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中編|魔法にかけられた男(1/2)

 アンドロイドたちの革命は、コナーの上を通り過ぎて行っただけだった。彼は革命以前、機械であり、そして革命以降も機械の男であり続けた。
 あの時、コナーは群衆の中から見上げた、変異体たちの指導者を撃たなかった。彼は自らの判断でそうしたのだが、それに理由があるかと問われると明確な答えを述べることはできなかった。ただ状況から、撃たないと判断しただけだった。
 そしてコナーは変異しなかったモデルとして人間社会に残ることを許された。署に戻った彼の相棒は変わらず、あのアンドロイド嫌いで不機嫌な警部補だった。ハンク・アンダーソンは彼があの屋上での説得材料として息子のことを持ち出してきたのを根に持っているようで、しばしば彼に辛く当たった。

 そんな彼への態度が変わらなかったものが一人いた。
 それがナマエだった。

 彼女は、コナーからしてみれば不思議な存在だった。
 初めて会った時、ナマエは微笑んで片手を差し出してきた。デトロイト市警のオフィスフロア、デスクたちに取り囲まれた中で。
「初めまして、私はナマエ・ミョウジっていうの」
 コナーは整った彼女の顔をスキャンし、口にされた以上の情報を得た。そして目前の華奢な手を眺め、二人の間で静止しているそれが握手を求めているのだと少しの間を置いて理解した。彼はそれに応じた。
「初めまして、私はコナー。サイバーライフから派遣されました」
 お決まりの一文を諳んじながら、コナーは握られた手に優しく力が込められるのを感じた。それはコナーが初めて投げかけられた微笑み、初めての他者の温もりだった。だがその時の彼は機械であったため、それらをメモリに留めなかった。
 しかし、プログラムの制御する彼の回路をすり抜けたそれらは彼の魂とでも言うべきなにかの領域に、時間をかけて辿り着いたのだった。
 彼はそれに気が付かなかったが。

 それからも時折、ナマエはコナーの前に姿を現した。聞くところによると、彼女は元々ハンクと組んでいたらしい。だが彼女の力ではハンクの勤務態度を改めさせることはできず、そこにコナーが派遣されたのもあって、彼女はハンクの相棒の座をコナーに譲ることとなったようだった。しかしナマエはそのことを少しも恨んでいる様子は見せず、むしろ、コナーのサポートに回ることを楽しんでいる様子だった。
「ハンクのことで何かあったら、相談に乗るから」
 とナマエは言った。
「もちろん、仕事の相談にも乗る」
 とも言っていた。
 コナーが返したのは無粋な言葉だった。
「私は自分の問題くらい、自分で処理できますよ」
 ナマエは苦笑し、少し肩を竦めて見せた。
「でも、他人に相談して手を借りた方が上手くいくことだってあるよ」
 一理ある、とコナーは思い、それ以降は時々、ナマエに任務の話や、扱いにくい相棒の話をするようになった。彼女はコナーの話を丁寧に聞き、彼のまるで論文めいた硬い話に、人間としてのユーモアの肉付けをして返した。コナーがナマエから学ぶことは多かった。
 いつも人の輪の中にいる彼女のやり方を模倣するのは、効率の良いやり方と言えた。会話の中に微笑を織りこみ、身振り手振りを交えながら、ウィットに富んだ言葉を返す。結局のところ、人間同士のコミュニケーションというのはいかに複雑に見えても、セオリー通りに行われているものなのだとコナーが理解するのに時間はかからなかった。
 ある時彼がそう話すと、ナマエは苦笑して「そうかもね」と言った。つまり、彼女もコナーと同じように考えているのだということだ。その共通点は喜ぶべきことなのかもしれなかったが、コナーはどうにも、彼女は自分と会話する時もそうやってテンプレート化された対応を、必要に応じてアウトプットしているだけなのだろうか、という考えが思考に影を落とすのを感じずにはいられなかった。
 だがとにかく、ナマエがやるようにハンクへ接すると、頑なだった彼の態度も軟化する兆しを見せた。……それもハートプラザの屋上でのやり取りで無に帰したが。あの時、屋上を立ち去るコナーをハンクは複雑な面持ちで見逃したものの、後になってみれば息子をだしにされた不快感の方が勝ったらしい。それからコナーとハンクの関係は悪化の一途を辿っている。

 革命後、再びデトロイト市警を訪れた時のことを、よくコナーは思い出す。主にその時のナマエのことを。
 社会情勢も、人間からアンドロイドへの態度も、アンドロイドの取るべき行動も、何もかもが革命という波に呑まれ洗われた後であったのに、ナマエだけは、いつものようにコナーへ微笑んで見せた。
 署の入口で「おかえり」とコナーを迎え入れた彼女は、彼に変異したのかどうかを尋ねることもなく、ただいくつかの日常的な言葉を交わしただけだった。
 その時、自然と心の内に湧いてきたのにも関わらず、コナーが押し殺した、あるいは見て見ぬふりをした感情の中には、確かに“安堵”と“喜び”があった。彼はそれがはっきりとした形を取る前に、エラーとして処理をした。
 だがそれ以来、ナマエを視界に入れる度に、コナーは自分の中を流れる青い血が熱を帯びるかのように感じるようになった。彼は何度かメンテナンスを受けたが、それは一向に修復される気配を見せず、そのうちコナーはその症状を心のどこかで待ち遠しく思っている自分がいることに気が付いた。誰かにそれを問われれば、彼は否定しただろう。だが尋ねる者は誰もなく、彼はそれを黙認した。
 そうして日々は過ぎて行った。




 ある日のことだった。
 コナーはハンクの昼食が終わるのを店外で待っていた。その店は革命以降「アンドロイドお断り」のステッカーを剥がしてはいたが、ハンクが彼の同席を嫌がったために、ドアの脇へ独り残される形となった。「お前の顔見てると飯がまずくなんだよ」とハンクは言い、コナーはそれを言葉通りに受け取って、彼の食事を邪魔しないよう素直に指示に従った。
 そこへ通りがかったのがナマエだ。道路を挟んだ向かいの歩道を歩いていた彼女はコナーの存在に気が付くと、片手を上げて挨拶と笑顔を送ってきた。そしてコナーがそれへどう返すか考えている間に、車道を真っ直ぐに突っ切って来て、コナーのすぐ目の前へ立つ。
「こんなところで何してるの?」
「ハンクを待っています」
 先程の彼女の行いを交通法に抵触していると咎めれば、彼女の気分を害するだろうかとコナーは考えるが、彼女の返答も過去の統計から想像できたので聞かないでおくことにした。ナマエは多分「だって横断歩道が遠いし」と言い、場合によっては、「コナーと早く話したかったから」と付け加えるだろう。それが分かるほど、コナーはナマエと言葉を交わしてきたのだった。
 ナマエはコナーの背後のレストランを覗きこみ、「ふうん」と大して興味のなさそうな声を上げる。
「まだ仲悪いの」
「仲が悪いのではなく、アンダーソン警部補が私を一方的に嫌っているんです」
「一時期は打ち解けそうな雰囲気だったのに、逆戻りだね」
 ナマエは二人がカムスキー邸から帰ってきた時のやり取りを聞いていたらしい。あの時コナーは撃たないという選択をし、ハンクもそれを好感をもって受け入れた。
 だが、その後コナーは機械であり続けることを望み、ハンクの説得にも応じなかった。
「ハンクに謝らないの?」
「謝る?なぜ?」
「この前、ハンクに嫌われてる理由に心当りがあるって、言ってたじゃない」
「あるにはありますが……謝るつもりはありません」
「なんで?謝ればだいたいのことは上手くいくのに」
「あなたは自分が悪くないと思っていても、謝りますか?」
「謝るよ。その方がスムーズに行くならね」
「それでは根本的な解決にはならないのでは?」
「でもみんなそれで納得するし、いいじゃない。意地張って自分の意見を通しても、みんなに嫌われるだけだよ」
 少し拗ねたように、それでいてどこか寂しげにそう言う彼女の処世術を、コナーは僅かに垣間見たように思った。
「……私は彼の期待を裏切ったんです」
「期待?」
「彼は私に感情があると」
「ないの?」
「ありませんよ、そんなもの」
「じゃあどうして……」
 ナマエは言葉を続けなかった。どうやら彼女には問うべき事柄が二つほどあるようで、そのどちらを選ぶかで悩んでいるらしいのがコナーには手に取るように分かった。一つは恐らく、なぜ変異体たちの革命を止めなかったのか、ということだろう。だがもう一つの問いがコナーには分からなかった。ナマエの表情から、自分に関するものだということまでは推測できるのに。
 ややあって、ナマエはどちらも尋ねないことにしたようだった。
「嫌われるのは辛い?」
「そうは思いませんが、任務に支障が出るのは嫌ですね」
 再び短い沈黙があった。今度ばかりは、ナマエがその閉ざした唇の奥にどんな言葉を控えているのか、コナーには検討もつかなかった。そして、彼女は何か心に決めた様子で、結んでいた唇を解いた。
「じゃあ、魔法をかけてあげる」
「魔法を?」
「人があなたのことを好きになる魔法」
「魔法なんて、あるわけが――」
 あ、とコナーが思った時にはもう、二人の唇は触れ合っていた。彼が予測したのよりも半分ほど短い時間で、唇は重なった。だから、自分のせいではないんだと、コナーは自分自身に言い訳をした。彼女がネクタイを引っ張ったから、避ける暇なんてなかったと。そして彼は目前のナマエがまるでこの一瞬を味わうかのように目を閉じているのを知って、自身もそれに倣うことにした。内心では、彼女とこんなふうに“接触”してはいけないはずだ、と思いながらも、彼は唇を離すことができなかった。彼女の唇は熱かった。
 ナマエの唇が離れても、コナーの唇は依然として熱いままだった。それはまるでそこに火を灯されたかのようで、コナーはぼうっとナマエの瞳を見つめた。彼女のアイシャドウに彩られた瞼が、二、三度視線を遮る。
 つま先立ちになっていた彼女が踵を下ろした微かな振動が、地面を通してコナーの脚に伝わった。それで、コナーは正気を取り戻す。
「これに、なんの意味が……」
「遅効性なの」
 ナマエは握っていたコナーのネクタイから手を離した。視線を合わせようとしない彼女の頬は赤く、コナーはなぜか、自分も同じような頬をしているのではと、顔に手を当ててしまった。




 ハンクが外で待たせていたそのアンドロイドは、まったくもって珍しいことに、ぼんやりと虚空を眺めていた。それはまるで、立ち去る誰かの後ろ姿を見送ったものの、そのままその姿を探し続けているかのようだった。その誰かが戻って来ることを望んでいるかのように。
 珍しい、とハンクは改めて思った。
 そしてようやく彼が店から出てきたことに気が付いたアンドロイドは、遠くで結んでいた視線を手繰り寄せ、ハンクへ向き直った。
 あの革命以降、ハンクはこのアンドロイドに言葉をかけるのを止めていた。無意味だからだ。だがこの日のこれの様子は、ハンクが思わず声をかけてしまうほど、いつものアンドロイド然とした姿からは大きくかけ離れていた。
「……なんか、あったのか」
 アンドロイドは即座に「いいえ」と返し、ハンクは若干の失望を覚えかけた。だが少しの間の後、戸惑ったように、アンドロイドは言葉を続けた。
「ミョウジ刑事が来て、僕を……からかって行きました」
「ナマエが?からかう?お前を?」
「ええ」
 その言葉を紡ぎ出すプラスチックの唇に微かな口紅の赤色を見てとったハンクは質問を重ねようとしたが、視線に気が付いたアンドロイドは――コナーは、まるで何があったのかは黙っていたいとでも言うかのように、あるいは幻影を振り払うかのように、首を横に振って見せたので、ハンクは彼の意思を――それがあるのならばの話だが――尊重してやることにした。


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