすみなさい、ナマエ」


 カーテンの隙間から差し込む眩しい朝日に、ナマエは渋々と目を開けた。そして首だけ動かして横を眺め、いつものように、自身の恋人が隣に居ないことを知る。彼女は視線を天井へ戻す。
 コナーは忙しいから、とナマエは自分へ言い聞かせる。それなのに、毎晩彼は帰ってきてくれる。そのことをもっと喜ばないと。そもそも私がもっと起きていられたら、もっとたくさんお喋りできたのに……。彼女は心の中で後悔のため息をつき、もう一度、誰も居ないベッドの横半分を眺める。そして彼の枕にささやかな凹みを見つけて、そこを手のひらで軽く撫で、ちょっとだけでも一緒にいてくれたんだ、と微笑みを浮かべた。
 コナーには休息や睡眠が必要ないのだということはナマエも分かっていた。だがそれでも、ナマエに合わせて人間のように振る舞ってくれるコナーに、喜びを覚えずにはいられないのだった。

 だが、コーヒーの力を借りて完全に覚醒したナマエの脳は、180度異なる考えを弾き出した。
 ナマエは朝食を食べながらテレビを観ていた。昨晩、ジェリコから分離した共存反対派が立てこもり事件を起こしたらしく、どの局もその話題で持ちきりだった。
「――反対派は同じ変異体である警察官の説得に応じ――」
 コーヒーを啜りながら、ただのBGM程度にしか内容を把握していなかったナマエはその“変異体”“警察官”の二単語に反応して、改めてテレビ画面と向き直った。
 あ、コナーだ。とナマエは思った。テレビ画面の中、ライトに照らされながら説得の言葉を並べているのは紛れもなく彼女の恋人であるコナーだった。
 ナマエが最初に抱いた感想は単純に、かっこいいな、というものだった。次いで、仕事頑張ってるな、と彼女は思い、昨日の夜、彼が帰ってきたのはこの事件の前だったのか後だったのかどっちだろう、と考え、コナーは忙しいのになんだか悪いな、という若干の申し訳なさを覚えた。それと同時に、暗い考えが心に影を落とす。
  ――もしかすると、彼は仕事の時間を削って、私の人間的な生活に付き合ってくれているのではないだろうか……。
 ふと浮かんだそんなネガティブな考えに、ナマエは慌ててそれを否定する言葉を探したが、むしろ肯定する理由ばかりが見つかって愕然とした。
 思い返してみれば、コナーはこの家にほとんど言っていいほど長く滞在したことがない。夜、少しだけ顔を見せに来る程度だ。ベッドを共にした日でも、ナマエが目を覚ますのとほぼ同時に、彼は家を出ていく。
 ナマエはテーブルを挟んだ向かいにある、空っぽの椅子を眺めた。……彼がこの椅子に座ったことすらない。
 本当は、彼には家など――人間的な生活など――必要なくて、コナーに鍵を渡して同棲した気になっている自分は、とんでもない価値観の押し付けをしているんじゃないだろうか……。
 画面の中のコナーの働きぶりを眺めていると、そんな懸念の気持ちはますます大きくなり、暗雲のようにナマエの心の中へ立ちこめていくのだった。

 ――コナー?今ちょっと時間ある?
 ――ええ。あなたと通話する時間なら、いつだってありますよ。
 ――よかった。えっと……今朝、ニュース観たよ。仕事頑張ってるね。すっごく格好良かった。
 ――ありがとうございます。あなたに褒められると嬉しいですね。
 ――無理してない?
 ――え?僕がですか?まさか。僕は仕事をするために造られたんですよ。
 ――……そっか。それで、本題なんだけどね。
 ――なんですか?
 ――いつも帰ってきてくれるの、嬉しいんだけど、負担になってないかなって。
 ――負担?
 ――うん。仕事、忙しいなら、私に時間を割いてくれなくても大丈夫だから。
 ――僕は、別に……。
 ――帰ってくるの、大変でしょ?気が付かなくてごめんね。
 ――……いえ、僕も毎晩起こしてしまってすみませんでした。
 ――それは、いいんだけど。……まあ、そういうことだから。じゃあね。時間取らせちゃってごめん。
 ――ええ。ではまた。

 通話を終えたコナーは、目を固く瞑り、深くため息をついた。
 自業自得だ、と彼は思った。仕事にかまけ過ぎるとろくな事にならないぞ、とハンクにも釘を刺されていたのに。その上、自分の望みを優先し過ぎて、彼女の睡眠を妨害し続けてしまっていた。ナマエの顔を一目見たいが為に毎晩彼女の家を訪れてはいたが、その度に彼女を起こしてしまっていたし、それなのに、十分に恋人らしいコミュニケーションを取る時間はなく……。ナマエからしてみれば、ただの起こされ損だったのだろう。コナーはもう一度ため息をこぼした。

 コナーの周りの人間たちは、彼には休息が必要ないものとして仕事を割り振ってきたし、彼自身もそう扱われることに対してはさほど不満を覚えてはいなかった。それに、彼の働き次第で、周囲の人間からの変異体への評価も変わっていくのだという自負もあり、休むなどという選択肢が存在するような状態ではなかったのだった。
 つまり、現状としてコナーは仕事に追われていたので、ナマエの提案を受け入れる理由は山程あったが、跳ね除ける理由は一つしかなかった。だがその余りにも個人的過ぎる理由は余りにも個人的過ぎるという理由で採用されることはなく、コナーはナマエに会うことを諦め、昨晩自分が終息させた事件の後処理を始めた。




 そして時間は巡り、日は沈み、夜がやってきた。
 いつものように一日を終えたナマエは、ベッドの中で寝返りを打った。今朝コナーと電話で交わした内容を胸の内で反芻しては、もやもやとした気分になり、枕に顔をうずめる。良かれと思って言ったことだけれど、少しばかり拗ねる気持ちがあったことは否定できない、とナマエは思う。私と仕事、どっちが大事なの!?と彼に詰め寄るつもりは微塵もないが、空っぽのベッドに、彼の名残りを探すだけの朝は寂しい。寂しいが、自分の生活に彼を付き合わせるわけにもいかない。でも……と振り子のように二つの気持ちを右往左往しながら、ナマエはゆっくりと眠りに落ちていった。

 一方コナーは、人気の失せた署内のアンドロイドステーションで待機していた。いつもはここで簡易メンテナンスを済ませた後ナマエの元へ向かっていたものだが、帰って来なくてもいいと言われた手前、今晩はそういう訳にもいかない。仕方なく、彼は電子的な手続きや事務処理、資料の製作といった終わりの見えない仕事に取り掛かることにしたのだった。
 だが、いまいち身が入らない。人間のように集中力が散漫になるということは機械の彼にはありえないことのはずなのに、今の彼はそれに近い状態だった。気が付くと、先程修整したばかりの文言を修整前へ戻そうとしていたり、無意味な脚注だらけの報告書を作り上げていたりするのだ。もしも作業の進行度を示すバーがあるのならば、そのメモリは、作業を始めて数時間経った今でも初期状態から微塵も動いていない、そんな有様だった。
 最終的にコナーは、思考回路が同じところをぐるぐると回り続けているような感覚に陥り、全てのタスクを一旦終了させた。
 ナマエの隣でなら、こんなことは起こらないのに、とコナーは思う。彼女の安らかな寝顔を眺めながら仕事をすると、不思議なことに、平時よりも処理能力が上がり、時にはより良い解決策や提案を閃くことだってあった。思えば、あれが“休息”というものだったのだろう。
 ……帰りたい、とコナーは初めて心から強く感じ、そんな自分に驚いた。今までの彼にとって、戻るべき場所は署内のアンドロイドステーションであり、その他の場所など存在していなかった。
 だが今コナーはそのアンドロイドステーションにいて、ナマエの家を、ナマエの隣を想いながら、『帰りたい』と感じていたのだった。




 外から見たナマエの家は、明かりが付いていなかった。それはそうか、とコナーは思う。もう深夜なのだから、当然ナマエは寝ているだろう。また起こしてしまうだろうか、とコナーは少しばかり家のドアを開けることをためらったが、今更署へ戻る気にはならず、そのまま家の中へと足を踏み入れた。
 微かなテレビの音を、コナーの聴覚デバイスが拾う。いつものように寝室へ向かおうとしていたコナーだったが、その音の聞こえるリビングルームへ視線を向けた。リビングのドアの下からは、オレンジ色の明かりが漏れている。
「……ナマエ?」
 コナーがそっとリビングのドアを押し開け、そう呼びかけると、ソファに座っていたナマエが振り返った。
「あ、コナー……。だから鍵の開く音が……。……おかえり」
「ただいま」
 決して、『どうして帰ってきたの?』などとは問わないナマエの優しさが、コナーには嬉しかった。
「まだ起きていたんですか」
 コナーがそう尋ねながらソファへ座ると、ナマエはその肩へ寄りかかり、手にしたマグカップを揺らして見せる。それに入っているホットミルクは、もうぬるくなってしまっていた。
「寝てたんだけど、途中で起きちゃって。寝直そうとしたんだけど……むずかしくて」
 ナマエは困ったようにコナーへ笑いかける。
「ホットミルクは、私には効かないみたい」
「眠れないほどの心配事でも?今日なにか、嫌なことがありましたか?」
 不安げな調子でそう言うコナーに、ナマエは「ううん」と頭を振り、反対に、コナーへ問いかける。
「コナーはどう?」
「僕は、特に何もありませんでした。いつものように忙しかっただけです」
「……それなのに、帰ってきても大丈夫なの?」
 昼間の電話でのやり取りを思い出した二人の間には一瞬、微妙な空気が漂ったが、コナーがそれを打ち払った。
「ここに帰ってくるのは、僕にとって大事なことです。僕はずっと自分に休息は必要ないものだと思い込んでいたのですが、違ったみたいです。あなたといると、気持ちが安らぐのが分かる。……それが、僕に必要なんだということも」
「そう言ってくれて、嬉しい」
 ナマエが再び微笑みを取り戻したのを見て、コナーも口角を柔らかく持ち上げた。ナマエはマグカップへ視線を落とし、言葉を継ぐ。
「私もね、コナーが必要。本当のことを言うと、寂しくて寝れなかったの」
 少し照れた様子でそんなことを言うナマエに心を掴まれてしまったコナーは、その肩を抱き寄せて額や目元に何度もキスを落とす。ナマエは微かな笑い声を上げた。
「……朝はあんなこと言ったけど、やっぱりあなたが帰って来てくれて嬉しい」
 コナーの肩に額をくっつけるようにしながら、小声でそう言うナマエを腕に抱きながら、コナーは、ああ、やはりここが僕の家、帰る場所なのだと深く思った。


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