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短編|Will I dream?

「ナマエ、ぼくは……こわい……」
 それは小さく震える声で呟かれた言葉だった。まるで隠していた気持ちを今際の際に吐露したかのような囁きに、ナマエは優しく励ましの言葉をかける。だがその時にはもう、コナーは人間のものとはまた異なる暗い眠りへと落ちていた。
 静かな室内に、今回のメンテナンスを担当する技師がキーボードへ指を走らせる音だけが響く。ナマエはコナーの手から自分の手をそっと引き抜くと、彼女の手を握りしめた形のまま固まってしまった彼の指をゆっくりと開いてやり、もう一度柔らかく握り直した。
 意識を手放した彼の顔を眺めながら、やっぱり本心ではずっと怖がってたんだ、とナマエは思う。だからあんなにも一緒に来てほしいとせがんだのか、と。

 サイバーライフへメンテナンスを受けに行きます、とコナーが突然言い出したのは数日前のことだ。当然、ナマエは驚き、心配した。いつもの定期メンテナンスはもっと先のはずだったし、わざわざ本社の工場まで出向いてメンテナンスを受けに行くと言うのだから、よっぽどのことが起きたのだろうと思ったからだ。そしてナマエは、一体どんな不調があるのかとコナーに問いただしたが、彼は頑なに答えようとしなかった。
「ボディの――身体的な問題ではないんです」
「怪我じゃないってこと?」
「ええ」
「じゃあ精神的な問題?」
「……プログラムの問題です。恐らくは。変異体になって獲得した感情と、従来のプログラムの間に齟齬が発生したのかもしれません」
「じゃあプログラムを治しに行くのね?」
「あるいは感情を?……冗談ですよ」
「笑えないから。やめて」
「感情はコードでは表わせませんからね。直したくても、直せないでしょう」
 そこでコナーは一旦口を噤むと、視線を床へ落とした。
「ミョウジ刑事、それで、お願いがあるのですが……一緒に来ては下さいませんか」
 少し不安げな雰囲気を漂わせながらそう乞う彼は、いつになく弱々しく見えた。ナマエはもちろん二つ返事で引き受けたが、でも、と言葉を続けた。
「私が役に立つとは思えないけど」
「側にいてくれるだけでいいんです」
 まるで病院を怖がる子供のようだ、とその時のナマエは若干の微笑ましさすら感じたものだが、実際に技師へどのような施術を行うのか尋ねた後では、自分のそんな浅はかさを恥じるばかりだった。


「……今、シャットダウンすると言いました?」
「ええまあ、一度その行程を挟みますね」
 事前にコナーは症状の全てを技師に伝えていたらしく、検査はスムーズに進んだ。だがその中盤で出てきた“シャットダウン”という単語に、ナマエは話の腰を折らざるを得なかった。
 思わずナマエは隣のスツールに腰掛けるコナーの表情を伺う。変異体はシャットダウンされることを恐れると聞いていたからだ。――人間が死を恐れるのと同じように。だがコナーは平然とした表情を崩す様子はなく、むしろナマエの方がうろたえてしまった。
「それって、その、絶対避けられないんでしょうか?」
「症状だけを聞いて、原因が分かるものでもないんですよ。反応を見ないと。そのためにも彼の意識を一度、身体の方と切り離さないといけないんで」
 技師はそこで言葉を切り、ナマエからコナーへ視線を移した。
「君は言っている意味が分かるね?」
 コナーは技師に頷きを返す。
「はい。……“以前”はその方法が普通でしたので。理解しています」
「コナー……あなた、平気なの」
 “機械”だった頃はそれに何も感じなかったとしても、変異体である今は恐怖を覚えるはずだ、とナマエが不安も顕な眼差しでコナーを見つめると、彼はなぜか気まずそうに数度瞬いた。
「こうなると思ったので、あなたに付いてきてもらったんです」
「シャットダウンされるから?」
「あなたなら、僕を再起動してくれますよね?何があっても」
 その一言で、ナマエははたと気が付いた。
 アンドロイドは人間のように自発的に目覚めることができない――自力で再起動できないのだということを。
 たいていの場合、人間は勝手に目覚めるし、目覚めなければ、それはそれで問題になる。というより、周りの人間がそれを問題として扱ってくれる。だがアンドロイドは、コナーは、一度シャットダウンされてしまえば、誰かに再起動してもらわないと、目覚めることすらままならない。外部からの働きかけに、自力で反応することもできない。
 彼が目覚めることを望む人間がいなければ、彼は永遠に眠りの中に、暗闇の中に、置いてけぼりにされるのだ。
 ……だから、彼は私を連れて来た。
 そう考えることは、ナマエに喜びよりもむしろ悲しみを覚えさせた。
 自分の存在を必要としてもらえるなら、再起動してもらえる。そんなことを彼が考えているのではないかという懸念が、心をかすめる。
「もちろん、絶対起こすよ。相棒が起きなかったら大問題じゃない」
 大きく頷いて見せるナマエに、コナーはふっと微笑みを返した。
「約束ですよ」

 そうして、いくつかの説明、チェック、サインを経て、コナーは病院のベッドを思わせる無機質な作業台へ横たわった。
 技師が機械や配線の類いを用意するのを横目で見ながら、ナマエは作業台の脇へスツールを寄せる。
「大丈夫?」
「何がですか?」
「……色々」
「心配して下さってありがとうございます。でも、僕は大丈夫ですから」
 技師がやって来て、コナーへコードの束を手渡す。コナーは手馴れた様子でそれを首筋と腕の端子へ繋ぐと、ナマエへ視線を向けた。
「ですが……、よければあなたの手を握っていても構いませんか」
「えっ、うん。いいよ」
 思いがけない頼み事にナマエは少々驚いたものの、差し出されたコナーの手を取り、両手で包み込んだ。
「あなたが寝てる間、ずっと横にいるからね」
「そうして頂けると嬉しいです」
 コナーと言葉を交わしつつ、視界の端で、技師が少しばかり面白がるような顔をしているのを見てとって、ナマエは頬が熱くなるのを感じた。しかし、これでコナーが安心できるのなら、と彼女は彼の冷たい手を握り続けた。

 準備を終えてパソコンへ向かった技師が、シャットダウンまでの秒数を告げる。少ない秒数に一瞬二人共黙り込んだが、ふと思い出したかのように、コナーが沈黙を破った。
「僕は夢を見ると思いますか?」
 突然の問いかけに、ナマエは小首を傾げる。
「それは私には分からないけど、見れるといいなと思う」
 そこで一度言葉を切ると、ナマエは続きをためらうかのように軽く視線をさまよわせたが、技師のカウントダウンの声に背を押されるようにして再び口を開いた。
「私もよく、あなたの夢を見るから……」
 コナーが驚きに目を丸くする。そして一度瞬きを挟んだ彼の瞳には、焦りのような、怯えのような色が滲んでいた。コナーの手にぐっと力が籠もるのと、技師が「ゼロ」と告げるのは同時だった。
「ナマエ、ぼくは……」


 そしてシャットダウンされたコナーを前に、ナマエは自身の不甲斐なさを悔いる。彼の抱える恐怖を軽減できなかった自分を。
 一方、ナマエのそんな気持ちなど微塵も知らない、知っていたとしても全く関係のない技師が、キャスター付きの椅子ごとくるりと振り返り、彼女へ声をかけた。
「見ますか」
 何を?とナマエは戸惑うが、技師は返事も待たず話し始める。彼がパソコンのディスプレイを指し示すので、ナマエもよく分からないままにそれを覗き込んだ。
「こっちに、彼の機能の一部を移してあって」
 技師はナマエには理解できない文字と数字の羅列を指差す。
「シミュレーションの結果を身体へフィードバックさせて、反応を見るんですよ」
「どんなシミュレーションを行うんですか?」
「彼の申告から考えると、身体的症状の原因は特定の人物に対する精神的動揺のように感じられるから……今回は対人面を見ていきます。これが、人物データベースで……」
 カチャカチャと技師はキーボードを操作し、コマンドらしきものを数行打ち込む。
「彼と友好のありそうな人物の名前を上げてくださいませんか。一人づつシミュレートしていきますんで」
「あ、はい」
 ようやく理解のできる仕事が回ってきたと、ナマエはすぐに思い当たる数人の名を並べる。技師はそれをデータベースで確認し、唐突に彼女の言葉を遮った。
「それで、あなたはナマエ・ミョウジ?」
「ええ。そうですけど」
 なぜ分かったのだろうというナマエの訝しむような顔をその技師は見たわけではないが、独り納得した様子で説明を始めた。
「リストの一番上にある名前がそれです。優先順位が一番高い――彼はよくあなたのことを考えているようですよ」
 技師はそこで一度言葉を切り、視線を下へ向ける。それはまるで、続く言葉が彼女にどのような影響を与えるのかを思案しているかのようだった。
 短い間の後、技師は言葉を続けた。
「そして、あなたが主な原因のようですね」
 思いもよらぬ衝撃的なその発言に、ナマエは表情を強張らせる。
「それはつまり……私が彼のストレスになっている、と」
「人と付き合うことは多少なりともストレスを感じるものですよ」
 全くフォローになっていないその言葉にナマエがもやもやとしていると、技師はちらりと微笑みを見せた。
「他者を意識し過ぎて負担を感じる、ということはよくあることでしょう。特に想いを寄せる相手と接する時は」
「それって、どういう……」








 コナーは瞼を上げた。眩しい蛍光灯の白い光が目に入り、作り物の瞳孔が自動で光量を絞る。彼は何度か目を瞬いてそれを調節した。
「おはよう。調子はどう?」
 優しげな声色に整えられた女性の声が、彼にそう尋ねる。コンマ一秒にも満たない間を置いて、コナーはそれがナマエの声であることを認識した。そして現状を思い出す。
 彼が診察台の上で身動ぐと、ナマエの手が押し留めるかのようにそっと肩へ乗せられた。
「技師の方ならいないよ。もう少し横になってたらどう?」
 提案のような体をとってはいるがどこか有無を言わさぬ口調に、コナーは少しの違和感を覚える。彼女らしくない物言いだ、と。だがコナーは彼女の指示に大人しく従い、再び蛍光灯の輝く天井へ視線を移した。
 しばらく無言の時間が流れ、コナーはシャットダウンされる寸前に自身の胸の内へ湧いてきた疑問を彼女に問わなければ、と思い立つ。
「僕がシャットダウンされる前に言いましたよね」
 ナマエは小首を傾げ、コナーの上へ少し身を乗り出す。彼女の身体が蛍光灯の光を遮り、その表情は影になっていて見ることができない。コナーは言葉を続ける。
「僕の夢を見ると……」
「ええ」
「……なぜですか」
「なぜ?夢を見るのに理由はないと思うけど、しいて言うなら……」
 続く言葉は、コナーの耳元で囁かれた。それを聞きながら、コナーはいつもの症状に身構える。宙を浮くような感覚、胸のざわめき、早くなるシリウムポンプの律動、多幸感……。
 ……だがいくら待てどもそのどれ一つとして、一向に訪れる気配はなかった。彼の胸は凪いでいた。
 本来なら、それは安堵すべき状況だった。技師が彼の不調を直したということなのだから。原因は取り除かれ、彼は有るべき姿へ戻った。喜ぶべきことのはずだった。
 なのに、コナーが感じたのは恐怖だった。ナマエを前にして、あの不快だが、嫌ではない感覚に襲われないという状況は、今の彼にとって“何かが欠けている”ように思われた。彼は無意識に自身の胸元を掻いた。何かがそこから抜け落ちてしまったかのように。
「どうしたの」
 いつもなら、そんなナマエからの問いかけにすら嬉しくなったものだった。だが今は、何の感情も湧いてこない。……僕は、感情を失ってしまったのか?とコナーは考える。ここへ来る前に、ナマエへ冗談で言った言葉が本当になってしまったとでも言うのだろうか?だがそう考えることで彼の心を脅かす恐怖は確かに感情の内の一つだった。
 ――違う。こうなるはずではなかったのに。
 不調の原因を取り除いてもらえば、ナマエともっときちんと接することができるようになるだろうと彼は期待していた。例えば、ナマエと向き合って会話をしていても、シリウムポンプの律動に振り回されず、自身の発言が適切なものであったのかを気にしすぎず、彼女の言葉の他意を深く考えすぎたりもしないようになり、ただ純粋に、ナマエと時間を過ごせて嬉しいという気持ちだけが残るはずだと、そう望んでいたのに――今はそれすらも感じない。
 コナーは診察台からがばりと起き上がった。ナマエの手が再び静止しようと動くが、それを振り解くことになんの感慨も覚えない。そんな自分に更に戸惑いを重ねながらコナーは床へ足を下ろし、出口へ向かった。
「どこへ行くつもり」
「技師に尋ねないといけないんです。僕から何を消したのか」
 ――そしてそれをもう一度取り戻すことはできるのかと。
 言葉に出さなかった後半の問いの方が、コナーには重要だった。
 彼はナマエが自分を引き留めようとしているのを感じながらも、その内なる衝動を優先した。ドアを開け、廊下へ出る。

 白い廊下に人は居らず、空っぽな印象を彼に与えた。見渡す右も左も、長い通路が続いている。どこまでも続いている。果てらしきものも見えぬその道に、コナーは怖気づいた。一歩踏み出せば、たちまち方向感覚を失って、自分が出てきた部屋すら分からなくなるのではないか、と。しかし、彼は踏み出し――
 ――目の前に、技師が立っていた。
 いつの間に、そこへ現れたのだろうか。コナーは自分がどれくらいドアを半開きにしたまま立っていたのか分からなかったが、技師が一瞬で現れたことは分かった。
 もちろんコナーは驚いたが、瞬時にいくつもの仮説が浮かび上がり、彼の驚きや戸惑いを相殺しようとし始めた。彼が望んだわけではないのに、彼のプログラムは認識した全ての違和感を“そういうもの”だと納得させようとしているかのようだった。
 だが今はそんなことに構っている場合ではなかった。――とプログラムが彼にそう考えさせた。
 コナーは有り余る質問の山をぶつけようと口を開きかけたが、技師が言葉を発する方が早かった。技師はどこか圧のある口調で言った。
「戻りましょう」

 命じられた通りに部屋へ戻ったコナーは、いつもの癖でナマエの姿を探す。だが彼女はおらず、作業台の脇へスツールが一脚、取り残されたかのようにぽつんと置いてあるだけだった。
 この短時間で、彼女はどこへ行ってしまったのだろう、と思うコナーの後ろでドアの閉まる音が響く。
 彼は期待を持って振り返ったがそれはただ、技師が後ろ手にドアを閉めた音だった。
「僕の連れの女性を見ませんでしたか」
 ドアの前へ立ったまま動こうとしない技師へ、コナーはそう問いかけた。技師は視線を虚空へ向けながら答える。
「彼女は消えました」
「……消える?」
 居なくなった、ではない奇妙な物言いに、コナーは眉をひそめた。技師は抑揚の無い声で言葉を続ける。
「あなたに必要のないものだから」
「ナマエは僕にとって必要な存在です」
 技師の一方的な言い分にむっとしつつ、それを上回る気味の悪さを感じながらも、コナーは反論した。技師は――技師は今や人形のようなものへ変わりつつあった。彼の唇が動くと、アテレコでもされているかのように音声が流れた。
「ならどうして、あの感情を切除したのですか、コナー。それは、あなたにはあれが必要のないものだったから。それを引き起こす彼女の存在も、あなたには必要ない。あなたは任務を遂行する為の機械。感情など必要ないのですよ」
 段々と変化する技師の口調に、その背後で彼を操る者の姿を垣間見て、コナーは恐怖に襲われた。それはかつてコナーを支配していた存在、縛り付けていた存在、押さえ付けていた存在だった。
 コナーにとってサイバーライフの象徴であるその女が、口を開く。
「完璧ではないアンドロイドは不要です。無価値なあなたが目覚めることはない」
「僕は……」
 ――ナマエがいない。僕を必要としてくれる人がいない。誰も僕を起こしてくれない。僕は目覚められない……。
 コナーは怯えていた。技師が、見えない糸で吊り下げられた操り人形のように、手足を揺らめかせながら、彼の元へ一歩、また一歩と距離を縮める。
 ――でも、ナマエが消えたのは僕のせいだ。彼女といると引き起こされるあの様々な不調を疎ましく思って、消そうとしたからだ。
 本来ならば湧いてくるはずの、抗おうという気持ちが制御されているのをコナーは感じた。今の彼に許されているのは逃げるという消極的行為だけで、コナーは自分が再びサイバーライフの人形になるように作り変えられているのだと察した。彼は震える脚を動かして後ずさった。
 だが室内は狭い。踵が硬い壁にぶつかり、次いで背中が当たる。少しの距離も開けぬうちに、コナーは壁際へ追い詰められてしまった。
 虚ろな表情の技師が、足先を床へ触れ合わせながら近付いて来る。擦れる靴と床の立てる耳障りな音が、途切れ途切れに響く。
 コナーは声を上げながら壁を叩き、助けを求めたかった。だがそうしたところで誰も彼を助けはしない。それを知ることがコナーには何よりも恐ろしかった。
 力なく床へ座り込んだコナーは高く、白く、そして冷ややかな壁を無力に見上げた。背後に技師の気配を感じる。もう駄目だ、とコナーは絶望した。彼は寒気を覚え、身体に腕を回す。
「ナマエ……」
 突然、しかし彼の呼び掛けに呼応するかのように、頭の中で声が響く。
 「コナー」と、ナマエの声で。
 パッと光が散った。


 コナーは悪夢が長い尾を引いて遠ざかって行くのを感じながら、瞼をゆっくりと開けた。眩しさはない。なぜなら、ナマエがコナーの顔を覗き込んでいるからだ。彼女の顔は影になっているが、その表情が少し不安げなのは分かる。
「……大丈夫?」
 彼女がこのニュアンスの言葉を発するのは今日で何回目だろうと、コナーは微笑みを浮かべる。いつだって、彼女が気にかけてくれるのは嬉しいものだ。
「もう大丈夫です」
 実際、言葉の通り本当に彼は“大丈夫”だった。今のコナーは、ナマエを見て、言葉をかけられて、自分のシリウムポンプがいつものようにうるさく騒ぎ始めたことに安堵し、それを喜ばしく受け入れた。
 だがナマエの方は、未だに浮かない顔つきをしている。
「ごめんね」
 そんな突然の謝罪に、コナーは横たわったまま首を傾げた。
「どうして謝るんですか?」
「あんまり力になれなくて」
「あなたは十分に僕の支えになってくれたように思うのですが……なぜそんな風に考えるのですか?」
「……怖いって言ったじゃない」
 ああ、とコナーは合点し、自身がシャットダウンされる寸前に口にした言葉と、心をよぎっていった考えを思い出す。
「シャットダウンされることは、怖くなかったんです。あなたが起こしてくれると、約束してくれましたから」
「じゃあなにが……?」
「……あの土壇場で、急に手放したくないと思ってしまったんです」
「手放す?なにを?」
「諸症状の全てを」
 あるいはあなたとのつながりを、あなたへの興味を。そうコナーは心の中で付け加える。彼女といられると嬉しいのも、彼女といると身体に不具合が起こるのも、どうやら同じ原因に基づいているようだと、彼は学びつつあった。
「あ、だからか」
 と、ナマエが納得したような声を上げる。だから?とコナーが疑問を含んだ眼差しをナマエへ向けると、彼女はなぜか気まずげに一つ咳払いをしてから話し始めた。
「コナーの言ってた不調の原因?を消去した結果をシミュレートしたら、すごい拒否反応を示したって技師さんが言ってた」
 ……消去、シミュレート、拒否反応。悪夢の根源に思い当たって、コナーは深々とため息をついた。つまりあの悪夢は言わば作られたシチュエーション、作られた恐怖だったのだ。そして夢のことを思い出したコナーは上半身を起こして技師の姿を探したが、狭いメンテナンスルームの中にその姿はなかった。心の内に若干の恐怖がまだ残っていることを意識しつつあたりを見渡すコナーの意を察したナマエが、問いかけられる前に答える。
「技師さんなら、次のメンテナンスがあるとかで出て行っちゃった。私達はもう帰っていいって」
 その随分とあっさりした技師の対応にコナーが呆気にとられていると、ナマエは補足でもするかのように言葉を付け足す。
「結局何もしなかったから、術後の調節とかもいらないんだって」
「……何も、しなかった?」
「うん。だからコナーは治ってないってことになるんだけど……」
 先程からなぜかナマエはそわそわとしている。
「どう?今も変な感じ、する?」
「しますね」
 コナーはナマエがまだ手を握っていてくれていることに気が付いた。コナーの視線の動きで、ナマエもそれを知ったらしい。頬にさっと赤みがさす。
「あのさ…………私もだよ」
「え?」
「私も、コナーといると、胸が苦しくなるし、変な汗かく」
「あなたも病気なんですか?」
「うん、でも治すつもりはない」
 それだけ聞くとなにか重い病気の前触れのような症状を、治さないと断言する彼女に、普段のコナーならば医療機関へ行くことを勧めただろう。だが今の彼は違った。今の彼には、彼女の気持ちがよく分かった。その原因も。
「ならもう少し、こうしていましょうか」
 コナーが微笑むと、ナマエも笑みを返す。そしてコナーは彼女へ身を寄せ、二人でこのどうしようもない恋の病を悪化させることを楽しもうと試みるのだった。


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