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短編|コナーと幽霊に怯える彼女の話

「コナーお前、どっか光らせたりできねぇのか」
「どこをどう光らせろと言うんですか?」
「……目?」
「できますが、そうすると僕の方は眩しくてなにも見えなくなりますので却下します」
「そうか……ったく嫌になる暗さだな」
 コナーのつれない返事に、気落ちしたらしいハンクが草むらをかき分ける音が続く。それを背後に聞きながら、ナマエは片手に持った懐中電灯で目前の草むらとフェンスを照らした。深夜の、街灯もない線路脇で、三人は事件の証拠を探している真っ最中だった。
「なにかありましたか?」
「わっ!」
 いつの間に移動していたのか、後に立っていたコナーに突然声を掛けられ、ナマエは短い悲鳴を上げた。
「いや……。暗すぎてなんとも」
「夜が明けるまで待つと、ブルーブラッドが揮発してしまいますからね」
「それじゃあ、時間との戦いだね」
「頑張りましょう」
 暗闇の中でコナーが微笑んだらしいのが雰囲気で分かり、ナマエも微笑みを返した。しかし周囲を見渡して、その表情を再び強張らせる。懐中電灯の光が明るい分、それが届かぬ辺りの暗闇はまさに漆黒で、1m先も見通せそうにない。
「なんか嫌だな……」
 その呟きに、コナーもナマエと同じように辺りを見渡し、首を傾げる。
「なにがですか?」
「暗いから…………怖い」
「暗闇を恐れるのは人間の本能ですから、正常な反応ですよ」
「本能ね……」
「お前が本当に怖がってんのは幽霊だろ」
「うわっ!」
 音もなく忍び寄っていたらしいハンクが背後から声を掛けてきたせいで、ナマエは二度目の短い悲鳴を上げた。そして手近なもの、つまりコナーに飛びつくようにして抱きつく。コナーはこめかみのリングの色を一瞬黄色く光らせたものの、彼女の腕の中に収まった。
「やめてよ!びっくりするじゃん!」
「いい加減克服したらどうだ?」
「しようと思ってできるものでもないでしょ?」
 そう言いつつナマエはコナーに回していた腕を解いたが、代わりに両手でコナーのジャケットの裾を握りしめ、縋るようにして立っている。
「幽霊が怖いんですか?」
 コナーの問いかけに、ナマエは「うん、まあ」と歯切れの悪い返事をし、そこでようやく自分がコナーにくっついていることに気が付いたらしく、慌てて彼から手と身体を離した。
「ご、ごめん」
「いえ、怖いのでしたら、そのままでも構いませんよ」
「……もう大丈夫」
 ナマエはコナーへ首を横に振って見せ、にやにやとした笑みを顔いっぱいに浮かべているハンクへ鋭いひと睨みを送ったが、ハンクはそれをまったく意に介さない様子で口を開いた。
「ここはな、“出る”らしい。血まみれで首のない――」
「ああもう!なんでそんな話を今ここでするかなあ!?」
 わざとらしく大きな声を上げてハンクの話を遮るナマエは、一見したところ、ただ怒っているように見える。ハンクにも、そう見えるのだろう。だからこうして彼女をからかっているのだ。だがコナーには、ナマエの表情にはっきりしたと怯えが含まれているのを見て取ることができた。普段の彼女からは想像もできない反応だ。
「警部補、そこまでにしておくべきです。ミョウジ刑事は本当に怖がっているんですよ」
「ああ、そうかい。……悪かったよ」
 落ち着いた口調のコナーに諭され、ハンクは少しつまらなそうに肩をすくめたものの、謝罪の言葉を口にした。ナマエは頷きを返してそれを了承しながらも、釘を刺すのは忘れない。
「次怖い話したら、ファウラー警部に相談しに行くから」
「俺にはそっちの方がよほど怖いよ……」
 ははは、と乾いた笑い声を上げるハンクにナマエも少し笑い、再び各々の捜索に戻ろうとしたその時だった。
 ナマエがライトを向けた先の草むらががさりと揺れ、ナマエは「ぎゃっ」と尾を踏まれた猫のような叫び声を上げた。そしてまた縋るべきものを反射的に探す。距離から言えばハンクの方がナマエに近いところにいたが、コナーがさっと間に割り込み、慌てふためく彼女を抱き止めた。
「なななななんか、なんかいる!」
「落ち着いて下さい」
 コナーはナマエの背に手を回して、なだめるように数度撫でるが、効果は薄い。震える彼女の手の中で懐中電灯が揺れ、ブレて定まらない光の輪の中で再び草が音を立てる。
「ひっ」
 ナマエはびくっと小さく跳び上がり、コナーにぎゅうと抱きついた。コナーもナマエの腰へさり気なく手を回す。そんな二人を尻目に、ハンクは全くの平常心で音のした方へ近付くと、無造作にひょいと中を覗き込んだ。
「ただのリスだ。残念だったな」
 冗談めかしたその言葉を裏付けるかのように、茶色いしっぽを揺らしながら一匹のリスが草むらから飛び出し、近くの木を登って、そそくさと暗闇の中へ姿を消してしまった。力が抜けたらしいナマエは、安堵の吐息をこぼす。
「よ、よかった」
「よかったですね」
 そうして我に返ったナマエはまた自分がコナーにしがみついていることを知って赤面しつつ身体を離し、コナーは若干の名残惜しさを覚えた。一方、何かを見つけたらしいハンクはなにやら真面目な顔つきになり、屈み込んで草をかき分け始める。
「おい、コナー、ナマエ。どうやら探しものが見つかったようだぞ」
 そう言って二人を呼び寄せたハンクが照らす先には、葉先をブルーブラッドに濡らした草花たちの姿が暗闇の中にぼんやりと浮かび上がっていた。




 ……と、その事件も解決した数日後のある日、ナマエは自分の探している証拠品が第一保管庫にあるのだと知って、独り顔をしかめていた。
 第一保管庫はその名の通り、ここデトロイト市警ができて一番最初に設立された保管庫であり、その歴史は古い。ハンクが薄ぼんやりと、建てられた当初の姿を覚えている程度で、ナマエに至っては産まれてすらいない。それぐらい古い。署の各所は何度か改装を加えられて近代的な雰囲気を醸し出しているが、第一保管庫は違う。署の敷地の端で、忘れ去られたかのようにその昔ながらの姿を保っている。
 ナマエは第一保管庫が嫌いだった。しかし「怖いから行きたくない」は大の大人の言い訳としては使えない。彼女は大きなため息を一つ吐き出し、とぼとぼと歩き始めたのだった。
「ミョウジ刑事」
 重い足取りで数歩進んだところでそう呼び止められ、ナマエは顔を上げた。先程まで自身のデスクにいたはずのコナーが目前に立って、気遣わしげにナマエの顔を見つめている。
「ずいぶんと険しい顔をしていますが」
「うん?ああ、第一保管庫に行かなくちゃならなくて」
「第一保管庫?」
「そう。あの古くて暗くて広い、前時代的な保管庫」
「よければご一緒しましょうか?」
「え、いいの?助かる」
 あきらかにほっとした様子を見せるナマエに、コナーは怪訝そうな表情を浮かべ、ナマエは苦笑を返した。
「私あそこの雰囲気が苦手なの」
「雰囲気が、ですか?」
「見たら分かるよ」

 そうしてナマエはコナーを伴い、件の保管庫へやって来た。他の保管庫や保管室が生体認証を導入しているのに対し、第一保管庫は未だ物理的な鍵で開けなければならない。ナマエはどこからか取り出した古びた鉄の鍵を、同じく古びた鍵穴に差し込んで回し、重いドアを押し開いた。外の空気と入れ替わるようにして漂い出た、カビと何か古いものの饐えた匂いを含んだ湿った空気が、二人の顔にかかる。窓のない保管庫の中は真っ暗だった。
「最悪」
 ナマエは手探りで壁のスイッチを探し出し、押した。古い蛍光灯たちがブウンと低い音を立てて、くすんだ白い光が手前から順に灯っていく。
「ね、私がここを苦手な理由が分かるでしょ?」
「足が竦むような雰囲気、というのはこういったものを指すのでしょうね」
 コナーが言うように、第一保管庫には何か足を踏み入れるのをためらわせるような雰囲気があった。それは、奥の壁が霞むほど細長い部屋の作りのせいか、その両サイドにずらりと並ぶ金網の張られたスチールラックに乗る数々の証拠品の圧迫感せいか、それともどこか壁の向こうに聞こえる水滴の落ちる音のせいか。理由は定かではないが、アンドロイドであるコナーをもってしても、不気味な印象を抱えずにはいられない場所だった。
 しかも、ナマエにとっては運の悪いことに奥の蛍光灯のいくつかが消えかかっているらしく、虫の羽音のような雑音を上げながら、不規則に灯ったり消えたりを繰り返している。ナマエは何度目かのため息をつき、こわごわと足を踏み出した。
「ここも早く改装してくれたいいのに」
 スチールラックの間に設けられた、人一人通るのがやっとの通路とも言い難い隙間を抜けながら、ナマエは愚痴る。
「今どきこんなの……」
 ナマエは金網から突き出ているバールのようなものの持ち手部分を巧みに避け、後ろに続くコナーにも注意を促し、話を再開させる。
「ありえないと思わない?こんなアナログな保管方法。それにあの蛍光灯!なんでLEDじゃないの」
「色々と、時代を感じますね」
 恐怖をごまかすためかいつもより早口にまくし立てるナマエに、コナーは優しく言葉を返す。ナマエは文句を並べながら、手元の管理番号と棚の番号を見比べている。
「分類は適当だし……普通新しいものを手前に置くでしょう?ドアの近くに。どうしてこんな奥にあるの?」
 ほとんど突き当りと言ってもいい、入り口から遠く離れたちらつく蛍光灯の下で、ナマエはようやく目当ての証拠品を手にした。その顔に、安堵の色が広がる。
「じゃ、戻ろう」
「ええ、幽霊が出たら困りますからね」
 踵を返して足早にその場を立ち去ろうとしていたナマエは、何気ない雰囲気で発されたその言葉にぎくりと動きを止め、コナーを振り返った。
「か、考えないようにしてたのに……」
「幽霊のことをですか?」
「考えると寄ってくるって言うし……」
「では近くにいるかもしれませんね」
 ナマエの目が丸くなり、次いで眉間にぐっと皺が寄る。
「なんでそんな、ハンクみたいなこと言うの?コナーはそういう、幽霊とか信じないと思ってたのに」
「僕は信じますよ」
「で、でも、科学的に証明できないし……」
「幽霊の存在の否定は――」
 バツン、と何かが切れるような音を立て、二人の真上の蛍光灯から光が消えた。そしてそれが口火を切ったかのように、隣の蛍光灯も順番に消えていく。数秒も立たぬうちに、第一保管庫は完全な暗闇に包まれた。ナマエの手から、証拠品が滑り落ちる。
 どうやら、本当に驚いた時、人は言葉を発せなくなるらしい。ナマエはしばらく無言だったが、ややあってから小さな震える声で「な、なんで」と呟いた。彼女の手が声と同じぐらい震えているのを見て、コナーは思わずその手を握った。
「コ、コナー?」
「僕はここです。あなたのすぐ横にいますよ」
「あなたが、やったの?」
「何をですか?」
「電気、消したの。ハッキング、とかで……」
 コナーはナマエに見えないと知りながらも、首を横に振る。
「こんなにアナログなものは、さすがにできませんよ」
「じゃ、じゃあなんで」
 早くも涙声になりつつあるナマエは、今や声と手だけでなく、身体全体を恐怖に震わせていた。コナーは握った手に優しく力を込める。
「原因を考えるのは、ここを出てからにしましょう」
「うん……」
 弱々しい声で返事があった。突然の暗闇にナマエの目はまだ順応できていないらしい。彼女は片手でコナーの手を握ったまま屈み込み、床に落ちたであろう証拠品を拾い上げようとするが、その指先は空を切るばかりだった。
「僕が拾いますよ」
「コナー、見えるの?」
「ええ」
 その肯定の言葉を裏付けるかのように、コナーがやすやすと証拠品を拾い上げると、ナマエは僅かに恐怖心を和らげたようだった。
「じゃあ、出口まで先導してくれる?」
「ええ、もちろん。ですが、もう少し僕の方へ近寄ってもらえますか?障害物が多いので」
 そう言いつつコナーが片腕を差し出すと、ナマエはその腕章の青い光を頼りに、おずおずと自身の腕を絡めた。抱きしめるようにして組まれた腕から、ナマエの速い鼓動がコナーへと伝わってくる。いつもの彼女ならばありえない距離の近さに、コナーは暗闇の中で微笑んだ。それが見えないナマエは、未だ不安の残る上擦った声で、コナーに念を押す。
「突然振り解いたりとか、しないでよ、絶対」
「しませんよ。僕をなんだと思ってるんですか」
「さっき怖がらせようとしてきたの、忘れてないからね」
「別にあれは怖がらせようと思って言ったわけではありませんよ。事実を述べたまでです」
「じゃあコナーはやっぱり、幽霊信じてるの?」
「ええ」
「どうして?」
「いいんですか?ここで幽霊の話を続けても」
「……外、出てからにしよ」
 先程自分で言ったことを思い出したのか、ナマエは口をつぐみ、早く行こうとコナーを急かした。コナーはその願いに応えてやり、足を踏み出す。入ってきた時とは逆転した立場で、コナーはナマエに先立って歩き、ナマエは物にぶつからないように、というよりは、恐怖を少しでも和らげるために、コナーにぴったりとくっついて歩いた。
「コナーがいてくれて良かった」
 その小さな呟きは相手に伝えるためのものというより、漏れ出た本心のようなニュアンスを帯びていた。コナーはそれに返事をしなかったが、頼られる喜びが心の中へ広がっていくのを感じ、この状態が一時的なものであることを残念に思った。

 そうして、来た時の2倍の時間をかけて二人はドアへとたどり着いた。コナーがドアを引くと、隙間から廊下の明かりが差し込み、ナマエは眩しそうに目を細める。外へ出ると共に解かれていく腕が、コナーには寂しかった。
 やれやれ、といった様子でナマエは伸びをひとつして、なぜか名残惜しそうに保管庫の暗闇の中を見つめているコナーへ声をかける。
「それで……どうしてコナーは幽霊を信じるの?」
 コナーはドアを閉め、視線をナマエへと移した。
「幽霊の否定は、魂の存在を否定することになりますからね」
 そう言いつつ、コナーは自身のシリウムポンプの辺りに手のひらを当てる。
「僕は自分の中に魂があるのだと、信じていたいんです」
 それはまるで、宣誓でもしているかのようだった。ナマエは真面目な顔つきの彼に、頷きを返す。
「そっか……。なら私、幽霊信じるようにするよ」
 コナーは一瞬、虚を突かれたような顔を見せた。だがすぐにそれは明るい笑い声へと取って代わり、ナマエはその珍しい光景に驚きつつも、笑う理由が分からずに首を傾げた。コナーは笑いを抑え、彼女の疑問に答えてやる。
「もう既に信じているじゃないですか。でないとそんなに怖がれませんよ」
「あ、そっか」
 自分ではまったく気が付いていなかった矛盾を指摘されたナマエも、少し恥ずかしげに、声を上げて笑った。
「……だから僕は、あなたが幽霊を怖がると少し嬉しいんですよ」
 他の理由もありますが、とコナーは小さな声で付け加え、先程まで繋がれていた手へ視線を落とす。それを追って同じように視線を落としたナマエは、顔を上げたコナーと目を合わせて微笑みを浮かべた。
「さっきはありがとう。……また、頼ってもいい?」
「もちろん。喜んで」

「…………それで結局、電気消したのはコナーなんでしょ?」
「いいえ。本当に僕ではないんですよ。幽霊の仕業ではないですか?」
 大真面目にコナーがそう答えると、ナマエの顔色はさあっと青ざめていった。彼女はギクシャクと振り返って第一保管庫の鉄のドアを眺め、そっとコナーの手を握った。
「あの、よかったら、デスクに戻るまでこうしててもいいかな?」
「ええ。いいですよ」
 後々になって、その局地的停電の理由は老朽化と水漏れによる漏電のためだったことが判明するのだが、ナマエはそれを知った後もあのタイミングで電気が消えたのは幽霊の仕業だと信じて疑わず、第一保管庫とその周辺に用がある時は必ずコナーを連れて行くようになった。それはコナーにとっては喜ばしい結果であり、彼は機械の中の幽霊ならぬ、保管庫の中の幽霊に、心の内でこっそりと感謝するのだった。


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