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短編|コナーとチョコレートの話

 自分のデスクへ辿り着いたナマエは、軽く辺りの様子を伺うと、いそいそと鞄から赤いラッピングペーパーとピンクのリボンに包まれたチョコレートの箱を取り出した。
「今日、バレンタインだから……」
 微笑みを浮かべながらそう言いつつ、ナマエはリボンの形を軽く整えて、箱を差し出す――
 ――ハンクへと。
「おう。ありがとな」
 軽い調子でそれを受け取ったハンクは、さっそくラッピングを破いて開けながら、ナマエへ尋ねる。
「今年は花じゃないんだな。俺はこっちのが嬉しいが」
「でしょ?どっかではバレンタインにはチョコを渡すのが普通なんだって。だから今年はチョコにしてみた」
 ハンクが蓋を開けると、カカオの甘い香りがふわりとあたりに漂った。
「お、なかなか高そうなやつじゃねぇか」
「その通り。だから心して食べてよね」
 箱の中に行儀良く並ぶ、艷やかなチョコレートの一つをつまみ上げたハンクは、期待と共にそれを口へ運ぶ。が、
「ずるいです」
 と突然割り込んできた声と手が、ハンクの指先からさっとチョコレートを取り上げた。その後ろでは、ナマエの「あちゃあ」という顔。ハンクはむっとしてその手の主であるコナーを見上げる。
「何がずるいんだ、コナー」
「恋人である僕は今年も花だったのに、ハンクにはチョコレートだなんて」
 それは確かにハンクからの問いかけへの返答ではあったが同時に、ナマエへの非難の言葉でもあるようだった。コナーはナマエに貰ったらしい赤いバラの花束を揺らす。
「知ってますか、ナマエ?日本ではバレンタインデーに好きな異性へチョコレートを贈るそうですよ」
「あー……知らなかったな、それは」
「では今、知りましたね」
 有無を言わさぬその口調は、今すぐこのハンクへのチョコレートを取り下げろとナマエに訴えていた。だが他にハンクへ渡すものなど用意していないナマエは、素早く打開策を探る。
「日本では、」
 と、ナマエは携帯端末片手に、検索して出てきたウェブ記事を声に出して読み上げる。
「義理チョコと本命チョコがあるんだって。義理チョコはお世話になっている人に渡してもいい、と」
 ナマエはハンクを指差す。痴話喧嘩などに興味のないハンクは、コナーの手をこじ開け、自身のチョコレートを取り返していた。
「私はハンクにお世話になってる。だからこれは義理チョコ」
 コナーのLEDリングがくるくると回る。彼も検索をかけ、同じ内容の記事を見つけ出したのだ。
「では、僕には本命チョコがあると……!」
 ナマエは内心、しまったと思う。ハンクにチョコを渡した理由を上げるのに必死で墓穴を掘ってしまった、と。
「そ、それは……」
「当然、ありますよね?僕へのチョコレート……」
 押してだめなら引いてみろ、を実践するかのように、先程までの勢いはどこへやら、コナーは少し不安そうな面持ちで、ナマエの顔を伺うように見つめている。
 その子犬のような潤んだ瞳に心を射られたナマエは、渋々バッグから二つ目の箱を取り出した。
「これは、自分用に買ったんだけど……」
 ラッピングを施されていない小箱には、高級チョコレートで有名なブランドのロゴマークが燦然と輝いている。
「おいそれ、けっこう高いやつだろ」
「いいの、自分用だから……」
 ハンクの言葉になぜか言い訳がましく答えたナマエは、コナーの手を取り「はい」と箱を乗せた。
「ありがとうございます!ナマエ!」
 ぱあと顔を輝かせたコナーは、誰かに取られるとでも思っているのか、素早く蓋を開け、中の一つを口へ放り込んだ。
「美味しいです!」
 口の中にチョコを含んだまま、唇を開かずにそう言うコナーは実に幸せそうだったが、ふと湧いた疑問に、ハンクは首をかしげる。
「お前、味分かるのか?」
「待って、そもそも食べられるの?」
 じ、とナマエが怪訝そうな視線を送ると、コナーはにこりと微笑む。
「いいえ。食べられません」
 なぜか自信満々にそう答えるコナーに、ハンクとナマエはそれぞれ「は?」「え?」と声を揃えて困惑する。それを尻目に、依然として口を開かないまま、コナーは言葉を続けた。
「一応、口に含んだサンプルを一時保存する機能はありますが、液体のみなので、固形物であるチョコレートは飲み込めません。僕には消化器官もありませんしね」
「じゃあそのチョコどうするの……」
「口内で保存します!」
 ウインク付きでそう答えるコナーを前に、ナマエは困惑を深めた。
「いや、それは……傷むんじゃない?」
「大丈夫です!僕は口内の温度をゼロ度前後に調整できる上に、定期的な洗浄により、無菌状態に保つことも可能です!」
「分析機能が使えなくなるんじゃ……」
「それも問題ありません!人間だって飴を舐めながら、他のものを食べることができるでしょう?」
「それは……、そうかな、そうかも……」
 言いくるめられてやがる、と傍観者であるハンクは冷静に思い、助け舟を出してやった。
「コナー。お前一生口を開けないつもりか?食べられないなら吐き出せ」
「嫌です!」
 コナーは悲痛な声でそう言うと、ぱっと口を覆い、梃子でも唇を開けない意思を顕わにして見せた。そのままでも話を続けられるのだから、アンドロイドってのは便利なもんだな、とハンクは思う。
「せっかくナマエから貰ったものを吐き出せだなんて……!」
 ハンクがまるで人道に反することでも言ったかのように、大げさに嘆いて見せるコナーに対し、ナマエは小声で「あれは強請ったって言う」と突っ込みを入れた。
「でもコナー、ハンクの言うとおり、ずっとは口に入れてられないよ。いつか賞味期限はやってくるんだし」
「冷凍保存に切り替えれば、賞味期限は実質無限です」
「そう……」
 馬鹿げた理論を大真面目に論じるコナーに、ナマエはしばらく考え込む様子を見せた後、こう切り出した。
「じゃあもう一生私とキスできないね。私、口の中が冷凍庫と同じ温度の人とキスしたくないし」
 トドメとばかりに、ナマエがさも悲しげにため息をつきつつ嘆いて見せると、コナーの表情は焦り一色になったが、口を開く気配はない。
「吐き出したくないです……」
 先程よりは少々抑えめの声量でそう呟くコナーに、ナマエはその心中の複雑な気持ちを察した。彼は、人から貰ったものを粗末に扱いたくない人だから、一度得たものを“吐き出す”という行為に強い忌避感を覚えるのだろう、と。
 表情を和らげたナマエは、コナーを手招いて言う。
「ちょっと、場所を変えよう」




 ナマエと、そのあとを大人しくついて来たコナーは、人気のない廊下の突き当りで足を止めた。
 壁を背にして振り返ったナマエはちょいちょいとコナーを手招き、身を屈めろと催促する。
 その通りにしたコナーは、近付いた彼女の顔に少し面白がるような表情が覗いていることに不安と好奇心を感じたが、彼女の手が頬に触れ、湧き上がった期待が瞬く間にそれらを上回った。
 ナマエは片手を伸ばし、コナーの頬を優しく撫でて、からかうように髪を弄んだ。そして顔を寄せ、唇をコナーのそれと重ねる。
 固いものと柔らかなもの、冷たさと温もりが重なる。ナマエの舌がその見えない境界線を破り、コナーの領域に滑り込んできた。
 彼女はコナーの口内の冷たさに眉をひそめたが、やめる素振りは見せない。コナーはナマエの熱い舌へ触れた自身の舌先の温度が跳ね上がることに、奇妙な背徳感を覚えた。
 コナーの冷たさを中和しながら進むナマエの舌が、目当てのものを見つける。薄目を開けたコナーは、ナマエの顔に先程の笑みが戻っているのを見た。
 チョコレートを捕まえた彼女の舌先が、コナーを弄ぶ。ナマエの高い体温で溶かされ、角のとれた滑らかなチョコレートが二人の舌先を滑る。
 口内に滲んだそれの成分を、コナーの機能が勝手に分析していく。カカオ、砂糖、ココアバター……。お互いの舌が絡み合うのに合わせて、成分表の文字列にはエラーメッセージが表れ、複雑に絡み合っていく。なにも考えられなくなる。
 チョコレートを介してナマエの温度とコナーの温度は溶け合い、一つになっていく。頭の奥がじんわりと痺れるような温もりを味わいながら、これが甘さかとコナーは思った。


 唇を離したナマエは、小さくなってしまったチョコレートを飲み込み、「じゃあ残ったチョコは返してね」とコナーに告げた。今日のお楽しみはここまでだと。
 コナーは片手に握ったままだったチョコレートの箱へ視線を落とし、しばらく眺めていたかと思うと、無言でさっと蓋を開け、ナマエが止める間もなく、新しいチョコレートを口の中へ放り込んだ。
 抗議の声を上げるナマエに、コナーは明るい笑みを浮かべる。
「お返しはしますから」
 だからもう一回、と視線でせがむコナーを、ナマエは拒むことなどできない。
 実は私もそうしたかったなどと言えば、彼が調子に乗るから言葉にはしないが、行為に表すことはできる。
 ナマエはコナーの首に腕を回して抱き寄せながら、再び唇を重ねた。来年も、コナーにはチョコを贈ろうと秘かに思いながら。


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